5. 疑惑

海の向こうには

 それは都を流れる大河の岸辺であった。一人の少年が、アリーが、その岸辺にいた。


 彼の目の前には河、それから東岸に広がる都。彼の背後にも都が広がっていた。土色の、平たい屋根をした家々が並び、中庭の緑や背の高い椰子の木なども見える。今日も多くの人々が行きかう都だ。そして、河。遠くに船橋が見え、近くには小舟に乗った漁師が網を投げていた。都の人々を養う、豊かな河であった。


 アリーは、河の流れを眺めて、あれこれ空想に耽っていた。これを下っていけば……やがて海に出る。海! 広く大きく、煌めきに満ちている。海を行けば、新しい世界に出会える。海の向こうには異国が、島々が、見たこともない町や人や生き物たちがいるのであって……アリーは少年っぽい熱意を持ってそれらのことを考えた。アジーズの話は全く愉快であった。冒険と驚異の連続の航海の日々……自分もあのような経験ができたら!


 そんなことを考えていたために、気づくのが遅れてしまった。「アリー」と声がして、ようやく振り返った。見ると、モナがすぐそばまで来ていた。今日もまた町娘の格好をしているモナは幾分浮かない顔をしていた。


「どうしたんだよ」


 浮かない表情が気になりつつ、アリーは聞いた。モナは河を見ながら答えた。


「いえ……スフラブがこっちに来てないかと思って」

「今日は見てないなあ」

「でも最近、こっちに来てるでしょ。なんだかたびたびうちからいなくなってるの」

「確かに、前にアジーズの家で見たけど……。でもそれがどうしたんだ?」

「……そう。やっぱり来てるのね」


 モナは元気なく言った。アリーはますます気になり、モナを見た。


「何かあったのか?」

「いえ……でもやっぱりおかしいのよ」

「何がおかしいって?」

「スフラブよ。最近様子が変なの。隠し事してるの」

「そりゃあいつだって、なんでもかんでもおまえに報告したいわけでもないだろうし……。隠したいことの一つや二つあるんじゃないか?」

「まあそう……そうだけど……」


 何といっていいかわからず、モナは口を閉ざした。けれどもやはり、胸の内にあるものを吐き出したくて、アリーを見た。


「でもね、明らかになんか変なのよ! こんなこと初めてなの!」

「そうかなあ。この前会ったときは、別にいつもと変わらなかったけど」

「おかしいのは、図書館に行ったときからのなのよ」

「ああ、そういえば、図書館で変なものを見たとか言ってたな。また幽霊か何かかよ。いいなあ。おれまだ幽霊に一度も会ったことがないぞ。なんでおまえらは二度もあってるんだよ。おれ、幽霊に嫌われてるのかなあ……」

「いい、とか言うものではないけど……」


 ぼやくアリーにモナが言った。会ったところで、あまり愉快な気持ちになるものでもない。


「あ、図書館の事件のときにはターヒルもいたんだってな!」

「そ、そう、ターヒルが……」


 そう言ってモナは口ごもった。あの日以来、図書館で助けてもらって以来、モナはターヒルに対してよくわからない感情を抱いていた。


 助けてもらったのはもちろん有難い。ターヒルが嫌いなわけではない。むしろ……その反対なのだ。ターヒルのことを考えると、あのとき、身体を密着させたその感触が蘇ってきて、モナの心が落ち着かなくなってしまう。かばってくれた優しさだとか、勇敢さだとか……。ターヒルの顔を思い出すと、自然と頬が熱くなってしまうのだった。ひょっとして……これが恋というものなの? とモナは思うのだったが、どうにもわからなかった。


「ま、まあターヒルのことはともかく。それよりスフラブよ」


 赤くなった頬に、アリーは気づいてないかしら、とモナは少し気にして、慌てて話を変えた。そして、続けて、

「私は思うのよ……。ひょっとしたら、スフラブが東の国の王子じゃないかって……」

「なんなんだよ、その話」


 アリーが目を丸くした。モナは少し驚き、言った。


「まだ話してなかったっけ?」

「聞いてない、何も」


 そこでモナは、アリーに、サハルから聞いたことを語った。東の国の世継ぎ争い、死んだとされている王子が生きているかもしれないこと、そして、その王子を探している人がいるかもしれないということ……。アリーは黙って、神妙な面持ちで聞いていたが、聞き終えた途端、笑い出した。


「なんだよそれ、スフラブが王子様!? おまえ、本気でそんなこと信じてんの?」

「で、でも、年齢は合うし……」

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