スフラブが見たもの

「一体……どういうことなんでしょうね?」


 ターヒルがゆっくりと起き上がった。腕を掴んだままのモナもつられて一緒に起き上がった。


「モナ様! お嬢様!」


 自分を呼ぶ声がして、モナは声のほうを見た。見ると、アラウィーヤであった。彼女も大いに驚き、慌てていた。


「まあお嬢様! ご無事で何より! わたくし本当に不思議な体験をしたんですよ。もうわけがわからないったらありゃあしない! 辺りが暗くなったと思ったら、突然随分と素晴らしいところにいたのです。そこは緑の草原が続く豊かな土地でねえ。小川がさらさらと流れ、小鳥たちが鳴き交わし、花は風に揺れ、木々には果実が実り……。それで大きな木の傍に数人の人達が集まって、穏やかに話しているじゃないですか。それらの人全てに、知性と高貴さがあって、そういう人たちが静かに慈愛に満ちた表情で、世の理について語っているのですよ。わたくしはてっきり、これは天国なんだと思って、そうか知らぬまにわたくしは死んだのね、となんて思っていたら、またこの世に戻ってきて……って、誰なのですか、その男は!」


 ひたすらしゃべっていたアラウィーヤはようやく、ターヒルの存在に気づいたようだった。モナは慌てて、ターヒルの腕から手を離した。自分の頬が赤くなっているのがわかった。


「――この人はアリーの友だちなの。この前、たまたま私とスフラブと出会って……そういえば、スフラブはどこ!?」


 モナは唐突にスフラブの不在に気づいた。辺りを見回すも、いない。地震のときはいたのだ。確かに手をつないだのだ。それなのに、今は影も形も見当たらない。


 アラウィーヤも慌ててきょろきょろとしている。青ざめていく二人の様子を見ながら、ターヒルが言った。「私が探してきましょう」


 そこでターヒルは部屋の戸口に向かった。と、そこへ、戸口にひょっこりとスフラブが姿を現したのだった。


「スフラブ!」


 モナはそう叫んで、少年の元へ駆け寄った。そしてその手を取った。


「もう、どこに行ってたのよ! 心配したじゃない! ああ、私たち本当に変な体験をして、あなたもそう――」


 モナは言葉を切った。スフラブの様子がどこかおかしかったからだ。ぼんやりとして、心ここにあらずのように思えた。アラウィーヤとターヒルも側に来て、心配そうに少年を見ていた。


「ああ、僕は……」


 スフラブがゆっくりと口を開いた。考え考え、どこかに気持ちを囚われたように、スフラブは続けた。


「……僕は……辺りが真っ暗になって、よくわからなくなって……。でも少年を見たんです。僕と同じくらいの年の。その子が僕を呼んでて、なんだか一緒に遊びたがってるみたいで……」

「少年? 同じ年頃の?」


 ターヒルが驚きを込めて呟いた。モナがターヒルを見上げると、ターヒルははっと口を閉ざし、何でもないかのような表情をした。しかし、その顔には隠しきれない動揺が残っていた。


「知ってる子だったの?」


 モナはスフラブに尋ねた。スフラブは首を振った。


「いえ……でもあれは……」


 スフラブのおぼつかない様子を見ていると、今は根掘り葉掘りあれこれと聞くには酷なように思えた。そこでモナは話を打ち切ることにした。


「まあ何にせよ……よかったわ、スフラブが無事なようで」


 図書館内はいまだに騒がしかった。回廊を忙しなく行ったり来たりしたり、戸口を急いで出入りする人々があった。モナはそっとターヒルを見つめた。ターヒルはそんな喧騒などおかまいなく、しきりに何かを考えているようであった。

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