道先案内人
【第2棟 駐輪場】
「よし、着いた」
「ここが、第2棟…」
第2棟は、やはり第3棟と同じような建物であったが、微妙な色合いは変えてあるようだった。Ⅱの文字があり、ここが第2棟であることをしっかりと示している。
「さて、道先案内人の部屋は確か8階…」
悟子がそう呟いた時、運び屋はふと駐輪場の端にある大きな木をみる。焦げ茶の髪をし、少し大きめの鞄を背負った青年が、その木の下に何やら台のようなものを置いている。庭師か何かだろうか?いや、それにしては何の道具も持っていないではないか…運び屋は気になって仕方がなくジッと見つめる。と、青年がおもむろに取り出したのは頑丈そうな縄。ちょっとやそっとでは千切れることはないだろう。それこそ、ひと1人分なんてことなさそうな。それの先端には輪っかが付いており、縄を木の枝に引っ掛けると……。
「わぁぁぁぁああ!!?」
サッと血の気の引いた運び屋は、気が付くと叫びながら青年に突撃していた。
それに驚いた悟子と助手はもちろんだが、青年も運び屋の行動と叫びに驚き台から落ち、突撃してきた運び屋と共に倒れる。
「な、何やってるんですか!?」
「運び屋ー? どうかした?」
悟子と助手が倒れた運び屋に近づき、運び屋の下敷きになり唖然としている青年を見て、呆れたように溜息を吐いた。
「アンタこんな所で何やってんの!?」
「ああ、探偵さん…」
虚ろな目をした青年は、悟子を見ると運び屋を起こしてから自分も起き上がる。
どうやら知り合いのようだ。助手は運び屋を立ち上がらせてから青年にどうしたのかを尋ねる。2人は親しい間柄のようで、悟子と話していた時よりも何やら緩やかな雰囲気である。
「あ、あの…彼は?」
「あの子が道先案内人だよ」
「え?」
声に出して驚いてしまったが、運び屋の気持ちもわかって欲しい。目的だった人間が、今すぐそこで首吊り自殺を図ろうしていたのだ。あと少し遅れていれば、自分が気が付かなければ……とそこまで考えて、運び屋は思考を停止させた。
「それで? 今回は何があったの?」
今回、ということは何度も自殺行為を行っているのか……?運び屋は顔を青くさせるが、誰もそのことには気が付いていないようだ。というか、道先案内人がよくこういった行為をするのに慣れているので、このやり取りが当たり前になっているのだろう。
「死にたい」
「夏はすぐ死にたがる!」
ああもう、と悟子は道先案内人にチョップをかます。すると道先案内人はみるみるうちに目に涙を貯め始めたではないか。
「だって、エアコンが壊れて…」
「直せ!!」
悟子に怒られた道先案内人は助手に泣きつく。助手はそれを拒むことなく道先案内人の背中を撫で、悟子に非難の目を向ける。
「何で私がそんな目を向けられなきゃならないの!?」
「無いです…悟子さん、それは無いですよ……」
助手はそう言うと、道先案内人の話をゆっくり聞く体制に入る。運び屋が耳を傾けると、これからご飯を食べるといった旨の話だ。
「悟子さん、俺の部屋に行きましょう」
「あ…そうね、お昼まだだし」
そう言うと、悟子は運び屋に「助手のご飯美味しいんだ」と言うとエレベーターへ向かう。運び屋は悟子の後ろを付いて歩くと、その後から啜り泣きながら助手の袖を掴んだ道先案内人と、そんな道先案内人に話し掛け続ける助手が付いて来る。
「確か…805号室だっけ?」
「はい」
先程降りてきたエレベーターに4人は乗り込み、1番ボタンに近い場所にいた運び屋が8のボタンを押す。夏だというのにエレベーターの中のエアコンは風がそよそよと吹くだけでちっとも涼しくない。その間にも道先案内人の鬱々とした声と助手の道先案内人を慰める声が聞こえてきて、悟子と運び屋は若干の苛立ちを覚えていた。
やっと8階に着いたエレベーターを、さっさと降りて、助手の部屋である805号室に入る。部屋は綺麗にされており、4人なら悠々と座りご飯を食べられる広さを持つ卓袱台が4人を出迎えた。助手はその卓袱台の上に置いてあったエアコンのリモコンを操作する。すぐに涼しい風が吹いてきて、助手はよく風が当たる場所に道先案内人を座らせる。
「道先、何食べたい?」
「コロッケ」
「わかった」
そんな会話を聞きながら、悟子と運び屋は卓袱台を囲む。
若干というか、アーネストの時よりもとてつもなく心配になった運び屋は、道先案内人に聞こえないよう、ヒソヒソと悟子に質問する。
「悟子さん、あの人……」
「ああ、道先案内人? いつものことよ。何かあるとすぐああなって、助手とかに慰めてもらうか、自殺しようとすんのよ。
ま、温かいご飯食べて励まし続けたら治るから」
「へ、へぇ……」
部屋が大分涼しくなってきたところで、コロッケを上げる音が聞こえてきた。すぐに用意できたところを見ると、冷凍コロッケのようだ。しかし、その音は食べ物を揚げる音であり、その揚げたてのものが冷凍と言えど、どれだけ美味しいかを知っている口からは、自然と唾が溜まってくる。また、その傍らでシャキシャキと瑞々しいキャベツを千切りにする音が聞こえる。すぐに終わってしまった千切りの次に、電子レンジが温め終えたことを知らせる音楽が聞こえる。
運び屋がその音に気を取られているのと同じように、道先案内人も気を取られているようで、ジッとキッチンを見つめている。
「楽しみだね」
「え、ああ……うん…」
運び屋に話し掛けられた道先案内人は、少し戸惑いながら頷いた。
「あ、ごめん。味噌ないから味噌汁できないけどいいか?」
「助手が作るならなんでもいい」
しばらくすると、助手がラップをした大きな器を持ってくる。ラップを外すとその器には、白いごはんがほかほかと湯気を立てていることがよくわかった。助手は杓文字を道先案内人に渡すと、道先案内人はおとなしく茶碗にごはんを入れていく。
「私も何か手伝ったほうがいい?」
「いや、俺と道先案内人でできますよ。な、道先案内人」
「うん」
助手は、道先案内人に「やっぱり道先は頼りになるよな」と笑いかけてまたキッチンへ向かった。道先案内人というと、助手にそう言われたのが嬉しいようで、得意気な顔をしてごはんを茶碗に入れる。
ああ、なるほど…これが目的なのか、と運び屋は納得した。道先案内人は、こんなふうに頼りにされたり、褒められたりするのが好きなようだ。
「悟子さん、これ道先案内人の分です」
「はいはい」
悟子は手渡されたコロッケとキャベツ、オマケにプチトマトの乗った皿を道先案内人の前に置く。助手は運び屋にも皿を手渡し、後は自分で残りの皿を並べる。ごはんを入れ終えた道先案内人はキッチンへ向かい、コップと箸を持ってきた。
「箸忘れてた。ありがとう道先案内人」
「ま、まぁな」
コップには氷が入っており注がれた麦茶をキンキンに冷やしていく。
準備が整った食卓を4人で囲み、談笑をしながら食事を始める。すると、悟子の言った通り本当に助手が道先案内人を励まし続けている。
「大丈夫大丈夫、道先は天才だから」
「でも助手」
「道先は偉いよ。団地島で唯一の存在だ」
「けど…」
「俺の言うこと信じられないか?」
「そうじゃなくて……」
「道先はいい奴だよ自信持てって」
「ほ、本当か…?」
「本当だよ」
そんな会話に我関せずな悟子に習い、運び屋も自然と2人を見守る。えぐえぐと泣きながら道先案内人はコロッケを食べている。まるで子供のようだ。運び屋は助手とそう年の変わらないであろう道先案内人を不思議そうに見ていた。
「そうだろ! なんせ、俺は団地島で唯一、団地島の地理を1番理解している男だからな!」
「そうそう、凄いよ道先は」
「しかも、俺は友達にも恵まれてる! 助手は俺の1番の友達だ!」
「いやー、道先にそう言われると照れるな」
「助手! 俺は、最高だよな!?」
「ああ、最高だよ」
さっきの鬱さと打って変わった態度の道先案内人に、運び屋は驚く。誰だこの人。
「あ、あの…悟子さん?」
「いつものこと」
「あ、はい…」
サクサクとコロッケを食べる悟子の横で、運び屋はシャキシャキとキャベツを食べる。道先案内人はベランダと部屋を隔てている窓を開け、うおー!と叫んでいる。助手は道先は元気だなーと笑っているが、悟子は道先案内人が窓を開けたことによって、生温い空気が部屋に漂ってきていることを察知する。
「道先案内人、涼しい空気が出て行くでしょ! 早く閉めて」
「ああ、すみません! 探偵さん!
ところで、この方は?」
道先案内人は、ここで運び屋について尋ねてきた。運び屋はそんな道先案内人に自己紹介をする。
「運び屋さんな。俺は道先案内人って呼ばれてる。道に迷ったら俺に頼れよ!」
「え、うん…」
自信満々に胸を張る道先案内人に呆気に取られながら、運び屋は頷く。本当に別人のようだ。目は爛々と輝いており、言葉にはハキハキとした張りが出ている。助手との会話は普通の男子高校生の雑談のように和気あいあいとしたものになっていた。
「道先案内人、仕事の依頼」
「お、依頼かー…探偵さんに依頼されるのは久しぶりだな!」
悟子は道先案内人に依頼のことについて話す。途中まではうんうんと頷いていた道先案内人だが…ラトウィッジの名前が出た途端に血相を変えた。
「ラ、ラトウィッジ……の所まで案内しろって…?」
「まあ、そういう反応になるわよね……」
道先案内人は嘘だよな?と期待を込めて助手を見るが、助手はそんな道先案内人の期待を裏切って、首を横にゆっくりと振る。ラトウィッジの存在がここまで禁忌だったとは…運び屋は若干道先案内人に申し訳なく思ったが、それはそれ。自分の置かれている状況を詳しく理解しなければ気が済まない。
「お願いします、道先案内人くん! 私、どうしてもその人に会いたいの!」
運び屋は誠心誠意を込めて道先案内人に頭を下げる。道先案内人はそんな運び屋の勢いに押され、煮え切らない返事を発するだけだ。
「道先、確かにお前の心配もよくわかる。
「けどよ、助手!」
道先案内人は嫌だ嫌だと首を振るが、悟子が卓袱台にレシートを置いた。
「あ、あの……探偵さん? これは……?」
「アーネストの紹介状」
道先案内人と運び屋は"アーネスト"という名前を聞いた途端に苦い顔をする。どうやら道先案内人にとってもアーネストという人物にはいい思い出があまりないようだ。しかし、道先案内人は恐る恐るレシートの裏側を見る。そこには、しっかりと悟子達を手伝うようにとの文字と、アーネストの名前が書かれていた。
「本当にアーネストの文字だ……あああ、さよなら俺の平和。こうなったらいっそのこと死んで……」
「死ぬな!」
もう嫌だと泣き喚く道先案内人を全員で取り押さえ、助手がもう1度道先案内人を落ち着かせる。
「うぅ…1回だけ、1回だけなら……」
「ほ、本当に!?」
説得の末、道先案内人は1度だけならラトヴィッジを探すと宣言する。運び屋はまた鬱々とした道先案内人に頭を下げ礼をする。
「いいよ、別に…アーネストに言われた時点でもう決まってたし……」
そう言うと、道先案内人は鞄の中から大きな本を取り出した。それに目を通し何回かページを捲った時、道先案内人の手が止まった。そのページを運び屋が除くが、本の中身は白紙である。
「第5区、郵便局前………ヤギと一緒だ」
「ヤギ?」
「第5区…また面倒な場所にいるなぁ、もう」
戸惑う運び屋を他所に。悟子と助手、道先案内人は遠いどこかを見ていた。
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