誰かのために
【第6区 『Calme』】
茶房は訪ねてきた客人が思っていたよりも若かったことに驚いた。しかし、この思い詰めたような顔を見れば、要件を聞かなくても何を求めているかはだいたいわかる。アーネストを頼ろうとする人間は、大抵がこんな顔をするのだ。
「……アーネストでしょ? そこで待ってなよ、呼んできてあげるから」
寝ている彼を起こしてしまうのは忍びないが、この目の前の少年はそれを求めているのだ。そんな人間を放っておくことは、アーネストにはできないし、それを知られてしまえば後でネチネチと言われるのだから、何と言われようがアーネストを起こすことを心に決める。アーネストの名前を出して、少年が何も言わなかったところを見ると、本当に彼に用があるらしい。
「………あの」
アーネストを呼ぶために店の中に戻ろうとすると、少年は茶房に話し掛けてきた。
「あの人は……」
「……どうしてここにいることがわかったかは聞かない。
アーニーは、きっと君のことを歓迎するだろうからね。そんな人なんだよ、あの人は」
アーネストに用があったのはわかるが、その理由は全く知らない。大方、また面倒事に首を突っ込んでいるのだろう。そしてまたいろんな人間を巻き込んで行くのだろう。
店の中に入ると、いつの間にかアーネストは起きていて、料理をいくつか頬張っているところだった。
「アーニー、お客さん」
「わかったよ。これ、いくつか持っていくね」
アーネストはそう言いながら、手軽に持ち運びできそうな料理をいくつか持って外へ向かった。その姿は、まるであの少年が来るのを予想していたかのようだ。いや、
──何年も付き合いがあるけど、本当に何考えてるかわからない人だなぁ……昔のほうがわかりやすかったけど。この島に来てから、いろいろと変わってしまった……。
それはきっと、この島の魔女と出会ってしまってからだ。昔の彼はもういない。
「アーネスト」
「ん?」
「また、何か美味しい物ご馳走するよ」
「うん、楽しみに待ってるよ」
でも彼は、いつだって自分達の先頭に立ってくれるような、そんな人物だ。それは今でも変わらない。ただ、少し不安になる時がある。もし、アーネストがこの島に…いや、この世に生まれて来なければ……と。
────────────
「やぁ、来たんだね」
「……」
何も言わずこちらをジッと見るアンリに苦笑しながら、アーネストは喫茶店の外に備え付けられたベンチに腰を掛ける。
「それで? キミなりに何か、答えは見つかったのかい?」
「……わかりません」
「そう」
少し残念そうに答えたアーネストは、アンリにベンチに座るように言う。それに素直に従ったアンリを見て、満足そうに頷いたアーネストは、今度は茶房の料理が乗った皿を差し出した。
「ま、今はそれでもいいさ。キミがこんなに悩む原因を作ったのは僕だし、協力はする」
──僕は…。
「アーネスト…貴方は…僕はどうするべきだと、思いますか?」
「…………それには答えられないな。それは僕の人生ではなく、キミの人生に重要なことなのだから。キミが決めないと、意味が無い」
そう言われても、どうすれば良いのかさっぱりだ。だが、自分が変わらなければならないことは、充分に考える時間があったので、よくわかっている。自分は今のままではダメだ。そうわかっているのに、アーネストに頼るということしか頭になかった己が、冷静になった今になると無性に恥ずかしくなってきた。こんなことを考えていると、アーネストは少し笑を深くした。
「何か、見つけたんじゃないかな?」
アンリはゆっくり、それでも力強く頷いた。
「僕は、エドゥアールのことを見て見ぬふりをしてきた。だから、ここまでの被害が出てしまった……僕は…僕は、罪滅ぼしをしたい。僕は、エドゥアールとは真逆のことがしたい! 人を傷付けないで、人を助けることがしたい!」
今までは、
「僕は…もう、エドゥアールから逃げたくない。僕は、
アンリが頭を下げると、そんなことを言われるとは
「まさか僕に何の躊躇も無く、頼み事をする奴がまだいるなんて! 何年ぶりだろうか! キミが僕の所に来るのは知っていたけど、この返事は予想出来なかったよ!
いいよ、僕がキミの力になろう。つまり……そうだね、キミは僕の
アーネストはそう言うと、アンリを愛称で呼び手を差し伸べる。それは「アンリ」の英語圏での愛称なのだが、しかしアンリにはしっくりときた。
「……はい、よろしくお願いします…アーニー!」
だから、アーネストの愛称を呼ぶのにもなんの戸惑いもなかった。アーネストが差し伸べた手を握ると、アーネストは満足したように微笑んだ。
これはただの口約束だ。本当にアーネストがアンリに協力するかどうかはわからない。でもアンリはアーネストを信じる。何故ならば彼がアーネストだからだ。アーネストという名は、正直者で信頼することができるという意味を持つ。だからという訳ではないが、それも要因となってアーネストと言う男はアンリが知る人間の中でも、最も信頼できる男となっていた。
──まさか、ここまで行動力がある子だなんてね。知らなかったよ。
手を握るアンリを見ながら、アーネストはそう思っていた。自分の存在についてパニックになっていたり、現実から目を逸らそうとしていたり。そんな様子を見ていたから、アーネストは彼のことを勝手に想像していた。実はそんなことは無く、何かしなくてはならないという確固たる意思を持てる少年だと気付くのに、無駄に時間を取ってしまったようだ。
安心した。誰かの先生になることはこれまでよくあったが、生徒を受け持つのはこれでたったの5度目だ。自分自身は万能であると自信を持って言うことのできるアーネストでも、慣れていないことにはまだ戸惑うこともある。彼だって人間なのだから。だから自分から何もできないような、そんな生徒を受け持ったことのないアーネストは、いろいろと心配だった。アンリを受け持つことは知っていたが、しかしアンリの性格をすぐに直すのはいくらアーネストでも難しいことだ。
それもこれも魔女のせいだ。
そう全て魔女の奴が悪いんだ。
とりあえずそう言っておけば、納得できる自分がいる。いや、今回は本当に魔女が悪いんだが。間違った、訂正する。今回"は"ではなく今回"も"
「アーニー? どうかしましたか?」
「ううん。何でもないよ」
アーネストは持ってきていた、トマトの酸味とベーコンが絶妙にマッチしているサンドイッチに舌鼓を打ちながら、魔女のことを忘れて、目の前にいるアンリについて考えることにした。
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