第22話 五月某日 八十八夜

 夏の売場づくりの為に《ひまわり》の造花を倉庫の奥からほこりまみれになって引っ張り出してきた店長である。

 日頃から整理整頓していればこんなにほこりかぶらなくてよかったのに。と後悔している。

 その事はしっかりと大野君に嫌味を言われたようである。


 脚立きゃたつが動かないように大野君にしっかりと持たせると、高所恐怖症で震える足を押さえながら、天井から《ひまわり》をぶら下げている。

 本来なら部下である大野君が昇るべきなのだが、いつの間にか危険な作業は店長の役割になってしまっているようだ。

 それ以前に《ひまわり》を天井からぶら下げるディスプレイがお洒落なわけがない。

 センスのない二人には無理な作業といえる。


「大野君。八十八夜は、春から夏に移る節目の日とも言われているから、売場の飾りつけを夏模様にしたけど……少し早かったかな?」


「そうですよ。夏の前に梅雨が先に来るのだから、アジサイとか雨具のディスプレイの方が先じゃないですか」


「そうは思ったんだか……茶摘ちゃつみと聞くと、どうしても夏を思い出してしまうんだよ」


 思い出の切れはしでも探しているように、遠くを見つめながら語る店長だった。

 茶摘みにどんな思い出があったか知らないが、脚立の上で物思いにふけられると、下で支えている大野君は気が気じゃない。


「只でさえ老眼で足元がおぼつかないのに、遠くを眺めながら、なに手を伸ばしているんですか。危ないから降りてきてください」


「あっ、すまん、すまん……つい昔の事を思い出してなぁ」


 現実に戻った店長は、ゆっくりと脚立から降りると、何やら大野君に話したくて仕方なさそうにすり寄ってくる。


「もう……そんなに訴えるような顔されても困ります。仕方ないなぁ。何か言いたい事でもあるんですか? 茶摘みと、夏の思い出ですか?」


 こうなると、なかなか引かない店長の性格を知っている大野君である。

 諦めて脚立を抱えると店長の前をバックヤードに向って歩き出した。


 商品搬入口の横に設置されている自動販売機に五百円玉を放り込むと《摘みたて茶》と書かれたお茶のペットボトルのボタンを二度押した。

 ゴトン! 勢いよく冷えた二本のペットボトルが取り出し口に落ちてきた。

 二本同時に落とすと、取り出すときに大変なんだがなぁ――と、店長をながめながら大野君は思った。

 そんな大野君の心配をよそに、引き抜くように冷えたペットボトルを取り出すと、 一本を大野君に手渡した。


「すいません。頂きます」


 大野君が軽く頭を下げるのを横目でチラッと見た店長。

 きびすを返すと遠くに見える連山峰をしばらく眺めていた。

 そして伸ばした人差し指で、その頂をなぞりながら深い溜息ついた。


「……昔、俺がまだ若い時。静岡県を一人旅していた頃に偶然出会った『茶摘み娘』と恋に落ちたんだ」


「……」


「その娘の名前が『夏子』と言ってなぁ……」


 普段より低く、ゆっくりとした口調で話し始めている。


「大体そんなトコですね。オチは見えました。休憩終了。仕事に戻りますよ」


 椅子に腰かけて話を聞いていた大野君。両ひざをポンと叩いて立ち上がった。


「それはないだろう。長い前振りが台無しじゃないか……」


「高校卒業してここに就職した店長の何処に、茶摘み娘と出会えるシチュエーションが有るんですか?」


「それは分からないだろう。俺の長い人生において何が有るか……」


「『焼酎はお茶で割るに限る』と言っている店長に、茶の香りを語る資格なしです」


 店長が勝手に先走って、夏のディスプレイをしてしまった事を後悔している事がばれた瞬間である。

 最初からバレていたけどね。

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