第2棟へ



【第10区 住宅地】



 高くそびえる建物の上を、影が縦横無尽に走り回る。時には隣の建物に飛び移り、そしてその影は目的の人物を見つけると地上へ降りる。


「ラト!」


 影、郵便屋の制服の上にミリタリージャケットを着込んだ青年が、目元に当てていたゴーグルを目上にずらす。

 彼が見つけたのは、白髪の男だ。


「ヤギ、そっちはどうだった?」

「どうって言われてもな…こっちは何も……その女は見つかってないよ」


 白髪の男はため息を吐く。

 ヤギは、白髪の男…いや、ラトウィッジとは旧知の仲だ。まだ彼らが10代の頃からの付き合いであり、人間との付き合いが薄くなってしまったラトウィッジにとって、数少ない友人だ。


「ところで、その女は何者なんだ?」

「俺にそんなこと言われてもな…」

「は?」


 ヤギはラトウィッジの顔を見て、別に話をはぐらかしているわけではないと直感でそう感じた。本気でその女の正体を知らないと顔を顰めている。


「船の乗組員に聞いてみたが、何もねぇから帰ってもらったぜ。

 うちのドSがちょっと無理させてたけどよ」

「うわぁ…かわいそ…」


 ヤギは顔を少々青くさせながら苦笑する。その顔を見たラトウィッジもそれに釣られて笑ってみせる。




────────




「うわぁぁぁあ!?」


 第2区に響く叫び声は運び屋のものだ。

 運び屋は助手に担がれており、隣の悟子と共に普通の人間には明らかにできないであろうスピードで走っている。


 事の発端は、道先案内人のいる第2棟を目指していた一行の目の前に、立ち塞がった男達に囲まれたことから始まる。男達が急に襲いかかってくるので、悟子は助手に運び屋を担ぐように支持を出し、男達から逃げ出した。


「ちょ、ちょっと! もうおろしてください!! 吐く! 吐きますー!」


 運び屋の心からの叫びは、2人が細い路地裏へ入ったことで叶うことになった。その場に降ろされた運び屋は、顔を青くして震えてしまった。


「えと……運び屋さん、大丈夫ですか?」

「今日はまた一段と数が多かったわね…」


 助手に手を差し伸べられた運び屋は、その手を掴んで立ち上がる。まだ男達の声が聞こえるが、だいぶ遠い所から聞こえる。恐らくもう大丈夫だろうと言う悟子の言葉に運び屋は安堵した。


「あ、あの人達は……っていうか、2人ともなんか、凄い速さで走っていたような…」


 運び屋の質問に、悟子は「ああ、あれね」と苦笑してみせる。


「あれは、この島に住んでいる人の特権っていうか…」

「ここに住んでいると自然とああなるんですよ。俺、日本本土に住んでた時はあんなのできなかったし」

「え?」


 この島にいるとあんな事ができるようになる。そう聞いて驚いたが、運び屋は助手がこの島の出身でないことにも驚いた。

 というより、この島に住めば・・・どんな人・・・・でも人外じみた速さを持てることが信じられなかった。


「この力は、個人でいろんな差があってね。スピードがとんでも早い奴とか、パワーが強い奴とか、どっちも優れている奴もいる」


 悟子は辺りを見渡してから細道の角を曲がる。助手と運び屋もその後に続いた。


「この島では、住民に順位が付けられていてね。順位は100位から付けられていて、上に上がるには、その上の順位の人を倒すのが1番手っ取り早いの」


 細道の先は高い壁のせいで行き止まりになっているが、悟子はそんなことを気にせずに壁を登りながら順位について説明をする。助手は運び屋をまた担ぐと、悟子に続いて壁を登る、というより乗り越えた。


「ちなみに助手は第20位! かなり強いよ」

「いや、そうでもないですけれど…」


 謙遜すんなって! と壁を登り終えた悟子に背中を叩かれた助手は少々照れくさそうに頬をかく。


「でも、島民の中で20位ってかなりじゃないですか?」

「けど、同順位って人もかなりいるから…」

「助手は自分に自信なさすぎる! もっと胸張なよ」


 助手が運び屋を地面に降ろすのを確認してから、悟子は第2棟へ歩を進める。


「けど、5位からは被りは無しだからね。そこら辺はしっかりしてるのよ」

「へぇ…じゃあ、さっきの人達はもしかして?」


 助手の順位が20位であることを考えると、彼らはその順位を奪いに来た面子だったのかもしれない。そう考えて運び屋は助手を見つめる。その視線に気が付いたのか、助手は運び屋を見ると少し困ったように笑う。


「私は100位以内に入れなかった圏外なんだ。

 助手のおかげでさっきは何とか逃げられたよ、ありがと」

「いえ、悟子さんが捕まると仕事のことが心配なので」

「そこは私を心配しろ!!」


 ベシっと助手を殴る悟子だが、助手はびくともしないで悟子の拳を脇腹で受け止める。私はひ弱なんだぞ!ちょっとは心配しろ!と喚く悟子を無視して、助手は先頭を悟子と代わる。


 先程の話を聞けば、そう言えば助手は何度も悟子を男から庇ったり、相手が追いつけないようそこら辺に転がっている廃材や、脆くなった壁を壊したりなどして進路を塞いでいたことを運び屋は思い出す。自分は助手に担がれていたからあのまま助手が逃げればすぐに逃げれたのだろう。しかし、助手は悟子のため・・・・・に様々な妨害を男達にしていたのである。

 なんだ、助手君は悟子さんのことをちゃんと心配しているじゃないか。運び屋は口喧嘩(悟子が一方的に突っかかっているだけ)をする2人の姿を見てくすりと笑った。


「そういえば、助手君ってこの島の出身じゃないんだね」

「はい、違いますね」


 助手が先程言っていた言葉を思い出し、運び屋は質問する。

 この島は聴けば聴くほど治安の悪い場所のようなのだ。団地を中心とした、統一感のない建物の数々のせいで薄暗い所が多く、世界からの干渉が極端に少ない。船なども1年に幾つか来る程度…あとは全て、この島に住み着いたその筋の人間達の商売のための船だそうだ。

 そんな島に、高校生くらいの助手が本土からやって来たのかが運び屋にはわからなかった。


「……まあ、運が悪かったんじゃないですか?」

「運?」


 助手はそれ以上のことは話してくれなかった。しかし、その横顔を見てしまえば、もう何も言えない。助手の目はいつもの人を気遣うようなものではなく、とても冷たく重たいものになっていたのだから。

 それに気が付いたのか、悟子は急に今日の晩御飯について助手に話しかける。


「おっと、そろそろ第2棟だね…遠回りしたからちょっと時間掛かったけど」

「なんか、久しぶりの第2棟ですね」


 上を見上げると、周りの建物より少し高い建物が見える。悟子の探偵事務所のある第3棟と同じ造りのようで、運び屋は悟子達がいなければ絶対に道に迷うと確信した。道は入り組んでいる上に目印になりそうな建物は無く、目立つ団地はどれも造りが同じで見分けがつかない。


「さて、来たはいいけど道先案内人いるかなー?」

「えっと、道先案内人さんってどんな人なんですか?」


 若干不安になることをサラリと言ってのけた悟子に、運び屋は問い掛ける。


「んー、道先案内人は助手の友達だよ」

「固定電話持ってないから、連絡ほとんどつかないけど」


 道先案内人は助手の友人であると聞いて、運び屋は少々ホッとする。またアーネストのような人間ではないかとヒヤヒヤしていたのだ。


「あー、でも下手なこと聞かないようにした方がいいよ」


 運び屋はそう言った悟子の顔を見て首を傾げる。悟子の眉間には深くシワがよっており、道先案内人にただならぬ感情があるようだ。


「特に、この島に来た理由とかね。っていうか、その質問は結構この島じゃタブーだから。私みたに名前が・・・ある・・人ならともかく…ま、名前があってもタブーの人はいるけど…」


 運び屋は理解が追いつかないその言葉に更に首を傾げるハメになった。

 しかし冷静になってから……なら、先程助手にしてしまったあの質問は、助手の機嫌を損ねてしまったのではないだろうか?名前がある…ということは名前が無い人もいるのだ。【助手】はどう考えても名前ではない。つまり、助手は名前の無い人間なのではないか……?


「あ、あの…助手くん?」

「大丈夫ですよ、気にしてませんから」


 やや早足になっている助手に、運び屋は心配そうに話しかける。返事の仕方も早口で、気にしていないというのは嘘なのだろうと容易に判断ができた。


「……名前の有無について、説明しましょうか?」

「いいの?」


 少し落ち込んだ様子の運び屋を見て、助手はそう言った。

 助手は、友人の道先案内人とこれから会う前にその事について説明しようと決めた。悟子も助手の考えに頷いていたので、第2棟の806号室に着くまで、その事について話すことにした。




────────




【東海岸・灯台前】



「ああっ! もう、本当に信じられない!!」


 黒の膝丈まであるスカートが海水に浸からないようにたくしあげたセーラー服の少女は、叫ぶ。

 先程まで、崖の上にある灯台で海水で濡れてしまった服と靴を洗い、やっと乾いたので取り込もうとした時、靴が灯台から落ちてしまい海に落ちてしまったのだ。そのせいで、少女は崖下までやって来たのだが、靴がなかなか取れない。下に体操ズボンを履いていて良かったと思うような所までスカートをあげ、海に足を突っ込むがそれでも取れない。


「なんで、こんなことに……でも、靴これしかないし……」


 後少し、しかしこれ以上体重をかけると海の中に落ちる。そうなればまた洗濯をしなければならない。それは嫌だと必死に手を伸ばす。


「なんだ、アンタそれを拾いたいのか?」


 上から、つまり灯台のある崖から声が聞こえる。落ちないように上を見上げると、黒くボサボサとした長い髪が風に揺らされている男がこちらを見下ろしていた。この島に来た時に初めて会った男は、外国人のようだが彼は雰囲気的に日本人のようだ。


「あ…えと…はい…」


 歯切れの悪い返事をすると、彼はニヤリと笑い崖から飛び降りた。


「ええ!?」


 降りた場所はゴツゴツとした岩が目立ち、運悪く足を滑らせると怪我をしそうなのだが、そんな上から飛び降りれば大怪我では済まないと、少女驚き彼が海へ入る瞬間目をギュッと閉じた。


「おい、これでいいのか?」


 男の声が聞こえたので恐る恐る目を開けると、男の着ていた黒いレインコートが海に浮いているおり、更に視線を逸らせると無傷の男が海の中から靴を少女に見せている。


「は、はい…ありがとうございます」


 男は少女の返事を聞くと、少女が乗っている岩に上がる。元々一人分しか無かった岩のスペースは狭くなり、少女はバランスを崩す。が、男はそんな少女を抱き寄せる。


「俺はジョン・ドゥって呼ばれてる。お前は?」

「えっと……い、一応…灯台守です……」


 ああ、またセーラー服が濡れた…少女、灯台守はそう思いながら、また洗わなくてはならない服と靴を見て憂鬱になった。

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