第2章 第1区の華麗なる日々

島地高校

「俺、漬物屋になる」


 学校の教室で、雨は思いついたようにそう呟いた。もちろん周りにいる友人達の反応は微妙なものだ。


「雨、それはない」

「漬物美味い」

「そうだね、美味いね。でもそうじゃなくてだな…」


 島地団地島の第1区にある、福沢と名乗っている男が設立した島地高校では、今日もいつもと変わらない日々が続いていた。

 最近では随分と涼しくなり、カーディガンを着用している学生が多くなった。しかし、同じ高校に通っているにも関わらず、彼らの着ている制服は様々だ。というのも、この島の学校では決まった制服は指定されていない。彼らはお下がりのものだったり、それらしい服を着ているのだ。

 雨は養護施設の中でも特に仲の良かった人物からのお下がりだ。この島で学ランを着ている学生は少なく、雨はその身長も相まって、他の学生よりも目立っている。


「っていうか、雨ってボブロフ組織の人に勧誘されてなかった?」

「んー、されてたけど……なんかなー、園長姉ちゃんがもっと良く考えろって」

「考えた結果が漬物屋なのか?」


 雨の幼馴染である晴は呆れながら溜息を吐いてそう言った。

 しかし、雨はそんな晴のことなど全く気にせずに頷く。その漬物への熱は何なのだろう。普段はのんびりとしていて、他よりも行動がワンテンポ遅れる雨だが、こういう訳のわからない時だけは、何故か積極的だったりする。10年以上の付き合いである晴ですら、雨の思考回路のことはよくわかっていない。


「まぁ、雨がしたいことしたらいいと思うよ」

「雨がやることって、のちのち伝説になるからなー」

「お前達はそうやって雨を甘やかして…」


 そう言って雨の将来の夢を応援する友人達を見て、晴は頭を抱えた。


「でも、まだ俺達って高1だしさ。そこまで真剣じゃないって」

「だと良いんだけどな…」


 本当にそうだったらいいのに。雨の一時の気まぐれであれば、どんなに良いだろう。

 晴は今までの雨の奇行を思い出す。幼い頃に、何故か学校の塀に習ったばかりの漢字「雨」をデカデカと何度も書いていたこと。ランドセルを手を使わずに頭に載せて家に帰って来たこと。ごっこ遊びをしていた女の子から貰った泥団子を本当に食べたこと。中学の入学式で遅刻した挙句、10数匹の猫を連れて来た時のこと。喧嘩が妙に強くなり、ボブロフ組織に目を付けられたこと。数えるとキリがない。


「雨、もう少し真剣に考えとけよ」

「わかった」

「本当にわかってんのか?」


 天井を見上げながら返事をする雨に、晴は今日で何度目かの溜息を吐いた。


「本当なんだかなぁ…アンリの奴を見習って欲しい」

「アンリ……って確か、隣のクラスの?」


 そういえばそんな奴がいたな、とある意味目立つ同級生を思い出す。




────────────




「アンリ、こっちはもういい。次は向こうを手伝ってくれないか?」

「はい、先生」


 アンリと呼ばれた青年は、花に水をやっていた。

 いかにも好青年であるアンリは教師からの印象も良く、自ら手伝いなどをするものだから、学校中の様々な人間達に頼られていることが多い。面倒事も何でも引き受けてしまうため、学校ではある意味目立つ存在なのだ。


「さて、あとはこれを…」


 今日は花壇の整備だ。園芸部が圧倒的に少なくなり、手入れがなかなか進まなくて困っていたそうだったので、これも自ら立候補した。


 秋の風がアンリを撫でる。

 そういえば、あの事件はどうなったのだろうか。ふと思い出したのは、ここ最近この第1区に現れた殺人鬼。大人子供関わらず何人も殺されているらしい。しかし、中には殺されはせず重症の怪我を負って第10区の病院に運ばれている人々もいるそうだ。その怪我人の証言によると、犯人は顔を隠すことをしていないのに関わらず、その姿を思い出せないとのことだ。


 アンリはレンガの花壇を指定された場所まで運ぶために持ち上げる。そこから数匹の虫やミミズが出てくるのを見ながら、アンリは息を吐いた。涼しくなったとはいえ、身体を動かすと熱くなってくる。


「えーと、確かこれを玄関前に持って行くんだったはず」


 アンリがレンガの花壇を持って玄関まで進むと、1人の少女を見つける。少女の目には涙が貯まっていて、何かがあったことは明らかだ。もちろん、アンリはその少女に話し掛ける。


「キミ、どうかしたのかい?」

「……あ、えっと…アンリ先輩?」

「僕のこと、知っているの?」

「いろんなことをしてくれる先輩だって…有名だから…」


 そうなんだ、とアンリは初めて知ったと目を見開いた。本当に自覚は無かったのだが、そう言われてみれば知らない人に話し掛けられることが多いのはそのせいか、と納得する。


「……あの、先輩は学校の中でも強い人だって聞きます」

「え? でも、僕はそんなに強くないよ。喧嘩もしたことないし」

「けど、校内でもできないこと、いっぱいしてるって…」


 確かに、人を手伝う時に力を使うことは多くある。しかし、だからといって強いということではないのだ。


「……お願いがあるんです」

「僕に? 僕にできることなら、何でもするけど…?」

「…あの、殺人鬼を捕まえるのを、手伝って欲しいんです!」

「…………………え?」

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