美容と健康のために食後に一杯のコーヒーを

結城藍人

美容と健康のために食後に一杯のコーヒーを

「ついに見つけたんだね」


 そう問われたので、私はうなずいて淹れたてのコーヒーを差し出した。


 幻のコーヒー豆「ゲイシャ」。生豆の国際オークションでは天井知らずの値段が付く。そもそもコーヒーはエチオピアが原産とされているが、これは原種に近いと言われている種だ。それが、どうしてパナマで栽培されていたのかは不明だが、あるとき彗星のように国際オークションに登場して最高級の評価を得た。それ以降、パナマのコーヒー農園ではゲイシャ種の栽培が急増したが、同じ品種を植えたからといって同じ品質のコーヒー豆が採れるわけではない。微妙な地形、気候の違いで味が変わってしまう。同じ土地の同じ木から採れる豆でさえ、気温や日照時間の違いによって、年ごとに、いやそれどころか採れた月が違うことでさえ、味が変わってしまうのがコーヒーというものなのだ。


 その繊細な味の違いを重視するようになったのは、せいぜいここ二十年ほどでしかない。それまでのコーヒーとは、ただ苦い味さえしていて眠気を覚ませればよいという、粗製濫造、大量消費される飲みものでしかなかった。だが、二十世紀の末に始まった『スペシャルティコーヒー』のムーブメントは、サードウェーブという流行を生みながら発祥の地であるアメリカから世界に伝播し、日本においても一定の評価を得るようになった。


 思えば、同じ嗜好飲料である紅茶は、早くからダージリンやウバなど、栽培地がブランド化されていた。それに比べれば、コーヒーのブランド化は、ようやく始まったばかりなのだ。


 その中でも、パナマのゲイシャは最高級とされる豆。日本でも販売している商社や焙煎業者ロースターはいくつかあるが、私がかつて味わったゲイシャと同じ味の豆を入れているところは、なかなか見つからなかった。


 だが、ようやく見つけたのだ。大手商社よりも、むしろ現地の農園と直接取引をしている小規模な自家焙煎店の方が扱っているのではないかという私の考えは正しかった。都内の片隅にある、コーヒー通の間では知られているが、一般的な知名度は皆無にひとしい小さな店。何度か足を運んだことがあったが、残念ながらその折りにはゲイシャは扱っていなかった。


 それが、今回に限って、あったのだ。淹れてもらった一杯に口をつけた私は、その瞬間に、これが求めていた豆だと確信した。その店は焙煎済みの豆を販売するビーンズショップも兼ねていたので、私は即座に在庫の豆のうち一人に販売できる限度まで売ってもらうことにした。その店の店長は「より多くの人に味わって貰いたいから」と一人に多く売ることをよしとはしなかったのだが、私の熱意に負けて少し多めに売ってくれた。


「本当だ……これ、コーヒーとは思えないくらいフルーティだね」


 私が差し出した一杯に口をつけた彼女も、初めて飲んだときの私と同じようなリアクションをしていた。


 コーヒーなんて苦いものは苦手。そう言っていた彼女に、本当に美味しいコーヒーは違うということを示したい。そう思って探していたのだ、この豆を。


 目を輝かせ、口に含んだコーヒーをじっくりと味わっているのを見れば、私の努力は正当に報われたのだとわかる。


「ごめんね。『コーヒーなんてどれも同じ』とか言ってたの、間違いだった。これ飲んだら、確かに美味しいコーヒーって全然違うね」


「だろ?」


 これで、彼女も私のコーヒー道楽を認めてくれるだろう。この豆を探すために、足を棒にしてあちこちと歩き回りサロンパスのお世話になったことも、決して無駄ではなかったということだ。


 だが、敵もさるもの。最後まで味わうようにしてカップのコーヒーを飲み終え、ソーサーに戻した彼女はこう言ったのだ。


「だけどさ、ここまで美味しいコーヒーって、そうはないんでしょ? この豆を探すのにも、だいぶ苦労してたみたいじゃない。あなたが普段飲んでるようなコーヒーは、わたしにはやっぱり苦いよ」


 なるほど、一筋縄ではいかないようだ。だが、この程度のことは想定内。彼女が私に歩み寄ってくれるのなら、私の方も歩み寄るべきだろう。


 自分の主義を曲げてもよいと思うほどに、私は彼女を愛しているのだから。


「そうだな。ここまでフルーティなコーヒーはそうはない。だから、これから君に出すコーヒーにはミルクを入れよう」


 その言葉を聞いて、目を丸くする彼女。


「ええ!? かたくなに『コーヒーは絶対にブラック』って言い張ってたあなたがミルクを入れるなんて、槍でも降るんじゃないの?」


 そう言う彼女に、笑いかけながら私は答えた。


「君がコーヒーを認めてくれるなら、私だって妥協はするさ。そのかわり、入れるのは最高級のミルクに限るけれどね」


 それを聞いた彼女は、半ばは感心したように、そして半ばは呆れたように尋ねてきた。


「入れるミルクも最高級じゃないとダメって、本当にコーヒーにはこだわりがあるのよねえ。まあ、わたしのために最高級のミルクを用意してくれるってのは嬉しいけど。でも、最高級のミルクってどんなのよ?」


 それを聞かれた私は、得たりとばかりに庭に面した窓のカーテンを開けながら言った。


「見てごらんよ、君のために買ったんだ」


 私が示したを見て、彼女は目と口を大きく開けて、呆然としたように言った。


「はは、牛もいたんだ、ここ」


「最高級のミルクを出すジャージー種さ」


 私は、コーヒーと彼女のためなら妥協はしないのだよ。

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