跡形も

 ラトウィッジは路地裏で戦っていた雨と、見たことのない青年の腕を掴む。力を込めれば、2人はラトウィッジから距離を取ろうとして後ろへ後退する。


「ラトウィッジさん……なんでここに?」

「個人的な調査だよ。そしたら、お前が派手なことしていやがったから……」


 ラトウィッジは雨に呆れた顔を見せる。そんなラトウィッジを見て雨は、いやーそんなことないっすよー、と言いながら頭を掻いた。


「ラトウィッジさんに比べたらまだまだ、派手って範疇じゃないし」

「……いつかお前の顔面に平手くらわせてやる、覚悟しとけよ」

「うぃっす」


 ラトウィッジと雨はは、ふざけ合いながらも正面を向く。そこにはナイフを持つ彼が、怒りの表情を2人に向けていた。ラトウィッジに掴まれていた右手は痛むのか、反対の左手にナイフを持ち替えている。


「──で、お前は何者だ? まさか、傷害犯…それとも誘拐犯、か?」

「はぁ? 誘拐なんてめんどくせーことはしたことねーよ。傷害犯…? もよく知らねー」

「お、意外と素直に答えるんだな」


 彼は面倒くさそうにラトウィッジの質問に答える。答えるのを渋るのではないかと思っていたが、そうではなくて安心したいところだ。しかしだ、ラトウィッジが彼に話し掛けた辺りから、先程まで向けていた怒りの表情を消し去っていた。どちらかと言えば、やる気が削がれてしまったようだ。


「あーあ、もういいや。2対1なんて俺に勝ち目ねーし」


 やる気が削がれてしまったのは本当のようだ。ラトウィッジはそれを彼の表情から読み取る。しかし彼にやる気が無くても、ラトウィッジには彼を逃すという選択肢はない。質問をしていた時、僅かではあるが心当たりがある、と彼が確かに反応していたからだ。そんな反応をした彼を、ここでむざむざと逃せば…後が怖い。逃したことをヴァシーリーに黙っていてもいいが、バレた時が怖い。結局この"個人的な調査"も、ヴァシーリーからの無茶振り命令だ。


「悪いが、逃がす気はないぞ」

「は? やってみろよ!」


 彼はそう言うと、すぐに横の壁を伝って建物の屋根の上に乗る。ラトウィッジがそれを捕まえようとすると、彼は捕まる前に雨を睨みつける。


「木偶の坊! テメーは殺す、こんなに殺したいほどイラついたのは初めてだからな!」

「……!」


 あと少しでラトウィッジに捕まるというところで、彼は屋根を降りる。そこは路地裏ではなく、現在通学路と化している道だった。学校に向かう学生達がチラホラいるのがわかる。ラトウィッジが彼を探そうとするが、一向に見つかる気配がない。おかしい、通学路にいる学生達の数はそこまで多いわけではない。本当に4、5人が視界に入ってくる程度の人数しかいない。なのに……。


──こんなことって、あるのか? おいおい嘘だろ?


「ラトウィッジさん!?」

「……おい雨、さっきのアイツの顔とか背格好、覚えてるか?」

「えーと………あれ?」


 ラトウィッジは雨の元まで降りると、そう質問する。雨はしばらく考え込むが…わからなかった。思い出そうとしても、彼の姿だけが記憶から綺麗に切り取られ真っ黒になってしまい、記憶の中に跡形も無くなってしまっているのだ。


──高校、及び中学の始業時間まで、あと20分──




【第1棟 506室】



「いや、なんでこうなった?」

「乗っかかったなら最後までよろしくお願いします。て雨兄が言ってました」


 所変わって第1棟の雨の部屋でラトウィッジは頭を搔く。ちなみに、今ここにいるのは霧とラトウィッジだけだ。残りの3人は帰って来てすぐに学校へと登校して行った。

 おかしいな、こんなはずではなかったのだが。ラトウィッジは雨に軽い苛立ちを覚える。しかしだ、あの先程戦っていたあの彼は何だったのだ?確かに顔を見たはずなのに、綺麗サッパリ忘れてしまっている。それどころか、何を言っていたのか覚えているのにも関わらず、声は忘れてしまっているのだ。


「何食べるんだろ、コレ……」


 考え込むラトウィッジの横で、霧が鞄の中から出した肉塊を見つめる。とりあえず、と霧はバナナを差し出してみるが興味を示す様子は無い。


「そう言えば、それ見つけるために路地裏に行ったんだったか?」

「はい、そしたらあの人・・・と会って…」


 彼は誘拐事件とは何の関係も無いようだが、本当かどうかは謎である。あの雨とまともに戦える人物でも珍しいので、いれば噂になりそうだが……正直に言うと、ラトウィッジも何が何だかわからない。あのまま放置していれば、福沢が来ていただろうし、そうなっていれば大被害を被るのはこの第1区と、組織こちら利益・・だ。

 肉塊が何を食べるかについて頭を捻る霧を見て、ラトウィッジはこれからについて考えることにした。巻き込まれてしまったらしょうがない、やれることはやろう。それに、ラトウィッジが今調査している誘拐事件について、何か有力な手掛かりを見つけることができるかもしれない。


「それにしても、コレは何なんだ?」

「さあ、わからないです。でも、僕は助けてって言われので……」

「喋るのか?」


 ラトウィッジは肉塊を覗き込むが、動かしにくそうにしながら、肉塊は霧の後ろへ隠れてしまった。


「グロい見た目のくせに、行動が小動物かよ」

「いじめないでください」

「いじめてねぇよ」


 ラトウィッジは心外だと霧の言葉を否定する。こうも子供に非難的な目を向けられてしまうと、居心地が悪い。そんなわけでラトウィッジは極力この肉塊と関わることを避けるようにすることにした。

 肉塊と一緒にいる霧の姿は、まるで犬か何かと戯れているようだ。きっと相手が肉塊でなければきっと微笑ましい光景なのだろうが、強烈なインパクトを残す肉塊がいることでこの場は魔境のようになっていた。その光景から思わず目を逸らしたくなったラトウィッジは、わざとらしくベランダで煙草を吸う旨を霧に伝える。


──さて、これからどうするか。


 このまま、雨達に付き合うこともやぶさかではない。雨達に便乗すれば、もしものことがあったとしても福沢への言い訳もスムーズにできるだろう。

 福沢とは組織に入る前から、アーネストを通じて交流があった。島へ来た時の年齢がもう少し早ければ、この国の義務教育とやらのおかげで福沢の生徒として生活していたはずだ。福沢はとある理由・・・・・で学校に行った経験がらほとんどないラトウィッジを、幼馴染達と同じように同情している節がある。言い訳とそういった経緯さえあれば、多少無茶をしても呆れて許してくれるだろう。


──問題は、ヴァシリョークか……アイツ、未だに俺離れができてないからな……留守が続けば機嫌が悪くなるだろうし……。


 煙草の煙を目で追いながら、ラトウィッジは大きな寂しがり屋のことを思い出す。彼とももう10年の付き合いだ。そろそろあの寂しがり屋の性格も直していかないといけない。なんだかんだ言って、一組織のボスだ。そんな彼が部下の1人から未だに自立できていないとすれば、いい笑いものだろう。

 何はともあれ、そのことは結果を出してから考えよう。今はそう、誘拐事件についてだ。


 事の発端は、第1区に殺人鬼が現れる数日前。組織の人間が忽然と姿を消した。そのことについて調べていくと、各地で人が消えていっていることがわかったのだ。そのほとんどが路地裏等を根城としていたはぐれ者達だった。泉に聞いたところ、仲間内ではかなり有名になっている話だそうだ。泉がまとめている第6区のはぐれ者達の間ではでは、第1区の殺人鬼騒動よりもそちらのほうが重要な話だった。何故失踪事件ではなく、誘拐事件だということがわかったかというと、行方不明になった彼らはどう考えても自分から消えるような人間ではなかったこと、それから泉に渡された1枚の紙、おそらく捨てられていたものだろうシミが多かったそれは、行方不明になった人物からのメッセージが綴れていた。ミミズがのたくったような文字で書かれているが、それに用いられているのは赤黒い血液だ。これにより、彼らは突然襲われたこととなる。そして、いくら探しても彼らは見つかることが無かったことから、これは誘拐事件ではないかということになった。


 ラトウィッジは深く溜息を吐いた。この事件解決に、全く終わりが見えてこない。ぐるぐると同じようなことばかり考えてしまう始末だ。


「お悩みのようですね?」

「そりゃあな……で、お前はなんでここにいるんだ?」


 ベランダにいるはずなのに、ラトウィッジの真正面からやって来て話し掛けてきたのは、ゴーグルをしているヤギだった。この格好だということは仕事中なのだろう。


「っつーか、お前の担当って第1区ここだったか?」

「いや、後輩が仕事が終わらないって言ってきたから、その手伝いだ」

「ああ、そうですか」


 ヤギのこういうところは本当に出会った頃から変わらない。この島に来る前は、ヤギのこんな性格に何度も救われてきた。それに甘えていてはいけないと思っていても、実際はヤギを頼りにしてきたことは多くあった。


「ラトはこんな所でなにやってるんだ?」

「面倒事だよ。巻き込んでやろうか?」

「勘弁してくれ。俺、仕事が終わったら茶房の所に行くんだ」


 幼馴染の1人の名前を聞いて、ラトウィッジは瞬時にヤギが茶房の所に何をしに行くか予想がついた。


「まさか、試食会か!?」

「おう、茶房の新作を食いに行く」

「俺も連れていけ!」

「ラトが何の予定も無かったらそうしてた」

「くそっ! 茶房に何品か置いとけって言っといてくれ!」


 茶房の料理はラトウィッジが知っているだけでも1番美味いと胸を張って言える。アーネスト達と4人で暮らしていた時は茶房の手製料理をよく食べていたものだ。しかも元々が凝り性なものだから、ほとんど毎日が見たことも無い料理ばかりだ(リクエストすればそれを作ってくれる)とにかく茶房の作る料理は特別美味いのだ。


「ははっ ラトの面倒事はだいたいが1日じゃ解決しないもんな。ヒツジの時が珍しいくらいだ」


 ラトウィッジはヤギから「ヒツジ」という言葉を聞いて眉を顰めた。というのも、ヒツジのラトウィッジに対しての最初の印象が最悪なものだったため、出会う度に悲鳴を挙げられるからだ。たまったもんじゃない。


「ヒツジの奴、最近かなり慣れてきたな」

「まぁな。初めはオートバイの下敷きにたなってたけど、今じゃ力を使いこなしてるし…けど、やっぱり俺達みたいな移動の仕方はできないみたいだけど。俺、いつも教えてるんだけどなあ」


 初めてオートバイを購入した時は、ヤギか他の郵便局員の力を借りなければ起こせなかったのだが、それでも今では軽々と引き起こせるようになったようである。力を使いこなしてるのだろう。ただ、ヒツジは怖いと言い、未だに島民達の主な移動手段である建物から建物へ飛び移るような移動はできないようだ。


「お前の教え方が悪いんだろ?」

「なんで?」

「お前のやり方は、俺にもできん。と言うか、誰もできんぞ」


 正直、ヤギの脚力は島内でもトップレベルだ。島の中で1番高い建物の団地の屋上に到達するまで1秒も掛かっていないのではないだろうか?実際に測ったらことは無いので、また今度機会がかれば測ってみようではないか。


「それじゃぁ、俺はそろそろ行くからな」

「おう。あ、茶房にはちゃんと言っておいてくれよ!」

「わかってるって!」


 そう言い終わるか終わらないかのタイミングで、ヤギは隣の建物に飛び移る。隣の建物の窓の淵に手を掛けると、手を振るのでラトウィッジはそれに応えて手をヤギよりも小さく振ってみせる。すると、ヤギは満足したのか満面の笑みを見せてから次の建物に登り姿を消した。


「………はぁ…茶房の飯、久しぶりに食いに行こうかな……?」


 ココ最近茶房に会っておらず、しかも不規則な生活が続いていたラトウィッジはそう呟いた。高い秋の空は、そんなラトウィッジの気持ちを知ってか知らずか、とても綺麗だ。この島に来てもう10回も秋を過ごしている。それなのに、どの秋の空もラトウィッジは綺麗だと感じている。


──綺麗なものに俺は、いつだって憧れるんだ。

  ああ、やめやめ。何考えてんだか。俺は俺なんだ、そんなこと気にする必要なんて無い。


 彼は少し自虐するような笑みを浮かべて、携帯灰皿を取り出して煙草の火を消した。ジュッという音を聞いて、頭を振ったラトウィッジはもう次の瞬間には何の迷いもない、自信ある顔付きになっていた。


「さて、雨達は学校に間に合ったんだろうか?」




────────────




【島地高校・正門】



「間に合った……」

「そこまで急がなくても、俺達なら余裕で行けるだろ?」

「あのなぁ…」


 ラトウィッジの心配は、雨は晴に引きずられるような形で高校に登校していたことで杞憂に終わっていた。今の雨の格好は、朝とは違ってこの島では少し目立つ学ランだ。それが猛ダッシュで走る男子生徒に、それ以上の長身を誇る彼が引きずられていく光景は、珍妙だっただろう。

 しかし、そんな好奇の目に晒されてもなお走った晴は、始業まで後少しというところで学校に到着することができ、安堵の溜息を吐く。一方の雨はというと、遅刻の危機など心底道でもよさそうにしている。教室の前に来た時、晴は小声で雨に尋ねる。ここに来るまでに、聞くかどうか迷っていたのだろう。晴がソワソワとしていたことには、何となく気が付いていた。


「なぁ、雨」

「なに?」

あの変・・・なの、何かわかるか?」


 あの変なのとは恐らく、いや確実にあの連れて帰った肉塊のことだろう。

 雨は霧の願いを聞いて、着いて行き、霧のやりたいことを手伝っただけだ。アレが何なのかは全く知らないし、そもそもあまり興味がない。霧が満足したのならそれでいいかと思う程度だ。雨は晴に、アレが何かは知らない、と適当に答えて自分の席につく。晴は納得がいかない様子だったが出てきそうになった言葉を飲み込んだ。これ以上何か言っても、雨は何も言わないだろうから。

それから、いつもの日常だ。友人達と当たり障りのない会話をするのだ。そうこうしているうちに、担任がやって来る。そこからはいつもと同じような授業…ではなく、テストが始まった。


──もしも、アレと同種がこの島にいたら…って思ったけど、ちょっとそれは怖いな。


 ぼんやりと窓を見て、雨はずっとそんことを考えていた。雨は肉塊のことについて考える。しかしついぞ、姿と声を忘れてしまった彼については思い出すことは無かった。


 この数時間後、テストを終えた島地高校の生徒達は担任達にすぐに帰るように伝えられたのだが……その詳しい理由・・を、知らされることはなく、雨はただパニックになった生徒達の波にのまれるだけだった。


「…………」

「おい、雨! 早く行くぞ!」

「いや……今、アンリが……気のせいかな?」


 晴に手を引かれる雨は、何度が見たことのある背中を見かけたが気のせいだ、と頭を振る。あの真面目な優等生が、こんな非常事態時に逆走して2階に行くはずがない。雨はアンリに見えた陰を頭の隅に置きつつ、特に焦っている様子の2年達に感化されて、逃げ惑っている生徒達の波に飲まれて行った。

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