第29話 七月の後半頃 土用の丑の日

 氷水をはった大きなバケツを台車に乗せると、その中にペットボトルの飲料をポンポンと放り込んでいる店長である。


「大野君。店頭でウナギを焼いている鮮魚の担当者が熱中症にならないように飲み物を持って行ってやってくれ」


「しかし店長……あの地獄の業火ごうかのような炭火の前では、水分の補給程度では効き目がなさそうですよ」


「じゃあアイスクリームを食わして体を冷やそうか?」


 冷凍庫にアイスクリームを取りに行こうとする店長に足を引掛けて止めた大野君。

 他に止める方法があるだろう、とばかりににらむ店長。

 暑さで、性格も熱くなっている単純な二人である。


「たぶん……飲み食い程度では熱中症を防ぐのは難しいですよ」


「あの現場……そんなにひどいのか? 汗をかきすぎると脱水症状も心配だしな」


 引掛けるために出した大野君の足を、踏み返してやろうと、足を大きく振りかぶる店長である。

 しかしこの年でそんなに高く機敏に足が動くことも無く、虚しく空を切って床に自分のかかとを、しこたま叩きつけた。


 かかとからひざにかけて電気が走った。


 この経験を元に『平賀源内えらいひと』がエレキテルを開発したとの文献ぶんけんは、何処を探しても――無い。


「とにかく、みんなで応援しましょう。あの劣悪れつあく環境では長持ちしませんよ」


 痛がる店長を無視して、正義感の火を燃やす大野君である。

 夏に熱くなる男は迷惑以外何物でもない。


「先ずは、交代してやりましょうよ……」


「分かった! 先ず君が、青果のサブチーフと、精肉の豚肉担当のおっさんを連れて行って交代してくれ」


 店長も熱くなってきた。


「ちょっと待ってください……あの二人は単なるデブじゃないですか?」


「そうだよ……それが何か?」


「店で一、二を争う体力がない二人ですよ……」


「大丈夫だろ。成人男性の六十%は水分だから……」


 得たり顔の店長である。


「奴らならペットボトル……六十本分は水を蓄えている計算になるだろう。なら『脱水症状』も『熱中症』も無縁だろ?」


「……」


「だろう?」再確認をする店長。


「……風船に水入れた様な体型ですけど、一応人間ですからね……」


 やっとのことで言葉が出た大野君である。


 暑い時期に、寒いギャグは全然効果が無い事に気づいた。


「じゃあ、あのプヨンプヨンした体を……何の武器にしたらいいのだ?」


「ゲームのアイテムじゃないんですからね。肥満と汗っかきは熱中症の二大素因を持っているから連れていけるわけないでしょ」



「じゃあ、せてガリガリの菓子担当ならどうだ? 干枯らびてるから汗も出ないだろ?」


「……」


「奴らに任せたら……いいだろう? ……な!」


 アレコレと難癖つけて逃げようとする店長の魂胆が分かった大野君。


 たまたま通りがかった青果のサブチーフと、精肉の豚肉担当のおっさんと協力して、店長のえりと袖をつかむと店頭に引きずって行った。


「倒れる時は、店長が率先して倒れてください。ウナギの供養にもなるでしょう……」

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