第3話 現実との境界

 病院と言う場所は、信じられない位就寝時間が早くて、21時を過ぎれば、殆ど人が出歩く事が無くなる。一般家庭でも低学年の子供以外はまだ起きている時間に寝る事になるんだ。


 今の俺には寝る事は必要なんだけど、あまり得意ではない。夢の世界に引き込まれそうだと漠然と感じていたし、今は少しだけ現実味を帯びてしまった。


 目覚めてから、あの夢の世界が現実だったらと考えなかった日は無かった?とは言わないけど、最期に”私”は死んだ筈なんだよな?


 まさか、あちらでも死んだと思わせて、実は生きていたとか・・・、有り得ないな。生きていれば俺が目覚めるのはおかしいだろうし?


「駄目だな、とりあえずは目の前の現実だぞ、更夜?」


 こんな時間まで我慢したのは、誰かが偶然にでも入ってきたら、かなり恥かしいからだ。結構慣れた積りなんだけど、恥かしいものは恥かしい。


 昼に、試した時は、当然の様に失敗だった。それも当然だろうね、俺は俺なんだから、杖(ニルヴァーナ)が応じてくれる筈も無い。


「僕の名前は如月更夜だよ。聞こえるかい、ニルヴァーナ?」


・・・


「聞こえるなら、何か反応してくれるかな?」


・・・


 だー、恥かしがっている場合じゃないぞ。杖兼精霊契約なんて2回目なんだから直ぐ上手く行くと思ったんだけどな? やっぱりあれは何かの脳の異常なんだろうか?


 何度か試してみたけど、杖からは何の答えも返って来なかった。別人じゃやっぱり無理なんだろうか? ん?何か記憶に引っかかりを憶えたぞ? それは他ならぬ、この杖自身に指摘された事だ。


「これが最後だ、これで失敗なら全て夢だった事にする」


「ニルヴァーナ聞こえるか?」


 俺の戸籍上の名前は”如月更夜”で間違っていないし、俺の知り合いも如月と呼ぶ。だけど、俺自身はそれを認めていなかったんじゃないかと悟らされた気がする。


 物心を付く前に取り上げられた名前は、俺の大嫌いだった叔父を想像させるんだけど、何処かで昔からの友人にそう呼びかけられる父さんの事を羨ましく思って居たんだろうな。


「ニルヴァーナ、俺の名前は、”鷲見更夜”だ!」


『ラ・・・』


「更夜だよ、ニルヴァーナ?」


『コーヤ、聞こえる?』


 記憶に残っている声ほどはっきりとではないけど、確かに聞こえる。あちらでも、こちらでも何時も傍に居た筈なのに、凄く懐かしく感じるのは何故だろう?


「ああ、小さいけど聞こえるよ」


『馬鹿ですね、泣く事なんてないのに』


「泣いてなんていないさ、なんでもっと早く、いや、君の呼びかけが聞こえなかったのは仕方が無い事だね?」


 こんなに暗ければ分からないだろうにな、いや泣いてないよ?


『ええ、貴方の名前は多すぎるのよ?』


「その辺りの事情は良く分かっているだろう? 今の名前は、俺だって気付いたばかりだ」


『そう言う所は、変わっていなくって安心するわ』


「褒められたと思っておくよ、もしかしてキュベレーもこっちへ?」


『分からないわ、途中まで一緒だった感覚はあるんだけど・・・』


「良いさ、呼んでみるだけの話だ。今の俺は”魔法使い”らしいからね」


 そして、あの儀式以来久しく唱えていなかった呪文を口にした。少し感覚が違うのか、呪文が上手く唱えられなかったのか分からないけど、あのゲートは現れたのにそこからは何も現れなかった。


「失敗か? 今の俺には”キュベレー”が必要無いのか、彼女に俺が必要ないのか・・・」


『あのねコーヤ?』


「何かな?」


 昔ほどダイレクトにでは無いが、苦笑している感じが伝わってくる。しかし、それでニルヴァーナの意図が分かった気がする。俺はアイツの二の舞をしているんだな?


「キュベレー、聞こえているかな?」


『大丈夫よ』


「今からもう一度儀式をやる、俺はちょっと動けないから、俺の前に頼む」


 起き上がる程度なら何とかだけど、キュベレーの方に動いてもらった方が早いだろうね。ニルヴァーナの的確なサポートと、ノトスの時の経験があれば説明はそれ程必要無いだろう。


『いいわよ』


 契約の呪文を唱えて、顔を前に少し出したけど、そもそも相手は触れられないのだからどうも勝手が分からない。気分的に言えば、目を閉じて口付けを待つ乙女だね、似合わないけどさ・・・。


『ラスティン、ラスティン、ラスティン、ラスティン!』


 直ぐにその声は聞こえる様になったのだけど、何やら混乱している上に間違っているね? 何故これで契約が成り立つんだろうか?


『キュベレー、久しぶりだね、いいや、始めましてかな?』


『ラスティン?』


『キュベレー、僕は”鷲見更夜”だ。如月更夜と名乗る事もあるけどね』


『私にとっては、ラスティンですよ?』


「そうなのかい?」


『はい、ラスティンが危ないと感じたから、こちらに跳んだですから』


「跳んだ?」


『でも、ちょっと間に合わなかったみたいで、ずっと起きなかったから心配していたんですよ?』


「うん? ずっと起きなかったとか、間に合わなかったとかどういう意味かな?」


『えっ? あの、赤い車にはねられた時ですけど・・・』


 どう言う事だ? 俺とラスティンが同じとか、事故の瞬間に呼ばれた? 完全に死んだと思えた事故で死ななかった理由にはなるんだろうか・・・。 召喚自体は世界も時間もあまり意味が無いのは憶えているんだけど、矛盾しないのか?


 そもそも、


何に矛盾するんだろうな?


俺は本当にあそこへ行ったのか?


単に記憶が転写されただけじゃなかったのだろうか?


 待てよ、


あの時何故”私”は、あの事を思い出せた?


記憶を奪われたのに思い出せた理由はコレなのか?


 俺の頭の中で目まぐるしく思考が流れていくけど、俺程度の頭では明確な結論は出せないみたいだ。ただ、記憶がある程度共有されていたんじゃないかという想像は出来るね。今でもあちらの事は現実感を伴って思い出せるし、俺が”私”にとってのバックアップの役目を果たしたという気もする。


 記憶と言う物で繋がっていたからこそ、キュベレーにとっては”ラスティン”と”更夜”が同じに見えるのだろうか? そして、ラスティンの消滅と共に、更夜の危機を感じたのだろうか?


「考えても仕方の無い話だな・・・」


『キュベレー、ニルヴァーナ、これからは色んな苦労があると思うけど、よろしく頼むよ?』


『『任せて!』』

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