第3話 次のハコ


 うるさい。いびきが物凄くうるさい。僕の隣のヤツだ。

たぶん、もう少しで彼が動きだすだろう、彼――大山ヒカル――が。

 大山は僕の向かいの布団で寝ていた。

 僕の部屋は6人部屋で、大山はこの6人部屋の絶対君主だった。数分すると、僕の向かいの影が動いた。やっぱりな、と僕は思い、様子を見守る。大山は、ムクっと上体を起こし立ちあがると、窓際まで歩き、カーテンの布を掴み、思い切り左右に広げた。カーテンは、シャー、と音をたて両端に追いやられた。6人部屋に眩しい程の月明かりが射しこんだ。恐らく、これが大山なりの《起きろ》という合図だった。僕は急いで上体を起こすと、大山が、バケツに小便を溜めてこい、と言った。僕は部屋を見回した。僕の隣の男――佐藤――以外の住人も起きていた。大山を恐れるその他2人。僕等は目配せし、布団から立ち上がり、数m先の室内に設置されているトイレでバケツに小便を溜めた。大山はいびきが五月蠅い佐藤の髪を掴んだ。佐藤はビックリして目を覚ました。


「な、なん――」と、佐藤が言いかけたと同時に大山の拳が佐藤の顔面に突き刺ささった。悲鳴を上げるために大きく開かれた佐藤の口に大山は枕カバーを押しこんだ。そして、一言こう言った。


「おい」


 大山は、どうでもいい時はおしゃべりになる癖に肝心な言葉はあまり喋らない。この場合も口から出た言葉は《おい》だけだ。誰に向けて喋った言葉なのか、どんな意味を持つ言葉なのかも一切分からない。僕等はこの言葉の意味を察しなければならない。絶対君主の機嫌を損ねる事は僕等のこの拘置所生活での死を意味した。こんな神経をすり減らす行為がこの《監獄》にいる間中続いた。地獄だった。意図を察した僕は佐藤の体を持つとバケツの中に佐藤の顔を押しこんだ。他の二人はバケツがずれないように支えていた。大山は短く佐藤に要求を伝えた。


「いびきはするな。次は殺すぞ?」


 恐怖にかられた佐藤はバケツの中でしきりに首を上下させた。佐藤がうなずくたびに中の小便がバケツの外に飛び散った。大山はすでに言うべき事は言った、と言わんばかりに悠然と自分の布団へ戻っていった。当然バケツの中の小便を捨てるのも、カーテンをきっちり閉めるのも僕等の役目だ。それがこの小宇宙の掟だった。全てが終わり、再び布団をかぶり横になると、悔しくて涙が出そうになった。どうして僕がこんなめに会わなければならないのか。すべて無能な警察と無能な検察のせいだ。ノゾムを捕まえるのがそんなに難しいか? 僕は沢山のヒントを警察に与えた。ノゾムは彼女と同じ大学に通う4年生。アリバイだって絶対にないはずだ。警察は、そんなに言うなら盗聴の録音を聞かせろ、と言ってきた。録音なんてしてない。当然だろ? コンビニの監視カメラじゃないんだ。それに録音機能なんてそもそもついてないんだ。彼女が殺された日、僕はあの部屋へ行った、その証言が自白の様な扱いを受けた。おまけにスタンプのように残してきた靴痕と僕の靴の裏がピッタリ合った。そして、当たり前だが僕の靴から彼女の血液反応が出た。警察と検察に言わせれば、死体を見つけたのに110番通報しない時点で相当怪しいのだそうだ。怪しいも何も、僕はこの事件に関わり合いになりたくないから危険を冒してまで盗聴器を回収したんだ。何故こんな簡単な理屈が分からない。これは明らかな誤認逮捕だ。だが、その事実を知るのは世界で一人、僕だけだ。きっとアレだ。警察の面子というヤツだ。なんでも刑事事件で起訴されると裁判での有罪率が99%近くにのぼるらしい。馬鹿げている。1%しか無罪じゃないなんて……、そんなことある筈ない。

 起訴したからには有罪までもっていく……、警察と検察が考えているのはそれだけなんだ。本当に、いつまでこんな想いをしなきゃならないんだ。限界だ。誰か助けてくれ。誰か――。使えない。あの国選援護人の女。本当に使えない。ノゾムを見つけるのがそんなに難しいか? 僕をここから出してくれ。一瞬で事件を解決してみせる! 無能! 無能! みんな無能だらけだ! 何であの無能弁護士は僕にアイが殺された時間のことを何度も聞いてくるんだ。何でだ!? 時間は何度も言った。午後7時ぐらいだ。何で「お昼の正午という事はないの?」と言ってくるんだ? 違うと何度も言ったじゃないか。それぐらい頭にいれておけ! 僕をここから早く出せ! 僕は無罪なんだ。僕をだせ!! 僕がアイの仇をとってやる!! 愛する者の仇をとってやる!!

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