第6話 はじめてデスね!
高校に足を踏み入れるのなんて、何年ぶりだろうか――。
ロッテを受け入れた翌日、4月某日。
俺は、彼女の通う高校へと赴いたのであった。
・・・・・・
「明日はよろしくお願いしマス!」
ゆうべのリビングで。
ロッテは確認するかのようにそう言った。
「明日?」
「学校デス!」
「あ、ああ。いってらっしゃい」
視線を泳がせながら俺は言った。
風呂あがりのロッテは目に毒だった。洗い髪をタオルでまとめて、シャンプーだかボディーソープだかの残り香をただよわせながらリビングに入ってきた彼女は、まだ暑いのか薄着だった。
ピンク色のTシャツ。薄手がゆえに強調される曲線。下着から解放されているらしい無防備な胸部。……アウトである。
「初日か、緊張するだろうけど頑張ってな」
なるべく自然に顔をテレビに戻しながら俺は応えた。
――のだが。
「おー? タカユキは来ない?」
「……俺が? なんで」
振り向き、たずねた。
「ホストファミリーも来るようにと。学校のセンセーからのお達しデス」
「お達し……。ん、ああ、そうか」
なるほど、学校側との顔合わせということか。
そうであれば家事以外は特に予定のない俺には断る理由もないし、むしろ他を差し置いてでもはせ参じるべきなのだろう。
しかし、大丈夫か?
学校側は祐也夫妻が引き受けたとばかり思っているはずだ。そこへ見知らぬ男がひょいと現れるのは問題ないのだろうか。ホストファミリーの
俺は少しだけ迷ってから、やや不安げな表情を見せるロッテに、俺も同行することを伝えた。ロッテは安心したように笑うと、二階へと上がっていった。
「……保護者、ってことになるのか」
まだ子どもどころか配偶者すらいない俺が、保護者として学校に乗り込むことになるとは、まったく昨日までは想像もしなかった事態だ。
やや気が重い。しばらく着ることはないと思っていたスーツも、さっそく取り出さなければならない。さてどんな顔をしてどんな話をすればよいものやら……。
階段をのぼる、軽やかな足音が聞こえる。
「……ま、頑張りますかね」
リビングでひとり、俺はつぶやいた。
・・・・・・
都立緑が丘高校。
祐也の――俺たちの住む家からバスで二十分程度にある公立校。開校八十年を過ぎたこの学校がロッテの留学先だ。
どういうコネクションがあってこの学校が選ばれたのかは定かでないが、事前に調べたところではそれなりの進学校であるらしく、校舎はやや古さを感じさせるものの、全体的な雰囲気は悪くない。と、思う。
事務室で来訪を告げると校長室へと案内された。
人の良さそうな白髪の校長がみずから応接用のソファへと促してくれ、俺とロッテは隣りあって座る。
先方は、校長、教頭、学年主任と担任の教師という布陣。
……緊張する。
全身を仕事モードに切り替えていなかったら、きっとしどろもどろな不審者になっていたかもしれない。ビジネススーツという鎧を着込み、営業用の微笑を顔に浮かべるという虚勢は、内心の動揺を悟らせないという意味で、こういうときにはなかなか役に立つものだ。
さて、ロッテはどうだろうか。
「…………」
昨日の制服――わざわざ来日前に採寸して調達していたという緑が丘高校のブレザー――の姿で、行儀正しく座っている。緊張はしているのかもしれないが、不安感はあまり見えない。
「瀬戸さん、校長の瀬川です」
祐也夫妻の代理である俺に特段の不信感を持つでもなく、校長は言う。
「お話は伺っております。お忙しいところ申し訳ありません」
「いえ、こちらこそ、このような形で恐縮です」
昨日のうちに祐也と打ち合わせを済ませ、こちらの朝の時間に合わせて、麻美さんから学校へ電話を入れてもらったのだ。つまり、どうしても外せない用事ができてしまい、今日は代わりに身内の者を同行させる――と。
さすがに、「ロッテと二人で暮らしています」と正直に白状する勇気は俺にはなかった。今の生活について学校側に嘘をつくのは道義的ではないのかもしれないが、ここは仕方ない。そう思うことにした。
それから、校長から順に通り一辺倒のあいさつが行われる。
最後に、
「担任の前田です」
俺より年下、二十台後半らしい女性教諭が優しい笑顔で言ったところで、改めて俺も簡単な自己紹介を済ませる。
ロッテは、
「ロッテ・オーストレームです」
落ち着いた様子で、このたびは受け入れてくださりありがとうございます、といった趣旨のあいさつを口にする。
――なんだろう。
家にいるときとはまた違った雰囲気だ。妙に冷静というか、大人びているというか、俺よりも安定感があるというか。言葉づかいひとつ取っても、無理に難しい単語を使おうとしないためなのか、トーマス直伝の危うさはなく、敬語もばっちり。
場慣れしている――人慣れしている。
さすがは王族、ということなのか。
TPOに合わせた態度をそなえているらしく、今は『お姫様』の顔だ。
彼女の横顔からは幼さが抜けて、凜とした美しさすらあった。
……いやそれ、俺のときにもやって欲しかったような。
瀬戸家にたどり着いたときは、喜びのあまりテンションが高すぎたのかもしれない。
互いの紹介が終わり、場をなごますための雑談に移行した。
話の流れで、俺の仕事について話題が及ぶ……。できれば、この手の話題は避けたかったのだが。
眼鏡をかけた神経質そうな教頭が、
「平日に急なお話で大変だったでしょう。お仕事の方は大丈夫でしたか?」
「――ええ」
俺は一瞬だけためらってからうなずく。
祐也夫妻の会社にトラブルがあり、急遽俺が駆り出された、という筋書きになっていて、ロッテにも口裏を合わせてある。
「比較的、自由の利く仕事でして」
内心で冷や汗をかきながら俺は応じる。
「弟からの依頼で、不動産の管理を。一人職場の個人事業みたいなもので、気楽にやらせてもらってます。まあ、弟から仕事をもらっているというのは情けなくもありますが」
「ほお、弟さんも手広くやってらっしゃる……おっと失礼。あまり立ち入るのも失礼でしたね」
嘘はついていない。
俺は、断じて嘘はついていない。
弟の自宅という不動産を管理して生計を立てている、立てようとしているのが今の俺なのだ。ホストファミリー役もその一環。
会社を経営する弟から不動産を任されている――。
聞く者からすれば、会社のいち事業として不動産の売買や賃借と受け取ることもあるだろう。どう受け取るかは相手次第なのだ。そう、俺は嘘をついていない……。
話もそこそこに、早速ロッテを教室に案内する運びになった。
校長室を出て、担任に連れられて教室棟につづく廊下へ向かう。春のひざしが窓から入りこんで、廊下はきらきらと輝いて見える。……高校の内部だなんて、十数年ぶりだ。
「あの、瀬戸さん?」
背後から教頭に呼び止められ、俺は足を止める。
「不安なお気持ちはあるでしょうけれど」
なぜかおかしそうに笑っている。
「は?……あ、ああ」
首をめぐらせ、担任の前田教諭の笑顔に行き着いたところで、ようやく俺は察した。ここから先は保護者同伴ではない。ロッテ一人で教室に向かうのだ。
考えてみれば――考えるまでもなく、当たり前だろう。
俺が教室についていって何をするというのか。
思いのほかアガっていたらしく、俺は照れ隠しに頭をかいてごまかす。
そうだ。
ここから先は本当に高校生の領分。大人は立ち入れない世界。ロッテにとっては待ち望んだ生活がはじまるのだ。
見ると、彼女も俺の失態に吹き出しそうになっていた。
その笑顔は先ほどまでの『王族モード』ではなく、家で見る彼女に近かった。
「じゃ、じゃあなロッテ。頑張れよ」
俺が言うと、ロッテは右手を突き出して親指を立て、
「行ってきマス、タカユキ!」
にかっと笑った。
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