ジャッジマン

 アーネスト達が建物を移動すると、その屋根の軋むような音が聞こえる。木でできている屋根のようだ。そんなことをアンリがぼうっと考えていると、突然何かがぶつかる鈍い音が響き、アーネストの身体がぐらりと傾いた。それを見たアンリは咄嗟に手を伸ばすが、前方から飛んできた何かによってそれを阻まれてしまう。アーネストは下に落ち、アンリが彼が無事かを見ようとしても建物の陰でその姿を確認することはできなかった。


「アーネストを不意打ちすることは出来ましたか! 私もやれば出来るものです!」


 アンリが後ろを振り向くと、ピエロのメイクをした、しかし衣装はアンリのよく知るピエロ服ではなく赤茶の燕尾服を着た金髪の男が眼前に迫っていた。驚いたアンリはすぐに彼との距離を取る。


「な、なんだ…お前?」

「んっんー、しかしアーネストはあの程度では死なないのです! 今すぐにでもここに帰ってくるでしょう! なんてこった! その前に私は貴方を始末しなくてはならない!」


 ピエロはアンリの問いに答える気などサラサラないようだ。ピエロはどこからか出てきた色とりどりの、ボールのような形のそれをジャグリングし始める。それを何度か繰り返していたピエロを見て、アンリは逃げようと建物の屋上にあった柵を越えようとしたが、ピエロのボールがアンリをめがけて飛んでくる。避けきれず右腕にボールが当たる。それの痛さから察するに、ボールは鉄かなにかでできているようだ。アンリは奥歯を噛み締めて痛みを耐え、どうにか逃げる場所を見つけようと視線をさまよわせる。


──確か、この辺りは……。


 アンリは次を投げようとするピエロを見ながら、柵から身を乗り出して落下する。それを見たピエロは驚きの声を上げ、急いでアンリが落ちた場所へ向かう。真下から聞こえてきたのは電車の音だ。2両の電車は第1区から第10区に向かっている。その電車の屋根には、先程落下したアンリが乗っていた。それを見たピエロは電車を追いかけてアンリと同じように電車の屋根の上に乗る。


「んー、しかしここで彼を逃すとのちのち厄介になるので……まだまだまだ、追いかけさせてもらい、マス!」

「しつこい!!」

「ええ、ですとも、そうですとも! 何故なら! 私はそう判断致しましたから!」


 メイクと同じようにピエロの口元が釣り上がる。しかしそれは嬉々とした笑みとはだいぶん違うものであることはよくわかった。そうではなく、ただそうするべき・・・・・・だからそうしているような、場の空気を読むかのような笑みだ。つまり作っている笑顔ということだ。どうやらこのピエロ、ピエロの格好をしているくせして道化になりきれていないようである。そうわかってしまえば怖くはない。何故なら、誰かを傷つけることをこのピエロには特に関心のないことだからだ。だからアンリは落ち着いて拳を構えてその時・・・を待つ。

 『星持ち』として、何かしら防衛訓練を受けることはあった。しかし、誰かに向けた暴力で力を使ったことなどアンリにはない。それでもアンリの手は震えない、心は乱れない。そんなアンリの様子を見て、ピエロはほぅ、と感心したかのように溜息を吐いた。


「なるほど、アーネストが目をつけている少年なだけはあるようです。私も少しどうせ少し珍しい小僧舐めていました。アーネストにはあとでしっかり礼を言っておかなければ」

「…なんで僕が狙われなくちゃ行けないのかわからないけど、僕は絶対に殺されない。だからアーネストさんの所にも行かせない」


 グッとピエロを睨みつけると、ピエロは少し嬉しそうな顔をした。見間違いだったのだろうか。彼の顔はすぐに元に戻ってしまうので、しっかりと確認することはできなかった。

 だが、とにかく今は殺されるわけにはいかない。アーネストの所へも行かせない。


「ほ? 狙われる理由がわからないとな?」

「え?」


 ピエロは不思議そうに首を傾げた。それに釣られ、アンリも首を傾げる。


「なるほど? なるほどなるほどなるほどなるほどなるほど」


 しばらくその場を行ったり来たりするピエロは、今度はアンリのことを虱潰しに見ていく。自分は何をされているんだと自問していると、ピエロはそのうちアンリのそばを離れる。それからまたその場を行ったり来たりと忙しない彼に、アンリが話し掛けようとすると、ピエロがこちらに顔を向けず、それを右手の手のひらで制止する。ふむふむ、と繰り返すピエロをみて、アンリはいったいこの状況で自分は何をすればいいのかわからず、ピエロに話し掛けたようとしていた時に挙げた手が宙をさまよう。


「──あの竜巻め! 私も巻き込んだ・・・・・な!?」


 ピエロが急にそう叫ぶ。これまでの様子とは打って変わった、忌々しいとばかりに叫びを聞いて、アンリは肌を刺すような殺気を感じ、また拳を構え直す。


「ああ、貴方、もう構えなくてもいいです。

 アーネスト!! 貴方ここにいるでしょう!? 返事をしなさい!!」


 ピエロがそう言うとアンリの前にアーネストが降り立った。その両手には対物ライフルが握られ、顔にいたってははイタズラが成功して喜んでいる時の子供のようだ。


「よく耐えたね、お疲れ様」

「いえ、僕は何も……」


 アンリを見ると、アーネストは一等嬉しそうな笑顔をアンリに向ける。ピエロに向けるものとは違い、宝くじか何かに当たったかのような心からの喜びの笑みだ。それを見て、嫌な予感と同時にもう気を張らなくてもいいのだという安堵がアンリを包む。


「さて、ジャッジマン。ここは第10区なわけだけど…やるのかい?」

「……そうですねぇ……やらせて頂きましょう。それが今回の仕事ですから」


 ピエロはジャッジマンという名を名乗っているようだ。ジャッジマンは鉄球を握りしめるとアーネストの言葉に頷いた。アーネストに下がるように言われたアンリは、2人から離れてこの戦いの行く末を見届けることにする。その前に、アンリはアーネストに尋ねなければならないことが出来てしまった。そのことをアーネストに伝えると、彼は後でね、と言いながら身体を器用に使って対物ライフルをリロードする。


 先に動いたのはアーネスト。なんの躊躇なく、右腕で持った対物ライフルの引き金を引いた。それをジャッジマンは上手く避けながら鉄球をアーネストに投げつける。


「さてさて? 私が誘われてしまったのも、貴方の仕業、ということですね?」

「キミがつけていたことはわかっていたからね」


 ジャッジマンの鉄球を避け、アーネストは右の対物ライフルをリロードすると、左の対物ライフルを撃つ。薬莢が電車の屋根に当たって音を立てるがその音にすら、2人の気はそれない。

 アーネストはジャッジマンが2人をつけていたことに気がつ付いていた。だからこそ、彼にわからないようにして、様々なアンリとの打ち合わせを済ませた。アーネストがジャッジマンの攻撃を受けたのも、アンリが彼と戦ったのも…ジャッジマンの狙いを知りたいと言うアンリの願いだった。それに賛成したアーネストが立てた策はこうして成功し、ジャッジマンを釣ることができた。ここからはアンリでは荷が重い、と判断したアーネストの出番だ。


──「キミは見ていなよ。参考にはならないだろうけど…それでも貴重な体験だ」


 そして、アーネストにそう言われたアンリの勉強をする場になった。


──アーネストさん、僕は……いったい……。




「しかし、私相手に対物ライフルそれはいささか大袈裟では?」

「あー、仕方がないよ。僕としては1番使い勝手の良い武器での戦闘を見せてあげたかったからね」


 2人とも遠距離で戦うことを得意としているため、どうしても決定打が打てない。当たればいいのだが当たらなければどうということはないのだ。そうこうしているうちに、アーネストの対物ライフルの弾は無くなった。それを察したのか、ジャッジマンは一気に距離を詰めてアーネストを電車から落とそうとするが、それをアーネストは許さない。右の対物ライフルをバットのように持ち替えると、そのまま振り抜いた。鈍い声が漏れると同時に、ジャッジマンは建物に叩きつけられるがすぐに窓の縁に手を掛けると電車の屋根の上に戻ってくる。いつの間にかアーネストの両腕には対物ライフルは無くなっていたが、彼にとってそれは些細なことのようである。


「しつこいってよく言われない?」

「ええ! 言われますとも!」


 ジャッジマンは腰に差していたステッキを取り出してそれでアーネストを屋根の端まで追い詰める。対物ライフルを手放してしまったアーネストはそのまま反撃をせず屋根から落ちた。アンリは思わずアーネストの名を叫ぶ。しかし、アーネストは冷静だった。電車の窓に足を掛けると、線路に手を近づける。普通ならば指が無くなるような行為だが、それは『星持ち』の彼には何でもないことだ。手が線路に付くと、そこから新たな武器…ガトリング砲が現れた。


「おや、ガトリング砲これはちょっと苦手だけど……まあ、いいか」


 アーネストは電車の壁を駆け上がるとガトリング砲をジャッジマンに向け、発射する。ジャッジマンはすぐに電車から落ちると、向かいの建物の窓を破り避難する。


「おいおい、無人だからいいけどさ…」

「こうでもしなければ、逃げられませんからね!」

「僕もそう思う!」


 ジャッジマンは建物の中からでもこちらを追い掛けている。それを見たアーネストはジャッジマンにガトリング砲で攻撃するがそうしているうちに弾が無くなる。またさっきと同じようにして新しい武器を手に入れるとアーネストは少し眉を顰めた。また苦手な武器らしい。今度は拳銃が2丁だ。


「まだマシかな」

「くじ運が悪いようで!」

「今日はね。普段はそこまでじゃない!」


 窓を突き破ってまたジャッジマンが電車の屋根に乗る。ジャッジマンが現れた場所は、丁度アーネストが立っていた場所だ。アーネストの腕を、足で固定するとステッキでアーネストの頭を狙う。それを寸前のところで躱すと、右腕に力を込めてジャッジマンの頭を拳銃を持ったまま殴る。わざとらしい悲鳴を聞きながらアーネストは立ち上がると、それに気が付いたジャッジマンがステッキを構える。アーネストが走ると、電車の屋根がくぼむ。それを気にしていないアーネストはジャッジマンのステッキを思い切り蹴り上げ、左手に持っていた拳銃を捨てる。宙に舞っていたステッキはアーネストの左手に収まると、それをアンリに投げ渡す。


「それ、持ってな」

「え!?」


 驚くアンリのことも気にせず、アーネストとジャッジマンの戦いは次第に熾烈になっていく。どうしても目を引いてしまうのは、やはりアーネストだろう。いったい線路から、近づけば建物からでさえ武器を取り出していくのを見て、これが彼の異能力なのだろうかと考え込む。しかし異能力者が片手で銃を扱えるような力を持っているはずがない。それこそ普通の、島外のものでもない限りは、だがジャッジマンはあれを避けている。つまりアーネストの使っているものはれっきとした島内の武器なのだ。

 アーネストがジャッジマンを押していることは明らか。その証拠に、メイクをしていても焦り始めていることが良くわかるジャッジマンとは正反対に、アーネストは余裕の笑みを浮かべている。アーネストがジャッジマンを屋根の端まで追い詰め、また手にしていた対物ライフルを、渾身の力を込めて振り抜く。すると、ジャッジマンは今度は建物にぶつからず、そのまま宙に浮いてどこかへ消えてしまった。


「ふぅ…灯台辺りまで飛んだかな?」

「あの人、大丈夫なんですか?」

「大丈夫でしょ。ジャッジマンだし、意外と打たれ強いからさ」


 そう言いながらアーネストは隣の建物へと飛び移ろうとして…足を止めた。


「ぉおぉぉぉお客様ぁぁああああ? 切符はご購入でぇえええ?」

「おっと、ポックルスじゃないか」


 2人の後に現れたのは車掌服を着た男だ。カストルの双子の兄であるポックルスは、アーネストをキッと睨みつける。


「電車の上でドンパチとぉ! 穴が空いたらどうしてくれる!!」

「ああ、すまない。そこ、少しへこんでしまった」


 アーネストはへこんだ屋根の部分を指差す。謝っているのに謝っている感じが全くしないアーネストに、ポックルスは呆れ。どの程度へこんでいるのかと、屋根にあるへこみを見た途端膝をついた。


「嘘だろ…」


 かなりへこんでいる屋根を見て、ポックルスは涙を流している。これはまずいと少しでも罪悪感を感じたのか、アーネストは少し視線を逸らして、アンリの襟を掴む。


「そんなわけで僕らは行くよ! 請求は魔女にしといてくれ!」

「ちょっと、アーネストさん!? いいんですか!?」


 アーネストはアンリの言葉に耳を貸さずにその場から逃げた。後からポックルスの悲鳴にも似た叫びを聞いたが、追ってくる様子はない。


「まあ、僕だって悪いと思ってるけどさ。今はそれどころじゃあないんだよね」

「僕のこと、ですか?」

「それもある。けど……恐らくあそこにいると面倒なことになる」

「へ?」


 因みにこの時、ジャッジマンがぶつかった灯台から、ジョン・ドゥがこちらへ向かってきているのであった。それを何となく察知したアーネストは全力でここから離れることにしたのだった。


「安心しなよ。キミの質問には答えるからさ」

「…………はい」




 一方その頃、屋根がへこみポックルスもへこんだ車掌2人組は、緊急停車して屋根の上で2人揃って座っていた。


「兄さん、そう落ち込むなって」

「これでいったい何度目だよ……」


 カストルがポックルスの肩に手を置くと、ポックルスは深く溜息を吐いた。そうしていると、電車の屋根に新たな人物が現れた。それを見た双子は同じように目を大きく見開いて、その人物の名を叫ぶ。


「「ジョ、ジョン・ドゥ!?」」


 そう、ジョン・ドゥが灯台からここまでやって来たのである。2人は思わず互いに抱きつくと、ジョン・ドゥをマジマジと見つめる。


「あ゛?」

「ひぃっ! に、兄さん、この人なんで来たか聞いてよぉ!」

「お、おおう、任せとけ…」


 ビビりながらも、カストルの兄として情けない姿は見せられないと、ポックルスはジョン・ドゥに意を決して話し掛けようとする。


「おい、双子! ここ、今まで誰がいた?」

「ひぃっ! ア、アアアーネストですぅ! ごめんなさい!」

「ごめんなさぁい!!」


 ジョン・ドゥの圧に負けたポックルスはまたカストルと互いに抱きついて恐怖を紛らわせる。情けないことに双子は電車を守る時には人一倍強気になれるが、それ以外ではただのヘタレに成り下がるのであった。


「アーネストか! くそっ、またアイツかよ!」

「あの何かあったんですか?」

「おい、カストル面倒なことになるからやめとけって!」

「で、でも…僕達みたいに何か本当に悩んでいるのかもしれないよ?」

「うぅ…そうだけど」


 ポックルスはしばらく悩み、カストルと頷き合うとジョン・ドゥから充分に距離を取って何故ここへ来たかを質問する。


「あのぉ! 何かぁ! あったんですかぁ!?」

「お前ら舐めてんのかァ!?」


 カストルはポックルスの後ろに隠れ、ポックルスはジョン・ドゥと3メートル程離れた所から話し掛けた。どんな人でも勿論だが、こんな避けられたように話し掛け方をされると腹が立つ。


「チッ…灯台が半壊したんだよ! この間直したばっかりだってのに!」

「え、ジョン・ドゥって今灯台住んでるのぉ!?」

「え、灯台守になったのかぁ!?」

「同居人がな! って遠いんだよ! もうちょっとこっち来い!」

「あああ!! 殺されるぅ!」

「お、俺ら何もしてないってぇ!」

「してんだよ! 現在進行形でェ!!」


 2人は恐る恐るジョン・ドゥに近寄ると、ジョン・ドゥは面倒くさそうに事の顛末を話し始める。それはどっかで聞いたことのあるような話。今さっき起きた、大切なもの・・・・・を壊された時の話だった。


「うぅっ、ジョン・ドゥ、その気持ちわかるよ…」

「俺らも、灯台までは行かないけど、アーネストに壊されたからな」

「わかるのか…お前ら意外と苦労してんだな」


 ポックルスとカストルはジョン・ドゥの気持ちに賛同する。それと同時に少しはジョン・ドゥへの目の向け方を改めようと決める。が、やっぱり怖いものは怖い。それから少しの間、3人は最近灯台と電車が壊れた時の話で花を咲かせる。といっても灯台は今回で2度目の半壊なので、どちらかと言うと壊れた時のアドバイスを双子から聞いているようなものであったが。


「で、移動型全自動式大砲アーネストどこ行きやがった?」

「「第6区の方角です!」」


 意気投合したところで、ジョン・ドゥがアーネストの居場所を尋ねると、待ってましたと言わんばかりに2人が揃ってジョン・ドゥに伝えた。それを聞いた途端、ジョン・ドゥは返事もせずに電車の屋根を蹴って第6区の方へ跳び去った。


「ジョン・ドゥの奴…なんか大人しくなったな〜」


 そんなことをしみじみと言っていると、カストルは何気なく屋根を見ると、目を飛び出そうなくらいに見開いて、カストルはポックルスの肩を叩く。


「に、兄さん、兄さん」

「なんだよ」


 カストルは電車の屋根を見るようにポックルスに言い、それに従って屋根を見るとポックルスは固まった。ジョン・ドゥが跳び去った後に、彼の足跡がくっきりと屋根についてその部分が窪んでいたのだ。


「…………カストル」

「なに?」

「さっきの、前言撤回してもいいか?」

「いいと思うよ、兄さん……」


 アーネストとジョン・ドゥを絶対に許さない、と決めた2人であった……。

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