郵便局或いは探偵事務所

 オートバイのエンジン音が聞こえる。

 ヘルメットとゴーグルをしたヒツジはそれに跨ると、仕事へ向かう。本当はもう少し小さなバイクが良かったのだが、これしか無いと言われ、仕方なくオートバイを使っている。


 ヒツジがこの島地団地島に来て、もうすでに1ヶ月が過ぎている。秋の季節を感じさせる第5区でオートバイを走らせると、郵便屋の制服が靡く。そうして暫くするとヒツジは目的の場所に到着した。


「おはようございます!」

「おう、ヒツジ。今日も早いな」

「ヤギさんに比べたらまだまだですって」


 第5区にある郵便局に着いたヒツジは2階にある事務所内に入り、元気よく挨拶をする。今この場にいるのはヤギだけで、ヤギはすでに郵便鞄の中に自分が担当する郵便物の確認をしているようだ。

 ヒツジはあれからヤギや郵便局局長にはよく世話になっていた。住むところは悟子達が手配してくれ、第5棟の604号室の部屋を借りることになった。


「おや、ヤギにヒツジ…アンタ達今日もこんなに早く出勤して……」


 3階から降りてきたのは郵便屋の制服を着崩し、煙草を蒸している女性だった。彼女が郵便局局長であり、この第5区を取り仕切っているのだ。ちなみに彼女は50代後半に見えるが実はおんとしで御年70歳だそうだ。これも星持ちだから為せるワザなのだろうか。


「いつも目が早く覚めて……」

「俺です」

「仕事熱心なのはいいことだが、無理して倒れないでおくれ。タダでさえ、うちはいつだって人手不足なんだからね」


 苦笑する局長を見て、ヒツジはこの第5区のことを思い出す。第5区の隣は悪名名高い第4区だ(といってもあれ以来割と話すようになったラトウィッジがいるので実感が湧かないが)そして、第5区にある郵便局と第4区にあるボブロフ組織はこの島ではかなりの実権を握っている。この島に無くてはならない組織と両者とも言われているが、いかんせんこの2つの組織は仲が悪い。常に睨み合っている関係なのだ。

 そう考えると、ラトウィッジとヤギの関係は本当に不思議なことが多い。いや、ラトウィッジが不思議なのだろうか?ラトウィッジはよくこの第5区に訪れている。しかし第5区の島民はラトウィッジを当たり前のように受け入れているのだ。

 まぁ、つまりだ。郵便局は全ての島の配達物を届ける仕事とそれから第4区との関係により、いつも人手不足なのだ。


「これでも、ラトウィッジが組織に入ってからは大人しくなったほうさ」

「ラトウィッジさんの?」

「昔はそりゃあ酷かったもんさ。

 元々ラトウィッジはうちの郵便屋だったんだがね」

「そうだったの!?」


 全然イメージが湧かない。あの嬉嬉として銃をぶっぱなすラトウィッジが、ヤギと同じ郵便屋だったなんて。しかし、ならば何故ラトウィッジはボブロフ組織に入ったのだろうか。


「ある日、ボブロフ組織の前ボスがラトウィッジのことをお気に召したようでね。「ラトウィッジをうちに譲るのなら郵便局との対立を緩和してもいい」とかなんとか上から目線で言いやがってね。でも、当時の郵便局は疲弊していた。だからだろうね、ラトウィッジは誰に相談せず、ボブロフ組織に入ったんだ」


 郵便局とボブロフ組織の対立。当時の状況はわからないが、それがラトウィッジのお陰で緩和した。となると、第5区の住民達のラトウィッジへの対応も、何となくわかるような気がする。

 初めて会った日も、それ以降も、ラトウィッジは根は良い奴だとヒツジは少し気が付いていた。

 局長もラトウィッジには感謝しているように感じた。ソファにあった猫の抱き枕を持った、その局長の穏やかそうな顔は……。


「──だというのに、なんだアイツは!?」


 そんなことも無かった。


「それからきっかり1年の間連絡が無かったと思えば、ひょっこり第5区に来て「ボス死んだー。その息子がボスになったわー。なんかそいつの側近になったからー」とか言って! 一応保護者代わりだったアーネストにいたっては「自由にさせなよ。人間だもの」とか意味がわからん!」


 局長はラトウィッジのことからアーネストの愚痴へ話題を切り替え、持っていた猫の抱き枕を床に投げつけた。よっぽどアーネストに腹立つことがあったのだろうか。ただ、いつも優しい局長がこんなにも怒り狂うということは、それなりのことをアーネストは局長にしてしまったのだろう。

 そうこうしている間に叫ぶ局長をヤギが取り押さえ、ソファに座らせる。落ち着いてくださいよ、と局長を宥めるヤギだが、一向に局長が大人しくなることは無かった。


「あ、あの局長? それからラトウィッジさんとは疎遠とか、何ですか?」

「……いや、たまに郵便局に顔を出す。全くどの面下げて……」

「でもちゃんと茶菓子は用意するという、元上司の鏡」

「まだ上司だ! ラトウィッジが辞職表を出して土下座をするまでは、郵便局の郵便屋だ!」


 何だかんだいって、局長はラトウィッジを大切に思っているようだ。郵便局の仲間達は、みんな局長に対して感謝している節がある。それはきっと、局長のこういったところにだろう。


「局長あんなこと言ってるけど、本当はラトウィッジに帰って来て欲しいんだと思う」

「そうなんですか?」

「手間暇掛けてる奴が1番可愛かったりするんだよ」


 少し寂しそうにしているヤギを見るに、きっとヤギもラトウィッジが郵便局に帰ってくるのを待っているように思えた。きっとそれは見間違いではないのだろう。




────────────




【第3棟・105号室 探偵事務所】



「ワトソンくん、暇なんだけど」

「助手です。

 いいじゃないですか、平和で…ってこんな感じの会話前にもしましたね」

「残念! 同じ台詞なのはワトソンくんだけよ!」

「だから助手ですってば」


 掃除機を掛ける助手は悟子に呆れ顔を見せる。

 あれかは助手は1日ですっかり良くなり、こうしてすぐに助手業に復帰することができた。運び屋がいつの間にかヒツジに改名していたり、東海岸の灯台が半壊していたり、分かれることとなっていた泉がいつの間にか合流点していたり、院長に怪しげな薬を使われたりしたが何とか無事だ。特に最後のくだりは本当に死ぬかと思った。ラトウィッジの銃よりも充分怖かった銃だけに。いやそうじゃなくて。


「ヒツジさんは、上手くやっているみたいですね」

「そうね。1ヶ月前はあんなにあたふたしてる人だったのに」


 あの夏の日を思い出して悟子は微笑む。ヒツジはヤギや他の郵便屋達のように建物を跳び回ることができないため、オートバイを走らせて仕事をしている。郵便屋にしては目立つので、ヒツジの活躍はよく目に付くのだ。


「しっかし。この島でオートバイ使う人初めて見たなぁ…」

「この島、そんなもの要らないから。あ、でもボブロフのところのリムジンは見たことあるわ」

「ああ、あの黒いの」

「私見たの白かったわ」

「嘘だろボブロフ、リムジン何車持ってんだよ」


 掃除がいつの間にか終わっていたようで、助手が掃除機を片付けているのを悟子はジッと見る。助手も元気になってくれて本当に良かった。あれから数日は泉や道先案内人がしょっちゅう事務所を訪れていた。

 泉は相変わらず第6区の路地裏のリーダーを務め、道先案内人はそろそろ自殺癖がまた発症するのではないかと助手がヒヤヒヤしている。この間は何だったか、朝顔の鉢植えを蹴飛ばされたんだったか。


「先生、この間の殺人事件のことなんですけど」

「あー、依頼がきてないから動くことができないあの……第1区だったっけ?」

「一応調べておきます?」

「そうね。このまま事件が迷宮入りしそうなら、誰か1人くらい依頼しに来るかもしれないものね」


 助手は悟子にテーブルの上に置いていた新聞紙を投げ渡す。それを慣れた手つきで受け取った悟子は、第1区で起きた連続殺人事件の記事に目を落とす。この島ではよくある殺人事件だが、調べておいて損は無いだろう。依頼がないと動けない探偵は本当に辛い。が動いてしまうのが探偵・悟子なのだが。


「悟子さん、このスーツはクリーニングに出しても?」

「いいわよー。あ、ついでに助手も何か出しておいたら? お金なら私が払うから」

「あー……じゃあ、そうさせてもらいます」


 パタパタと忙しなく動く助手は、そろそろ主夫と言っても過言ではない家事スキルを持っていると悟子は思った。


──これが、H(ハイ)S(スペック)K(彼氏)。いや、助手は彼氏じゃないよー。彼女ができたらそうなるだろうなーてだけで、助手は私の彼氏じゃないよー。


 しかし、こんな彼氏がいたらとも思うのは事実である。

 悟子には男運というものがない。思い出せば、昔から騙されたり、振られたり、振られたり振られたり騙されたり振られたり逮捕されたり、と碌でもない記憶ばかりが蘇るばかりか、その時の虚しい気持ちがフツフツと沸いてくる。


「悟子さん、なんで泣いてるんですか?」

「私って本当に…女としてとんでもない人生を送っている気がする」

「………悟子さんはまだまだ大丈夫ですよー」

「何歳までセーフ!? 助手は何歳までがセーフだと思う!?」

「……えっと、好きになれた女性なら幾つでも」

「助手ー!!」


 持つべきは心優しい部下である。

 助手とはもう3年の付き合いだ。助手は始めて悟子に出会ってからずっと悟子の味方を(彼女が正しい限り)してくれる。それは悟子に対する感謝なのだろう。この2人で探偵をすることは、それはそれは辛いこともあった。だからこそのこの2人はお互いを理解することができるのだ。


「助手!」


 悟子はクッションを手に取る。


「何ですか……ぶっ」


 悟子に呼ばれて振り向いた助手の顔に、クッションが当たる。普段なら避けれていたが、今回は気を抜きすぎていたようだ。こうも簡単に当たってしまうだなんて。助手は爆笑している悟子を睨む。


「何するんですか、悟子さん!」

「ほら、助手! 枕投げしよう!」

「……何で今なんですか?」

「私がやりたいの!」


 ほら、と立ち上がり手を広げる悟子を見て、助手はさっき掃除したばかりなのに、と溜息を吐く。しかしスグに、助手は悟子に向かってクッションを投げつけた。


 一体どれだけの時間が掛かっただろう。2人が枕投げに熱中していると、インターホンが来客を伝える。


「え、うそ!?」

「さ、悟子さん! ここら辺すぐ片付けて!」


 こうして、この島の1日はまた始まる。

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