第8話 しどう

始動

「晴兄さんー、ここの答えって……」

「これはだな」

「雨兄、ご飯食べてくれたよ!」

「良かったなー」


 第1棟・506号室には、雨と霧の他に晴と霰…そしてどこか遠い目をしているラトウィッジの姿があった。

 

「なぁ、俺もう帰っていいか? 帰してください」

「えっ!?」


 ありえない、と声を上げる4人はラトウィッジをこの件に巻き込む気満々だそうだ。正直やめて欲しい。何が楽しくてこんな怪奇に巻き込まれなくてはならないのだ。ラトウィッジの悩みの種、巻き込まれた原因となる怪奇は雨から貰った握り飯を頬張っている最中である。

 あれから家に予定よりも早く帰って来た雨と晴、その後やって来た霰はラトウィッジを帰すことなく無理矢理引き止めていた。例え第5位でも、『星持ち』3人と上位に近いと呼ばれている人物に本気で逃亡を阻止されれば逃げるのは難しい。早いところ帰っていろいろとヴァシーリーに報告しておくことがあるのに……しかし無下にすることもできないのも確かである。その大きな一因が雨だ。雨は組織のことが嫌いなわけでは無いことは、ラトウィッジや他の組員との接し方でよくわかる。だが、雨は組織へ入ることに対して前向きではないように思える。おそらく育て親の園長夫婦に止められているのだろう。もしもこの件で雨になにか恩を売ることができれば…雨という戦力獲得に大きな影響があるかもしれない。………という楽観視をしなければラトウィッジの胃がもたない。辛い。


「──で? 俺は何をすればいいんだ?」

「……第1区ここで何が起きているのかを教えて欲しいのと…それと……」

「カイくんのこと、一緒に調べて欲しいです」


 ラトウィッジの質問に雨が真剣な表情を見せる。冗談というわけではないだろう。いつものやる気があるのか無いのかよくわからない時よりも何倍もやる気に満ちているように見える。何故かはよくわからないが、何かが雨のやる気を刺激したようだ。それはよくわかる。だが……。


「カイくん?」

「肉カイ・・くんです!」


 手で額を覆いたくなった。

 この霧とかいう少年は、餌付けだけでは飽き足らず、こんな名状し難い肉塊のようなものに名前を付けたというのか。そして組織の人間に頼み事とは……。


「それについて調べてどうする?」


 思っていたよりも底冷えするような声が出た自分にやや驚きながら、少年の返事を待つ。勉強会を初めていた晴と霰も、ラトウィッジの出した声に反応したのか、それとも単純に霧の答えを知りたいのかはわからないが、静かにこちらの様子を伺っているようだ。


「助けて…って言われました。だから、助けてあげたい」

「…仮に、そいつのことを調べて、何をどうやれば助けることができるかがわかるとする。それがお前の許容できねぇものだとしたら、お前はそれでも助けるのか?」


 だって、ここはそういう場所だから、その可能性の方が大きいものだろう。


痛い場所で生きてきた。

暗い場所で生きてきた。

辛い場所で生きてきた。

酷い場所で生きてきた。

怖い場所で生きてきた。

苦しい場所で生きてきた。

寂しい場所で生きてきた。


 それを知っているから、自分はどうやってもこんな風に純粋に生きることは叶わなかった。そのかわり、ここまで自分を気に掛けてくれたアーネストのように、少し性格が歪んだように思う。

 ふと、子供の頃を思い出す。ラトウィッジには家族がいた。父と母、可愛い弟…それから大型犬を1匹。朧気にしか家族の顔は覚えていない。弟は自分よりも大人しく、いつでも自分の名前を呼んで後ろをついてくるような子供だったことは覚えている。確か5つ年下だったから、弟はもう20歳を過ぎているはずだ。その弟と目の前の少年が、何故か被って見えた。目の前にあるものが一番素晴らしい。たとえそれがただの木の枝だったとしても剣か何かに見えて、自分と同じ非力な子供の兄を大人より強い存在だと勘違いしていた、何も知らないから。この子と同じように何も知らない。島のことは勿論、この世界のことも、まだきっとキラキラと輝いて見えるのだろう。大人になればそれもきっと幾分マシになってはいくのだろう。自分と同じ未来を辿らないことを願うばかりだ。


──あー…なんか、久しぶりに故郷に帰りたいなんて思っちまったな………帰る場所なんて、もう何処にもないのに…まだ、振り切れていないみたいだな。


 自分にまだこんな情があることに少々意外に思いながら、ラトウィッジは口を開こうとする。忘れろ、とそう言ってさっさと断ればいい。ヴァシーリーが雨を気に入っていて子供が好きだからといってラトウィッジがそうというわけではない。例え後で何が起ころうが、ラトウィッジにとってどうだっていいことだ。


「……そんなこと、わかりません。でも僕は、助けてって言われたら放っておけません! ダメなことだったら、僕が絶対にちゃんと話してみます!」


 どうだっていいことだった・・・

 ラトウィッジには家族がいた。父と母、可愛い弟…それから大型犬を1匹。父は、正義感が強い警官だった。自分と弟はそんな父が大好きだった。

 父は妙に難しい話をする人で、ラトウィッジが霧にしたものと少し似通った、助けたい人が悪い人だったら?という質問を投げ掛けてきたことが1度だけあった。果たして自分はなんと答えただろう。もう15年以上前のことだからか、それとも他にも要因はあるのかはよくわからないが、思い出せないし、今日やっと思い出した記憶だった。でも、それを思い出してしまい感情の整理がつかない。視界が歪む。

 霧の答えは綺麗事だ。ラトウィッジもわかっている。でも…自分だってきっと幼かったあの時そう答えたはずだから……。


「はぁ……調べるだけだぞ? その後のことは自分達でどうにかするんだな」


 結局折れてしまった自分を叱りつけながら、ラトウィッジはそう言うと部屋を出るために玄関へ向かう。雨達が止めないということは、ラトウィッジの言葉に満足したからなのだろうか。


「ラトウィッジさん、お願いしますね」

「お前らも何かあったらすぐに言えよ?

 それから、雨…ちょっと話がある」


 そう言うと、雨は晴とアイコンタクトを交わし、晴が頷いたのを見てラトウィッジと一緒に部屋の外へでた。


「あの、それで話って?」

「今、第1区では殺人鬼の話があるのはしってるよな?」

「はい」


 それは、この第1区で起きていることについての話だった。雨はラトウィッジをしっかと見つめる。本気でこの件に関わろうという意志が伝わってくるのを感じ、ラトウィッジは少し居心地悪そうにするが、それはグッとこらえる。これは組織のために、しっかりと話しておかなくてはならないことだからだ。


「その殺人鬼はもう捕まったらしい」


 まだ新聞には記事になっていない話題に、雨は驚きの声を上げる。


「俺が調べていたのは誘拐事件についてだ。いなくなってんのはうちの組織の組員やはぐれ者達のような、いつ消えてもおかしくないような連中ばかり…初めは殺人鬼と誘拐犯は同一人物だと思っていたんだが……知り合いにやけに色んなことを知っているやつがいてな。そいつが言うには、殺人鬼と誘拐犯は別人で、更に厄介なのがいるそうだ」

「厄介なの?」


 途中まで静かに聞いていた雨だが、今回の事件が複数の人間によって引き起こされていたもの、しかもその中にとんでもない奴がいると知り、興味を抱いてラトウィッジの話をつい掘り下げる。


「こっからは俺の考えだが…えーと、あの肉塊…」

「カイくんです」

「………カイくんは、今回のどれかの事件の被害者だったものかもしれない…」

「UMA、とかじゃなくて」

「それと、そこ厄介な奴がどうかは知らねぇが…今日戦ったアイツ・・・が、今回の事件に関係しているんじゃねぇか?」


 雨は自分自身の拳に力が入るのを感じる。学校へ行く前に出会ったあの男…確かに顔を忘れてしまう異能は殺人、誘拐、どの事件に置いても有利になる能力だ。そして何より、彼は強かった。この第1区で同年代には敵はいないと感じていた。実際、どんな奴にだって勝ってきた。彼の容姿は覚えていないが、何となく同じ年ではないかと雨は感じている。だから、雨にとって彼は無視できる存在ではない。初めてこういったことで対抗意識が芽生えたのだ。意識してしまうのも仕方ないが、それと同時に嬉しさもあった。雨は勝手なのかもしれないが、彼のことをライバルだと感じている。もしもう1度会えたなら、雨は嬉々として彼と再戦するはずだ。


──次は、次こそ決着をつける…!



「っつーわけで、雨。情報を俺はお前に売ったわけだが……お前は対価に何をくれる?」

「え?」


 雨の間抜けな声が小さく響いた。組織ヴァシーリーのためになら、ラトウィッジはなんでもやる男であることを雨は再度認識させられることとなるが、気が付いたのが遅かった。


「俺はお前達に調べ物の件についてもいろいろと世話するわけだから、対価は大きいはずだなぁ? なんせ、ボスの懐刀、組織の相談役である俺を動かすんだもんなぁ? これはヴァシリョークと相談して対価を決めようかなぁ?」

「待って、待って待って! 将来のことは俺が決めたい! せめて園長姉ちゃん辺りに相談させてくれ!」


 これはいよいよ組織に所属する未来が近づいてきたと、雨は思わず言葉が砕けてしまうがそれどころではない。


「なんだ、うちは嫌か?」

「うーん、嫌って言うか…俺、漬物屋になりたいし……」


 それを聞いたラトウィッジは一瞬目を点にさせたあと、思わず吹き出して大爆笑する。それを見た雨は、そんなに笑わなくてもいいだろ、と頬を膨らませるが大男がそんなことをしても可愛くねぇぞ、とラトウィッジに言われ、すぐに頬を元に戻す。


「いや、いいと思うぞ、漬物屋。そうか、雨は将来漬物屋って呼ばれるのか?」

「多分? 俺漬物好きだし」

「マジかよ」

「たくあん美味しい」

「そうだな、俺も好きだ」


 雨は腕を伸ばしたラトウィッジに頭をぐしゃぐしゃとかき混ぜるようにして撫でられる。


「その漬物屋、うちが援助でもなんでもしてやるよ」

「それはありがたいんですけど…なんか、裏ありそう」

「よく気が付いたな。そうなったら組織のために働くこともあるだろうな」

「やっぱりか」


──ま、戦力増加のためってだけが雨を誘う理由でも無いんだがな……。


 ラトウィッジは雨と別れ、煙草に火を付けながらエレベーターに乗り込む。

 ボブロフ組織ファミリーは郵便局と不仲である。それこそ殺し合いに発展する程に。自分が組織に入って間もなくして、組織の戦力は落ちた。それは組織と郵便局の戦いの中で、1人の男が死亡したところから始まった。組織には元々2位、3位を独占する2人と順位に興味が無いせいで第12位であった人物が主な戦力だった。その3人組が揃えば向かうところ敵無し、だったのに……郵便局はついに監獄の看守と手を組んだ(当時の警察達は、内紛処理で忙しかったようで、とても助力を願える雰囲気ではなかった)この看守共は主力の3人の内1である第3位を討ち取ったのだ。その戦いは、その後組織がラトウィッジを交渉に向かわせることで収まった。しかし、第2位だった男は何を思ったのかその順位を放棄して組織から抜けた、第12位の男はその後大人しくなり、今ではすっかり穏健派として知られ、組織が運営しているカジノの胴元の護衛についていた、が1年前にその胴元と一緒に監獄へ入れられた。そのため組織は大打撃を受ける羽目となる。今はラトウィッジがいるから何とかなっているが、もしものことがあれば、また郵便局と看守、下手をすれば警察達が関わってくる。


──きっとそれは、近いうちに起きる。そうなる前に戦力を確保しねぇとな……その為にも雨はきっと必須になってくる。


 しかし、ヴァシーリーもラトウィッジも雨に拘る理由はその強さもあるが、もう1つある。顔がよく似ているのだ、元第3位の幹部…承と雨が。だからこれは賭けだ。雨が組織にはいれば、あの第2位だった男がもしかするとまた自分達の目の前に現れるかもしれないという…第12位のあの男が昔のような荒々しさを取り戻すかもしれないという。


「まあ、こればっかりは雨に決めさせてぇなぁ……」


──俺の時みてぇにはなって欲しくないもんだな……もう少し待つように、説得するか。郵便局ともあまり小競り合いが起きないようにして……あー、しんど。


 ぼんやりと天井を眺めながら煙を吐く。

 今日もラトウィッジの胃は大荒れの模様だ。

 

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