第6区


「ハッハッハッ! なんだ、そういうことか!」


 茶房は灯台守とジョン・ドゥからの話しを聞いて大爆笑をする。


「なーるほど、俺が「恋愛はいいよー」って言ったからすぐにねぇ…」

「うるせェ、あんま見んなクソっ」


 で?どうなの?とジョン・ドゥに聞いた茶房は珈琲を2人の前に出す。まだミルクも砂糖も入っていない珈琲は黒くとても苦そうだと、苦いものが苦手な灯台守は顔を歪める。しかし、珈琲の香りはとても良く、香ばしい匂いが鼻の奥を刺激する。


「ミルクと砂糖です。お好みでどうぞ」

「あ、ありがとうございます」


 サリョは満面の笑みを浮かべながら、灯台守にミルクが入ったガラスのポットと砂糖の入った陶器を並べて差し出した。それを有難く受け取ると、サリョは灯台守に急接近してみせる。


「で?」

「え?」


 サリョは灯台守にニマニマと笑いかける。そしてカウンターで珈琲を入れていた茶房を見ると、サリョと同じようにニマニマと笑いかけていた。


「どうなんです? ジョン・ドゥと付き合うんですか!?」


 灯台守は顔が赤くなっていくのがわかった。口がハクハクと金魚のように動くが喉からは声でなく空気が漏れるばかりだ。別に付き合うつもりなんてない。しかし、そんなことを面と向かって言われるなんて考えもしていなかった灯台守には、特大の不意打ちだった。

 そんな灯台守達を気にすることなく、ジョン・ドゥは珈琲に砂糖を大量に入れる。


「あ、ごめん砂糖入れ忘れてた?」

「苦かった」


 ジョン・ドゥの珈琲はどうやらエスプレッソのようだ。サリョが言うには、ジョン・ドゥはよく来てくれる常連客で、お金は払わないでいいかわりにその代わりに用心棒のようなことをしてくれているそうだ。

 しつこく質問してきたサリョは、ジョン・ドゥのうっとおしい、という一言で口を閉じた。しかし、まだこちらに何かを言いたいようで、ソワソワしていることが彼女の様子から良くわかる。


「しかし、灯台守か……この島に灯台守が来たのは何年ぶりかな?」

「10年くらいじゃねェの? 俺はあんまり灯台には行かなかったけどよ、あそこで取り引きして帰ってきた奴は結構見てきたぞ」

「そう……ジョン・ドゥ、ちゃんと守ってやりなよ〜」


 そう言いながら、茶房はジョン・ドゥの頭を撫でる。

 おそらくこの2人は長い付き合いなのだろう。灯台守は自分の好みにミルクと砂糖を入れた珈琲を飲みながら、ジョン・ドゥと茶房のやり取りを見る。ジョン・ドゥは明らかに茶房から頭を撫でられることを拒否しているが、茶房はそんなジョン・ドゥの反応を見て更にからかい始めている。


「ふーん…灯台守さんの反応からするに、脈アリ!」

「違いますから!」


 サリョは目をキラキラと輝かせて灯台守を見つめている。恋に恋しているようだ。こういった人間は、まだ彼女が本土にいた時に同級生達を見てよく知っていた。といっても、灯台守はそういった話に興味はなく、彼女達との会話に混ざろうとすら思ったことも無かった。自分がそれの標的になるとは想像もしていなかった灯台守は心外だと声を荒らげる。


「それで、今日はどうしてここに?」


 報告だけじゃないんでしょ?と灯台守とサリョを見ながら茶房はジョン・ドゥに尋ねる。


「あー、灯台守が買い物するっつーからよ」

「なるほど、ジョン・ドゥはそういったこと疎いもんね」


 灯台守はジョン・ドゥに買い物のメモを茶房に見せるように言う。ジョン・ドゥに言われた通りに茶房にメモを見せると、茶房はすぐにメモに何かを書き込んでいく。


「はい、地図書いといたからね。

 売り切れがない限り、そこに書いてある店で買えるよ。取り引きすれば、割り引いてくれるかもしれないし」

「ありがとうございます」


 どういたしまして、と手を振ってみせる茶房はジョン・ドゥと灯台守の背中を押して店の入口まで連れていく。


「あ、あの?」

「おい、何すんだよ!」

「んー? 2人が仲良くなれたらいいなーってね。早く親密度を上げてきなさい!」


 2人はそう言われ、強制的に喫茶店から追い出されてしまった。訳がわからない、と追い出された2人は顔を見合わせる。喫茶店の外は相変わらず活気のある第6区だ。


「………」

「………」

「とりあえず、行くか」

「そ、そうですね……」




────────────




【第3棟 309号室】



「──だからね、僕はこのままでもいいと言っているんだ」

「わからないな。お前がそれで良くても、俺が気に食わんのだ」


 アーネストの暮らす309号室に、客人がやって来ていた。

 2人の間に流れている空気はとても緊迫したものだった。しかし、その空気をどうこうできる人物はここにはいない。一歩も譲らない覚悟を持っているであろう2人は、そのまま睨み合う。


「僕は…──僕の部屋は、このままでも充分機能している! だから、キミが片付けをする必要ない!」

「バカモン! だいたい、週1のペースで片付けをしに来ていると言うのに、何故その1週間で汚部屋に元通りになるんだ!?」

「僕はこの汚部屋だからこそ、快適に過ごせるんですー」

「お前という奴は……っ!」


 ゴミの入ったビニール袋にタワーの如く積まれた本、服は1箇所に固めて置かれ、普段よく着るような服は辛うじてハンガーで吊られている。別に紙があるわけではないのに散乱するボールペン、そして何故か床に散らばる小銭と細かく切られている色紙。

 それらを見て、彼…第10区にある病院の医者である森は頭を抱えた。


「…この色紙の切れ端はなんだ?」

「……切り絵ってたまにやりたくならない?」

「ならんな」


 森に即答されたアーネストは、森に自身が切った力作を見せる。確かにとんでもなく細かなところまで綺麗に切られている。模様が複雑で、森がやればもれなく切ってはいけないところまで切ってしまいそうだ。そう、これを例えるであればレースだ。細くも、模様となり繋がっていたり、また、大胆にあしらわれている花が切り絵をより一層力作にしている。それらは容易には切り抜けないだろう……。


──全く、器用なくせにな…。

──こういった才能を、もっと他のところで使えば良いものを…。


「だが、切り絵に対してそこまでの思い入れはないのだろう?」

「まぁね。趣味にするにも……これは暇潰しってやつだからね。この部屋に埋もれて、近いうちに破れて台無しになってるさ」


 アーネストはその切り絵をポイと捨てる。


「だから、いらないのならゴミ箱にだな……」

「ゴミ箱なんて、うちにはないよ」

「この間買ったばかりだろう!?」


 アーネストはその場に寝転がると、1番手元に近かった本を手に取り、仰向けになったページをめくる。そんなアーネストに、森は全く、と頭を抱える。

 しかし、これもいつものことだ。この親友はいつだってダラダラと無駄なことをして日々を消費することが趣味なのだから。彼曰く「無駄、僕は好きだよ。無駄は人の心の余裕の象徴だよ」ということらしい。森にとって、無駄というものは苦手なのだが…それが彼の生き方なのだ。今更変えることなどできるはずもない。


「しかしだ! お前の生活は流石にだらしが無さすぎる!」

「えー?」

「昨日、俺はお前の部屋を片付けたよな?」


 アーネストの本を取り上げ、森はその中身を見て赤面した後に本を床に叩きつける。


「気を付けてよ。床に穴が空いたらどうしてくれるんだ?」

「うるさい!」


 赤面したまま、森はアーネストの胸倉を掴んだ。全く堪えたような様子も見せないアーネストは、どこを見ているのかよくわからない。


「はぁ…もういい、とりあえずこのゴミはちゃんと分別するんだぞ」

「あー、うん。僕も家がゴミだらけになるのは嫌だからね。それはちゃんとしてる。ゴミも捨ててる」

「理想はゴミ箱に捨てることなんだがな……」

「やだよ。初めからゴミ用の袋に入れておいたら、ゴミ箱から取り出さなくていいからね。そっちの方が楽なんだ」


 しかしこの堕落しきった親友をどうしようか。最近では外へ出歩くこともほぼほぼ無くなってしまっているのだ。彼の健康が非常に気になるところだ。


「……森くん」

「なんだ?」


 森は、アーネストが散らかしていた本を整頓していると、アーネストがまた本を読みながら森に話し掛ける。


「ここに来る前、ラトウィッジを見掛けただろう?」

「ああ、確かに見掛けたな。ラトウィッジがどうかしたか?」


 アーネストは森の話を聞くと、その場から起き上がり顎に指を添えて何かを考え込む。何かあったのだろうか。それを聞き出そうとしても、きっとアーネストはそれから話題を変えてしまうだろう。こうなったアーネストは、自分から話さない限り、何言われても他人に考えを話さない。


「……………森くん、もしもだよ」

「?」

「もしも、僕が宇宙人だって言ったらさ……どうする?」


 コイツはまた突拍子の無いことを…とアーネストを見るが、その顔はいつもよりは真面目な顔をしていたので、本気で自分に相談しているのだろう。


「……そうだな…俺は、お前のことを既に宇宙人か何かだと思っているからな」

「え、なにそれひどい」


 アーネストは苦笑する。それに釣られた森も、笑ってみせる。

 その後はいつもの光景。森が片付け、アーネストは自由に過ごし、たまに森が持ってきた缶コーヒーを開けて飲む。それを見た森がアーネストの頭をひっぱたく。


「ところで今年は朝顔はいらんのか?」

「あー、今年はね……ま、今年は朝顔が要らないくらい…退屈しなさそうかなー? って」

「お前が退屈しない日常が来るのか、不安だ」


 アーネストに毎年渡している朝顔のことを話題に振る。毎年、10月を過ぎた朝顔が何月までベランダで育つか、無駄なチャレンジをしている。ちなみに彼の最高記録は1月上旬までである。よくそこまで持ったな、と聞くとアーネストは多分魔女のせいだ、とため息を吐いていたことを思い出す。


「それでは、俺は帰る。夜はちゃんと寝ろ」

「…いや、今日は僕も病院の方へ行くよ」

「は?」


 基本、家から出たくないと常々言っているアーネストがこう言ったことに、森は酷く驚いた。その顔はアーネストが吹き出して笑うほど酷いものだったとか。




────────────




【第6区 雑貨屋『牡丹』】



「いらっしゃいませ〜……って!?」

「あ゛? なんだ?」


 この店を経営している店主は、店に入ってきたその男を見て目を見開いて驚く。その男は、この島地団地島の第2位であるジョン・ドゥだったのだから。


「な、なんでジョン・ドゥが!?」

「俺が来たら悪ィのかよ」

「ちょ、ちょっと! あんまり睨みつけないでくださいよ!」


 しかも、女連れで。

 店の中は慌ただしくなる。先程まで来ていた客はジョン・ドゥと彼が連れてきた少女を凝視する。


「あの、このメモに書いてあるものが欲しいんですけど…」

「おい灯台守、早くしろよ」

「わかってますから! 静かに待っててください!」


 灯台守の話を最後まできかず、ジョン・ドゥはこちらをジロジロと見てくる客を威嚇し始める。


「……できるだけ、早く決めたいので…お願いします」

「あ、ああ……」


 灯台守の切実な思いを受け止めた店主は、灯台守の予算で買える品を揃える。勿論、この品の良いところをアピールすることも忘れず、メモに書いていない品も勧める。灯台守も、そんな店主の話しを聞いて、真剣に品を買うかを検討している。ジョン・ドゥはというと、商品のサンプルである椅子に座り、退屈そうにこちらを見ているだけだ。


「おい! ここにジョン・ドゥがいやがるのは本当か!?」


 店の中が、ジョン・ドゥは暴れないとわかると、またいつもの落ち着きを取り戻していた。

 しかし、そこへ入ってきたのはサングラスを掛けたスキンヘッドの男だった。


「探偵の助手を追い掛けてここまで来たが、ジョン・ドゥがいたならそれは必要ねぇ! 覚悟しやがれ!!」


 ニタニタ笑うその男を見て、また店の中はザワつく。男に怯えているわけではなく、ジョン・ドゥに勝負を挑む男の勇気に驚いているだけだ。


「ジョン・ドゥさん!?」


 唯一怯えていたのは灯台守だ。ジョン・ドゥは舌打ちをする。


「どうした? ジョン・ドゥ、ビビってんのか!?」


 下品な笑い方をする男に目もくれず、ジョン・ドゥは灯台守がどこにいるかを把握する。


──あー、近ェな……しゃァね、外に投げるか……。


 ジョン・ドゥは「灯台守を守る」という約束を実行するために、灯台守を気にして戦わなくてはならないことに、面倒くささを覚えながら一瞬で男の間合いに入ると、胸倉を掴んでそのまま男を店の外へぶん投げる。

 成人男性が、宙を舞う光景を目にした灯台守は、目を丸くする。


──嘘でしょ……聞いてはいたけど、こんなこと本当にできるなんて……。


「おい、灯台守」

「は、はい!?」

「あー……」


 ジョン・ドゥは灯台守に何と声を掛けるか模索する。茶房に「灯台守には気を使いなさい」と言われている。恋愛すると決めたのだから、それくらいしろということらしい。


「……怪我…無ェか?」

「う、うん……大丈夫、です」

「なら良か……っ」


 た、と言おうとした時、店の中にまたスキンヘッドの男が飛んできた。ジョン・ドゥと灯台守が店の入口を見ると、そこには白髪に紫の瞳の男……。


「誰だ…俺にこんなモン投げつけてきた奴はよぉ……!」

「ラトウィッジ……!」

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