様々な場所で
「ジョン・ドゥ、魚釣れた?」
「釣るのめんどくなったから、潜った」
「ちょ、風邪ひくよ?」
灯台から出て、少しした場所でジョン・ドゥは昼飯用の魚を捕っていた。服も脱がずに潜ったため、全身びしょ濡れになっている。そんなジョン・ドゥに呆れた顔を見せた灯台守は、すぐに灯台の中にすぐ戻りタオルを用意する。
「ほら、中に入る前にちゃんと拭いてよ。あと、レインコートはベランダで乾かしておいて。洗濯機に入れたら怒るから」
「おう。灯台守、魚はどうする?」
「私が冷蔵庫まで持っていくよ」
「悪い」
灯台守はジョン・ドゥから2匹の魚を渡されると、持ってきていたタオルを渡す。
彼女がここへ来てだいぶ時間が経った。団地島での生活も、すっかり慣れてしまった。彼女の仕事といえば、港での商売取引の許可、影の後始末。あとは、家事全般。それだけをこなしていれば、お金に困ることなんて無かった。
「おい、灯台守! 着替えどこだ!?」
「全裸のままこっちくんな!!」
ジョン・ドゥのためにお風呂を用意していると、灯台守の前に全裸のジョン・ドゥが現れた。咄嗟にお風呂の浴槽を洗っていた灯台守は、洗うために使用していたスポンジをジョン・ドゥに投げつける。それを軽々と掴み取ったジョン・ドゥは、これまでの生活で灯台守がどうしてこんな反応をするのかよくわかっているため、すぐにタオルで身体を隠した。
「……着替えなら、私が用意するから……ガスは使いすぎないようにね」
「わかった」
島での生活は、彼女にとっては素晴らしいものだった。誰に何を言われるでもない。やるべきことをやっていれば、彼女は自由の身なのだ。治安は悪いが、それも然したる問題ではない。こういう言い方をするのは悪いと思っているが、ジョン・ドゥという男の存在は灯台守にとって都合が良かった。彼は灯台守のことをいつだって守る存在であり、第2位であるため彼が負けることは考えてなどいない。信用していると言えば、先程とは違って良い言い方なのだろうか。
「ふぅ…」
灯台守はゆっくりと溜息を吐いた。生活を始めてからだいぶ慣れてきたといっても、やはり少し息が詰まりそうになることがある。
「ん? 灯台守、コレなんだ?」
「それ? アーネストが持って……「高校に行かないか」って」
「コウコウ?」
お風呂から上がったジョン・ドゥが見つけたのは、先日丁度ジョン・ドゥが『Calme』に言っていた時に、タイミングを見計らったかのようにアーネストが持ってきた、学校案内の用紙だった。
「「学校に来ない?」って、アーネストが面倒くさそうに持ってきたから、誰かに頼まれたんじゃない?」
「ガッコーって確か、勉強する場所だよな?
ふゥーん……行くのか?」
「……あんまり乗り気じゃないかな」
「そっか」
学校には行く気は無いと伝えると、見るからにジョン・ドゥの表情が明るくなった。ニカリと笑ったジョン・ドゥはそっか、と繰り返し頷いて頭をタオルでガシガシと乱暴に拭く。
「ジョン・ドゥ、そんなに乱暴に拭いたら髪が傷む」
「は? 髪とか別にどうだっていいだろ?」
「良くない。タダでさえ天然パーマなんだから、しっかりしておかないと」
灯台守はジョン・ドゥからタオルを取り上げると、ジョン・ドゥの背後に立ち丁寧に頭を拭き始める。その灯台守の行動に、暫く固まったが、すぐに満足気に笑う。誰かに自慢してやりたい、今すぐにでも。この際、少々苦手意識のあるアーネストでもいい。とにかく自慢したくてたまらないのだ。
それにしても、何故アーネストは面倒くさそうにしながらも、この学校案内の用紙を灯台守に渡しに来たのだろうか。頼まれていたとしても、あの面倒くさがり屋で人を小馬鹿にしたかのような言動、態度をとるあの男がそこまで面倒くさいのに、誰かの頼みごとを聞いて来るはずがない。これには
「灯台守は何でもできるな」
「……そんな訳ないじゃん」
「料理も洗濯も上手いし。灯台守が嫁なら本当に自慢できる」
「はいはい。煽てられても、結婚はしないからね」
連れない灯台守の態度に口を尖らせたが、いつものことだ、と気持ちを切り替える。灯台守は、なんというか不思議な人間だ。優しいのか、厳しいのかわからない。しかし厳しい時はいつだって灯台守が正しかったということが常だ。茶房は灯台守の
灯台守に恋というものをしてから、彼は灯台守のことをずっと考えていた。しかし、灯台守はどうなんだろう。もしかすると、自分のことはどうだっていいとすら感じているかもしれない。
──それは、嫌だな。
しかし、人の心を変えるのは難しい。だからジョン・ドゥは灯台守が自分を好きになってくれるまで待つと決めた。まあ、灯台守に言い寄る男が現れた時は全力で阻止するつもりではあるが。
────────────
【第1区 島地小学校】
「霧ちゃん、やっと預かってもらえる場所決まったの?」
「うん」
帰りの会が終わった後。霧の教室にやって来た少年は、同じ養護施設の青空だ。2人は毎日一緒に登下校をする中でもある。
「どうだった?」
「どう……? なんか思ってたより、こう……」
「優しかった?」
「多分」
青空はそっか、と頷いた。
霧は元々そんなに喋ることがないので、誤解されてしまうことがあるが、人と関わることが好きな男の子だ。それをよく知っている青空は、霧が興味のありそうな話題を喋る。霧はそれに頷いて、たまに一言二言返事をする。これを繰り返してあと少しで第1棟という所で、前方に見知った少女を見つけた。
「あ、霞!」
霧と青空が見つけたのは、同い年の霞だった。霞は長い前髪を揺らしながら後ろを振り返る。
「あ、霧くんに青空くん……」
「1人で帰ってんの?」
「うん、雪姉ちゃんはお迎え来れないって」
雪姉ちゃんとは、霞を預かっている少女のことだ。雪は少し霞に対して過保護なところがあるからか、帰りの時間が近い時は必ず迎えに来ているのを、霧と青空は見ていたので、今日のように昼までの授業を学校が全てしている日には、その隣を歩いているはずだ。それにこの午前下校をすることになったのは、殺人鬼が出没したからだ。雪は余計に心配だろう。
「じゃあ、俺らと帰ろうか!」
「そうだね、3人で帰ろう! 霧くんも良いよね?」
「うん、いいよ」
3人のランドセルが横一列に並ぶ。
「あ」
声を発したのは、霧だった。霧は路地裏へ入って行く雨を見つけたのだ。青空と霞もそれに気が付き、足を止める。
「知り合い?」
「預かってもらってる人」
「なんで路地裏入ったんだろ?」
3人は首を傾げて路地裏を覗く。
暗い。昼間だというのに、まるでもう夕暮れ時のようだ。しかし、3人はこんな場所でも魅力を感じた。3人は顔を見合わせると、互いに頷き合う。
「なんか、ドキドキしない?」
「路地裏は普段入らないかな。霧ちゃん、大丈夫?」
「うん」
先頭を歩く霧は、ゆっくりと歩く。路地裏は何があるかわからない、と園長姉ちゃん、園長兄ちゃんそれから学校の先生からよく言い聞かされている。だが、やるなと言われたらやりたくなってしまう。3人はヒソヒソと話しながら、雨を追いかける。
「確か、この方向って中心区じゃなかったけ?」
「中心区? 私、あんまり行ったことないんだけど…路地裏通るの?」
「ううん。団地の横に大きな道あるから、そこから行ってる」
「けど、団地はここから離れた所にあるよ……?」
青空と霞がヒソヒソと話しながら歩いていると、急に霧が立ち止まる。霧が急に止まってしまったため、その真後ろを歩き、更に後ろを歩いていた霞に青空がぶつかり、2人はその場に転んでしまった。
「なにしてんだよ、霧ちゃ……っ!」
「しー…っ」
霧は大声を出す青空の口を塞ぐ。霞にもわかるよう、霧は口に人差し指を当てる。3人が静かになると、路地裏のすぐ近くから
「そこの空き家に入ろう」
小声で青空がそう言うと、慌てて尚且つ静かに窓ガラスが割れている空き家の中に入る。
カラカラ…
カラカラ…
カラカラ…
──見つかりませんように!!
3人はギュッと目を瞑る。しかし3人の思いとは裏腹に、その音は隠れた空き家の前で止まる。数秒が数分にも感じることができた。また金属の音がし音が遠ざかった時、みんなが同時に止めていた息を吐く。新しい酸素を肺の中に入れ、また吐いて…それを何度か繰り返して、青空が外の様子を確認しようとした──のだが、身体が動かなかった。窓枠に手を掛け、あとは立ち上がるだけ…なのにだ、青空の両隣にいる2人が息を飲んだのがわかってしまった。見てはいけない。動いてはいけない。だって、そう。そうだとも…窓枠に赤い液体が付いているのも、それが自分自身の服を汚していることも、それがまるで引きずられたかのように、部屋の中にのびていることも。そうすれば気が付かない、知らないままでいられる。青空は意を決して立ち上がり、外を見た。
「…だ、誰もいない……」
青空はホッと息を吐いて、今度は後ろを振り返るだけだ。両隣の2人がそこまで騒いでいないとなると、今すぐに逃げなければいけないようなことは無いはずだ。ゆっくり、ゆっくりと後ろを振り返る……。
「……なに、これ…?」
想像し、見ることに覚悟していた
赤い肉の塊。それはかろうじて人間だとわかる。グチャグチャになって、下半身も上半身も無くなっている。肉団子になっている。普通ならば死んでいる。死んでいるはずなのに、それの剥き出しになった心臓は力強く動いている。瞼のないギョロ目が3人を捉えて離さない。
「あ、青空くん……っ」
霞が口を開いた。青空は目線を霞にやると、すっかり怯えた様子の霞がどうすればいいか目で訴えてくる。
「に、逃げろぉ!!」
青空の大声で、固まっていた霧と霞の身体が動く。すぐに窓から、霞、青空、霧の順番で外へ出た。
た、す……け…て……。
霧は後ろを振り返る。塊が手らしき物をこちらに伸ばしているのが見えた。
「霧ちゃん、早く!」
「で、でも……!」
「霧くん!」
2人に手を引かれた霧は、そのまま路地裏から出た。
あれはいったい何だったんだろうか。息を切らした3人は、あの塊のことを考える。そして、霧はあの塊が発したと思われる声を思い出す。
「……最後、喋らなかった?」
「え? 霧ちゃん、なんか聞いたのか?」
霧は青空の質問に頷いた。青空と霞はそんなもの聞いていない、と首を振る。
あれは気の所為だったのだろうか、と霧がもう一度路地裏を見る。カラカラと金属の音が聞こえたような気がする。カラカラと路地裏の道を引きずる音が聞こえたような気がする。
「なぁ、あれ何だったと思う?」
「わかんない…けど、影じゃないような気がする」
「そうだよな。影だったら俺達もう死んでるし」
青空と霞がそんなことを話しているが、霧には全く耳に入ってこなかった。ただ、ジッと路地裏をみつめるだけだった。
────────────
【第3棟 105号室・探偵事務所】
「悟子さん、ヒツジさんがいらっしゃいましたよ」
ヒツジは何日かぶりに探偵事務所を訪ねた。そんなヒツジを、悟子と助手は快く迎え入れる。
「いらっしゃい! 仕事はどう?」
「はい、郵便局のみんなはとても良い人ばかりで……今日はこのお手紙届けに来たんです」
「え、じゃあまだ仕事中?」
悟子は仕事中のヒツジを引き止めてしまったと感じ、すぐに謝る。しかし、ヒツジはそうではないと首を振った。
「いえ、これで最後なんです。探偵事務所は私の担当区域に入っていませんけど、どうしても届けたいって局長に言ったら許して貰えて…どうせならお話してきなさいと……」
局長の粋な計らいによって、ヒツジは探偵事務所に訪れることができた。
あの夏の日の出来事があってから、ヒツジは元の時代に帰ることができるまで、郵便局に勤めることとなっている。局長や自分の面倒を見てくれているヤギに迷惑を掛けまいと、仕事に打ち込んでいたのだが、それがかえって局長の心配を煽ったようで、こうやってヒツジが息抜きできる場を作ったのだろう。
「あれ? お仕事だったんですか?」
ヒツジは机に広がる資料の山を見て、悟子に尋ねる。仕事中だとしたら、悪いことをした。
「いいのよ、ひと段落したとこだし。ね、助手?」
「そうですね。悟子さんが面倒くさがらなければもっと早く終わってました」
助手が紅茶を用意しているのが見えたヒツジは、何か助手を手伝おうとキッチンへ向かうが、悟子に止められる。
「助手、最近紅茶をいれるのに凝ってんのよ。ゆっくり待とう」
「悟子さんがそう言うなら……。
今回はどんな事件なんですか?」
「アーネストから「調べておいてくれ」って頼まれてさ。ほら、第1区の殺人事件。なんか、後々役に立つとかなんとか……これで報酬が貰えるなら何も言うことはないけど……アーネストの依頼だから、なんか……」
アーネストの持って来る案件はいつだって面倒事だ。自分が面倒だと思った調べものを、探偵である悟子に依頼という名目で、押し付けているのだ。そのことを充分理解している悟子は、どうもアーネストからの依頼にはいつだって手を付け辛いと感じてしまう。
「殺人事件…確か、そのせいで郵便局の早朝出勤が一時的に中止されてて……ヤギさんが局長に詰め寄ってました」
「ヤギは第4位だから、早朝出勤ありだったの? そりゃ怒るわ……」
「いえ、ヤギさんも問答無用で無しに…それでヤギさんが、仕事欲しいと」
「あ、そっちなの!? ヤギってワーカホリック!?」
早朝出勤ができない分、ヤギは昼間の仕事量が増えたのだが、いつも元気に出勤してくる。確かにワーカホリックなのかもしれない。というか、そうなんだろう。噂によれば、朝日が出ていない時間帯から仕事をしているそうだ。本人に直接聞いたことは無いが。
「悟子さん、クッキー開けても?」
「あ、缶に入ってるやつにして」
キッチンから助手の声が聞こえる。そのやり取りから暫くして、助手が紅茶と缶に綺麗に並べられたクッキーを出てきた。
「これ、美味しそうですね」
「アーネストが前料金ってことでくれたのよ。あ、美味しい…」
さっそく悟子がクッキーを食べる。
サクッといういい音が聞こえ、口の中で広がるバターの味を味わう。甘すぎないクッキーは、紅茶との相性抜群で、1枚食べるとまた1枚が欲しくなる。
「助手くんの紅茶も美味しい。どこで買ったの?」
「牡丹で買いました。限定商品で、ちょっと高かったんですけど、そう言って貰えるなら買って良かったです」
悟子の隣に座った助手に、ヒツジが紅茶の感想を言うと、助手は嬉しそうに笑う。
「助手が紅茶いれるのが上手いってのもあると思うよ?」
「助手くんは何でもできるから、羨ましいなー」
「ほとんど悟子さんにお世話になってから練習したんですけどね」
「いつの間にか、お世話
助手の家事スキルには、ヒツジも驚かされる。全てこの島に来てから身についたもので、来る前は包丁すら持ったことが無かったと言うのだから驚きだ。
「初めは、お米を洗剤で洗うような子だったのにね」
「あの時の自分はどうかしてました」
2枚目のクッキーを食べながら、悟子はあの頃の助手を思い出す。あの頃の助手は手のかかる、生活力の欠片が微塵もなく。一人暮らしがこのままだと絶対にできないと感じ、徹底的に家事全般を叩き込んだのだが、案外凝り性な性格だったからか、今では悟子よりも家事全般が得意になってしまった。
「これが
「何言ってるんですか?」
そう言えば、と悟子はアーネストに貰った資料に混じっていた用紙を思い出す。学校案内の用紙だ。きっと、悟子に会わなければ、今頃助手は学校に行って、友人達に囲まれていたはずだ。助手はやろうと思えば何でも器用にこなすことができる。学校でも上手く立ち回れるだろう。頭も悪くない。だからこそ思う、助手を学校に行かせてあげられたら、と。アーネストも、別に意図してこれを渡したわけではないだろうけれど、悟子にそのことを考えさせるきっかけとなったのは確かだ。
「そう言えば、道先案内人くんがよく仕事を手伝ってくれるんですよ」
「え、道先が?」
「1回道に迷っちゃって……それからよく一緒に仕事をしてくれて」
助手は道先案内人が無料で異能を使うのは珍しい、と驚いた。いったい何があったのだろうか。
「まあ、そのかわりにオートバイの後ろに乗せるのが条件なんですけど」
「オートバイに……」
この島では乗り物に乗る人はかなり珍しい。ほとんどが徒歩か電車で移動している。オートバイが珍しいというのもあるのだろう。しかし、力が無く、遠出をする時はいつでも電車を利用している道先案内人からすれば、オートバイは自分達と同じような感覚になれる機器だと感じているのかもしれない。
「……道先のこと、これからもよろしくお願いしますね」
「うん、もちろん」
ヒツジがそう言って微笑むと、助手はホッとしたように息を吐く。道先案内人は、少し情緒不安定だから支えてくれる人間が増えることを助手は嬉しくおもうのだ。
そう言えば、道先案内人はこの間からアーネストに雇われたと言っていたはずだが……どうなったのだろうか?
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