彼
【今朝・第1区 第1棟出入口前】
「──で? どこに行こうとしてたんだお前は…?」
雨は晴の目の前で正座をさせられていた。
「……遊びに」
「テスト! 今日! ほら支度しろよ、学校始まるから」
えーとか嫌だーとか言っている雨を無理矢理引っ張って部屋へ行こうとするが、そんな雨を引っ張って晴から引き離し、外へ行こうとする霧を見て晴は溜息を吐いた。
昨日、学校を休むとかなんとか連絡してきた雨をここで待ち伏せていた。ギリギリの時間になるまでに出てこなかったら部屋まで突撃する予定で。そして雨は外へ出てきた。出てきたのだが、雨はまるで旅行にでも行くかのような鞄と、ピクニックにでも行くかのような籠と水筒を肩から掛けている霧を連れていたのだ。
「じゃあさ、こうしよう」
霧の力が抜けてきたのを見計らい、勢いよく引っ張ってエレベーターまで向かうが、その途中で晴の動きは止まった。後ろを振り向くと、雨が床のタイルとタイルの間にある僅かな窪みに指を掛けているではないか。雨と晴の力の差は歴然、これ以上雨を引っ張るのを諦めることにした晴は、大人しく雨の案を聞くことにした。
「霧が見たいものを見れたらすぐに学校に行く、心配なら晴は付いてきたらいい!」
「は?」
何言ってんのかさっぱりわからない、と晴は口を間抜けに開く。というより、なんでそれで晴が納得すると思っているのだろうかコイツ。いやいやいやそれよりも、そんなことすれば晴だってテストを受けることができないのだが、雨はそれを理解しているのか?していないんだろうな。
「いや、俺達なら全力で走れば間に合うだろ」
「ソイツの見たいものを見るだけに、そんなケース持ってる奴が何言ってんだ」
「すぐ終わるって」
なんて楽観的なんだろう。怒りを通り越して、むしろ呆れる。しかし、これ以上無理矢理雨を連れて行くのは無理だ。力の差がありすぎて、そんなことはできない。
「ほう? 痴話喧嘩ですね?」
「!?」
3人が引っ張ったり引っ張られたりしていると、そのすぐ側から少女の声が聞こえる。3人が声が聞こえた方を向くと、髪を2つに括った少女がこちらをニヤニヤと見ていた。
「霰…!」
「痴話喧嘩じゃねぇよ!」
霰と呼ばれた少女は通学用の鞄を肩から掛けているのを見るに、これから彼女は登校するのだろう。
「それよりも兄さん方、私もその
「……いや、学校行けよ」
「酷いです! 私も学校をサボ…少年の役に立ちたいのです!」
「おい、サボるって言いかけたぞコイツ!」
霰は吹けもしない口笛を吹く。雨と晴よりも1つ年下の霰だが、雨と晴が小学4年生になるまでは一緒に暮らしていたので、3人とも互いに顔見知りだ。だが、霧はそうではない。3人を不思議そうに見ていると、その視線に気が付いた霰が霧の手を取る。
「さぁ! 行きましょう!」
雨を引っ張る霧に力を貸し、一緒に引っ張る。それに雨の力も加わって晴1人では雨達を引き止めることができない。逆にズルズルと引きずられてしまう。ああ、大変なことになってしまった。こんなはずでは無かったのだ。しかしそうなってしまった、晴の計算外は霰が来てしまったことだ。そして何故か、晴まで雨達に付き合うことになってしまったことだ。
──高校、及び中学の始業時間まで、あと50分──
「なぁ、俺は何でついて行かなきゃならないんだ?」
「え、晴兄さんは雨兄さんの保護者でしょう?」
「お前、マジでいい加減にしろよ」
霧を先頭にして、路地裏を4人の珍妙な集団が歩く。霰は特にキョロキョロとして落ち着かないようだ。
「ところで、あとどのくらいでつきそうなんだ?」
「あともう少し、だと思う」
雨は後ろの晴と霰のことを気にせず、霧に声を掛ける。霧は雨の問に答えるが、少し曖昧だった。というのも、初めての路地裏で少しの間しかいなかったため、場所がよくわかっていないのだ。そして、出発した地点もだいぶ違う。だが、霧の足には迷いはない。止まっていても意味もないということはよくわかっているし、止まる気なんてない。迷ったらその時だ。
「そういえば、小学校はどうしたの?」
「あ、学校閉鎖で……」
急に霰に話し掛けられた霧は、雨の服の裾を握りながら霰の質問に答える。霧は雨の2人も付いてくるなんて考えていなかったせいか、少し気が引けていた。それよりも雨は学校を休むと言っていたから、朝に雨と2人で2人分のお弁当を作っていたのだが、足りるだろうか。というか、雨は昼まで一緒にいてくれるのだろうか。少しだけ晴があそこで待っていたことを恨む。
「やっぱり殺人鬼が捕まっても、まだ物騒だもんな」
「そうですよね。殺人鬼の次は傷害犯ですもんね」
「雨兄さんがいるなら、安心安全ですけども!」
「おー、任せろー」
「そいつが雨より強くないことを願う」
雨の覇気のない声ではまるで泥船に乗ったような気分になる。しかし、現状では雨に頼るしかないのだ。雨はなんだかんだ言って役に立つ。それは組織に勧誘される要因の1つだ。
「っていうか、なんで握り飯食ってんだよ!」
「弁当作ってたから朝飯食う時間無かった」
「お弁当作り楽しかったねよね、雨兄」
「そうだな」
雨からパリパリと音がしている。握り飯の中身は、雨の1番気に入りの漬け物、沢庵だろうと推測する。ちくしょう、美味そうに食いやがって。すると、雨が晴に握り飯を差し出す。
「はい」
「いや、なんで」
「食べたそうにしてたから。いらないんならいいけど?」
「……貰っとくけどさ……」
本当にマイペースな奴だ。雨に溜息を吐いてみせるが、しかし腹は減っている。晴は雨からおにぎりを受け取る。早速一口、ラップを外して食べる。
「マヨネーズと沢庵か……」
「これが意外と美味いだよな」
「ツナマヨ派だな」
「晴兄さんってば、素直じゃないですー。美味しいなら素直にそう言えば良いのにいだだだだ痛い痛い! 頭が割れます! 取れます!!」
「いっそのこと取って新しい頭に取り替えてやろうか?」
「私、あんぱんじゃありません!!」
ちょっかいを出してきた霰の頭を、晴はおにぎりを持っていない左手で鷲掴みにして左右に振る。そんな2人を見て困惑する霧だが、雨は気にすることなくおにぎりを夢中になってかぶりついている。
──大丈夫なんだろうか、この人達……。
霧は2人を見て止めようかと思案していると、雨が霧を止めに入る。雨曰く、いつものことだから気にするな、と。
「晴と霰って、本人達はよく喧嘩するくせに一緒にいるんだよな」
雨は2つ目のおにぎりを頬張る。2人の気が収まるまでは待つようで、ジッと雨は2人を静観している。霧もそれに倣い、静かにする。首に掛けていた水筒のコップにお茶を入れ、雨に差し出すと、雨は短く礼を言ってコップを受け取った。
「………」
「………」
そうしていくうちに、晴と霰がこちらを見る。
「気は済んだか?」
「いや、止めろよ」
「めんどくさいからヤダ」
路地裏、と言えどいつ人がどこにいるかもわからないような場所だ。聞かれていたら…と思うと、とても恥ずかしい。しかも霧という年下がいたからか、2人の恥ずかしさは倍増する。そして、2人は不毛だとわかっていても、雨に当たるしかなくなっていた。2人の小言を右から左へ受け流し、雨はコップを霧に返す。
「ほら、早く行こうぜ」
「ったくよ……」
少し顔の赤い晴に雨は気が付いたがスルーしておく。こんな時に晴をからかうと後で扱いに困るからだ。
「あ、雨兄! この道、見覚えある!」
霧がそう言うと、雨は頷いた。雨も見覚えがある。いつも中心区に向かう時なんかに使っている路地裏だ。団地近くの大きな道まで行けばいいのだが、それよりこっちの道の方が、学校から団地まで向かって行くよりも幾らかショートカットすることができる。ので、雨はよく使っていた。
──コイツ、マジで俺のこと追いかけてたんだな。
「ええと、この道を進んでたら…そう、この窓から中に入って…」
晴と雨は顔を見合わせると、一緒に窓から中に入った。
「なん…だコレ」
すぐに聞こえてきたのは、晴の驚愕したような声。霰は気になって2人と同じように中に入ろうとするが、すぐに雨に止められる。
「霰はここにいろ。霧」
「うん」
「確認、してもらってもいいか?」
「……うん」
ついに、この時が来たようだ。
霧は深呼吸をして窓から中に入る。外からでは暗くてよく見えなかったが、中に入り目が慣れてくれば良く見える。それを見て、霧は息を大きく吸った。
──やっぱり、いた。
2つの目がこちらを見る。あの肉塊が、あの時と同じようにそこにいた。雨と晴は霧の様子を見てから、これが霧の見たかったものだということを察することができた。そして、晴は雨があの鞄を持ってきていたのか理解した。
「お前達、コレをまさか……」
「霧、やるか」
「うん」
雨が霧に呼び掛けると2人は晴の戸惑いをよそに、それをどうやって鞄に入れるかを相談し始める。肉塊は何か呻いているようだが、2人は関係ない。結局、雨が肉塊を抱えて鞄の口を霧が広げて、中に入れることになった。雨が鞄のチャックを閉めると、そそくさと窓の外へ出る。
「あ、雨兄さん? いったい何が……?」
「……誰にも言うなよ?」
外で待っていた霰は、雨にそう尋ねる。雨はしばらく考えると、霰に見えるように少しだけ鞄のチャックを開ける。ギョロリとした目が霰を見つめたのを見て、霰は小さな悲鳴をあげて尻餅をついた。
「こ、こここここれ!?」
「霧がどうしてもって言うからよ」
「だ、誰にも言わないでください」
霧にそう言われた霰は、こんなの誰にも言えるはずが無い、と悲鳴にも似た叫びを2人に浴びせる。
そんな3人の様子を見て、晴は大変なことになってしまったと、頭を抱えた。
「……とりあえず、警察にでも……」
晴がそう言うと、今まで呻くことしかしていなかった肉塊が叫び出す。その声に4人は思わず耳を塞ぐ。
「な、なに!?」
「…っい、行かない! 警察、行かないからっ!!」
何かに気が付いた霧がそう肉塊に言うと、肉塊はすぐに大人しくなった。いったいどういうことだ?と、霧に尋ねると、霧はすぐに肉塊は警察が嫌いかもしれない、と答えた。だからあんなに叫んでいたのではないか?その証拠に、今はこんなにも大人しい。
「……もしそうだとしたら…コレ、どうするよ?」
「まあ、俺達でなんとかするしかない…か?」
「なんとか、できます?」
霧は鞄のチャックを少し開けて肉塊に大丈夫だよ、と声を掛けている。そんな霧と肉塊を見ながら、3人はコレをどうするかを考える。肉塊は霧の言葉掛けを受けて、落ち着いてきたのか呻き声もほとんど無くなってきていた。
「………今、何時?」
「えーと……」
考えていても仕方がない。今は肉塊のことよりも違うことを考えることにして、現実から少しでも目を逸らそうとする。そうでもしなければやっていられない。おそらく、この肉塊が相当やばいものであり、子供の自分達にはどうすることもできないはず。そんなことを幾ら考えたところで、お粗末な案しか出てこないだろう。
霰は腕時計を見て、時間を答える。あれからもう20分も経っていたことを知り、4人は安堵とも不安とも取れるような息を吐いた。しかし、それぞれの思いがあるにも関わらず、その1番強い思いは不思議とみんな一緒だった。
──なんか、疲れた…。
──高校、及び中学の始業時間まで、あと30分──
「おいおいおい、人の餌に何してくれちゃってんですかー?」
「!?」
4人は突然聞こえた声を探す。
雨が上を見上げると、同い年であろう青年が建物の上に座ってこちらを見ている。顔つきは"凶悪"で、ただの話し合いではこの場を無傷では逃げられないと、彼が放つ威圧感でそう感じることができる。
「晴、霰と霧頼む」
「おう」
雨と晴は小声で作戦を手短に建てると、雨が彼の前に立ち、晴はいつでも逃げられるように霧と霰と一緒に少しづつ後ろへ退る。
「ん? 俺とヤル気か?」
「……餌って何のことだ?」
「あー? ……ってことは、なんだよ知らねぇのか?」
彼は落胆したように肩を落とす。雨が思うに、餌とは十中八九あの肉塊のことだ。しかし、いったい何に対しての?彼には彼なりに目的はあるのだろうが、こちらにはそれが一切わからない。
「まぁ、いいけどさ。とりあえず、それは返してもらうからな!」
彼は懐からナイフを取り出すと、それを雨に向けて振りかざす。雨はそれを寸前のところで受け止めると、反撃をするために拳を振ろうとする。大柄で喧嘩の強い雨の一撃を食らってしまえば、彼は一溜りもないはずだ。そう、晴は思っていた。何故なら雨に勝てる人間を晴は見たことがないからだ。きっとこれからも、雨に勝てる人間…いや、互角に戦える人間はこの第1区には福沢1人だと考えていた。
「っんだよ? 意外とやるじゃねぇの!」
「!」
雨の拳は彼に受け止められた。晴はその時何か、とても不安を感じ取った。雨が負けてしまうビジョンが、晴の頭の中に入ってきたからだ。
道は細い路地裏。体格が大柄な雨に比べて小柄な彼の方が、この場では有利だろう。それに悔しいが、雨の後には
「霧、鞄の中身……」
「い、嫌です。だって、助けてって、言われたから!」
なんてお人好しなんだろうか、この少年は。しかしだ、そう言っている場合ではない。霧が重たそうに持っている鞄の中身である肉塊を彼に渡せば、まだ穏便にことを済ませることができるだろう。例え、この場を難なく撤退することができたとしても、この肉塊がある限り、彼は自分達を襲ってくる。そんな危険なことを晴は素直に「はい、そうですか」とは頷けない。存在もよくわからない肉塊より、友人達や家族達が大切だからだ。
「お前、それがあると俺達以外にも友達とかにも被害が出るかもしれないぞ?」
「うん」
「アイツ、かなり喧嘩慣れしてやがる。雨と互角にやれるなら、他のやつは福沢理事長以外歯が立たないぞ?」
「……うん」
「それでも、匿うのか?」
「た、助けてって言われたから…僕は、助けたい!」
晴もその気持ちは、痛いほどよくわかっているつもりだ。助けてと言われてしまったら、助けないといけないような気がしてしまう。たとえ自分になんの力が無くてもだ。小学校の頃「自分がやられて嫌なことは、人にするな」と言われてきた。でも、それだけじゃいけないことも、晴はよくわかっている。かつての自分はずっと助けを
──わかっている、わかっている……そんなことばっかり言って何もしない……だから、そんなんだから俺はダメなんだ!
「霧、霰…!」
晴は後ろを少し振り向いて、霧と霰に自身の覚悟を伝える。
「……俺達がここにいても、雨の邪魔になる。なら、どうすればいいか、わかっているよな?」
「うん!」
2人の返事が揃ったのと同時に走り出す。雨はそんな晴達を追いかけようとした彼の前に立ち、進路を塞ぐ。
「ってんめ! どきやがれ、この木偶の坊!!」
「悪いな、俺はこういうことには気が利かないんだ」
頭に血が登った彼は、思いきりナイフを振る。雨はすかさずナイフを握っている彼の手首を掴むと、先程とは比べ物にならない速度の速さで拳を奮った。しかし、彼もまた雨と同じような人種である。雨の拳を避けて、手首を掴む雨の手を蹴り上げる。それを見た雨は、コレをまともにくらうわけにはいかないと、手を離してすぐに数歩後ろへ飛び退いた。
「……マジでなんだ、お前?」
「それは俺の台詞だ。俺と同じくらい強い奴なんて初めて見たぞ」
「はぁ? これだから第1区の坊ちゃんは、平和ボケしてやがるよなぁ!
彼は雨にナイフを投げつける。それの柄を難なく掴み取った雨は、眼前に迫る彼を見て、彼と同じようにナイフを投げつけようとする。しかし、それは呆気なく避けられる。
「慣れねぇことすっからだ!
しかし、そんなことで負ける雨ではない。雨は殴り掛かろうとする彼の腕を受け流し、そのまま彼を地面に転がす。一瞬何が起きたのかわかっていなかった彼は、自分が地面に倒れていることに気がついて、更に頭に血を登らせて懐から2本目のナイフを取り出した。
「慣れないこと、するからだ」
「殺す! ぜってぇにコロォス!!」
周りがどうなろうが、知ったことではない。ただ、今はこの目の前の男に一泡吹かせる。それしか2人の頭には無かった。おそらく、雨と戦う彼の頭にはもう肉塊のことは綺麗さっぱり消えてしまっているのだろう。晴達を追いかける素振りもない。一方雨は、初めての苦戦する戦いに胸を高鳴らしていた。いつものように、力を制限しなくても良いと考えれば、興奮しない方が無茶な話だ。
2人を囲んでいた建物も、2人の戦いでボロボロになっている。このままではこの辺り一帯は、あたかもなく崩れ去るだろう。だが、そんなことは関係ない。今、決着をつける。そうでないと引き下がることなんてできやしない。2人は渾身の力を込め、雨は殴ろうと、彼は切り掛かろうとする。がそれは2人の間に入った、突然の白い乱入者によって止められてしまう。
「お前ら……辺りを見てみろ。
このままだとマジで福沢の奴に喧嘩を売ることになるぞ?」
「なぁっ!?」
「ラトウィッジさん!?」
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