第2話 これがサドーですか?

 俺はロッテを家に招き入れた。


 これ以上玄関先で変なことを口走られるわけにはいかないからだ。


 ご近所の目がヤバい――いや、彼女の腕を急いで掴んで引き寄せるさまは、もっとずっとヤバかったかもしれないが。家主ではないおっさんが、制服姿の女子高生(外国人)を家に連れこむ姿なんて、客観的に見ると危険度が高すぎる。



 異邦いほうの美少女は、鼻歌まじりに「邪魔するで~」などと言いながら靴を脱いでいた。……しかしなぜ関西弁?


 彼女をリビングのソファに座らせ、俺はキッチンに立つ。こうなったらすぐに追い返すわけにもいなかい。とりあえず茶でも出そう。


 紅茶か? 紅茶がいいのだろうか。


 この家になら紅茶くらいあるだろうし――いや待て。彼女はホームステイに来ているわけだ。日本の文化を知ろうとしている――ならば、緑茶だな。急須で茶を淹れてやろう。あとは和菓子があれば完璧だな。


 ……などと考えていて、ふと気づく。


 なぜ俺は真面目に彼女をもてなそうとしているのか。俺は彼女を受け入れるホストファミリーではないのだ。彼女とはただの他人だ。変わってしまった事情を説明すれば納得してくれるだろう。


 しかるべき機関に連絡すれば――それがどこなのかは分からないが――彼女の仮住まいを世話してくれるか、帰国の手伝いをしてくれるに違いない。


 考えながら、彼女と俺の二人分の茶を入れてリビングに戻る。


「おお、これが粗茶そちゃデスか!」

「……ですね」


 ロッテはソファに座ったまま、身をかがめて湯飲みをあちこちから眺めては嬉しそうにしている。


「熱いんで、気をつけて」


 俺が言うと、ロッテはこくこくと頷いてから湯飲みをそっと両手で持ち上げ、唇を尖らせて息を吹きかける。それから、湯飲みのふちにちょびっと唇をつけて、


「わ! あっついデスね、コレ!」


 笑顔を俺に向ける。

 これはなんと言うか――俺にとってもかなりの異文化交流だ。異国の文化との接触というよりは、若い世代との未知の邂逅という意味で。


 お茶が熱いという、ただそれだけでケラケラと笑える感性なんて、おっさんの俺は持ち合わせていない。もっとも、だからと言って高校生当時の俺にもなかったと思うが。


「はー、日本に来て良かったデス」


 両手で湯飲みを包みこみ、うっとりしたようにロッテは息を吐きだす。


「先生のススメどおり、ホームステイ決めて良かったデス。万歳デス」

「……日本に興味が?」

「日本に来るの二回目デス。はじめはギロッポン!」

「は?」


 ギロッポン……ああ、『六本木』か。

 だからなんでそんな昔の業界人みたいな。


「ギロッポンでシースーでした!」

「ああ、そう。そりゃ良かった」

「ワタシの国、小さい。経済も小さい。だから日本すごい、東京ビックリ!」

「……ここ、東京の外れのほうだけどな」


 ちなみに、俺の元いたアパートは都心からもっと遠かった。通勤にはかなり時間を使ったもんだった。


「あとは乃木坂! 鳥居坂!」

「アイドル好きなのか?」

「よい傾斜!」

「ああ、ガチの坂のほうね……」


 変なマニアもいたもんだ。

 タモリか。


「坂を全力で走る、そしてハァハァする――そういうテレビも見て刺激受けた! 日本、ちょっと頭オモシロイ!」


 頭が面白いって。

 まあ、ある意味的を射ている気もするが。


 それにしても本当にテンションが高い。はしゃいでいるのだろうか。このホームステイをずっと楽しみにしていたのかもしれない。聞いていないことまでペラペラと喋りだす。


 曰く、彼女は16歳で、ここから一番近い高校に通う予定だとか。最低限の荷物はキャリーバッグに詰めてきたが、他の荷物は明日にでも宅配便で届くとか。自転車を買って日本の街をたくさん見たいとか。


 ここにたどり着くまでにも色々あったらしいが、それすら楽しく受け止めているらしい。性格が前向きなコなのだろう。


 ――だが。


 少なくとも、ここじゃない。彼女が日本を満喫するための拠点はここではない。おっさんと少女が、一つ屋根の下で暮らすなんて出来るわけがない。だから俺は告げなければならない。


 突きつけなければならない。このキラキラした笑顔に残念な事実を。


「あー、えっと……」

「?」

 

 無垢な瞳が俺を見る。

 娘というほど歳は離れていないが、妹と呼ぶには世代が違いすぎる少女。


 そのまなざしに俺は、


「……お茶、おかわりは?」

「ハイ! 粗茶おかわり!」


 ついつい先延ばしにしてしまった。

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