指導

 昼を過ぎた頃、ジャッジマンとの戦いを終えたアーネストはこれからされるであろう、アンリからの質問を予想しながら煙草に火を付けた。


「──さて、僕に何を聞きたいんだい?」 


 煙草の煙を吐きながら、アーネストが尋ねる。

 第6区にだいぶ近づいた建物の屋上の上で、アーネストは柵に腰掛けて、2本目の煙草に火を付ける。そんなアーネストから少し離れた所で、アンリはアーネストに尋ねたいことをポツリと話し始める。


「僕は、なんでジャッジマンあの人に襲われたんですか?」

「……そう思った理由は?」

「あの人は、あなたではなく…僕を狙っていた。初めはあなたを狙っていると思っていたけれど、そうではなかった……でも、僕には襲われた理由が、わからない・・・・・……」


 アンリは絞り出すように声を発する。だんだん辛くなって、アーネストに自分の声が震え、小さくなってきいそうなことを気付かれないように拳を握る。あんなに苦手な煙草の煙が気にならないほどに、アンリには余裕が無い。そんなアンリの様子を、アーネストはすぐに見透かしてしまう。アンリを安心させるかのように微笑み、またアンリに質問をする。


「そうだね……でも、その様子だと何となくわかっている・・・・・・んじゃないの?」

「………っ」


 アーネストの言った通り何となくわかっている。わかってしまった。しかしだ、まだ確証が得られない。得るためには情報が少なすぎる。だからこそ、アンリはアーネストに尋ねることしかできない。


「それは、キミが楽をしたいだけさ」


 自身の抱える不安をアーネストに伝えると、そんな答えが帰ってきた。

 楽をしたいだけ、と言われてアンリはそんなことは無い、とアーネストに言ってやるつもりだった。だったのだが、直前でその言葉は喉の奥に引っ込んだ。アーネストのその瞳を観て、真実から目を逸らしてはいけない、そう言われているのだということがよくわかった………いや、違う。アンリは知っている。そんなつもりはアーネストには一切ない。これはアンリ自身が現実を直視しなければならないと思っているのに、それをすることができないからこそ感じるだけのことだ。


「1つずつ、質問をしていこうか?

 まず、キミはあの時…何故襲われたのにも関わらず生きていたんだい?」

「それは…次のターゲットに、選ばれたから」

「…じゃあ、何かの事件に巻き込まれた時…キミは気絶していたようだけど、それはどうして?」

「それは、その瞬間がショックなことだから……」

「それじゃあ……」


 次の質問をしようとするアーネストに、アンリは掴みかかった。あっさりとアーネストの胸ぐらを掴めたことに、戸惑いもせずアンリは、歯を食いしばり少し経った後、やっとの思いで言葉を口にする。


「…………なんで、なんで『ジキル博士とハイド氏』だったんですか?」

「………」

「僕に、あの時! なんで本について教えたんですか!? それも、『ジキル博士とハイド氏』を!?」


 知らない知らない知らない。僕は何も知らない。何も知ってはいけない。そう、胸の内が自分地震にそう訴えている。知らないふりをこれからも自分は続けなくてはならない!なのに!


「僕を、これ以上……!」


 見ないで、僕を見ないで。ミナイデ……。


「そこまでわかっているなら…キミは現実を見るべきだ。僕はキミが見るなと言うなら見ないさ。でも、キミはキミ自身を見るべきだ」


 アーネストはそう言い残すと、アンリの目の前からいなくなってしまった。膝をその場でつくアンリは、アーネストの言葉を思い返す。


 知っていた。知っていたとも。今回の騒動、その中心に自分がいたことも。そこになにか理由があることも。しかし、自分が二重人格・・・・であることは…気付いてはいけないことだとわかっていたから、ずっと見て見ぬふりをしてきた。


 そう、僕がエドゥアール・・・・・・なのだ。


 いつから気が付いていた、と尋ねられてもアンリには答えることはできない。それでも、自分に危機が迫った時意識の無い間に物事が解決しているといったことは何度もあった。今回の事件、殺人鬼と遭遇したことで、エドゥアールは身を守るためにその殺人鬼を倒したのだろう。あの壁に書かれた文字は、エドゥアールがアンリが疑われることで捕まるリスクを抑えたかった故に書いた、彼なりの証拠隠滅であるはずだ。そして、学校での事件。エドゥアールが対峙したのは、きっと先生達。

 

 でも、だけどそれを理解したからといって、自分はエドゥアールを認めることなんてしたくない。どうすることもできないこの不安を、今は誰にも打ち明けることはできない。


「どうすれば…僕はどうすればいいんだ…?」


 アンリにとって、自分が善人であることは彼の生き甲斐でもある。そんな自分が、善人とは程遠いことをしでかしていたという事実に、アンリは頭を抱える。どうすることもできない。今のアンリには、どうにかしないといけない、ということしか頭に無かった。


 頭の中で響く誰かの笑い声を聞きながらアンリは一歩づつ進む。自分自身でも、どこに向かっているのかなんわからない。




────────────




「いいのか?」

「なにがだい?」


 アーネストはアンリを別の建物の上から眺めていた。後ろから突然ジョン・ドゥが話し掛けてきたが、アーネストは特に驚くこともなく、薄く笑うだけだ。

 もちろん、ジョン・ドゥが言ったことの意味はわかっている。けれど、それが「これからどうするのか」という意味を含んでいるのか、「アンタはそれでいいのか」という意味を含んでいるのか、アーネストは尋ねてきた言葉の意味をそこまで絞り込んたが…この2つのどちらなのかは判断しかねた。昔からいろんなことを見て、理解してきたアーネストだが、どうもこのジョン・ドゥだけは理解できない思考をすることがある。単純に、普段何も考えていないからなのかもしれないが。


「…………?」


 どうやら本人はいつもの如く、アーネストに本当は何を尋ねたいのか、よく考えてはいなかったらしい。こういうところがジョン・ドゥの恐ろしいところだとおもう。以前、いろんな意味合いの取れる質問をされ、馬鹿正直に答えを言ってもジョン・ドゥが違う、と言われると他の答えを言って……を繰り返しアーネストは全身麻酔に陥った。こればっかりはアーネストの不注意だが、それ以来は何を聞きたいかをちゃんと聞くようにしてからジョン・ドゥに答えるようにすることにしている。


「……アンタ、アイツのこと気に入ってたみてェだからよ、行かせて良かったのか? なんか、見てると不安なんだけどよォ」

「気に入っている?」


 片眉が釣り上がるのがわかる。確かに気に入っている部類になるんだろう。しかし、それは贔屓にしていると自覚のあるラトウィッジ、ヤギや茶房のような感情でなく…かと言って森や福沢のような親友へ対しての感情でもない。

 では、一体何なのか?なんだろう?しかしそれも暫くすれば消え去った。こういう時、自分の回転だけは良い頭に感謝する。


「彼は──僕の愉しみなんだよ」


 ジョン・ドゥが立っていたのはアーネストの左側だ。その長い前髪のせいでアーネストがいったいどんな表情をしているのか、さっぱり検討がつかなかった。しかし、声色はなんというか…愉しんでいるのだろうけれど、そうではないと感じるのは容易かった。ここまでアーネストが感情を出すのは珍しい。いつだってアーネストは正しい言葉を吐く割に、正しい行いをしないのだから。アーネスト今、恐らくだが心を酷く痛めている。


──そんな奴が、人の苦悩するところを愉しみにするのが間違いだ。


 ジョン・ドゥのよく知るアーネストは、人の苦悩するところを平気で笑って観察するような奴だった。そんなアーネストを、ジョン・ドゥは好きになれなかったが…でも今のアーネストには好感を少し持てる。このままアーネストがあの青年を気にかけ続けてくれるとありがたい。


「ところで、灯台うちのことは絶対に許さねェからな」

「あー、やっぱり灯台に当たったのか」


 全く悪びれる様子もなく、アーネストはただ笑うだけだ。そんなアーネストを見て、ジョン・ドゥは一発殴ってやろうかと考えたが、やめた。アーネストのことだ、どうせそんなジョン・ドゥの行動は読まれてしまっている。そうやって殴ることを諦めるのも、きっとアーネストは知っている。


「んー…」

「どうかしたのか?」

「いや…あの子はこれからどうするのかな、てね。人の未来だけは、僕の知る権利・・・・でも見ることはできないから、気になっちゃうんだよね」


 さて、とアーネストはジョン・ドゥに背を向けて立ち去ろうとする。何処へ行くのか、ジョン・ドゥの疑問にアーネストは楽しそうに笑って答える。


「晩ご飯にはちょっと早いけど、『Calme』に行ってご飯食べてくるよ」


 本当に自由な人だ。


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