⑤ 女の子として友達が好きなんだよ許されるも許されないもあるか塵

購買で買ったアセロラジュースをストロー経由で摂取していると、最近仲良くなった友達が机の前にしゃがんできた。何だ何だと窺っている私に、友達はセーターの裾を振りまきながら言う。

「好きって十回言ってみて?」

何その経年劣化した質疑応答。確かに小学生の頃は頻繁に詠唱してたけど高校生の私達にとってそれは若さに幼さまで付随する呪文だぞ。

しかも内容。好きって。漢字と平仮名一字ずつで構成されたその単語には主語述語や因果関係が含まれていると予期すべきかせざるべきなのか。べきかどうかはともかく、裏の真意にどうしても頭が傾く。

まぁ友達同士の会話として、極端に不自然でもないかと飲み込んで、挑戦する。

「好き好き好き好き好き好き好き、好き、好き、好き」

よし、言った。指折り数えて唱えたから間違いはない。関節が曲がるに応じて地味に抵抗度が上がったけど、赤面手前で言い切れた。好きという言葉は滅多に使わないものだから。対人なら特に。

「じゃあ、ここは?」

友達は言うと机に引っ掛けていた両手の内左の指先を迂回させ、顔に運んだ。私から見て右から二本目に相当する人差し指が示すのは顎の上で鼻の下。これが一本目だったら意味不明、三本目だったら宣戦布告と受け取るけど、首尾よくお母さん指であるので友達の親も泣かずに済むだろうと安心する。そんな家庭の詮索は後にするとして。

「……唇?」

私が生来嗜んできた教養を精査する限り友達の指す部位はそれだ。医学的には口唇って言うのかね。国語的には尖らせられたり噛まれたり盗まれたりする悲愴なパーツ。一方でグロスやリップ、ルージュなどで装飾される果報者でもある。全部口紅だけど。

ピンク色が主流の御時世、友達のはどうだろうと注目すると、淡く艶やかな光沢のある桃色だと判明する。まぁピンクと括ればピンクだけど、私が言いたいのは果実にも喩えられるということだ。こう表すと少し恥ずかしい。別のクラスメイトから唇に興味津々なんて揶揄されたらたまったものじゃないし溜まっていた照れ屋のチェーン店くらいなら露出してしまいそう。だから他の部署も覗くことにする。

下から追うと、トップバッター顎。顎と言うと可愛げゼロだけど英語で訳せばチンだから日英同盟してチンアナゴになって特に良いことは無かった。まぁ何、良い入射角と反射角とでも評しておきますか。二番打者の唇は既出だから送りバントさせる。次の打順上逆から数えればラッキーセブンという栄えある三番は鼻になるけど、整っていて華がある以外の感想が話せない。以上の経緯で鼻から目を離し、そう言えば正解は何だろうと思索しながら友達の目を見ようとすると、目と目の距離が思いの外近いことに気付いた途端友達が目の前で視界を覆った。

机に乗り出した友達の唇が、私の唇と重なった。

んぅっ?


「キス、だよ?」


直ぐに定位置に戻った友達が言う。その唇を弾ませて。

……は、はぇ、どうゆうこと!?キスって、キ、え?友達って、友達って思ってたのに、え?

「うーん、さくらんぼの味。」

さ、さくらんぼじゃなくてアセロラルララロララあばば。舌噛んで血と果汁が交ざるらら。友達、キス。友達何でキス?好き、好き、好き好き好き好き好き好き好き好きとかそういうこと?また十回言っちゃったけどそう承ることは可能?不可能?のーあいどんと?もう駄目だ、訳分からなくなってきた。それかあれか。友達同士の友情の証の発展の印みたいなことですか。唇も肌と解釈した新約スキンシップですか。どっちにしろ大体キスとか、初めてなんだけど。しかもいきなり。親密になってきた矢先。ということは元から私を狙っていた?それともお互いを知った結果?この自問自答自体自意識過剰?謎が多すぎて、手がつけられない。気が動転して、手が落ち着かない。わなわなわなわなあいわならぶゆー。って軽口叩いている状況じゃない。どうするどうする、この後の振る舞いは?学校生活は?将来は?今の気持ちは?ご覧の通り超焦燥。友達もご覧に入れてるよう。へいよーへいよーちぇけらっちょ。だからそんなこと言ってる場合では……あった。

授業の予鈴が鳴った。

向かい合う友達は私の表立った反応がないのを察して、「またね」と机を去ってくれる。何時になく軽い足取りで席へ帰ってゆく。

助かったぁと一息吐いて、その唇に手を当ててみる。

心做しか、普段より湿っている。

意識すると、熱くなる。

机の上の午後、私はそうして悶々としていた。


その日の夜、私は友達の夢を見た。

友達と旅行に行く夢だった。何故か最初から浴衣を着ている友達と、私と二人のクラスメイトの合計四人でホテルに泊まるというものだ。和室の部屋に四人が集まると、友達は突然私を外へ招き出して、私の懐から飲みかけのボトルを抜き取り、縁に口を付けながら飲み干した。夢の中ながらあやふやな熱に浮かされ、友達の唇が強調された光景に私が唾を飲み込むと、再び場所が部屋に戻る。しかし居たはずのクラスメイトは消え、代わりに布団が敷かれて、私と友達はその上に乗った。友達の足がお腹に当たって、友達の腕がすぐ側に迫って、ついに友達が私の身体の上に乗りかかる。言いようのない何かが高まる中、はだけた浴衣から友達の素肌が見えた。

そこで夢は幕を閉じる。目覚めた瞬間、もどかしいような、満たされたような、微酔ほろよい気分に埋まって、しばらくベッドから出られなかった。曖昧模糊でもっこもこだった。


そんな夢を見た私は、教室の片隅で想像に耽る。

今朝の夢は、私の深層心理なのか。

私は友達のことが、恋愛として好きなのか。

率直な所、今の私の心理では、どちらの答えもイエスだ。夢の内容と記憶を辿ればそうとしか言えない。今だって夢世界の友達の色、艶、質感、全て鮮明に想起される。友達の柔らかな肌と唇が頭から離れない。だから認める。私は友達のことが好きだ。

とは言え切っ掛けがキスされただけだと考えると、ひょっとして私ちょろすぎでは、という話になる。私にとってはそれほど大事件だったのだけれど、これまでは友達として友達と接してきたことも加味して真剣に向き合わねばならない。でないと却って友達を傷付けてしまう可能性があるから。まぁ本当に友達が好意で行った行為なのかはまだ定かじゃないけど。

片耳の授業を終え、昼休みの音が響く。

友達は以前と変わらず私の方角へ進行する。横目でそれを見て、昨日のキスを思い出す。友達とのキス。ほんの少しの接触だったけど、与えたものは大きい。私が初めて誰かを好きになったくらいだから。

友達は、初めてだったのだろうか。好きになる、のはいいとしても、キスをする、方は気になる。もちろん初めての方が嬉しい。初めての方がいい。好きな人の経験は他人より早く知りたい。貰いたい。でももしそうでなかったら。学校の誰か、教室の誰か、私の知らない何処かの誰かと経験済みだとしたら。誰かにキスしたように、私にキスしたのだろうか。それはちょっと、いや結構、嫌だ。

友達はまた、机の端に座り込む。

「おはよう?」

遅い朝の挨拶が私に向かう。まるで昨日のことなんてなかったかのように。または、当然として扱うように。

机に頬杖をつく私は思考を整理整頓して、友達の顔を目に映す。

何故友達は私にキスしたのか。

友達は私に恋愛感情を抱いているのか。

だとしたらどの程度のものなのか。

そして、この恋が本物かどうか。

真相と深層を、確かめてみよう。

「ねぇ、好きって十回言ってよ。」

低い姿勢を保った友達に、一日前送られた台詞を送り返す。

友達は唐突な私の言葉に驚きつつも、協調して答える。

「好き好き好き好き好き好き好き好き好き好き……言ったけど?」

「私のことは?」

すかさず問う。

友達は柔和な表情から一転、少し困ったような顔に固まり、私を見つめる。私は大真面目の態度を醸して友達に主張する。

私のことが好きかどうか。シンプルな二択をストレートにぶつけた。逃げ道はない。用意させない。

私は友達を好きになったんだ。過程がどうあれ今の感情は揺るがない。そんな私と関わっていく以上、この質問にはきっちり答え、応えてもらわなければならない。友達の気持ちを把握しないまま、私は片想いを続けられない。私は嘘をつけないんだ。

友達は二、三秒作っていた困惑の念を消すと、解答の準備が完了したのか私の目元に視線を送る。

そして前触れもなく友達の顔が近寄った。

瞳を閉じた友達の一部が接触する。

また、キスされた。

抵抗できず唇を委ねる。

前より確かな感触。前よりも長いキス。

このままではクラスメイトに見られてしまう、そう危ぶんだ瞬間友達は離れる。

「……キス、でしょ?」

微笑みながら呟く友達。

私は全て理解した。


この日から、私と彼女は付き合うようになった。

教室の中ではいつも通り過ごし、放課後になると二人で寄り道する。休日は少し遠くの場所に出掛ける。彼女との一週間が日常となった。付き合う前より多くの時間を彼女と一緒に過ごすようになった。当然キスもする。

私達の関係を知っている人はいない。親にも教師にもクラスメイトにも誰一人として教えていない。それでいい。だってこれは私と彼女のことだから。他人の入る余地はない。他人に関与されるほど私達の関係は脆くない。

女の子同士で大変、とは思わないし感じない。男の子だったら、なんて仮定には塵ほども興味ない。当たり前だけど愛は性別に依存しない。女男の区別は私にとって些細な関心だし、一般にそうあるべきだ。でもだからこそ女性の彼女が好きだ。元々は彼女への好意が先立つけれど、同時に私達が同性であることは性差からの脱却も意味している。私は女の子として彼女が好きで、私として彼女が好きだ。そう思う自分にも誇りを持っている。

「好」という文字は「女子」だ。由来は違うだろうけど、「女子」が「女子」を「好き」になることが「好き」なのだと私は思う。信じている。私と彼女は女子だから。

こうして考えるようになったのも、全部彼女のおかげだ。彼女のキスがなかったら、私は依然として大多数に流されていただろう。人を愛するということを正しく認識していなかったかもしれない。そう思うと怖くなる一方、彼女の尊さに頭が眩む。

あぁ、彼女のことが大好きだ。

これからも私は、女性の彼女を愛していこう。

いや、愛してゆく。絶対に。

手始めとして、渋谷区辺りへ引越しますか。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る