第30話 八月十五日 お盆

 事務所の古びた電話を総務に買い替えてくれるように頼んだのだが――「まだ使える」の一言が返ってきた。

 だから、こうして毎日濡れティシュで電話をいている店長である。

 一拭ひとふきする度にティシュが茶色に汚れている。

 大野君は、相変わらず手伝いもしないで腕を組んでながめている。


「大野君。盆と暮れが仕事の我々には里帰りなんてまったくの無縁だな」


「そうですね……店長はもう何年くらい実家に帰っていないんですか?」


「そうだな。ここの店長になってからは一度も帰っていないな」


 大野君が何もしていない事にようやく気づいた店長。

 ティシュを箱ごと投げ渡すと、お前もやれよ! とばかりに、アゴを突き出した。


「かれこれ四年になるかな。大野君は俺より古いからもっと帰省していないだろ?」


「そうですね。僕はもう……六年は帰っていないですね」


因果いんがな商売だな……両親は健在なんだろ?」


「そうですけど。オヤジは少々ですが、軽い物忘れが出ているみたいで……お袋が電話でなげいていました」


「それは大変だな。大野君が帰って何とかできるなら、無理してでも帰らないと」

 両親ともデカ頭のおかげなのか、認知症の気がない両親を想ってホッと安心する店長である。

 ちなみに大野君の父親は、痴呆ちほうの気はあるが、毛は無い。


「そうなんですよ。お袋にとって子供は俺一人ですから」


「えぇ? 君は六人兄弟姉妹の末っ子じゃなかったのか」


「全員異母兄弟、姉妹なんですよ」


「何だか複雑そうな家庭だな……」


 ややこしい事に首を突っ込んだかなと、少し後悔こうかいする店長である。


「長男と次男は本家で一緒に住んでいる一人目の側室おめかけさんの子供で、その長男と結婚しているのが、オヤジの三人目の側室あいじんで、敷地内の別宅にその長男と、僕の四つ歳上の次男が、長男の元嫁と結婚して何故か一緒に住んでいます」


「紙に書いてくれないと理解できないぞ」


「そしてオヤジの離婚した最初の奥さんの子供で、長女と、手術して男から女になったんですが、戸籍上は僕の直ぐ上の三男が、オヤジの二人目の側室いいひとさんに生前贈与せいぜんぞうよした田畑は無効だと訴訟そしょうをおこしたのを、兄弟姉妹側室を二分して争っているんです……」


「無茶苦茶な一族やな。呪われた田舎の庄屋さんみたいだぞ……」


 聞くんじゃなかった。今更に後悔している店長である。


「実家には帰りたくない理由が分かってもらえました?」


「内容はよく分からないが……ゴチャゴチャなのは、何となく……」


「何となくでも分かってもらえれば……」


「だいたいオヤジさんホンマに痴呆ちほうなのか? ミステリーすぎても現実逃避げんじつとうひしているだけじゃないのか」


 早くこの会話を終わらせたいのに、ついつい要らない事を口走ってしまった。


「ほんとうにミステリーなんですよ。でも更にミステリーな事があるんです……」


 大野君が身を乗り出してきた。


「これ以上複雑なのは勘弁してくれよ……」


「それは……生まれてこのかた、誰も次女の姿を見たものがいないんです」


「……?」


「見た者が……居ないんですよ。次女を……」


「なら最初から、次女なんか居ないんじゃないのか? なら、五人兄弟だろう」


「あっ! ……」


 全ての会話が其処そこ途絶とだえた。後話を書くネタも途絶とだえた。

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