『惨《サン》』話「魔女と仕え魔」



 ずいぶんと久しぶりの学校だった。

 しかし久しぶりと言っても、学校に来れなくなってからまだ一週間と経ってはいなかった。


 あれから色々と衝撃的な出来事があったせいで、なんかすでに一年くらい時間が経っているような気がしていたのだが、実際はたったそれだけの時間しか経ってなかったみたいだ。時差ボケっていうか、入院中にずいぶん周りとの時間の流れ方が変わってしまっていたようだな。まるで浦島太郎にでもなった気分だ。

 立場は逆だけど。


「学校が休みの日に学校に来るのって、そういえば初めてだったな。休日の補習には参加したことないし、部活も特にやってなかったしな。えーっと、休み中の学校使用について先生が何か言ってた気がするんだけどよく覚えてないな。確か、休み中生徒が校舎に入れてもらうには宿直の先生に話をすればいいんだったっけか」


 今二人は事故のあった場所、萌葱高校の校門前にいた。

 僕があの日倒れていた場所には花瓶代わりの一升瓶が置かれ、白い花が刺さっていた。

 その心遣いはとても嬉しいんだけど。だから人を勝手に殺すなっての。


 そういえば、あの時煉瓦の壁に埋まって一緒に本を読んだ、メガネにポニーテールの女生徒が今日はいなかった。てっきりまた会えると思って楽しみにしていたのに少し、いや正直言うとかなり残念だった。また一緒に壁に埋まって本を読みたかったのにな。


 ……でもここにいないということはもしかしたら、もう成仏してしまったのかも。

せっかく幽霊になって(なってはいなかったが)からはじめての友達になれたと思ったけど成仏してしまったのなら仕方ない。彼女が無事に天国へ(成仏っていうなら極楽へなのか?)逝けたことを喜んであげよう。


「………………」

「私も先生が話していたとき、話が長くて半分以上眠ってたからよくは覚えてないんだけど。図書館だったら確か夏休みの間は先生の許可を得なくても学習に使う生徒のために、休みの日でも普段から開けてあったんじゃなかったっけ。だけどこのことについて調べるに、図書館の中の資料だけで大丈夫なの?」


 学校の図書館に置かれている文書量が多いってことは知ってたけど、さすがに一般の生徒に公開されている資料の中だけでこのことを調べきれるとはとうてい思えないからな。できれば資料室で調べたい。でも資料室の文献を見せてもらうにはさすがに先生の許可が必要だろう。


「そうだな。資料室の中にある文献や資料なんかも見せてもらいたいから、結局宿直の先生に会いに行かなきゃいけないな。……そういえば今日の宿直って誰?」

「えーっと、宿直の担当が休み前に渡された予定表に書かれている通り変わってないとしたら今日は確か、みほちゃん先生が担当してる日じゃなかったかな。宿直担当になった先生は昨日からまだ宿直室に泊まってるはずだと思ったけど」

「それならちょうどいいや。元の体に戻るにはさすがに結構時間掛かると思うから、先生にもこのことを一応説明しておかなきゃいけないと思ってたし。昨日からってことはたぶん、今日も宿直室の中にいるよな」

「だけど、こんな朝早くから起こされて迷惑じゃないかな」


 少し心配そうに校舎の方を見る。

 白く漂う朝霧で校舎が霞んで見える。確かに、時刻は朝の七時半。通常に学校のある平日で朝部活があるとしても、この時間帯に来る生徒はそうはいないだろう。ましてや今日は夏休みが始まったばかり。せっかくの休みを学校なんかにふらりと来る生徒もいないだろう。


「まあ大丈夫でしょ、先生若いんだし」


 二十三歳で、童顔でロリ体型なんだし、高校生のうちらなんかよりもよっぽど朝も元気なんじゃないか、……というその思い込みがいけなかったのかもしれない。

もしも、その浅はかな思い込みがなければまだダメージは少なかったのかもしれない。




 ――コンッ、コン


「すみません。資料室を開けてもらいたいんですが……」


 さっきからドアを何度もノックし、中にいるはずの住人(別に住んでるわけじゃないけど)に声を掛けている。だが、中に人がいる気配はしているのだがなかなか反応が返ってこない。やっぱり里子が言うようにまだ寝ているのだろうか。


「中に人のいる気配はするんだけど。……やっぱり寝てるのか」

「まだ寝てるみたいなら今は引き返すことにして、とりあえず図書館で調べようか」

「それもそうだな。じゃあ最後に一回……」


 ――コンッ、コン


 そして、しばらく待つ。

 しばらくした後、中から人が動き出す音と一緒に何かが崩れるような音がした。


「…………起きたみたいだ」

「……すごい音がしたけど大丈夫かな」


 それからばたばたと、玄関に向かって駆けて来る足音がした。そして、


 ――バンッ


「おうっ!」「痛った!」


扉が勢いよく開き。中から――



「だ・か・ら、新聞の契約はしないって言ってるだろうがあ!」




 いつもは少し長めのショートボブに整えられている薄い茶髪は、見事上に向かって爆発中。足元は突っかけられるように履かれた木製サンダル。服装は色気も可愛さも何もなく、ネームつきの小豆ジャージを上下完全装備。口には明らかに女性用でないニコチンの多そうなタバコをくわえて、そんな完璧おくつろぎ姿の三堀保奈美先生(23)が出てきた。


「………………………………………………………ん? あれぇ?」

「…………………………………………………………………」

「……………………………………………………………………………………」


 いまさら、あれぇ? じゃないだろ。

 三人とも固まってしまう。

先生はドアノブを持った格好のまま動かないし、僕は口を大きく開けたままで固まる。

 里子も固まり、扉に当たってずきずきしているはずのおでこをさすろうともしない。三人は完全に沈黙し、三つのボタンを押しても何の反応もない。完全にフリーズしてしまった。


 しょうがないので、まだ動ける僕が行動を起こす。とりあえずは一言。


「……お、おはようございます」

「えっ、あ! お、おはよう。……じゃ、なかったー!」


 先生は復活の呪文を唱えられたかのように急に我に返った。

 今度は扉がバタンッ、と勢いよく閉められた。そしてばたばたと足音が去っていくと、中で重い物が倒れる鈍い音と引きずられる音がしている。それからなぜか、何かと格闘するような激しい音が聞こえてきた。……僕達は見てはいけないものを見てしまったらしい。



     ◆     ◆



「やあ、おまたせ。それで何か用かな?」


 戦闘が始まってから数十分後。ようやく決着が付いたのか、宿直室の中から髪が整えられ、白いスニーカーを履き、可愛い同じく白のワンピースを着たみほちゃん先生が出てきた。


 先生が何も言わないので憶測で言うことになるが、たぶん当たっている。さっきまで中からしていた格闘音は予想通り、身支度を整えるときの効果音だったのだろう。

 ……いや、何も言ってないよ。


「用ってほどの用でもないんで、さっきのままの格好でもよかったんですが……」

「さっきのままの格好って何かな?」


 みほちゃん先生がにっこりと微笑んだ。……目は笑っていないまま。


「いやあの、小豆……」

「何のことかな。伊澄榊くん、交路里子さん?何か言ったら絞めんぞコラ


 聞いてはいけない副音声が聞こえてような気がした。


「「何でもありません! 私達は何も見てません!」」


 二人とも思わず姿勢を正す。

 クラスのアイドル的存在のみほちゃん先生が、あのみほちゃん先生が洒落にならないほどのきつい眼で睨み付けてくる。しかし睨み付けているというのに、表情は優しい笑顔のままなのでそれが逆にとても怖い。病院で里子の見せたあの凶悪な威圧感といい勝負だ。


 さすが若くて新任なのに、クラス担任と学年主任を任されているだけのことはある。こんな僕らとはくぐってきた修羅場の数が違う。……クラスの男子一同よ、これが担任の本性だ!


 そう言えばうち、萌葱高校の理事長の名字って確か三堀だったような。

 ……いや、まさかね。まさかね!


「そお? ならいいんだけど。……ところで何で、景山かげやま病院で面会謝絶の入院中になっているはずの伊澄くんがここにいるの? 入院してからそんなに経ってないし、普通に退院したってわけでもないんでしょう? じゃあひょっとしてその事についてなのかな、用って」

「ええ、実はその通りです。一から説明をする手間が省けてよかったです。本当は全部話しておきたいところですけど結構長い話なので、要点だけ話してもいいですか」


 そういえば、今気付いたが。普段のホームルームや授業中は噛み噛みな喋り方のみほちゃん先生だけど、こうやって少人数を相手にするときだと噛まずに普通に喋れるみたいだ。

 むしろ喋り方も対応もすごく大人っぽい。

 残念だったなクラスの男子諸君よ、先生の正体はロリっ子じゃなかったぞ。


「要点だけでわかるのならそれでもいいよ。けど確かその一つは、資料室を開けてもらいたいって事だっけ。まあ、確かに休み中でも宿直の先生に頼めばあそこは自由に開けられるようになってはいるけど。……でも知ってるとは思うけど、それにはある程度納得のいく理由が必要なんだよね。それで、どんな理由で資料室を利用するつもりなんですか」

「それをこれから話します。できれば人にあまり聞かれたくないんで、中でいいですか」


 先生は一瞬渋い顔をしてやっぱり片付けといてよかった、と小さな声で呟くと宿直室の扉を大きく開けて中へと招き入れた。中は結構整頓されていた。


「なんかまともな理由じゃなさそうですね。……あまり問題になるような事は話さないでよ。休み中に生徒が不祥事起こしたときの担任の責任って、結構重大なんだから。できれば重い話じゃなくて、笑って済ませられる軽い内容でお願いね」


 残念ながらその期待には応えられそうにありません。




「……それは、笑えばいいんですかね」


 むしろ笑えるものなら笑ってください。

 宿直室はさっきの格闘の成果なのか結構片付いていた。


「つまり幽霊みたいな人間。いや、人間みたいな幽霊ってことですか。はっきり言わせてもらえば、そんな幻想じみた子供の戯言信じられるものではないです」

 そう言って宿直室の大きなソファの上にクッションを抱えて座り、自分で沸かした紅茶(宿直室の備品)を飲む先生。


「……ですが、この状況ではそれは言えないのですけどね」


 そう言って向かい合うソファの方を見た。その目線の先には行儀よくソファに腰掛けて紅茶を飲んでいる里子と、ソファに頭から潜り込んでひっくり返っているこの僕がいた。


「犬神家か何かのつもりですか、その格好は」

「……さっちゃん、さすがにその格好はないよ。あ、この紅茶美味しい」

「…………すみません」


 二人に冷たい視線を送られ、しぶしぶソファの後ろに立つ。

「……まったく、道端で吸血鬼やUFOに攫われたって言われた方がまだましですよ」

「こんな田舎にそんなはやりのものは来ませんよ。紅茶のおかわりいいですか」


 都会でだっていねぇよ。そもそもそんなものが普通にいてたまるか。


「どうぞ、私のじゃないし。まあ、それはひとまず置いておいて。……資料室の件についてはどうしますか? 開けるにしろ開けないにしろ、そんなこと私はどちらでもいいんですけど。あの資料室でそのことについていくら探してみたところで、似たような事例は見つからないと思いますよ。あの資料室にならおそらく似たようなことを載せた文献も何冊か保管されていると思いますが、もしあったとしてもそれを見つけるのに何日、いえ何ヶ月かかるか……」

「それでも可能性があるのなら探して……」

「資料室の蔵書数を知っていますか」


 姿勢を正して勢いよく返答しようとしたが、それを遮るように先生は話した。


「知っているはずありませんよね。私はほんの一角ですが、資料室を利用させてもらっているので司書の方から話を聞いているのですが。正確にわかっている冊数だけでも二百二十万冊。この数はもはやそこらへんの大規模図書館では比べられない冊数です」


 それは絶望的な数字だった。


「勿論、今までに確認されているだけの冊数なのでそれ以上の冊数が保管されているであろうということはまず、間違いありません。それも長い間管理者が不在で整理されてなかったせいなのでしょうが分類などはされず、本棚に資料が積めるだけ積んであるだけというありさま。代えの効かない重要な文献の多くあると言うのに杜撰と言うしかありませんね。……それで、あなたたちはその中本の迷宮みたいなところからあるかすらもわからない資料を見つけることができますか? さすがにそれは無理ですよね」

「それは……」答えられない。


 今答えたらたぶん、それが無理だと認めてしまう。さすがに国立図書館規模、いやそれ以上ある本の山の中からあるかもわからない本を探すだなんて。砂漠の砂の中から一粒のダイヤを探し出すよりも無謀な話だ。


「でも、それも手がないわけじゃないですよ」

「え、何か探す手立てがあるんですか」


 僕は思わず伏せていた顔を上げた。


「あなたたちに見つけられないのなら、見つけたことのある人に訊けばいいということですよ」


 そこには楽しそうに微笑む三堀先生の姿があった。


「今回のようなことについて調べるなら、学校にもっと適した場所があるのよ」

「今回のようなことについて調べるのに適した場所? ……どこですか、そこは」

「……ああ、それってもしかしてあそこのことですか、例の」


 ふと里子が、何かを思い出したかのように紅茶の入っていた空のカップをテーブルに置いて言った。……それからどうでもいいけど、その紅茶何杯目だよ。


「例のあそこなら、確かに何か知っているかもしれませんね。もしかしたらその解決策も」

「そう例の、今回のようなオカルトじみたことに詳しそうな人が集まってるところ」


 言いたいことがそれで合っていたのか、先生は更楽しそうに笑って頷く。

 晶にしてもそうだが僕を置いてきぼりにして二人だけで会話を勧めないでもらいたい。また話についていけなくなくなってしまうじゃないか。意味深な会話をしてフラグを立てて行ってくれるのはありがたいけど、それを回収するのは僕なんだぞ。

 それで例の、って何のことだ。



     ◆     ◆



 先生の言ったことは、餅は餅屋というか蛇の道は蛇と言う話。

 いわく、オカルトのことはオカルト好きに訊け! ということだった。

 これがさっきの諺の内容であっているのかわからないが。(若干違っている)オカルト好きに話を訊くにしても、その際に彼らに研究対象として捕まったりすれば大変なことになるだろうということは僕にも容易に想像できる。


 つまり彼らにしてみればこの僕の存在も、彼らの欲しているオカルトなものであるはずで。今回の僕の来訪はヒマラヤにいるのかもしれない雪男と偶然近所の道端で会ってしまったり、窓を開けたら部屋の中にツチノコとスカイフィッシュが入ってきたようなものだ。

 いわゆる棚から牡丹餅。鴨がネギしょってやってきている状況だ。


 しかも同好会ではなく研究部であるらしい。

 それはつまり何かの業績を残しているっていうこと。……無事に済むのだろうか。

 っていうか、そんな怪しい部活の顧問なんて務めているのは一体誰なんだろう。学校の教師を全員覚えているわけではないが、そのイメージに合う先生が思い浮かばない。


 かくして僕達は先生に教えられた通り学校のオカルト研究部、略してオカ研の部屋を訪ねることとなった。オカ研の使っている部室があるのは旧校舎にある部室棟で一番奥にある部屋、つや消しの黒で塗られた真っ黒の扉に白い字で〝研究所〟と書かれている。


 どうやら里子はここのことを知っていたみたいだが、この場所には今まで入ったことがないというか、正直部室がどこにあるのかすら知らなかった。……それも違うな。僕はそんな部が学校にあるということ自体知らなかった。そして今は知りたくなかった。

 僕にとってオカルトなんてカタカナ語は、と同じくらい一般会話では使わないものだ。


 だから正直言ってこのことを解決するための手掛かりというか、糸口というかの何かを先生には悪いがこの場所にあまり期待してはいなかった。いくらここにオカルト好きの人達がいてあの資料室の本を読み漁っていたとしても所詮は学校の部活動。

 ………………そう思ったのだが――


「珍しい、お客さんかい? ……へぇ、君はもっと珍しいね。半霊化はんれいか状態じょうたいか」


 ……あっさりとオカ研の部長に糸口を見つけられてしまった。

 扉の前で入るのに躊躇していると、後ろからやって来た長い髪の女生徒に声を掛けられた。


 オカルト研究部のことは知らなかったけど、この人のことは僕でも知っている。いや、この学校の生徒でこの人を知らない人はおそらくいないと思う。


 萌葱高校生徒会長、真堂しんどう静妃しずき

 容姿端麗、成績優秀、運動神経抜群だという、文武両道と言うその言葉をこれ以上ないほどに体現している、天に二物も三物も与えられてしまったような人だ。その上一年にしてすでに三年の会長候補達を押さえて二位と百票差をつけて会長になったという筋金入りの怪物だ。


 ただし、その完璧さに比例しているかのように性格は結構悪いらしい。

 自称魔道士、通称〝萌葱の魔女〟と呼ばれている三年の先輩だ。



     ◆     ◆



 時はしばらく戻って、昨日のこと。

 里子と神楽が手作り特大オムライスを榊に見せつけるように美味しそうに食べていた頃。


 晶は病院から連れてきた二人を近所のスーパーの駐車場に降ろすと、あまり使われていない脇道へ入って行った。そしてそのまましばらく小さな建物に囲まれた細道を道なりにゆっくりと走らせていくと、道は次第に広くなり視界も大きく開けた、だがそれに対して対向車が急に少なくなり、やがて一台もすれ違わなくなった。


 あまり使われていない道らしい。だがそのわりにアスファルトはまったく歪んでいないし、白線もかすれておらずはっきりとしていて、ずいぶんと綺麗に整備されている奇妙な道だった。さらにもうしばらくその奇妙な道を走っていると、この緑あふれる田舎の風景には不釣合いな無骨な打ちっぱなしのコンクリートで造られた大きな建物が見えてきた。

 晶は車を道の脇に停め、ある相手に電話を掛けていた。

 呼び出しのコールは一回。すぐに繋がった。


「……轟です。予想通り奴らもこの程度じゃ尻尾を見せませんね」


 相手の確認はせず、いきなり用件を切り出す。


『とどろき? ああ、あっちゃんか。ひさしぶり』


 電話口から聞こえてくる声は妙に若々しく緊張感に欠けていた。


「お久し振りです。今回が初めての海外調査ということですが、いかがですか」

『なんていうか、けっこう最悪だね。いつもはこういう依頼は断ってるんだけど、全額無料で海外いけるからって欲出したのが間違いだったよ。やっぱり自宅でごろごろしてるのが一番。……あぁ、白いお米が食べたい!』

「メニューは自由に変えられるはずですよ」

『なんだよつれないな、気分だよ気分。それに食事はご飯よりは断然パン派だし。……えっと、さっきまで何の話してたんだっけ? そうそう、これで尻尾を見せてくれたら万々歳だったんだけど、そう都合よくはいってくれないか。……それよりもさぁ。運良くなのか悪くなのか、うちの子も巻き込んでくれちゃったみたいじゃない』

「ええ、そのようですね。今回の件に巻き込まれないよう注意はしたのですが、それでは足りなかったようです。さすがあなたの子供と言うところですか、無意識のうちに厄介ごとに首を突っ込んでいますよ。やっぱり血は争えませんね」


 車のボンネットに背中を預けるように寄り掛かり、会話を続ける。


『よく言うよ。今回も実はこうなるように仕組んでたんじゃないのかい? ……だけどまあ、家族の中で一人だけだったからね。あれが視えてなかったのは。これもいい機会と言えばいい機会、いやいい奇怪だったのかもね』

「人聞きの悪いこと言わないでください。仕組んでなどいませんよ。そういう手段もあるなと思っていたら、ただそうなったという結果が付いてきただけです。私としてはあまりいい流れになってはいないと思います。できればあの人は巻き込みたくありませんでした」

『まあ、そういうことにしておこうか』


 電話の相手はあくまで変わらぬ調子のまま会話を続ける。


「尻尾は彼らが見つけてくれると思います。それに見つけられなくとも、中を掻き回されれば尻尾を出さざるを得なくなるはずです。……今度こそは捕まえますよ」


 目の前にあるその巨大な建物を見つめながら力強く宣言する。

 まるで要塞か何かのようなその建物はタケトリ製薬の本社。タケトリ製薬自体は日本に古くからある老舗なのだが。近年になり急にその生産規模を広げ、今では世界でも知られるほどの有名な大企業にまで成長した。


『張り切るのはいいけど空回りしないようにね。それから、あくまで直接手は出さないこと。けどそれ以外の協力は惜しみなくしてあげて。勿論あの子が調子に乗らない程度にね』

「勿論わかっていますよ。伊澄神酒みきさん」

『それじゃあ、息子をよろしく』


 こちらこそよろしく、そう言って通話を切る。


「…………ウサギってのは嘘吐きなんだよね」


 今度は別の相手に電話を掛けた。数回のコールの後相手が電話に出る。


「……ああ、あかりちゃん。至急調べてもらいことができたんだけど、お願いできる? ――ええ、そんなこと言わないでよ。またひかりちゃんと一緒にお願い。じゃあ詳しい内容はまた後で、直接会って伝えるんでよろしく。それじゃあ集まる場所は――ああ、じゃあいつも通りそこで」



 今度は会話を携帯の電源ごと切った。

 それから再び車に乗り込み、来た道を同じように戻って行った。



     ◆     ◆



 僕は里子に扉を開けてもらうとそこには、真っ白な壁紙の部屋にきっちりと整頓された白と黒を基本としたモノクロでシックなデスクとソファが並べられていた。その他にも部屋の中には観葉植物やコピー機、そしてなぜか自販機までもが置かれていた。

 僕はきょろきょろと周りを見渡す。……どうしてもオカ研の部室のように見えない。


「何か想像してたのと違うかい? 部屋の中が全部分厚いカーテンで締め切られて真っ暗で、棚に髑髏や何が入ってるのかわからない瓶でも並べられているとでも思ったのかい」


 中央正面に置かれた大きなデスクにより掛かり、静妃さんは楽しそうに言う。

 そのデスクの上には部長と書かれた、会社の事務所とかで見るあのよくわからない四角錐の黒い置物が置かれている。まさかとは思ったけどこの人がオカ研の部長だったのか。


「…………概ね以上正解です。ここはまるで会社の事務所ですね」

「概ね以上正解か。それってつまりその通りだってことだろ。でもここが会社の事務所みたいだっていうのはいい表現だな。他校のオカ研がどうなってるのか私は知らないけど、我が校の部はデスクワーク専門って感じだな。部としてはそれ以外やっていない。……部としてはな。時間があれば屋上に出て未確認飛行物体を呼び寄せたりなんてことはしないよ」


 ……部としては、って所をやけに強調してたな。

 つまり、それ以外では何かやってるってことか。

 まったく、生徒会長が何やってるんだか。……いや、それは違うか。むしろ生徒会長という立場だからこそか、こんな無茶ができるのも。職権乱用だな、まったく。


「そうなんですか。でも、そもそもUFOなんて日本にはないんじゃないですか」

「何を言ってるんだ、日本にだってUFOはいるぞ。目撃情報だってたくさんある」

「……でもそれって最近の話でしょう。あっちの国が見つけたからウチの国でもってかんじで」

「なんだ、かぐや姫の話を知らないのか。おそらくあれは最古のUFO目撃文献だぞ」

「かぐや姫って話は、竹取物語っていうあの日本最古と言われる有名な作り物語が元になって出来た話じゃないですか。中学のとき古典の授業で散々やりましたよ。その有名な文学をSFなんかと混ぜないで下さい。確かに別の星の住人が地球にやってきて、時が経ったら元の星に帰っていくというのはSFでも王道の展開ですけど、これは古典です」

「王道の展開も何も。だから、竹取物語って話は日本にやって来たUFOの話を基にしたSFなんだろうが。かぐや姫は宇宙人なんだぞ。それからある古い絵巻物の中に、かぐや姫が土釜のような丸い乗り物から出て来る様子が描かれたものがあるんだ。それこそ、かぐや姫がSFである決定的な証拠だ。いや、もしかしたらあの話はフィクションではないのかもしれない」

「………………」


 だめだ、これ以上話すと出られない深みに嵌まってしまいそうだ。


「中へどうぞ、適当な椅子へ腰掛けて下さい。お茶、お淹れしますね」


 そう言って僕達を招き入れてくれたのは……えーっと、誰だっけ?


「彼女は我が研究部の副部長を勤めている、二年の坂木さかきいずみだ」


 そんな僕の様子を気取ってくれたのか静妃先輩が僕に教えてくれた。

 そうだ彼女は生徒会の雑用係、もとい会計の、通称〝仕え魔〟の泉さんだ。

 静妃先輩と同じくらい成績優秀、でも運動神経は静妃先輩と違ってずいぶんと鈍いらしい。最近はそうでもないらしいが小さな頃から病弱で体力もあまりないらしく、運動自体をあまりやっていないとか。それからついでに言うと、これでもとある有名な資産家の娘らしい。


 ……さっきから、らしいとしか言っていないのは今の話は静妃先輩が、彼女がお茶を淹れてくるまでのほんの少しの間に教えてくれた内容だからだ。

 ちなみにほうじ茶だった。


「あなたは伊澄榊と言うのですか。でしたら私が嫁入りしたら伊澄泉になりますね」

「なら僕が先輩の所に婿入りしたら坂木榊になっちゃいますね。……って、痛っ!」


 しばらく二人で楽しそうにうふふ、あははと笑いあっているとなぜか急に、里子に小指の先をピンポイントで踏まれた。しかも十六ビートの連続で。……かなり痛い。


「……なあロリ子さん、小指ばっか連続で踏まれるとかなり痛いんですけど」

「………………」


 最後に無言で足の甲をかかとで思いっきり踏み潰されることで僕への陰険な攻撃は終わった。


 ……何だろう。また何か、気付かないうちに気に障ることでも言っちゃったのかな。ああ、そういえばまた里子のことをロリ子って言っちゃったな。

 ……いや、それなのか? 時系列的に少し違うような気がするけど。


「……そう言えばさっきから気になっているんですけど。その鞄は下ろさないんですか」


 泉さんの肩にはそんなに大きくない暗い褐色の鞄が提げられていた。


「ああ、この鞄ですか。すみません、これは癖みたいなものでこれをいつも持ち歩いてないと不安になってしまうんですよ。やっぱり変ですかね?」

「変ではないと思いますよ。お気に入りの鞄なんですね」


 ――コホンッ……


 また泉さんとの談笑が始まろうとしていたとき、向かいの黒いソファに座っていた静妃先輩が軽く咳をした。振り向いて見るとそこには先輩の微笑む顔があった。


「そんなに二人で楽しいお話がしたいか。それなら、そのまま外でずっと二人でお話してろ。……とでも言いってやりたいところなんだが、そろそろ君に何が起こっているのか私から説明してあげたいんだ。だから少しその口を閉じて黙っていてくれないか」

「す、すみません!」


 顔は笑っているが目は全然笑っていない。

思わずソファの上で姿勢を正して正座してしまった。

 この高校って目つきが尋常じゃない人達ばかりいる気がするけど、気のせいだろうか。




 静妃先輩の話を聞いてみると。半霊化現象とは、本人の気付かない間に突然幽体が肉体から強制的に乖離させられたときに起こる、幽体離脱の変則型みたいなものらしい。

 でも、その半霊化状態の人間が持つ能力は大体事前に知っていた内容とあまり違わなかった。


 新しく知ったことは、僕の体が霊体に近い存在になったことで幽霊を見ることが出来るようになっているらしい。そしてその、見えている幽霊のどこか一部に触れることで、触れている間その幽霊を同じように半霊化させることが出来るそうだ。


「それは、半霊半物質はんぶっしつとは違うんですか」


 話が一段落すると不意に里子が静妃先輩にそう尋ねる。……なんだそれ?


「へぇ……よくそのことを知ってたな。実は霊魂学に凝ってたりとかする?」

「いえ、そんな学問があるってことも知りませんでした。この知識も、確かそんな名称を何かの本で見たことがあっただけです。ですから、それが何のことなのかもよくわかりません」


 そんな単語が含まれている本って何だよ。

 それにそんな単語が文中にあっても普通覚えてたりしねぇよ。


「……それでその凡例物質、じゃなくて半霊物質は何か関係があるんですか」


 うーん、と唸ると静妃先輩は少し思案顔になりながら話しだした。


「そうだな、霊魂学の考えに沿って説明すると。まず肉体と、肉体に重なって存在する死後の世界で使用する身体である幽体を接着しているものが外に漏れ出すと、それは半幽質、半物質のエクトプラズムとなるんだ。これが半霊半物質だ。まあ、霊魂学では半霊とは言わないが。それは半幽質のため、幽体の存在である霊魂からよく見え。半物質であるため、物質にも作用することができる。また、この半霊半物質は念力なんかにも使える。だから、心霊研究とかにおいても注目されたことがあるんだよな。これは本来、肉体と幽体をつなぐ役目をしてるから外に漏れ出して良いものじゃない。……とは言っても、あくまでお前さんは半霊で、半霊物質とは関係あるようでいて関係はない。そうだな、半霊化状態ってのは、この半霊物質が幽体にくっついたまま肉体から離脱した状態ってことかな」


 結局半霊物質が何かはわからなかったが、この僕の体はそれに似ているってことか。

 それは確かにおもしろい力なのかもしれない。僕のこの力があれば、人間が幽霊に触ることができるようになり、今まで知ることのなかった歴史の真実を知ることができるかもしれない。このことをあの学者連中が知ったらとんでもないことになっていただろうな。


 でも、僕にとってそれはただおもしろい力というだけだ。

 ……僕が今一番知りたいのはそんな補足事項なんかじゃない。


「……僕は元の体に戻れると思いますか」


 やっぱり、今は何よりもそのことを教えてもらいたかった。



     ◆     ◆



 僕らは昨日病院に寄ったときに、僕の体を元通りに戻せないかと色々やってみていた。

 こうして心臓もゆっくりとだが動いて生きているのだから、今はいわば幽体離脱をしている状態。それなら元に戻せないことはないだろうと色々と試しにやってみたのだ。それこそ本当に普通では考えられないような無茶なことまで考えうる限り、片っ端からやってみた。


 まずは安直に体を重ね合わせてみて中に戻れないかやってみたり、体中に写経してひたすらうろ覚えの念仏を唱えたり、それっぽい魔方陣を描いてその真ん中に体を置いて僕自身を召喚しようとしてみたりとか。他にも晶が冗談で言っていたみたいにもっとドラマチックな感じに目覚めのキスや涙とかで生き返らせようとしてみたりもした。


 でも結局それらしい成果はあがらなかった。

 だめ元でやってみたことだったが、ここまで掠りもしないことってあるんだな。まあ、僕の存在自体がイレギュラーみたいなものなのだから。出される結果もイレギュラーなものになるのは当たり前と言えば当たり前なのか。



 ……それにしても、あのキスは良かった。

 里子は何の躊躇ためらいもなく僕にキスをしてくれたけど、あれは間違いなく僕のファーストキスだった。でも里子にとってはどうだったんだろう。……もう少し欲を言えば里子には頬を少し赤く染めて戸惑う様子とかを見せて欲しかった。

 だってあれはここにいる僕にではなく、ベッドに寝ていた僕の体にしたのだから。その体は僕のものであって僕のものじゃないんだよ……。


 ……寝ている間に起こった出来事をビデオで見ているようなもどかしさだった。

 ああファーストキスが、僕のファーストキスが……。


「色々やったけど私は魔方陣のやつがけっこう面白かったな。何を間違えたのか、変なモノがさっちゃんの体に降りてきちゃったみたいで、びくびく体が動いて奇声上げているんだもん。元に戻すの結構大変だったよ。かなり笑わせてもらったけどさ」


 笑うなよ、それからあれは面白かったの一言じゃ済まないだろ。

 白目で歯茎剥き出して、腕とか脚とか、手とか首とかの関節が普段曲がっちゃいけない方向に曲がってこっちにすごい勢いで迫って来てたじゃないか。まったく笑えないよ。


 あの時とっさに魔方陣を消していなかったらどうなっていたことか……。

 笑い事じゃない。あの後外れた関節を里子がはめなおしてくれたからよかったものの、あれは下手しなくても死んでたぞ。それに召喚術なんて胡散臭いモノを、知識もろくにもってない素人が安易にやるべきじゃないだろ。少なくとも片手に『誰にもできる簡単召喚術、入門編』なんて、明らかに紛い物の本を持ってやる素人の召喚術が成功するはずがない。


 いまさらだけど、あの時止めておくべきだった。浮遊霊を呼べたというだけでも奇跡だ。

 僕の体に呼んでもらいたくはなかったけどな!

 しかし、静妃先輩はなぜか感心していた。


「へぇすごいな、リコちゃん。浮遊霊の召喚なんてやってたのか。私も幼稚園のときにやってみたことがあるんだよ。あれは確か、同じ組のみんなで飼ってたウサギが死んじゃったからそれを生き返らせようとしたんだったかな。だけどあのとき何を間違えたのか、死んだウサギの霊じゃなくてメフィストフェレス級の悪魔を呼んじゃたみたいで。いやぁ、さすがの私もあのときばかりは本当に驚いた。ウサギが元の五倍くらい大きくなるし、そのまま二本足で立って人語喋れるようになるはで、本当に破茶滅茶だったよ。まあ、今となっては懐かしい思い出の一つってところだな。あの頃はまだ私も若かった。」


 そして懐かしそうにしながらとんでもないことを言う。そりゃ、幼稚園の頃の話なら若いに決まっているでしょう。だけどそれは浮遊霊の召喚じゃなくて反魂の儀式でしょう。

 動物とはいえ、規模が違うよ規模が。そして召喚してるものが違うよ。


「すごいですね。それでウサギはどうなったんですか、今も元気にしているんですか」


 里子は身を少し乗り出して、まるで好きなテレビ番組のように話に食いついた。


「いや……残念だけどそれはわからないんだよ、逃がしちゃって。ウサギなんかの小さな器に無理にあんな大物の悪魔を入れてたせいなのか、暴走っていうか拒絶反応が起こったんだよ。あいつ、真っ先に召喚者である私を襲ってきたよ。保育園の運動場で儀式をしてたんだけど。召喚が終わった後辺りから急に暗雲が立ち込めて、周りはパニック状態。幸いなことに怪我人は出なかったんだけど、近くの木に落雷があって火事になりかけたんだよ。迷惑な奴だ。まあ、馬鹿正直に正面から飛び掛ってきたから、軽く返り討ちにしてやったけどな。……にしても、リコちゃんには素質があるのかもね。よかったらここに入部してみないかい」


 社交辞令半分、本気の勧誘が半分という感じで里子の手を握る。

 だが里子はその手の勧誘は慣れたもので静妃先輩の手をやんわりと解くと、顔の前でその手をひらひらと動かして。そんな大したことないですよでも気が向いたらそれも考えてみますねそれから私の名前はリコじゃなくてサトコですよ。……とかなんとか受け流しながら、すでにオカ研のこの空気にすっかりと溶け込んでしまっている。恐るべきひとあたりの良さだ。


 僕はそんな大した才能は持ち合わせてはいないので、幼稚園で間違ってやったにしても地獄の大公級の悪魔なんて物騒な奴呼ぶなよ、そして逃がすなよ! 下手したら死人が出るだろ! ……と、心の中で突っ込んでおくだけにしておく。

 面と向かってはあえて言わない。というか言えない。


「何か言いたげな目だな、何か文句でもあるのか」

「いいえ、べっつにぃ」


 別に、ただずいぶんと胡散臭い話だなと思っただけですよ。

 しばらく訝しげに僕のことを見ていたが、諦めたのかそれとも飽きたのか、組んでいた腕を解いて頭に手を当てるようにして何か考え込んでしまった。


「まあいいか。……その試してみたという話を聞く限りでは、霊体の入ってない肉体は人工物と同じ扱いになっているってわけか。恐らく正確には自然物と人工物という分け方ではなく、その物体に霊が宿っているのか、いないのかという違いだろうな。壁なんかをすり抜けられるのも体が霊そのものになっているから。なるほど、だから始めから霊の宿っている自然の物体には触れられて、霊の入っていない人工的に作られた物体に触れられていないのか。それ故に自由に霊の入っていない肉体に留まって元のように動くことは出来ない。半霊化は幽体離脱と違って霊体と肉体の繋がりが完全に断たれてしまっている。幽体離脱の場合は霊体と肉体の間にある魂の緒によって繋がっているはずだ。それが断たれているということは、普通に考えるとそれは死んでいるってことだろ。それなのに肉体は生命活動を続けている。つまり幽体離脱とは違う方式で肉体から霊体が離脱しているということか。ということはあたしが知っている方法での救出は無理か。ならどうやって霊体に干渉するかだ。人工的に作られた物体にも霊が宿ることはよくある。なら人工物の中にも半霊化した人間に干渉することのできる物体がどこかにあるはずだ。それを見つけることができればあるいは…………」


 静妃先輩は額に手のひらを当てながらブツブツと何か言っている。始めのうちは僕に言ってくれているのかと思ったがどうやら違うようだ。途中から独り言になっている。

 そして、唐突に手のひらを額から離して呟きが消えた。


「……なら、元の体に入った後に霊体と肉体に同時に干渉できる物体で繋ぎ止めればいい」

「…………それって何を使うんですか」


 それができないから今困っているんでしょうが。


「まだわからん。こっちで調べてやってもいいし、よければ見つけて来てやる」


 上着のポケットから小箱を取り出し、中から一本取り出し口にくわえるとそれに火を、……点けたりはしなかった。それはそうだ、口にくわえたプリッツに火をつける人なんていない。それに静妃先輩は未成年だ。タバコなんて吸いはしまい。


「……でもどうして、いきなり押しかけてきた僕らなんかにそこまで親切なんですか。まさか萌葱の魔女ともあろう人が、無条件で何の見返りもなく手伝ってくれているってわけがないんでしょう。これの対価はいったいなんですか。払えるものしか払えませんよ」

「ちょっとさっちゃん。……それは姐さんに失礼だよ」


 僕がソファから立ち上がり(もともと座っていなかったが)静妃先輩の方へ一歩踏み出そうとすると、里子が腕を掴んで引き止めた。……っていうか、その姐さんって静妃先輩のことか。


「萌葱の魔女ともあろう人が、か。……その通り名は自分で名乗ったわけじゃないんだけど。魔女ってそんなに印象悪いのかな。けどそうだな、お前さんがそこまでやりたいと言うんなら……。面倒ついでと言っては何だが、あたしの仕事を手伝ってくれないか」


 のんきそうにプリッツをぽりぽりと食べながらそんなことを言う。


「なんで面倒ついでに仕事を頼まれるんです、対価は体で払えってことですか」

「なんか体で払えって言うとエロい感じがするな。でも、ようはそういうこと。細かいところは少し違って話の流れでというか、お前さんが自分から申し出たことだからだし。それに丁度いいときに良い人材が現れたから渡りに船って感じで頼んでみた」

「渡りに舟って――」

「分かりました、ぜひ手伝わせて下さい」


 僕の腕を掴んだまま里子が突然そんなことを言う。何言ってるんだこいつ。


「ちょっと待て里子、なぜお前が先に承諾しようとする。お前はもう十分やってくれた。これ以上手伝ってもらう必要はない。それから仕事内容も聞かされてないのに即決なんかするな。……それで、僕にどんな仕事を手伝えというんですか」

「なに心配することはない。単純で簡単な仕事だよ。あたしが普段、授業や生徒会活動の合間にちょこちょこっとやってる程度の副業だからさ。すぐにできるよ」


 授業の合間にやっているってことは十分、昼休みにやっているとしてもせいぜい四十分程度で終わらせられるような仕事ってことか。ということはそこまで大変な仕事じゃないのかな。


「簡単ですか。それくらいなら僕も手伝ってみてもいいかもしれません」

「おっ、手伝ってくれるのかい。無理なら自分でやろうかと思ってたからな、助かった」

「ええ、いいですよ。やらせてください。いきなり部室に押しかけた上にこの体を元に戻すのを手伝ってもらっているわけですから。これくらいの対価でいいなら安いもんですよ」

「……そうか、何だか無理矢理仕事をやらせたみたいで悪いな」

「いえ、構わないですよ姐さん! まさか姐さんのあの仕事の手伝いができる日が来るなんて夢にも思いませんでした。本当に光栄です! 交路里子。たとえこの身が果てようとも、必ず我が牙は目標の喉元へと喰らい付いてみせます」


 息荒く、僕の腕を強く掴みながら宣言する。いいかげん腕を放してもらえないかな。


「本当に手伝いたいのか、何があっても知らないぞ。……それにしても、何かずいぶんと張り切るんだな。別にその手伝いが殺し合いでこれから血みどろの戦場に向かうってわけでもないだろうに、血気盛ん過ぎるぞ。少し落ち着け」

「あれ、もしかしてさっちゃんは知らなかったりするの? 静妃先輩のしてる副業って言えば〝学校の怪談潰し〟じゃん。あれは殺し合いの戦場って言っても過言じゃないよ」

「学校の怪談潰し? なんだそりゃ」


 聞いた限りでもずいぶんと物騒な響きだな。


「ずいぶん血生臭い話に聞こえるけど、それは簡単に言えば学校の妖怪退治のことだ。けど、相手が妖怪じゃないときもあるし、相手を退治しないときだってあるから殺し合いばかりだと言わないか。それにそもそも、怪談が相手だってのに〝殺す〟ってのも変な話だ」

「……………それって、滅茶苦茶危ないじゃないですか」

「危なくないと言ったか?」

「……言ってませんけど、単純で簡単な仕事だって言ったじゃないですか」

「必ずしも簡単であることと、安全であることはイコールで結ばれてはいないのだよ」

「それは分かりますけど、何だか腑に落ちません」


 なんか詐欺に遭った気分だ。……って言うか、これは詐欺だ。


「大丈夫だよ。今のさっちゃんなら、そんなに大変な仕事じゃないはずだよ。……それにほら、私だってついてるし。心配いらないよ!」

「でも里子に霊は見えないじゃん」


 元気よく言ってくれたのは頼もしいが、結局それが問題だった。

 怪談でも何でも、相手にするのはそんな目に見えない物達なのだから。


「それは、そうだけど……」


 痛いところを付かれたのか、里子は腕をやっと放してくれた。

 一人だと大変そうだけど、僕だけでやるしかない。まあ、始めから里子にこれ以上の迷惑を掛けるつもりはなかったし、これはこれで良かった。しっかり対価の分の手伝いはしよう。


「ああ、そんな事なら心配するな。リコちゃん、こっちまで来てくれないか」

静妃先輩はソファから立ち上がると、黒いカーテンの閉まっている一角まで歩いていった。それから、「カーテンを開けたら、こいつの手を握って中をよく見てみな」と言った。


 少し訝しげにしながら里子と僕はその怪しいカーテンのところまで歩いていった。

そしてそのカーテンの端を掴んで中を覗くと。


「……っ! あなたは」


 里子がカーテンを開けて始めに驚いたのは僕だった。


「カーテンの中ですか? 別に何も……っ! 誰ですかあなた、いつからそこに」


 次に驚いたのは僕の手をつかんだ里子だった。

 そこには少し前に見たことのある顔――


『誰だとは失礼ですね。さっきからいましたよ』


 あの時煉瓦の壁に埋まって本を読んでいた、メガネにポニーテールの女生徒だった。




「リコちゃんはともかく、お前さんはもうこの子と会ったことあるよな。だけどお互いに自己紹介はまだみたいだな。この子の名前は多豆留たずる女鶴めづるだ。字は多い豆が留まると書いて多豆留、女の鶴と書いて女鶴だ。ここの新入部員で事務をやってもらおうとしている」


 そうやって紹介するということは、少なくとも静妃先輩は女鶴さんのような幽霊を見ることができるというわけか。まあ、見れなきゃオカ研とは言え幽霊を部員にできないよな。けど、それなら同じオカ研の副部長である泉さんも幽霊を見れるのか? そうは見えないけど。


 そして彼女は久しぶりと、手を振ってくれた。

 しかし、多豆留? あれ、その名字はどこかで聞いたことがあるような。

 ……だけど、それがどこでだったのか思い出すことも、手を振り返すこともできなかった。


「誰なのこの子! もう会ったことあるって何、久しぶりって何なのよ!」

「うわぁ、苦しくはないんだけど。視界がぶれて気持ち悪ぃ」


 なぜなら里子に首を掴まれて前後に思いっきり揺らされているからだ。


「いいから吐け、この子はいったい誰でどんな関係なんだ!」

「吐くものもないのに吐きそうだ。気持ちぃ悪ぃよぉー」


 だめだ、このままだと堕とされる。しだいに気持ち悪さも次第になくなり、だんだん意識が朦朧もうろうとして今にも堕ちてしまいそうになったとき。ふいに小さな声がした。


『……あのぉ、この人と私は、この人が事故に遭ったときに知り合って壁に埋もれながら一緒に本を読んだだけです。もしかしたらその人とは知り合いとも呼べない関係かもしれないので心配しないで、その手を放してあげてください』


 消え入るように女鶴さんは口を動かさずに言った。

 それは、これこそ幽霊の声だとでも言うような頭に直接響いてくる不思議で綺麗な声だった。……やっぱり幽霊も本家と言うか、本物は違う。


「えっ、そうなの。ごめん、別にそれを疑ってたわけじゃなくて……。ええと、そうだ。私の名前は交路里子。字は交わる路地と書いて交路、里の子供と書いて里子。こいつは私の友達でさっちゃん。ええと、よろしく。……って、どこ行っちゃったの?」


 そう言って誤魔化しがてら僕から手を放して握手しようとしたため、里子に女鶴さんの姿は見えなくなってしまった。まあ、誤魔化せてなかったけど。


「……何か先に里子に紹介されちゃったけど。僕は伊澄榊。伊豆の伊には澄んだ水の澄で伊澄、木編に神と書いて榊。あのときは自己紹介できなくて本当にごめん」

『構いません。それよりも、また会えて嬉しいです』

「あ、ありがとう。僕も会えて嬉しいよ」

「へぇ、ずいぶんと親しそうじゃない……」


 里子はなぜか不機嫌そうにこっちを見ている。


「リコちゃんが何か不服そうな顔してるけどともかく、これで何も心配なしだろ」

「そんなんでいいんですかね……」


 これで何も心配なし、とは言っても。それだとその怪談潰しの手伝いをしている間はずっと手を繋いでないといけないんじゃないか。何もないときはそれでもいいけど。それだともし、いざ目標の怪談と戦う場面になったときは不便になるんじゃないか。僕じゃなく里子が。




「じゃあ、多豆留の出番はこれで終わりかな。このこには早く事務の仕事を覚えさせてもっと手伝ってもらわないと。これは毎年のことだけど、うちの部は活動内容が多いくせに部員不足で困ってるんだよ。それこそ、こんな幽霊部員に頑張ってもらわなきゃいけないほどにさ」


 幽霊部員って、本当に幽霊の部員だな。もはや洒落になってない。


「あっ、いえちょっと待って下さい。ひとつ訊きたいことが――」


 そう言って里子が女鶴さんに(見ている場所は見当違いの方向だったが)声を掛けた。


「ん? 何かまだ多豆留に言いたいことでもあったのか。……おい、お前さん。そんなとこでボーっと突っ立ってないでリコちゃんの手をさっさと取ってやりな」

「あ、ああはい。わかりました」


 少し戸惑いながらも里子の手を握る。そう言えばこの体になってから、自分から里子の手を握るってことがなかったな。いや、それよりもっと前から里子の手なんて握っていなかった。最後に手を繋いだのはいつだっただろう。

 それほど懐かしいことだった。……などと思いつつさっさとてを繋いだ。


「ありがとうさっちゃん。えっと、では仕切りなおして。……あの、多豆留さんにひとつ訊きたいことがあるのですけど、いいですか?」

『いいですよ。なんでしょうか、私に答えられることでしたらなんでも訊いてください』


 女鶴さんは静妃先輩の傍らに立ち、里子の方を向いていた。


「では、さっそくお訊きしたいんですけど。多豆留さんは今までにさっちゃん、……えっと、この伊澄くんのように半霊化状態でいた人の話。できればそれから元に戻ったとかいう話を、噂話でもいいんでどこかで聞いたことがありませんか?」

『……それは無事元の体に戻ることができた、成功例ということですか。ですけど、どうしてそれを私に訊くのですか。そういう噂について訊くのでしたら私よりも部長である真堂さんにお尋ねになられた方がいいと思いますけど』


 自分の傍らに立つ静妃先輩を横目に見ながらそう里子に訊く。


「はい、出来ればどうやったのかも詳しく。それから、なんで静妃先輩じゃなくて多豆留さんにこのことを訊くのかと言われれば、その答えは簡単です。それは姐さんよりもあなたの方が話をはぐらかさずに答えてくれると思ったからです」

「里子、お前……」


 よく本人を前にして、そんな失礼なこと言えるよな。僕なんかの態度よりもお前のその態度の方がよっぽど先輩に対して失礼じゃないか。だけど、里子の言うことももっともだと思う。だからあえて言おう、よく言った。


「リコちゃんの言う通りだな。あたしなら絶対に本当のことは話さない」

「だから先輩も自信満々に言わないでくださいよ」


 なぜか自慢げ胸を張りながら嘘吐き生徒会長は言い張った。

 そんなことより、口にくわえたその大量のプリッツをどうにかしてくださいよ。

いくらなんでも一ダースをいっぺんにくわえて喋られると気が散ります。……っていうか、まだ食べ終わってないのに次の箱を開けようとしないでください。ぽろぽろと欠片を落として行儀が悪いにもほどがあります。それでも生徒会長ですか。


『……そうですね。そういう噂を聞いたことがあるかどうかと訊かれれば、あります』

「あるんですか!」


 里子が身を乗り出して女鶴さんに近付く。

 今度はしっかりと僕が里子の手を握っていたので見失うことはなかった。


「それで、いったいどうやって」

『えーと、ごめんなさい。変に期待させたみたいで悪いのですが。私はそういう噂話を聞いたというだけで、誰がそうだったのか、どうやったのか、そしてその後その人はどうなったのかとかの話はよく知らないんです』

「そう、でしたか……。ありがとうございました。その話を聞けなかったのは残念ですけど、同じような境遇の人がいたということがわかったことは貴重です。これで元に戻れる可能性が少しは見えたってことですから」


 いったんは落ち込んだ里子だったが、すぐに気を取り直した。里子の言った通り、同じ境遇にいた人が僕らと同じように元に戻る方法を探していたのだとすれば、もしかしたら元に戻る方法まで辿り着いていたかもしれない。


 よし、これで希望が見えた。

 そしてそこに女鶴さんのもう一言。それはまさに鶴の一言のようだった。


『ですがその出来事のあらましを知っている方なら、知っています』

「……おい、それは観夜子みやこのことを言っているのか」

 僕らは二人ともその言葉にすぐ反応したが、僕らが声を出すより前に言葉を挟まれた。


 見れば静妃先輩が少し語気を強めて女鶴さんの方を睨むようにしていた。


『……ええ、そうですけど。どうしたんですか』

「やっぱり観夜子のことか……」


 苦虫を噛みつぶしたような渋い顔で静妃先輩は眼鶴さんの方を見る。


「……観夜子って言うと、やっぱりうちの学校の図書館に出っていう怪談の『図書館の観夜子さん』のことですよね。……もしかして姐さんは知り合いなんですか、あの人と」


 里子は静妃先輩の言葉に反応する。

 ところでその図書館の観夜子さんって誰? なんのことなの?


「ああ、あの人ではなくあの怪談だがな。知り合いなのかと聞かれれば、そうだ。だから奴に話を聞くのは絶対に止めときな。ただ半霊化状態から元の体への戻り方を奴から訊きたいってだけならあたしが変わりに訊いといてやるから」

「それならそれでいいんですけど。なんで止めた方がいいんですか」


 また里子は知っているみたいだが、僕はその怪談を知らない。


「お前さんは今、何故人はさっさと死なないんですか、と訊くのと同じ意味の質問をした」

「死ににいくようなものって事ですか。……そんなに危ない人なんですね」


 だからその怪談の危険性も知らない。


「危なくはない、はずだ。だが命の代わりに大切な何かを失うことになるぞ」

「……何かあったんですか」

「あたしには何も、あいつとはよく話するし結構仲も良いぞ。けど他の奴らにな……」

「…………何かあったんですね」

「ああ、何があったのかなんて訊くなよ。なんて言ってもあいつは不動の怪談だからな、格が、いや核が違う。あいつに比べたら、トイレの花子さんや科学準備室の人体模型どころか、あのてけてけだってかわいいもんだぞ。あいつら基本的にただ人を驚かすってだけだし」

「なら、女鶴さんの言っていた調べ物は先輩に任せた方がいいですかね。……それで少し話がずれましたけど、結局私達がする仕事内容はなんなのですか。……たぶん今の話の流れだと、怪談潰しってことは決定でしょうけど」

「ああ、仕事内容ね。それはすごく簡単。……それに仕事を手伝ってもらうと言っても、この仕事の手伝いはこれから頼む一度切りでいいし、上手くいけばたぶん、この一度の手伝いでここにお前さん達がいる意味はなくなるはずだ」

「………………?」


 部室の中央に置いてある高そうな黒いソファに腰掛け魔女、もとい静妃先輩は言った。

 そういえば静妃先輩は元の体に戻るには霊体と肉体が離れないよう何か別のモノで繋ぎ止めてしまえばいいと言っていた。簡単な話ではないだろうが、確かに静妃先輩の言う通りに繋ぎ止めることが出来れば元の体に戻る事も可能だと思う。

 だけど霊体と肉体を一度に縛り付けられるものがそう簡単に見つかるかどうか……。


「……粗茶ですが、どうぞ」


 会話がいったん途切れたのを見越してか。そう言って泉さんは手際よく、かつ丁寧にさっきまでほうじ茶の入っていた湯飲みを下げると僕達の前に見るからに高そうなカップを置いた。


 淹れたのが日本茶じゃなくてもその言い回しは正しいのか僕はわからないが、別に構わないのかもしれない。ようは心遣いの問題だ。……それに粗茶ですっていうけど、絶対に高いよなこのお茶。里子なんか淹れられたばかりなのにもうおかわりしている。


 みんなの前にカップを置き終わると静妃先輩の隣に腰掛けた。

 その中身は美味しそうに淹れられたアップルティー。


「そこで、君たちに面白い怪談話をしてあげよう。きっと役に立つはずだ」


 静妃先輩はアップルティーを一口飲むと話し出した。

 僕達も一口飲む。

 ……美味い。



     ◆     ◆



 ちょうど同じ頃。

 場所はさっきの話にも出てきた図書館。

 里子の言う通り学習に使う生徒のために、休みの日でも普段から開けているというわけだが、実際はあまり学習に使われてはいない。それに今は昼間で、普段もこの時間帯は図書館に来る人が少なく並んでいる椅子もほとんど空いている。


 だがそれでも今日は珍しくそこには二人、否三人しかいなかった。

 天井に届くほどの高さの本棚に囲まれた広いスペース。

 その近くにあるすべて窓は全開になっているが、本が日で焼けないように窓から直射日光が当たらないよう工夫されている。その窓からは涼しい風が吹き込みカーテンを揺らしていた。


 そこで三人は向かい合っていた。

 二人は真っ白の髪に真っ白な服を着て、その髪や服よりも白い肌をした少女達。

 二人の白く細い手の中には、それで人を殴れば当たり所が悪ければ楽に殺せるんじゃないかというくらいの厚さの本があった。二冊とも相当古い本なのか、そこに書いてある字はどれも読めなかった。書かれている文字が何語なのかもよくわからない。漢字に書体が似ているが、それも判然としない。


 そして向かい合うもう一人。

 椅子に腰掛ける二人の前に立っているのはさっきの真っ白な二人とは対照的に真っ黒の服に真っ黒な髪の少女。本棚に背を預けるようにして立つその姿は、すらりとしていて背が高い。こちらは手に何も持っておらず、その代わりに頭には兎の耳を模った黒いカチューシャが取り付けられていた。彼女はニヤニヤとした顔で本を読む白い髪の二人の少女を見ていた。


「……………………………」

『…………………………………………………』

『…………………………………………………』


 しばらくの間、三人の間に沈黙が流れていた。


「それじゃあ、あの部長さんの対応はそんなことでよろしく」


 その沈黙を破ったのは黒い髪の少女だった。


『……よろしくって、それってただの伝言板の役をしなさいってことじゃないの』

『よろしくって、それってただの伝言板の役をしなさいってことじゃないの』


 二人の白い髪の少女は俯かせていた顔をゆっくりと上げると本を同じタイミングで閉じた。その一人は黒い髪の少女に、もう一人は同じ言葉を繰り返して言った。二人はまるで鏡に映したかのように同じ姿を……いや、一つのオリジナルを複製したかのように同じ姿をしていた。


「まあ、そうとも言えるわな」


 今初めてそれに気付いたかのように白々しく黒い髪の少女は言う。


『そうとしか言えないわ』

『そうとしか言えないわ』


 またさっきと同じように白い髪の二人は言った。


「まあ、いいじゃないかそのくらい。それにまともに会話してくれるのはあの部長さんくらいなんだろ。他の人達は出会うたびに脅かしてるそうじゃないか。だめだよ、そんな悪戯したら」

『……向こうが勝手に驚いているだけじゃない。私はただそこにいるだけなのよ』

『向こうが勝手に驚いているだけじゃない。私はただそこにいるだけなのよ』

「そこにいるってだけで十分ってことなんだろ。なんて言ってもあの部長さんの言葉を借りるなら、お前達は。……いや、お前は不動の怪談っていうらしいからな。観夜子さん」


 図書館の床に落ちている影は一つ、黒い髪の少女から伸びている影だけだった。

 そして二人は苦笑するように言った。


『不動って言われても、何が不動なのでしょうね』

『不動って言われても、何が不動なのでしょうね』

「それはやっぱり怪談の番号とかがじゃないか。よく知らないけど。……ああ、もしかしたら不動明王みたいだから不動ってことかもしれないぞ。観夜子って怒るとかなり怖いし」


 黒い髪の少女は自分の言ったことが可笑しかったのか楽しそうに笑った。


『……怒れば誰だって怖くなります。いつも怒らせているのは誰ですか』

『怒れば誰だって怖くなります。いつも怒らせているのは誰ですか』


 二人は同じように黒い髪の少女を睨みつけた。


「いやぁ、ホント誰なんだろうね。うちの神社の神様を不動明王みたいに怒らせているのは。世の中にはとんだ罰当たりな奴がいたものですねぇ。そう思いません?」


 そっぽを向きながら黒い髪の少女が二人の方に歩いて来た。


『……本当にそう思いますよ。罰当たりな神主さん』

『本当にそう思いますよ。罰当たりな神主さん』

「そんな神主だなんて。ただのバイトですよ。参拝客はいないし、本物の神主はもあの古びた神社のことなんか忘れてますよ。伝統があるって言っても、あれじゃただ古いだけでしょ」

『そんな古びた神社を毎日竹箒で綺麗に掃いている奇特きとくなバイトがよく言いますね』

『そんな古びた神社を毎日竹箒で綺麗に掃いている奇特なバイトがよく言いますね』

危篤きとくとは失礼な。枯れ葉を掃くくらいしかすることがないってだけですよ。……にしても。闇堂あんどう観夜子だったり兎魔トマノ白童子ハクドウジだったりと、そんなに名があるのって大変じゃないですか?」


『貴方も私達に名をつけた一人じゃないですか。何を今更』

『貴方も私達に名をつけた一人じゃないですか。何を今更』


 二人は呆れたように首を振る。その動きもまったく一緒だった。

『私達は私達。今は自分の名を貴方がつけた兎月とつき燈と兎月影だと思っていますよ』

『私達は私達。今は自分の名を貴方がつけた兎月影と兎月燈だと思っていますよ』

「でも図書館の中では学校の十三怪談の一つ、図書館の観夜子さんなんでしょ? ……まあ、これもこの世界を守る仕事の一つだと思って、よろしくお願いしますよ」

『それもあの子のためなのですか?』

『それもあの子のためなのですね』


 疑問符を浮かべた方の一人が椅子から立ち上がり、もう一人が座っている椅子に腰掛けた。


「……貴方は仕方のない人ですね。お人よしのウサギさん」


 その姿はさっきよりもだいぶ幼く、黒い髪の少女の腰辺りまでしか背がなかった。


「そうやって付き合ってくれる君も、だいぶお人よしだと思うよ。神様」


 そして図書館には、分厚い本を持った一人の幽霊と一人の背の高い少女だけが残っていた。


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