第3話 貴族デスか!

「おー、不思議な舌ごこち!」


 ロッテは、俺が切って出した羊羹ようかんを口に含むとそう感想を漏らした。舌心地……言いたいことは分かるが。


「甘さとか、大丈夫かな?」

「もっちー!」

「餅?」

「もちろん、デス!」


 本当に美味しそうに食べるので、俺も釣られて羊羹を一口。ううん、これは高級なやつだな……。


 あー、まずい。なんだか普通のティータイムになっている。そろそろ本題を切り出さないと、ますます言いにくくなってしまいそうだ。先ほどからキッチンに立つたび、弟の祐也に連絡を取ろうと試みているが、いっこうに電話に出ない。


 茶で喉を潤してから俺は言う。


「ロッテちゃん、だったね。初めにも言ったんだが、この家の人は不在……今はいなくてね」

「?」


 ロッテは「ここにいるじゃないか」という顔で俺を見る。


「俺は瀬戸隆行せと・たかゆき。瀬戸祐也ゆうやの兄だ。君を受け入れる予定のホストファミリーは、その――旅行に出ててね」


 言葉にするとなかなか酷い。留学生を受け入れるはずが、それを放り出して一年間もの旅行に出るなんて、我が弟ながら奔放すぎる。


「だから、君は、その――ここには、居られないんだ」

「??」


 よく分からないといった風にロッテは首をかしげる。


「どうしてデスか? あなたがいるのに?」

「ああ、うん。ここは弟の家で、俺は留守を預かってるだけなんだ」

「ルスをあずかる……?」

「俺は居候というか、この家の管理人みたいなものなんだ。つまり、家を維持することが仕事で――その、君のお世話はできない」

「どうしてデスか? お金が必要デスか?」

「いやそういうワケじゃ――」

「お金ならワタシが体で稼ぎマス」

「それ駄目だから」


 意味を理解して言っている――わけではなさそうだった。なんだか慣用句的に覚えさせられているようだ。

 

 頭をきつつ俺は言う。


「……いいかい、お金とか、そういう問題だけじゃないんだ。俺は独身で、この家には俺一人で住んでるんだ」


 正確には、これから住むんだ、だが。


「そんな家に、君を置いておけるわけがないだろう?」

「ドク、シン?」

「だから一人。シングル。分かる?」

「おぅ……シンゴゥ」


 発音いいな。

 スフィニアって英語圏だったか? いや、英語はコミュニケーションの基本か。


「えっとだな、つまり」

「おー!」


 ロッテはぽんと手を打つ。


「ワタシ、貞操テーソーの危機デスか!」

「違う! いや、違わないけど違う……だからなんでそんな微妙な日本語を」

「先生に教わりましタ。先生は偉い」


 先生、ねぇ。


「日本人? それともスフィニアの人?」

「スフィニアの人デス。でも忍者なのデス、忍者マスター!」


 うさん臭いことこの上ない肩書きだ。


「先生は昔、比叡山ひえいざんにおもりして、忍術と陰陽術オンミョージュツのごっくんを――お?」

「極意、かな」

「極意! それと免許をもらった言いマス。先生の師匠は、アベノハルカスという人らしいデス」


 予想以上に日本文化を誤認させられているようだった。アベノハルカスとか、もう人間ですらない。


「ワタシ、王族なので色んな先生いマス。でも日本のこと教えてくれるトーマス先生がイチバン好きでした」


 ――今、ちょっと聞き流せない単語があった気がする。

 


「もしかして、言葉の使い方間違ってないかな」

「え、そうデスか?」


 王族を英語にするとなんと言ったか。ロイヤルとか、ロイヤリティーとか、そのあたりだっただろうか。


 ともかくこの少女は、言葉を誤って覚えているか、もしくは理解した上で俺をからかっているかのどちらかだろう。そう思って、俺はロッテに正しい日本語を教える。英語は苦手なので苦労したが、それでもなんとか伝わったようだった。


 理解したうえで彼女は、


「では、間違っていません。ワタシ、王族デス」


 言って、右手でピースサインを作ってみせる。


「王位ケーショ、ケーション順位……」

「継承?」

「継承順位、2位デス!」

「……」

「ワタシは王族。タカユキは貴族!」

「はい?」

「独身貴族!」


 やかましい。

 本当に不必要な語彙だけは豊富でいらっしゃるな、このお姫様は。


 しかし、先ほどの疑問の答えはどうやら後者――俺をからかっているらしい。


 舐められたもんだ。中世ではないのだから、王族と言ってもドレスを着飾っているばかりではないのだろうが、それにしたって、護衛も何も付けずにこんな遠国まで一人で来るわけがない。しかも一般家庭にホームステイだなんて……。


 少しだけ意地悪をしてみたくなった。ささやかな仕返しだ。ボロが出るまでつついてやろう。


「お姫様ともあろう御方が、どういった経緯でホームステイを」

「トーマス先生のマブダチさんが、セトさんでした」

「セトって――祐也か?」

「そうデス」


 彼女はあぶなっかしい日本語を交えながらこう説明した。


 ロッテが初めて日本を訪れたのは四年前、彼女がまだ十二歳のころだった。すっかりこの国が気に入ってしまったロッテは、帰国後に日本に詳しい教師をつけてもらった――それがトーマスという名の、もう六十を越えた老紳士だったという。


 トーマス氏はもともと豪商の家の出で、スフィニア産の家具などの輸出を生業としていたらしい。引退した今では趣味程度の個人輸出に留まっているらしいが、その過程で祐也――俺の弟と知り合ったという話だ。


 ……それもあり得る話だった。


 あいつのコミュニケーション能力には天井がない。突き抜けている。しかも相手が日本びいきの商人だとしたら、すぐさま気の置けない友好関係を築いてしまうだろう。


「いや、でも――お姫様が本国を留守にしていいのか? ホームステイの期間は」

「一年デス」

「一年もスフィニアを離れて大丈夫なのか」

「ハイ。家族からも内緒でオッケーもらってますし、先生が影武者を用意してくれましたから」

「…………」

「あと、ワタシ、命を狙われたりして大変でしたから、日本にいるほうが安全なのデス」


 うさん臭さに、きな臭さまでもが加わった。ボロを出すというのとは少し違うが、こんな話を鵜呑みにできるほど俺はお人よしではない。


「タカユキ、さん」


 ロッテは急に真剣な顔になって、ソファから腰を浮かせた。

 俺の前に立ち、そのまますとんとフローリングの床に膝を突く。彼女の動きに合わせて、甘い花のような香りが漂った。


 ロッテは、正座の姿勢になって俺を見上げる。


「ワタシ、ご迷惑でしょうか」


 迷惑だ――とは思うが、さすがにすぐに口にするのははばかられた。


「掃除洗濯、家事オヤジ……何でもしマス」

「オヤジはせんでいい」

「性行為は、ちょっとまだ無理ですが――心の準備とか」

「いらんわ! 頬を赤らめるな!」

「一緒に暮らしては、いけませんか?」


 いいワケがない。

 これから俺は、この家で一人静かに暮らさせてもらう予定だったのだ。


 このホームステイのすれ違いは弟のせいなのかもしれない。だが、それはそれとしても、俺と彼女が二人でここに住むことは問題だ。大問題だ。


 こんな年下の少女に手を出すつもりなどないが、それでもひとつ屋根の下で暮らしていて、何か間違いが起きないとも限らない。俺だって木や石ではないのだ。第一、世間の目が許すとは思えない。


「ワタシ、ずっとずっと楽しみでした……日本に来るの、とても楽しみ。粗茶もオイシイ。それに安全……」


 一瞬だけ悲しそうな顔をして、それからロッテは床に両手をつき、頭をさげた。


「どうか、よろしくお願いたまわりマス……」


 土下座の真似で泣き落とし。


 そんなもので俺の決断は変わりはしない。

 決してない――ない、はずなんだけど、なぁ。


「……さっき教えただろ、『お願いします』でいいんだよ、そこは」

「あ……」

「ここは俺の家じゃない。偉そうに言える立場じゃないんだよ、本当はな。だから、まずは祐也に事情を確認する。それまでは、君もイヤじゃなければここにいてくれていいから」

「タカユキ、さん」


 俺も床に膝をついて、彼女の肩に手を置く。


「だから顔を上げて。そういうことは、簡単にするもんじゃないから」

「日本でも?」

「日本でもだ。ああ、それから――呼びにくいなら、『さん』とかいらないから」

「タカユキ――」


 つぶやいて、ロッテは嬉しそうにはにかんだ。


「では、ワタシのことも、呼んでください。ロッテと」

「いや、それは。王族さまなんだろ」

「カンケーない。ここは日本。さあ、タカユキ!」

「…………」


 むずむずする。変にためらってしまった分、呼びにくくなってしまった。中坊じゃあるまいし、女の子を名前で呼ぶくらい……。


「ロッテ……」

「おー、もう一度!」


 破顔して、ロッテは早く早くと催促する。


「ロッテ」

「ハイ、タカユキ! ふ、ふ……」

「…………」

「ふつつかものデスが! よろしくお願いしマス!」


 異国のお姫様は、あいさつの言葉を覚えた。

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