第4話 私の部屋デスか!

『あれ? 言ってなかったっけ?』


 ようやく電話をかけてきた弟の、第一反応がである。


『ホームステイのが来るって』

『絶対に言ってないな』

『言ってないか。ごめんごめん』


 反省している様子はあまり感じられないが、俺が怒りのこもった恨み節を口にするより早く、祐也は言った。


『トーマスから頼まれてさ、どうしてもって。ロッテちゃんっていうんだけど、日本をすごく気に入ってるらしくて――ああ、それは今更か。うん、良い子らしいから』

『……王族だって言ってたぞ』

『そうだね』

『まずいだろ、失礼でもあったら外交問題にもなるんじゃないか?』

『大げさだなぁ、兄さんは』


 どこまでも明るい声で祐也は言う。


『一般人の家にホームステイするっていう時点で、はそういうの気にしないらしいから。むしろ特別扱いしないのを望んでるみたいだよ』

『…………』


 俺はリビングのソファに腰をおろし、階上から響く小さな足音を気にする。


『手続き的には問題ないのか? 俺が保護者――ホストファミリーだったか、その立場になることに。いや、ファミリーっていうか一人なんだけど』

『うん。いわゆる普通の留学生とは立場が違うからね。その辺は問題ない。トーマスを通じてにも確認してるから』


 そこまで確認しておいて当の俺にだけ伝えていないことには作為的なものを感じずにはいられなかったが、祐也の場合は本気で忘れていたパターンもあり得る。つっこんでもあまりので、その点を掘り下げるのはやめておいた。


『だとしても……世間体を考えれば、だよな』

『まあね。二人暮らしっていうのは、進んで公表することではないかもね』

『俺としては全力で隠し通したいところだな』

『ははっ、スリルがあるね、楽しそうだ』

『さすがに殴るぞお前』


 実は祐也たちはまだ国内にいる。まずは飛行機でイギリスへ飛んで、そこから船に乗り込むらしい。今から空港に駆けつければ弟を殴り飛ばすくらいはできそうではある。


『兄さんも、退屈しなくていいじゃないか』

『俺はゆったりしたかったんだよ』

『できるでしょ、ロッテちゃんは日中学校に通うわけだし。一人の時間がゼロになるわけでもなし』

『気持ちの問題だ、こういうのは。大体な、見知らぬ女の子と二人暮らしって――』


 しかも相手は十六歳で異邦人という未知の生物だ。どう接していいのか、どう扱っていいのか大変困る。


『兄さん……』


 急に深刻な声になって祐也は言った。


『……無理やり押し倒すとかは、なしだよ?』

『麻美さんに代われ。俺の代わりに殴ってもらう』


 あーちゃんは絶対そんなことしないよと言って祐也は笑う。


『まあでも、愛が芽生えたらそれはそれでいいじゃない』

『どこがだ。犯罪だろう』

『どうして? 真面目な恋愛を裁く権利は誰にもないはずだよ』

『――それでもだ』

『じゃあ日本を出ればいい。スフィニアには――うん、よく知らないけど、日本と同じとは限らないよね。もっと恋愛はオープンかもしれない。きっとそうだ』

『あのなぁ……俺の半分も生きてない女の子だぞ? 俺にとっては異世界の住人だ。色恋沙汰なんて考えないよ』


 まったくの本心である。

 もちろん、ロッテはまぶしいくらいに可愛いとは思うし、あの脳天気な性格はもっと可愛いとも思うが、を考えるほど俺は青臭くはない。


『兄さんは難しく考えすぎだよ。ほら、日本人は向こうの人たちと比べて幼く見えるところあるし、意外と年の差は気にならないかもよ』

『だからそういう問題じゃないって』

『彼女と良い仲になって、スフィニアに移住して――そういう人生もありなんじゃない?』

『お前は軽く考えすぎだし、飛躍しすぎなんだよ』


 俺の口調から、そろそろ限界のラインだ、と気づいたらしい。祐也は「ごめんってば」と、わりと本気のトーンで謝ってきた。


 俺は言う。


『とにかく、本人は楽しみにしてるみたいだし、当面の受け入れは引き受けたよ。ただ、もし彼女が日本での生活に飽きたり、なじまないようだったら、早めの帰国を促すかもしれない。それはいいよな』


 質問の形式はとってみたが、もちろん祐也に決定権はない。彼女を追い出す方向に進んで動くつもりはないが、引き留めるつもりもない。それが俺のスタンスだ。可もなく不可もない、消極的な世話人であろう。


 俺にとっては、ほとんどタダで一戸建てに住まわせてもらうという、そもそもが好待遇の一年間なのだ。


 それくらいの苦労は背負ってもやむなしだろう。

 社会的なリスクがかなり高いことが難点ではあるが。


『彼女の部屋、例の二階の部屋にしたけど』

『ああ、うん。もちろんいいよ』


 そこは弟夫婦が子どもができたらあてがおうとしていた部屋で、今は簡単な物置になっている。本来は俺の部屋にすることで了承をとっていたスペースである。


 季節外の衣装が保管されているが、それも部屋の三分の一程度の面積に過ぎないので、整理すれば他の部屋に移動することはさほど難しくない。そうすれば、高校生が一人で過ごすには十分な広さになるだろう。


 ――もっとも、ヨーロッパの王族にとっては狭小な部類に入るのだろうが、そこはそれ、せっかくのホームステイなのだから狭い島国での一般的な生活に浸ってもらうべきだ。


 ロッテは今、巨大なキャリーケースを自分で持ってあがって、その自室で荷ほどきをしている。


 祐也から、他の部屋の家具などの移動についても了承を得たところで、俺はさらに訊ねた。


『ベッドなんだが――』


 そう、目下の問題はそれなのだ。

 彼女の寝床。


 俺はこの家で暮らすために自分の布団類はすでに運び込んでいる。二階の部屋に布団を敷き、寝起きしようと計画していた。


 だが、部屋を譲るのはともかく、ロッテに俺の布団を貸すのはどうにも――というか、俺の汗がしみこんだ布団に寝てもらうのは申し訳ない。何より俺がいたたまれない。


 ほかにゲスト用の布団はないようで、つまり今夜はロッテにどこで寝てもらうのかが問題なのだ。


 俺が相談するより前に、祐也が答えた。


『俺たちのベッド使っていいよ』

『ああ、いいか』


 祐也と麻美さんの寝室にはクイーンサイズのダブルベッドがある。クイーンならぬプリンセスの寝床としては上々だろうとは思ったが、夫婦のベッドを他人に貸すのはさすがに独断では決められなかった。

 

『俺たち、そういうの気にしないし。何なら兄さんが使っても良かったくらいなんだけどね』

『それは断っただろう』


 弟とはいえ、夫婦のベッドというのは抵抗がある。いろいろと。何かと。複雑だ。


 ロッテはどう感じるだろうか――まあ、本人に訊いてみよう。拒否反応を示すようなら、そのときには別の手段を考えなくてはならないが。


『そうだ!』


 いいことを思いついた、と言わんばかりに祐也が声を張る。


『兄さんも、ロッテちゃんと一緒に寝ればいいじゃんか』


 言い終えるより早く、俺は電話を切った。

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