第38話 十二月二十四日 クリスマスイブ

 珍しく店内を小走りに走り回りながら、右往左往している大野君を呼びとめた店長である。

 怪訝そうな顔で振り返る大野君を、半ば強引に食堂に連れて行った。


「大野君。さすがに今日はお客さんが多いな」


「クリスマスですからね……」


「惣菜コーナーも人だかりだな。フライドチキンやオードブルが飛ぶように売れていたぞ!」


「一昔前なら、イブの夜は『家族でレストラン』が定番だったのに、最近は内食ブームのおかげで販売店が繁盛していますからね」


「ピザやニギリ寿司も欠品しないように注意しとかないとな!」


「それは、各部門に通達しています」


「クリスマスケーキも在庫をみながら、値引きのタイミングは俺が指示するからと……」


「なんだか店長。今日はやり手の店長みたいですね」


「何を言っているんだ。今日の頑張りいかんで明日の朝、枕元に置かれるプレゼントの大きさが決まるんだぞ。サンタさんは見ているのだから!」


「店長……」


「なんだ……?」


「『先祖の壺』とか買わされたことがあるでしょう?」


 しみじみと大野君が言った。


「おう! 三回ほど」


 店長は、元気よく答えた。


「しかし、店長がこうなってしまった要因の一つに、親の教育にある事が、垣間見えました」


 笑いながら失礼な事を言う男である。


「ところで店長。なぜ僕を食堂に連れて来たんですか?」


「そうそう……その事だった」


 思い出したように、食堂の一角に位置する、畳の休憩室に向い歩き出した。


「売場がバタバタしているのに。こんな所に二人で居たら怒られますよ」


「だいたい、店長と副店長を怒るパートが居ること自体が問題だと思わないか?」


 そう言いながら、休憩室の座布団に正座した店長である。


「何をするんですか? あと三十分で昼ですよ」


「分かっている。みんなが昼飯で集まる前に見て欲しいものがあるんだ……」


「またよからぬことを考えているのじゃ……」


 独り言のように呟く大野君を目に前の椅子に腰かけるように指をさした。

 よく見たら、指したのは指で無く――懐から出した扇子だった。


「クリスマスは西洋のイベントだから、日本のお年寄りには馴染まないだろう?」


「そんな事ありません。最近は、お年寄りの方が盛り上がっていますよ」


 根拠も何もないセリフである。

 大野君の言葉など全く無視する店長。


「そこで、お年寄りが喜んでくれる『落語』を考えたんだが……聞いてくれるか?」


「え! 落語? 今ですか? ここで……」


 店長が最近落語にはまっていたのは聞いていたが、今ここで始めるとは思いもしなかった大野君である。

 文句を言って長引かせてもマズイと判断して――素直に聞くことにした。


「早めにお願いしますね」


「忙しくても、可笑しいところではちゃんと笑えよ」


 忙しいと分かっての暴挙である。


【まいどバカバカしいお笑いを一席――】

 毎度やられたんではたまったもんじゃないと、小さく舌打ちをする大野君を無視して落語が始まった。


 ご隠居 「熊さん。今日の仕事はもう終わったのかい?」


 熊さん 「へい! 年の瀬もここまで押し迫ったら、大工はもう正月でやんす」


 ご隠居 「正月とは気の早い。なら丁度よかった。こっちにおいでな」


 熊さん 「こっちに来いって……借りた金なら来年まで待ってやるって……」


 ご隠居 「借金の話じゃないよ。だいいち返せと言っても金なんか持っちゃいないだろう」


 熊さん 「馬鹿言っちゃいけねぇ。宵越よいごしの金は持たないが、借金の積立くらいは……」


 ご隠居 「しているのかい? あるなら少しでも返しておくれ……」


 熊さん 「しようと思っていますよ。再来年あたりから……」


 ご隠居 「再来年まで返す気が無いのかい。まぁ、そんなにあわてた金じゃないからいつでも構いやしないが……」


 熊さん 「さすがご隠居。それじゃ後五年ほど待ってもらえりゃ……」


 ご隠居 「バカ言っているんじゃないよ。今日は借金の話じゃないんだよ。熊さんに酒の相手でもして貰おうかな……ってね」


 熊さん 「酒! 酒ですか。ご馳走してくれるんでやすか? それならそうと早く行ってくださいよ。ご隠居も人が悪いんだからなぁ」


 ご隠居 「話を聞こうとしないからだろう。ほら、今日は、クリスマスイブじゃないか」


 熊さん 「クリスマス? ありゃ、すっかり忘れていたでやんす」


 ご隠居 「こんなに世間が騒いでいるのに、気づかないかねぇ」


 熊さん 「長屋の連中は、サンタどころか、サンマも食えねぇでやんすから。クリスマスどころか、首吊りマスでやんすよ」


 ご隠居 「なんだいそりゃ。冗談はさておき、今日はワインを飲んで楽しもうと思ったんだが、婆さんが急用で出かけてな。一人じゃ味気ないから誘ったんだよ。一緒にどうだい。オードブルも用意しているからさ」


 熊さん 「ワイン? ご隠居がワイン……ハイカラな物を飲んでやんすねぇ」


 ご隠居 「こう見えても、昔ソムリエをやっていてね。ワインにはちょっとうるさいんだ。屋根裏にワインセラーもあるしね」


 熊さん 「そんな西洋酒でクリスマスを祝ったりして大丈夫でやんすか?」


 ご隠居 「何か都合の悪い事でもあるのかい」


 熊さん 「いやね……もうすぐ天に昇ろうとしているご隠居なのに。西洋かぶれしてちゃあ、仏様の逆鱗げきりんに触れて地獄行きなんて……」


 ご隠居 「クリスマスになんちゅう縁起でもない事を。熊さんにワインをご馳走するのは止めるかねぇ」


 熊さ ん「そいつは勘弁を――酒を取り上げられちゃあ、アッシが成仏できねぇでやんすよ」


 ご隠居 「そうと決まれば。まずはこれから飲もうかね。ボルドーの赤だ。金賞を獲ったワインだよ」


 熊さん 「え! ドロボーですか。近所で盗ったワインですか? それなマズイでやんす。直ぐに返さないと」


 ご隠居 「『ドロボー』じゃなくて『ボルドー』……フランス地方のワインだよ。とにかく飲んでごらんよ」


 熊さん 「頂くでやんす……お! なかなか、おつな味でやんすね。美味いでやんす」


 ご隠居 「熊さんでも、ワインの味が分かるんだね。ほら、もう一杯……」


 熊さん 「美味いでやんす……おや? なんかグラスの底にゴミが溜まってるでやんすよ」


 ご隠居 「それは、オリといってね。古いワイン特有の沈殿物ちんでんぶつなんだよ」


 熊さん 「古くなると沈殿するでやんすか。ご隠居のシミと一緒でやんすな」


 ご隠居 「バカ言ってんじゃないよ。次はこの白ワインを飲んでみるかい」


 熊さん 「白? それが白でやんすか。それは――白じゃなくて透明でやんすよ」


 ご隠居 「この透明の酒を、白ワインというんだよ」


 熊さん 「そうでやんすか。アッシは白と言うから、てっきり『どぶろく』を飲ませてくれるのかと……」


 ご隠居 「それは日本酒だろう。ワインと言っただろう。ほらこれが『シャブリ』だよ。いいだろう。ほらシャブリ……」


 熊さん 「それは命令でやんすか? そりゃワインを飲ませて貰ったんで、舐めろと言われるなら舐めるでやんすが……どこを舐めやんしょ」


 ご隠居 「何を言っているんだい?」


 熊さん 「何って……ご隠居が、今『しゃぶれ』と」


 ご隠居 「バカ言ってんじゃないよ。シャブリだよ、シャブリ。ワインの銘柄、名前さ」


 熊さん 「ワインの名前でやんすか。アッシはてっきり、ご隠居がホモなのかと……」


 ご隠居 「バカ言ってんじゃないよ。もしも私がホモだとしても、そんな事受けるんじゃないよ。次は……シャンパンでも開けてみようかね」


 熊さん 「せっかくのクリスマスでやんすから。できるなら西洋の酒の方が……」


 ご隠居 「何を言っているんだい。シャンパンだよ、シャンパン」


 熊さん 「だから『ジャパン』でしょ。日本の『ジャパン』」


 ご隠居 「あはは。シャンパンはフランスの発砲性ワインだよ。『日本』じゃないさね」


 熊さん 「シャンパンでやんしたか。おっといけねぇ……こんな時間でやんす。カカァに早く帰って来いと言われていたのを思いだしたでやんす」


 ご隠居 「やっぱり家でクリスマスパーティをするから待ってんだよ。早く帰ってやりな。このシャンパンを、付き合ってくれたお礼にあげるからさ」 


 熊さん 「ありがとうやんす。ついで言っちゃあ何でやんすが……そのオードブルも、ちょいと頂いてよろしいやんすか」


 ご隠居 「オードブル? あぁ、いいよ。どうせこんなに食べれないんだ。持ってお帰りよ。今、折り箱を用意してあげるからね」


 熊さん 「やっぱり、ワインだけに『折り(オリ:沈殿物)』は付き物でやんすね」


 ご隠居 「上手いこと言うねぇ。じゃあ、ワインとかけて何と解く」


 熊さん 「謎かけでやんすか……そうでやんすね。『ワイン』とかけて『ご隠居とアッシ』と解きます」


 ご隠居 「私と、熊さんと解くかい……その心は」


 熊さん 「その心は……『古い方に価値があります』」


 ご隠居 「似合わないお世辞を言ってんじゃないよ。早く帰りな……」


 やっと終わったようだ。

 仰々しくお辞儀をする店長である。

 誰も居なかった食堂は、昼ご飯にやって来たパートさんで半分が埋めつくされていた。

 顔を上げた店長に向けて拍手が起こった。

 珍しく大野君も感動したようだ。畳の部屋に駈け寄った。


「店長にこんな、特技があったとは知りませんでした。感動しました!」


「そうかなぁ。良かったか?」


 頭を掻きながら照れる店長である。


「驚きました。昔やっていたんですか? とても素人芸とは思えません」


「いやいや。見よう見まねさ。日本人だからな。古典芸は身に着けておきたいだろう」


 正座で痺れた足を振りながら立ち上がる店長。

 それを支える大野君である。


「古典だけに、芸に、古典(凝ってん)……ですね」


「興奮すんじゃないよ。少し落研(落ち着け)」


「三遊亭(そう言うて)も……」


 二人で駄洒落漫才が始まったようだ。

 それに気づいたパートさんが、休憩室のカーテンを引いた。

 強制的に――幕が下りたようだ。

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