第4話 洗礼名ノーラ

 そんな訳で、目出度く本当の意味で”魔法使い”になった訳なんだけど、とりあえず俺の目の前にある問題は魔法では片付けられない物なんだよな。実際、欠損した身体の一部を再生出来たあちらでもリハビリは必要だった訳だしね。


 翌日には母さんが、週末には父さんが見舞いにやって来たけど、あちらは相変わらずだった。良い意味で俺の事故程度では、変わらないらしいね。


 母さんの最初の一言なんて、”あら、本当に起きたのね”だったぞ! いや、その裏には色んな感情が見て取れたから、文句も言えなかったけどね。


 父さんなんかは、会話が成り立たなかったよ。ただ黙って俺を見ているだけなんだぞ。帰り際に、肩を一度叩かれたのには、不覚にもジーンと来てしまったけどな。(以前の俺なら、沈黙に耐えられなくなって爆発していただろうね)


「更夜君、珍しいわね、読書?」


「ええ、原さん。テレビばかりだと飽きるので・・・」


「そうね、院内って娯楽が少ないものね、外に出て散歩でも出来れば良いんだけどね」


「はい、窓からでも木々の緑が眩しいですよ」


 ニルヴァーナがこちらの木々と話し合いたがっているけどね。俺自身は、同調の訓練を兼ねてこっそり出歩いているけど、本当に環境は良いよ。(病気を治すという観点でだけでね)


「車椅子で中庭位なら大丈夫よ?」


「いえ、ご迷惑でしょうし、出歩くなら自分の足で歩きたいと思います」


「そう? そう思うのなら、無理強いはしないでおきましょう」


 実際に、この病院の周辺の緑を見てしまうと、中庭程度じゃ我慢できないだろうね。知り合いになった患者さんによれば、この病院の近くの町を少し離れると携帯の電波が入らなくなるそうだ。今の日本でそんな場所が多いとは思えないけどね。(俺の携帯は事故で使い物にならなくなっていたらしいが、この病院に居る限り無用の長物なんだよな)


「ありがとうございます」


「でも、お母様に持ってきてもらった本なんでしょう?」


「そうです、アパートに行ってもらいました」


 着替えは用意されていたけど、やはり身の回りの物が足りなくて、母さんに借りているアパートまで行ってもらったんだ。家賃は、父さんが立て替えてくれていた様だよ。苦しい家計も一段落ついたと聞かされたから一安心だ。(本当なら一段落つく類の物じゃないんだけどな?)


「その割には面白そうじゃないわね?」


「えっ?」


「態々、運んで来てもらったんだから、お気に入りだったんでしょうに?」


 ふむ、別に表情をコントロールしていた訳じゃないけど、そこまで露骨に出ていたかな?


「おかしいですか? 何度か読んだ本ですからね」


「ふーん」


 今俺が読んでいるのは”あの小説”なんだが、何故だろう以前の様に引き込まれる感じがしないんだよな。俺自身が変わった事も起因するんだろうけど、そうだな、こんな可能性もあるかな?


”あの世界は、あの小説を読んだ『俺達(どくしゃ)の想い』が作り出した物だった”


 そう考えると、転生者達があの世界で大きな影響力を持っていた説明にはなるし、あの世界に転生する為にその情熱を消費してしまったから、物語に干渉する意志を失ったとかも考えられないでもない。


 ニルヴァーナの焦げ跡の原因にもなった、”私”の死に様がある意味読者の呪縛に思えるけど、確認のしようもない話だよね?


「そうだ、ネットへ繋ぐ手続きは終わったわよ」


「そうですか、早かったですね」


「早いも何も、そこにケーブルを繋げば終わりよ? 申請なんて、妙な事に使われない様に釘を刺しているだけだし」


「そうですか、母にノートPCを頼んだんですけど・・・」


 そう言う事なら、早めに手配してもらうんだったな。こんな山奥だと、情報弱者になりそうなんだよ。それにちょっと考えている事があったんだけど・・・。(無線は医療機器でしか使用許可が降りず、有線のみネットに繋げるというのは病院の方針らしい。携帯のほうもPHSしか使えないんだ)

 アパートには中古デスクトップPCはあるけど、ノートは貯金して新品を買う予定だったんだ。(貧乏学生は辛いよね)


===


 原さんが、嫌な感じの笑顔(ニヤニヤと言うのがピッタリのな)で病室にやってきたのは次の日だった。


「更夜クン、お客様ですよ?」


「原さん? 何か変ですよ?」


「そうかしら?」


 変じゃなくって、明らかに面白がっている。何が面白いんだろうか?


「まあ良いですけどね。お客様ですか?」


「そうよ、さあ、ってあれ?」


 原さんが後ろを振り返ったが、そこに誰も居ないのは俺からは見えるんだよね。廊下にでもいるのだろうと思っていたんだけど、何処かではぐれたらしいな。


 もしかして、大学の友人かな? こんな山奥まで良く来たものだ、最寄の駅からタクシーでも20分以上かかると聞いたんだけどな。(車を持っている奴って居たかな?)


「あの、如月さん?」


 いや、一年も経てば免許を取る奴も居るかな?


「更夜君?」


 それも考え辛いか、少なくとも俺並みに苦学生ばかりだったからな。


「コーヤさん!」


「ごめん、ノーラ、ちょっと考え・・・」


 しまった、癖で、妙な事を言ってしまった。”コーヤさん”と呼ぶ声のイントネーションがあまりにも似ていたものだから。


「いいえ、構いませんよ? 何か考え事でしたか?」


「・・・」


 この女性は、誰だ? ノーラに似ていると言えば似ているが、何故明らかに日本人なのに”ノーラ”と呼んで返事をしたんだ?


「どうしました?」


「・・・」


 顔立ちは彼女に似ているけど、美しい黒髪や象牙色の肌は別物だ。長身なのは同じで、プロポーションも・・・。


「あの、そんなに見詰めないでください」


「あ、すみません。あの、どなたでしょうか?」


「こちらこそごめんなさいね、柳沢智香(やなぎさわ・ともか)と言います」


「柳沢さんですか?」


「はい、この度は、私の従兄弟がご迷惑をおかけして申し訳ありませんでした」


 そう謝罪しながら、その女性は深々と頭を下げた。別にこの人の責任と言う訳では無いだろうに・・・。


「もしかして、僕を轢いた人と言うのは?」


「はい、従兄弟の実です」


「それでは、貴女が”お嬢様”なんですね?」


「原さんですね? 本名は教えなかったとか言ってたし、洗礼名とか知ってるし、困った人ね」


 ノーラと言うのは、洗礼名だったんだな、この病院の経営者の縁者ならクリスチャンだった方が自然だろうが、こんな偶然があるんだな。


「柳沢・ノーラ・智香と言うんですか?」


「ちょっと違うんですよ、ノーラ・柳沢・智香というのが普通なの」


「そうでしたか、すみません無知で、柳沢さん」


「出来れば、名前のほうで呼んで欲しいな? 別にノーラって呼んでも良いですよ?」


「うっ! 智香さんは年上ですよね、呼び捨ては・・・」


 言ってしまってから、年上発言は拙いと思ったけど、俺自身の動揺が見て取れたのか智香さんは笑って受け流してくれた。何度か見舞ってくれたのは確からしいけど、何故こんなに親しげに話しかけてくれるのだろう?


 この女性は見るからに優秀に見えるよな。社長秘書とかが似合いそうな格好をしている。深緑色のスーツを身に着けていて、決して自分主張しすぎないけど、どうしても印象に残ってしまう。


「まあ、智香さんで我慢しましょう。更夜君?」


「どうして、そんなに普通に僕に話しかけられるんですか?」


「おかしいかしら? そうね、はじめて会った気がしないから、かな?」


「・・・」


「あー、照れてる可愛い! ごめんなさい、男の人に失礼な事を言ってしまって」


 駄目だ、俺も始めて会った気がしないし、この女性の前ではあちらの記憶が役に立つどころか、逆に作用している気がする。


「すぅ、はぁ?。いいえ、女性に褒めてもらえるなら、可愛いでも面白いでも歓迎ですよ」


「そう? 良かった」


「智香さんが、さっき僕を呼んだ時に、”コーヤさん”って言いましたよね?」


 ”彼女”とイントネーションまで同じだったから思わず普通に対応してしまったんだよな。その前には”更夜君”と呼んでいた気がするけど、そちらは耳を素通りしたんだ。


「ええ、それがどうしたの?」


「そうですね、何と言うか妙に耳に残っていたんですよ」


 彼女に何度も呼ばれたからね、耳どころか、身体まで反応してしまうんだよな?


「本当に!」


「ええ、不思議な事に今でも耳の中で聞こえている気がしますよ? どうしたんですか?」


「神よ、感謝いたします。私の言葉は届いていたのですね!」


 何故か瞳に涙を浮かべて、十字を切りながら架空の存在に感謝の言葉を述べる智香さんだった。根っからのクリスチャンなんだな。(放置されるのは、遠慮したいがね?)


「智香さん! 智香さん?」


「神よ・・・」


「ノーラ!」


「えっ? あ、ごめんなさい」


 何故、この名前が一番通るんだろうか? 日常的に洗礼名で呼ばれているのかな?


「どうしたんですか、急に?」


「えっとね、お見舞いに来る度に目が覚めてくれる様に何度も何度も貴方に呼びかけていたの。如月さんとか更夜君とかね」


「はぁ?」


「しっくり来るのが、更夜さんだったんだけど、繰り返している内にコーヤさんが言い易いなと思ったの。それを意識が無い貴方が覚えていた」


「いえ、その・・・。良かったら、もう一度寝ている僕に呼びかけてもらえませんか?」


 何故か、それがとても重要な事に思える。


「ちょっと恥かしいんだけど、ねえ?」


「お願いします、智香さん」


「どうしても?」


「ええ、もしかすると今晩眠ったら、また意識が戻らないかも知れませんよ?」


 冗談めかしてこんなお願いをしてが、これに関しては、冗談では無い部分もあるんだ。


「仕方ないわね、横になって目を瞑ってくれる?」


「勿論です!」


 いや、妙に力が入ったのは、特に意味が無いよ?


「コーヤさん、本当に目を覚ましてくれて嬉しく思います。碌でもない従兄弟でも、貴方に出会う切欠をくれた事だけは感謝します。そして、もう何処にも行かないでね、コーヤさん?」


「・・・」


 ああ、そうか、俺はこの声に呼ばれて帰って来たんだな。もしかすれば、この声に呼ばれなければ、あのまま死んだのかも・・・、違うな、目が覚めないままだったかも知れない。(仮にあちらで天寿を全うしても結果は変わらないだろうか?)

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