波を吹き飛ばせ! 

うみ

第1話 ビックウェーブに乗り遅れるな!

 叶よっしーの朝は早い。

 妻と娘が起き出す前に起き、自身の分を含めて丁度三人分の朝食を作るからだ。

 今日は何を作ろうか……彼は冷蔵庫を開けて何があるか物色する。


 うん、トーストと卵、牛乳があるか。ならあれにしよう。彼は頭に浮かんだ料理を作るべくそれらを冷蔵庫から取り出すと、卵をボウルに割り入れかき混ぜる。

 溶き卵に牛乳と砂糖を入れさらに混ぜると、食パンに混ぜた液体を絡めフライパンで焼く。


「今日はフレンチトーストだ」


 彼は自分ではかっこいいと思っているニヒルな表情で呟くと、コポコポと音をたてていい香りを漂わせるコーヒーの香りに表情が緩む。

 

 コーヒーとフレンチトーストを楽しんだ後、家族二人のフレンチトーストにラップをし、彼はパジャマからスーツに着替えようと自室へ向かう。


「よし、今日も頑張るか!」


 彼はスーツに着替え、自分では華やかだと思っている表情で爽やかに呟くと、娘と妻が寝ている寝室に顔を出す。

 妻の髪を撫でると、唸って怒られたので仕方なく娘の髪を撫でると娘は気持ち良さそうにしていたので、調子に乗って立ったまま娘に顔を近づけ彼女の頬にキスをする叶よっしー……

 

 しかし、それがまずかった。

 

 無理な体勢でキスをしてしまったため、腰が動かなくなってしまう……

 

「パパ、どうしたの?」


 叶よっしーのうめき声を聞いた娘はパチリと目を覚まし、腰を押さえてうずくまっている叶よっしーを心配そうに見つめている。

 娘は良く知ったもので、父の様子を見て取るとすぐにサロンパスを持ってきて父の腰に張り付ける。

 

「ありがとう、まなみん。もう大丈夫だ」


 叶よっしーが娘のほっぺにありがとうのキスをすると、娘は笑顔のままパジャマの袖で頬をぬぐう。

 地味にこたえる叶よっしーだったが、表情には見せず彼女に行ってくると告げると家を出る。

 

――おかしい……


 満員電車を待つホームで兆候はあった。

 兆候はあったのだ……

 

 しかし、サロンパスを張っていたから時間はギリギリ。乗るしかない。

 

――やはり、きたか!


 叶よっしーは背筋に冷や汗が流れ、左右からどうか腹を押すなよと祈りながら満員電車に乗り込む。

 到着まで五駅、そしてそこで乗り換える。乗り換えたら三駅……降りて五分で会社だ……それまで、それまでどうか持ってくれよおおお。

 

 叶よっしーはグッと拳に力を入れると、腹にも力が入り悶絶する。

 

 二駅目を過ぎる頃、彼に大きな波が押し寄せる。

 ぐううああうううあ。思わず声を出しそうになったが、叶よっしーはすんでのところで堪えると、波が静かに過ぎるのをただ待つ。

 

 大丈夫、大丈夫だ。俺ならいける。いけるはずだ。

 

 四駅目に到着し乗客が降りると、彼の前に立つのは子供に変わっていた。子供の頭はちょうど叶よっしーの腹の辺り……まずい! と彼が思ったときにはすでに電車の扉から大量に人が乗り込んでくる。

 もうこれでもかと押し込んでくる人波……子供の頭もこれでもかと叶よっしーの腹を押してくる!

 

 ぬうおおおうう。耐える。耐えるのだ。俺! 叶よっしーは心の中で絶叫し、大きな波に耐える。耐えている間にもグイグイ腹が押される。

 後一つ、後一つ乗り切れば、乗り換え駅だ……そこで、行こう……もう遅刻してもいいや。叶よっしーは会社に遅刻することで妥協することにここで決めた。

 

 乗り換え駅まで到着した叶よっしーは、前かがみになりながらも小走りでトイレに向かう。

 

 しかし、絶望がここにあった。

 

 トイレの外まで人が並んでいるではないか……ダ、ダメだこれでは俺はもう……間に合わない……叶よっしーは冷静に自分に残された時間を計算する。しかし、どう考えてもこの人数が過ぎるまでは持たないことがすぐに分かる。

 ならば……会社まで行くしかねえ。叶よっしーはまるで自分が物語の主人公になったような錯覚を覚えていた。いや、錯覚なのだが。

 

――また、大波が叶よっしーに襲い掛かる!


 ぬごおおおおお。ここで、ここで何とかせねば。俺は次の満員電車を乗り切れねえ。

 絶対絶命のピンチに叶よっしーへ天啓が降りて来る。

 

 彼はポケットからスマートフォンを取り出し、娘に電話をかける。まだ、娘は学校に行っていないはず……ならばいけるはずだ。叶よっしーは心の中で呟くと娘が電話に出るのを待つ。

 二コール目で娘は電話に出てくれた。

 

『どうしたの、パパ?』

『まなみん、俺の愛パットを使ってトイレを探してくれ……』

『なんだかおもしろそう! いいよー』


 娘は快く受けてくれたが、声はのんびりしていた……一抹の不安を感じる叶よっしーだったが、もはや頼れるのは娘だけ……まなみん頼んだぞ。

 俺もGPSでトイレを探したい……しかし、もうそこまでの余裕はないのだ……

 

 娘からすぐよっしーに連絡が来て、彼は誘導されるままトイレに向かう。

 

 しかし、トイレはまたしても満席!

 

『パパ、そこから右に三十メートルのところにもトイレがあるよお』

『よおし、あ、あったぞ。並んでない』

『パパ、ついに見つけたんだね』

『ああ。ありがとう、まなみん。愛してるよ』

『……』


 電話が切れた。ええええ。そこは「わたしも」って言うところだろ! 叶よっしーは心の中で突っ込みをいれるがまたしても波が。

 ぬはああああああ。

 

 急ぎトイレに向かう、個室の扉は開いている!

 よおし、間一髪だったが間に合うぞ。彼が個室の中を覗き込んだ時――

 

「はは、牛もいたんだ、ここ」


 なんと! ありえないことだが、牛がトイレの個室に無理やりつまっていた。もうギッチギチでトイレの個室ごと破壊しそうな勢いで。

 叶よっしーはその場で手をつき、絶望に暮れた……

 

「ふ、ふんごおおおおお」


 誰かの低いうめき声がトイレに響き渡ったという。


 おしまい


※誤字修正しました。

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