ヒツジ
第10区にある島地病院に行き、助手を道先案内人と泉に任せた一行はアーネストを探すため辺りを見渡す。
「やっぱり、森先生のこと探した方が良くない?」
「そうするか?」
アーネストがどこにいるのか検討もつかない運び屋、悟子、ラトウィッジ、ヤギの4人は直接アーネストを探すのではなく、彼の友人である森を探そうとした時…運び屋はあたりめと紙パックに入ったカフェオレを地面に置き、その場にしゃがみ編み上げブーツの紐を結び直しているアーネストを見つけた。
「あ」
「あ?」
彼を見つけた運び屋は思わず声を出す。それに気が付いたアーネストはその声に顔を上げると、運び屋達を視界に捉えた。
「あー! アーネスト、こんな所に!」
「やぁ、探偵…キミ僕の部屋から帰る時にブーツの紐緩ませただろ、お陰で何度直してもしょっちゅう紐が解けて仕方がない」
アーネストのブーツは横がチャック式になっているため、このブーツの紐をを1度も解いたことなどなかったのだ。
「そりゃ、アーニーがいつまで経っても紐の結び方覚えねぇからだろ?」
「ああ……ラトにヤギじゃないか。ヤギはよく顔見せに来てくれるけど、ラトは随分久しぶりだね」
ぐちゃぐちゃになっている靴紐の結び目を見て、ラトウィッジはため息を吐く。しかしそんなラトウィッジを見て、アーネストはカラカラと笑うだけだった。そのうちロビーにあるソファにそれぞれ腰掛けたアーネストは、ラトウィッジに靴紐を結び直してもらった後、4人の要件を聞くことにした。
「と言っても要件は知っているよ。運び屋のことだろ?」
「話が早くて助かるわ」
「どういたしまして」
そう言いながらアーネストはあたりめを口に運ぶ。塩辛い匂いが、運び屋の興味をそそりアーネストを思わずじっと見つめてしまう。それに気が付いたのか、アーネストは運び屋にあたりめの袋の口を運び屋に差し出した。
「4人で食べなよ。僕はこれで5袋目でね、そろそろ顎が痛くて……」
なら何で食ってんだよ、とアーネストに悪態をつきたくなった4人だが、それをグッと堪える。それを突っ込むと、きっと話が逸れる。
ヤギとラトウィッジは遠慮なくあたりめを食べ、それに続いて運び屋が恐る恐るといった風にあたりめを取る。
「ここに来たってことは…運び屋がどうしてここにいるか分からなかつたという判断でいいかい? ああ、探偵はそうでもないみたいだけど」
「おう、探偵がアンタに話を聞いたほうが早いし信用して貰えるってな」
「……そう、まぁそうでもしないと運び屋は酷い目に会うだろうからね………本当は自分で気が付かないと意味なかったんだけど」
アーネストはそう言うと天井を見上げ、1つ大きなため息を吐く。しばらくするとそうだなぁ、と間延びした声が聞こえてきたと思うと同時にアーネストが運び屋を見た。
「……運び屋、ここにカレンダーがある。何か気が付かないかい?」
「え?」
運び屋がカレンダーを見ると、それは何の変哲もない小さな手のひらサイズのカレンダーだった。キャラクター等は描かれてはおらず、シンプルなデザインをしている。
一体全体これが何なのだろうか、悟子以外の3人はそれを覗き込む。と、運び屋が目を見開いた。
「年号……」
「年号?」
「これ、私が産まれるより…10年以上も前のだ……」
それを聞いたラトウィッジとヤギは年号を覗き込む。が、しかし2人は首を傾げた。
「これ、これ今年の年号だぞ?」
そう、2人からしてみればこれは早すぎることもなく、遅すぎることもない、ただの
「つまり、キミはそもそも何かの意図があって船に乗っていたわけじゃない。偶然、タイムスリップによってあの船に飛ばされたのさ」
「そ、そんな! 私は信じません! そんな、タイムスリップだなんて……」
「あと、名前だ。キミは誰かに名前を教えて、1人でもキミの名前を呼んだ人を見たことあったかい?」
運び屋の言葉を遮ったアーネストの質問に、運び屋はよく思い返してみると、この島に来て1番長い時間一緒にいた悟子や助手でさえ、自分の名前を呼んだことなどなく、それをごく当たり前のように受け止めていた自分がいたことに気が付いた。
「それは、この時代にはキミの存在なんてまだ無いから、誰も認識できないんだ。何せキミはもっと後に生まれてくる存在だからね…もし仮に、誰か1人でもキミの名前を認識できるような奴がいれば、キミと同じ生まれなんだろうね」
頭がパンクしそうだ。
しかし、自分自身でも名前を今まで呼ばれないというのは何の違和感も無く受け入れていたことだと、今になって気が付く。そして、自分の名前を今まで
「しかしだ、この時代で名前を呼ばれるということは、それはもう2度と元の時代に戻れなくなるということを指す。
いいかい? この島で大切な物は自分という存在を確立する
運び屋は俯く。心の整理がつかない。
「………と言うわけだ。ラト、彼女はただほんの少しだけ間が悪かっただけだ」
「どうやら、その通りだな。で、コイツは元の時代ってのに戻れるのか?」
ラトウィッジの質問にアーネストは首を捻って少しの間考える。アーネストは俯き必死に泣くのを堪える運び屋を見てから、こう答えた。
「………そうだね。突然こっちに来たんだ、帰るのも突然だろう。それまでは、この島地団地島でゆっくりしているといいよ」
「で、でもそれは……!」
「浦島太郎状態になるか、全てが夢のように消えているか…そこまでは僕には残念だけどわからないらない。それでも、僕にはキミが元の時代に帰る方法が思いつかない」
そう言い終わるとアーネストは、もう会話は終わったとばかりにカフェオレを飲み始める。
悟子はやはり、と思いながらアーネストを見る。嘘はついていない、本当にあのアーネストですら運び屋が元の時代に帰る方法がわからないそうだ。
「俺はタイムスリップしてきたなんて想像できないし、思いつかないんだが……アーニー、もしかして
会ったことがあるのか?」
そうアーネストに質問にしたのは、今まで沈黙していたヤギだった。ヤギにそう言われたアーネストは、どこか遠い所を見つめるだけで何も答えない。
「図星か」
「……………そうだね、魔女の仕業で、タイムスリップやら異世界から来た奴は沢山いるよ」
その言葉に運び屋達は反応する。しかし、そんな反応をする運び屋達を見たアーネストは、目に見えるほど嫌そうな顔をする。
「ただね、今回は島の魔女は関わってないよ。何せ、魔女はキミを認識していないようだからね。アイツは島民のことを把握しているようだけど、キミは出来ていないんだ。
魔女曰く、魔法を解くには魔法を掛けた者がやらないと効果がほとんど無いんだってさ」
つまり、この島の魔女以外が運び屋をこの時代に連れてきた、ということだ。運び屋が元の場所に帰るには、その人物を見つけないといけないということになる。また運び屋の頭は下がっていった。
「でも、
悟子の質問にアーネストは深くため息を吐く。その時のアーネストの表情は今まで見たことのないくらいの、本気で面倒くさそうな顔だった。
「嫌だよ、あんな設定盛りすぎメンヘラ系サイコ夢女子。正直、できれば関わりなくない。それが仕事だから関わらないといけないんだけどさ」
「アンタ仕事してたのね」
「キミら探偵事務所の面々はどうして僕を無職にしたがるかな?」
アーネストはこの場にはいない助手を思い出しながら、悟子の言葉に返す。その後運び屋を見るが、やはりまだ俯いたままだ。
「………この島じゃ自分でどうにかしないと生きていけない。自分の心に従わないと生きていけない。キミは、どうしたい? 自分で決めなよ」
運び屋は自分に回答を求めるアーネストを見る。その目は、嘘はついていない目だ。1度自分を突き放した時も、アーネストの目は真っ直ぐだった。多少目は死んでいるかもしれないが、それでも彼は運び屋に対して悪意を持ったことなどない。
「私は…やっぱり、自分の生きていた時代に帰りたい……でも、それはいつになるかわからないなら……この島で生きていたい!」
「………そう」
その答えを聞いたアーネストは、しばらくの沈黙の後に静かに笑うと満足そうに頷いた。
「なら、キミはこれからこの島の島民だ。
そうだな…ヤギ、キミのところで雇ってあげなよ」
「え? 俺のところで!?」
「彼女の本職は運び屋だから、きっと役に立つさ。運び屋だって、本職に似通った職のほうがいいだろうしね。なんなら、局長に話をつけてあげるけど?」
「あー、アーニーが言うことに間違いはないし……うん、局長からは俺が話す」
運び屋は突然決まった事に戸惑って辺りを見渡す。悟子と目が合ったが、悟子は良かったと言わんばかりの笑顔を運び屋に向けている。
「あの、ヤギさんの職業って……」
「郵便屋さんだよ。島でも珍しいしっかりした職場だから、衣食住にはあんまり心配しなくていいはずだ」
「局長は厳しい人だけどな」
「それはほぼお前限定だしお前が悪い」
郵便屋、そう聞いた運び屋は安心する。確かに自分のやっていた仕事に似通っている。それならば自分にもできそうだ。
「運び屋もやる気になってくれたようで何より」
「そうね。でも、いい加減呼び名が運び屋のまんまっていうのもね……」
「運び屋、のままだと郵便屋と被るしな」
今の運び屋には名前が無い状態だ。この島では名前が大切だと先ほどアーネストから言われたばかりの運び屋達は考え込む。
「あー……もう、それなら
1番最初に口を開いたのは意外にもラトウィッジだった。
悟子がラトウィッジにそれは何故かと尋ねると、ラトウィッジは
「それじゃぁ、これからよろしくな。えーと、ヒツジ?」
「あの、はい。よろしくお願いします!」
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