第7話 カットーデスね!
ロッテを見送った廊下で、教頭から提案を受けて学校施設を案内してもらえることになった。
さすがにホームルームや授業の始まった教室棟は避けて、他の棟や体育館など。学校案内というよりは雑談のつづき、といった感じだろう。
「ロッテさんは昨日来日したと聞いていましたが、すっかり打ち解けてらっしゃいますね」
「え、ええ。まあ。ゆうべは
みんな、という部分をわずかに強調して言ってみた。……まさか夜もずっと二人きりだったとは思うまい。無論、俺はリビングに布団を敷いて眠った。
「いやあ、それにしても」
俺は話題を逸らす。
「高校なんて十数年ぶりですよ。なんだか変な気分です」
特別教室棟二階の窓から向こうの教室を眺めて言う。中庭を挟んでいるため生徒たちの横顔は小さい。何気なくロッテの姿を捜してみるが、そうそう都合良くは見つからなかった。
生徒たちは――当然だが――皆が同じ方向を向いて並んでいる。俺もあの中に混じっていたのかと思うと、まったく実感がない。
制服姿の生徒たち。
チャイムの響く明るい廊下。
掲示板の張り紙。
どれもこれも記憶の奥のほうにしまわれていて、懐かしいというより違和感が先に立つ。
教頭は軽く笑って、
「我々は毎日のことですからね、すっかり日常ですが。生徒たちが大勢いる空間というのも新鮮でしょう」
「ええ。不思議な気分です。ロッテは――彼女たちは、ここで過ごすんですね」
もう一度教室のほうへ視線をやってから俺は、教頭に向き直って言った。
「ロッテのこと、よろしくお願いします」
・・・・・・
登校とあいさつという大きなハードルを越えた俺は、ひとり帰宅する。帰りに駅前のスーパーで買い足しをしてから、祐也の家――もう自宅と言っていいだろう――に戻り、スーツを脱いでネクタイを外した。
「さて、と」
腕まくりをして俺は仁王立ちになる。
目の前には、ゆうべから先延ばしにしてきた『どーでもいい大問題』が立ちはだかっている。あるいは、『絶望的かつ些細な問題』と言い換えてもいい。
「ありか、なしか……」
どこにも答えのない問題に俺は取り組んでいた。時刻は午前十時半。さすがにそろそろ結論を出さねばなるまい。
俺はうなる。
ここは脱衣所。
目の前には洗濯機――。
そう、洗濯だ。
二人分の洗濯物……。洗濯機にはロッテの服が入れられており、俺の分は脱衣カゴに入れて別にしてある。
果たして二人分の衣服をいっしょに洗濯してよいのか、という凄まじい案件を前に、昨日の俺は目をそらして先延ばしにした。
年頃の娘が父親の下着との洗濯を拒絶する、という話はよく聞く。肉親でもそうなのだし――いや、この場合は肉親だからこそという感情も働くのかもしれないが――ともかく、俺たちは家族どころか赤の他人なのだ。
見知らぬおっさんの洗濯物といっしょに放り込まれるなんて、もしかしたら十六歳の少女にとっては卑劣な犯罪と同等に感じるのではないか――ましてや相手は王族。こんな下民の下着と混ぜられるなど、国辱にも似たショックを受けるのでは――。
ロッテのキャラクターを見るにあまり気にしそうにはないのだが、それもまだ初日ということで最大限気をつかっているだけなのかもしれない。彼女が本国に帰ったとき、「変な東洋人に汚された!」なんて報告されたら、もしかして俺の命すら危ないのでは?
いやしかし、あえて下着を分けて洗うのも、意識しているようで逆に気持ち悪いかも……。水道代ももったいないし。
などなど。
考えはじめるとエンドレス。
本当に――
どうでもよくて些細で、しかし絶望的で致命的な問題なのである。そしてこの決定は、今後に響く。ここで一度ルールを決めてしまえば、これからずっとその方針に従わねばなるまい。
下着を一緒に洗うか、どうか。
……ああ、色んな意味で頭痛くなってきた。
とはいえいつまでも迷ってはいられない。春の太陽はいつまでも待ってくれない。他にも洗っておきたいものもあるし、いつまでもこのままというわけにもいくまい。
「よし……!」
俺は勇ましく決断する。
「分けて洗おう!」
拳を握って独り言。
そして勢いよく俺はロッテの洗濯物に取りかかった。もちろん、洗剤と柔軟剤を投入してボタンをぽっちと押すだけである。
うん、問題がひとつ片づいた。
俺は晴れ晴れとした気持ちで料理の仕込みに取りかかった。
――が。
このあと。しばらくして。
洗濯機のアラームが鳴ったあと、俺は「ロッテの下着に触っていいのか」というさらに大きな問題に直面することになるのだが、それはまた別の話……。
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