姫がダブピでホームステイ!!
ナナフシ07
第1話 日本を教えてくれマスか?
いい仕事にありつけた、と思うべきなのだろう。
俺は門の前に立ち、弟の家を見上げる――。
・・・・・・・
半分勢いで仕事を辞めて、しばらくは貯金を食いつぶしながら生きながらえるかと思っていたところ、相談も説明もしていないのに、ある日、弟から電話があった。
『兄さん、話したと思うけど、俺たち世界一周してくるから!』
――初耳だった。
事情を聞くと、弟の
瀬戸祐也――俺の二つ下の弟。あいつは昔から要領が良かった。学生時代から大勢の友人に囲まれ、学業もスポーツも上々――出来損ないの兄である俺に対しても、だからといって威張ることもなく、見下すでもなく、常にフラットに接してくれていた。
俺がどうにかこうにか中堅企業に就職して大喜びしていたら、祐也はその二年後、友人と起業してあっさりと社長に。業績も好調で、二十代のうちに大学の同級生と結婚し、一戸建てまで建てた。
――うらやむ気持ちがないと言えば嘘になる。
だがそんな感傷など、もうほとんど摩耗してしまっている。今ではあいつを、別世界の人間だと思うような気持ちが胸を支配している。世界一周旅行だなんて、俺にとってはファンタジーかSF世界の出来事だ。
『――それで? みやげでも買ってきてくれるのか』
『そりゃ買ってくるけど。そうじゃなくてさ、お願いがあるんだ』
『お前が? 珍しいな』
『一年も家を空けるからさ、やっぱり心配なんだよ。警備会社に頼むのも余計な出費だし。それに家って、長く人が住んでないと
『ああ、それはそうかもな――。で?』
『だから住んで欲しいなって。ほら兄さん、今のアパート出るかもしれないって言ってただろ?』
そういえば正月に、相談とはいかないまでもそんな雑談をした気がする。そのときはもう仕事を辞めようと心の中で考えていて、そうすると今のアパートのままは家賃が苦しい。早めに安アパートにでも引っ越して、のんびりと次の働き口を探そうか――なんて思っていた。弟はそれを覚えていたのだ。
『もう次の部屋見つかった?』
『いや、まだ――』
『だったら住んでよ! 一年間!』
『……家賃は?』
『取るわけないじゃん。税金やら維持費もろもろも預けておくからさ、適当に管理しといてよ』
『あのなぁ――』
『他人に家を任せるのも気持ち悪いし、兄さんなら綺麗に使ってくれそうだしね。あ、ついでに部屋とか片付けてもらうと助かるな、俺たちって整理整頓が苦手でさ』
たしかに祐也も、彼の妻である麻美さんも、わりと大ざっぱだ。家に招かれたことがあるが、リビング以外はなかなかの有様だった。美男美女で、家も立派なんだが――まあ、ひとつくらいは欠点があってもらわないと困る。
『いや、そうは言うけど、麻美さんにとって俺は他人だろ? 家をどうこうされるのは――』
『大歓迎だってさ』
『…………』
弟は明るい声で続ける。
『あーちゃん、兄さんなら全然オッケーだって。っていうか、むしろこの件を言い出したのはあーちゃんだし。俺、家のこととか全然考えてなくてさ。出発前になってふと「家どうしよう」って話になって。そしたらあーちゃんが、兄さんに頼んだら、って』
『――いつ出発するんだ?』
『来週』
『マジか』
俺はしばし考える。そして、祐也に今の事情を説明した。仕事を辞めたこと、新しい住み処は欲しいが、なかなかいい物件がないこと――。
『そっか。じゃあ益々いいじゃん。引っ越しは手伝うからさ、ウチに住んでよ』
この、三十路に達したくせにまだ学生のような若いノリ。わりと勇気のいった俺の告白も、さらりと軽く受けてしまうあっけらかんとした性格――俺は嫌いじゃない。むしろ好ましく思っている。ここで深刻に受け止められて、気を遣われるよりずっといい。
・・・・・・・
けっきょく俺は――32歳にして晴れて無職になった
そして今日、祐也たちは旅立って行ったのだ。
見送りのときに預かった家の鍵で、俺は弟の家に入る。他人の家のにおい。弟とは長いこと実家でともに暮らしていたが――ここはあいつの城なのだ。他人の領域なのだ。一人でリビングに向かいながら、改めてそう実感する。
さて。
昼飯でも作るか。
俺がキッチンに目を向けたとき、インターホンが鳴った。
「なんだ――?」
玄関に向かい、ドアを開ける。
「どちら様?」
自分でも無防備だと思う。男一人の暮らしが長かったせいか――今でもそうなのだが――、特に相手を確認せずに鍵を開けてしまう。まあいい。仮に勧誘だったとしても、ここは弟の家だ。本人は留守だと言って追い返せばいいだろう。
そんな風に、簡単に思っていた。
安易に考えていた。
けれど。
「…………は?」
そこに立っていたのは若い女性だった。いや、少女と呼ぶべきだろうか。しかも日本人じゃ――ない?
「ええっと……」
「コンニチハ!」
元気のいいあいさつ。超大型のキャリーバッグを脇に置いて、にこにこ笑顔で俺を見ている。
背中まで伸びた赤みのかかった金髪――ストロベリーブロンドというやつだろうか――で、やや幼さを残す丸顔。どこかの学校の制服らしき姿の少女は、期待に満ちたまなざしで俺を見つめる。
「あー、この家の人、留守なんだけど。君は?」
「ああ! これはこれは申し遅れまシタ! きょーしゅくデス!」
「…………」
なんだか中途半端な日本語をマスターしている……。
「ロッテ・オーストレーム言います、スフィニアから来まシタ! ホームステイしに来まシタ」
スフィニア王国――北欧に位置する小国だ。
そんな子が、どうしてここに。
「ホームステイ? だとしたら家を間違ってるんじゃないかな」
「え、そうデス?……ええっと」
ロッテと名乗った少女は、スカートのポケットから紙切れを取り出して広げる。眉をぐぐっと寄せたり、小首をかしげてみたり、唇をひき結んでみたり――なんだか顔芸の多彩なコだ。
「『瀬戸』さん――のオウチは、ここではナイ?」
「……いや、まあ、ここだけど」
「!! やっぱり、正解!」
ぱあっと笑顔に戻って彼女は言う。
「フジツカものですが――」
「藤?……ああ、ふつつか、ね」
「ふ、ふ――フッツカものですが!」
言えてない。
勢いと笑顔だけは満点だけれども。
しかしおかしい。何かおかしい。祐也のやつ、まさかこのことを忘れて旅に?……まあ、無くはない。あいつは本当に大ざっぱなんだ。
しかしとにかく事情を説明して、このコには帰ってもらわねばならない。もうここに家主はいなく、ホームステイを受け入れられる環境にはないのだから。
と、俺が戸惑っているうちに、彼女はさらに続けた。
「よろしくお願いたまわりマス!」
「そこは『お願いします』でいいんだよ」
「ハイ、先生!」
「先生じゃない」
「ではもう一回言いマスね――」
ロッテは咳払いをしてから、がばっと頭を下げて言った。
「よろしくお願い、お、お願いしマス!」
「…………」
「…………」
ちらりと、上目づかいにこちらを窺ってきた。まるで「これで正解ですか?」とでも問うているような、期待と不安に満ちた目だ。
「――合ってるよ」
「そうデスか!」
ロッテは弾かれたように上体を起こして、喜びの笑みを浮かべる。
まぶしい。無職のおっさんにはまぶしすぎる笑顔だ。控えめに言っても美少女だろう。そのうえ、物怖じをしなさそうな、そして素直そうな性格も手伝って、悪い印象ではない――だが、だからこそ俺は直視できない。俺みたいな薄汚れた中年が言葉を交わしていい相手ではない――気がする。
しかしともかく、状況を整理せねばならない。彼女の事情。こちらの事情。ええっと、何から話したものか――
「日本のコト、たくさん知りたいデス!」
俺がまごまごしているあいだに、またも先手を打たれた。
彼女は両手でピースサインをつくり、こう続けたのだ。満面の笑顔で。とびっきりの綺麗な声で。さわやかな、春の住宅街のど真ん中で。32歳のおっさん相手に。
「セトさん。手とり足とり、たっぷり教えてくださいネ――この体に!」
こいつに日本語教えた馬鹿、出てこい。
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