前進する

 音は近くで聞こえたような気がした。


「……始まったね」

「あ、れは……」


 肉塊の姫を見たアンリはあんぐりと口を開ける。ここまでの大きさを誇る影は見たことがない。


「いったい…誰が?」


 第1区ならばアンリの知り合いの可能性もある。姿を見る限り、女だ。肉塊の姫は第1区をその大きな黒布コクフで破壊する。


「思ってたよりも早いな」

「アーニーは、アレが現れることを知っていたんですか?」

「うん、まぁ……さて、ここからは考える時間だ」


 アーネストはすぐ側の壁にもたれかかる。こんな時に、まるで肉塊の姫に興味など無いと言うかの如く態度だ。実際そうであることはアンリは知らない。アーネストは今回の件で多くが亡くなることは知っている。それはアーネストが動いたところで変わらない事実だ。最低だと言われるのは目に見えている。それでもアーネストが肉塊の姫に対しての対策をほとんどしなかったのは、アンリの存在が大きい。


「考える、時間?」

「そう。今回の混乱……3人の犯人について」

「1人目は、今は監獄にいる殺人鬼…2人目はもう1人の僕エドゥアール……3人目は…おそらく、あの影」


 正解だ、とアーネストは微笑みかける。

 アーネストは命あるものが好きだ。必死に生きようと藻掻くものが好きだ。人も植物も動物も虫も、アーネストからすればどれも同じ命だ。言い方を変えると、全てが同列に見えている。アーネストにとって特別はない。命があるから、と言って家畜に可哀想だと思うことはない。それと同じで今から亡くなる人に可哀想だと思うことはない。ただ、自然の摂理だと受け入れる。だから、アーネストはこうして悠長に構えている。ここでは影に殺されるのは、捕食者に狩り殺される獲物と同じ、自然の摂理なのだ。


 アーネストのそんな本性を知っている者達は口を揃えてこう言う。


────「アーネストは、狂ってる」────


 だが、それと同時にアーネストは人との関わりを強く結びたいと願っているのも、また事実なのである。



「そうだね。ハリーはアレの正体が気になるかい?」

「正体?」

「そう、正体についての答えは言わないよ。ただ、知りたいかどうかが聞きたい」


 知りたいかどうか、考えてみるがそこまで気になるわけではない。アレがもしも知り合いだとしても、影となった今生き物の敵であることに変わりはない。それを自分だけの思いで討伐することを止めることはできない。なのに知ってしまえばただつらいだけだ。だからアンリの答えは聞きたくない、知りたくないということだ。


「知りたくはないです。知ってしまえば、僕は戦えなくなるかもしれない」


 いつ、どこで誰が次の影になるかわからない。例え抑制剤を使っていたとしても、いつかは影になる。それが遅いか早いか…なる前に死んでしまうか。


「影は生き物も無機物も壊していく…それを僕は見逃すことはできない。僕には力がある、だから戦えなくなるのは……嫌だ」


 この島では戦うことが求められる。どんなに頭が悪くても、地位が低くても戦える・・・ならどこまでも優遇される程度には。

 そんな世界で生きてきたこの少年も、そう考えている1人だ。今、アーネストと会話をしているこの間にも飛び出したくて仕方がない。


「………本当に、いいんだね?」

「はい」


 アンリの返事にアーネストは微笑む。


「なら、早く行ってきなよ」

「アーニーは?」

「僕には、やることがある」




────────────




蠢く

蠢く

蠢く

蠢く

蠢く

蠢く



 肉塊が蠢いている。数はとにかく多い。


「霧!」

「雨兄……!」


 霧は雨の後ろに隠れる。2人の目の前には巨大な肉塊の姫。そして路地裏を埋め尽くす肉塊達。


「カイくんにそっくり」

「霧…俺は行かなきゃならないけど、1人でも大丈夫か?」

「うん、カイくんもいるから」


 人を襲う肉塊達とは違い、カイくんは怯えた様子の霧を落ち着かせるように頭を撫でている。


「……わかった。危ないと思ったらすぐに逃げるんだぞ?」

「うん」

「カイくんも、霧を頼んだからな」


 任せろ、とでも言うかのようにカイくんの腕(?)が上に向かって持ち上がる。この様子を見て、カイくんは他の肉塊達とは違うということがわかった雨は安心する。

 もし、もしもカイくんが自分達を襲ったのならきっと雨は迷いなくカイくんを殺していた。霧がなんと言おうが、敵は倒さなくてはならないのだ。


 雨は屋上から飛び降り、肉塊の群れに突っ込む。突然の攻撃に肉塊達は一瞬動きを止めたが、正体が人間だとわかった途端また活動を始め、雨を襲う。

 だが雨はそんなことを気に留める素振りはない。目の前にいる肉塊を掴み、投げつけ、踏みつけ、殴りつけて前へ前へと前進する。おそらく、この島の島民達はあの肉塊の姫に向かい、こうやって前進していることだろう。地面が真っ赤になることもそこらじゅうに蔓延する血の匂いも、彼らからすれば些細なことだ。この肉塊が元は人間であった・・・・・・としても、眉を顰めた後は気持ちを切り替えて、前進する。


 ただ1つの目的、生きるために彼らは前進する。




 もちろん、それについて理解できない者もいる。


「ねぇ、ジョン・ドゥ! ねぇってば!」

「ンだよ灯台守!」


 全身血だらけになっても戦うことをやめないジョン・ドゥに、灯台守は話し掛ける。ジョン・ドゥが浮かべているのは満面の笑み。戦えることが楽しくて仕方がないといった顔だろうか。


「楽しいことが始まるって言って、外に連れてこられたんだけど……もしかして、コレが?」

「当たり前だろ? 見ろよ、こうなったら戦うことを止めさせるやつなんざいねェ、好き勝手に暴れられる! あとは、まぁ…強え奴がいれば文句ねェな」


 灯台守には理解ができなかった。真っ赤になった地面、生臭い鉄の匂い。全てが理解できなかった。襲ってくる肉塊を、楽しそうに潰して回るこのジョン・ドゥが心底理解できない。


「灯台守、あんま遠く行くなよ! 守れねェ」

「………アンタに守られたくない」

「なんで?」


 ジョン・ドゥはその辺にあった角材を使って肉塊を殴り飛ばす。


「私は、何が起きてるのかさっぱりわからない……でも、今のジョン・ドゥだけには、助けてほしくない、守られたくない」

「はぁ!? 守られなかったらすぐ死ぬクセに、何言ってんだ!?」


 これがこの島の普通でも、灯台守にとっては普通ではない。倒さなくてはいけない相手だとはわかってる。でもそれでも灯台守にはこの状況が、嬉嬉として肉塊を倒していくジョン・ドゥ達が弱いものいじめ・・・・・・・をしているようにしか見えなかった。


「ジョン・ドゥはなんで戦うの?」

「そりゃ、楽しいからだろ? それ以外に何が……」

「じゃあ! それじゃあ…私を守ることと、それを同列にしないでよ……」


 そんな殺すことと、守ることを同列にして欲しくない。

 ジョン・ドゥは戦うために殺している。それがわかって吐き気を覚えたのに、ジョン・ドゥが「守る」と言った瞬間、灯台守は我慢ができなくなった。


「ジョン・ドゥは楽しいかもしれないけど、私からすれば楽しくない! これが何なのかはわからないけど、でも! 生きてるんだよ!? 動いてたんだよ!? ジョン・ドゥは、わかってるの!?」


 ジョン・ドゥの動きが止まった。その隙を狙って肉塊が灯台守に襲いかかる。だが、寸前のところでジョン・ドゥがそれを止める。ジョン・ドゥにはどう足掻こうが叶わない。それがわかった肉塊達は2人の様子を伺うことにしたようで、無闇に襲うことが無くなってきた。


「………………………灯台守」

「な、なに?」


 ジョン・ドゥの顔を見て、灯台守は情けない声を出しそうになった。眉間にシワがよって、恐ろしい顔になっている。きっとジョン・ドゥを怒らせたのだろう。反射的に顔が伏せていく。


──怖い。


「灯台守、俺のこと嫌いか?」

「え?」

「俺はこれしか知らない。守るってどういうことかもよく知らねェ。考えたくもねェ……でも、灯台守が俺のこと嫌いって言うなら…考えるから、だから……」


 嫌いにならないで。

 ジョン・ドゥは灯台守のことが本当に大好きだ。灯台守はジョン・ドゥが今まで出会ってきた人物の中でも1番優しいと感じることができた。温かかった。これを失ってはいけないと感じていた。


「………私は、」


 そんなジョン・ドゥに灯台守ができること。


「ジョン・ドゥのこと、嫌いじゃない。嫌いじゃないから…なんの大義もなく、生き物を殺して欲しくない」


 自分が思っていることを、思い切りぶつけることだ。


「はは……っ 難しいな、それ」

「できない?」

「いや……それで灯台守に嫌われないなら………大義か…」


 ジョン・ドゥはまた肉塊に向き合う。ジョン・ドゥの顔は見えなくなってしまったが、彼はきっと笑っているはずだ。


「戦うのは楽しい! それは俺の戦う意味だ……けど、灯台守を守ることは…生きる意味だ」

「な……っ」


 さらりと恥ずかしいことを言ったジョン・ドゥの背中を見た灯台守は顔を真っ赤にさせる。


「今は、それで許してくれねェか? やっぱり、俺には難しいわ」

「……わかった」


 今はそれでいい。


「だから」


 ジョン・ドゥは考えようとしている。


「答えが決まったら、教えて」

「おう!」


 ジョン・ドゥはきっと笑っているはずだ。少し照れながら。

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