第15話 三月某日 花見

 二階食堂の窓から、店舗に隣接する公園の桜を眺めながら、満ち足りた顔をしている店長である。

 桜に対して大層な思い出を抱えているわけじゃないが、何故か感傷にひたってみたくなるが桜の魅力と言える。


「大野君。今度の日曜日――閉店後に従業員みんなを集めて花見でもしないか?」


「それは名案ですね。みんな喜びますよ」


 店長の横に立ち、同じようなほうけた顔して感慨にふけっていた大野君が店長の顔をのぞき込んで言った。

 食堂の窓枠にえる、店長と大野君、桜が重なる風景は、飯を食いながら見るのには辛いものがある――と、そこにいる数人のパートさんは思っている。

 でも誰も言い出せず黙々もくもくと弁当を食べるしかなかった。


「そうだなぁ……会費は千円。食べ物、飲み物は店で調達するとして、酒やつまみはメーカーから貰ったサンプルを使えば会費はその位で済むだろう」


「花見といえばバーベキューも必要でしょう」


「焼肉は必需品だな。ならば、もう少し会費を増やして、牛一頭を丸焼きにしちゃうか? 早速みんなから出欠をとってきてくれ」


 実現不可能な事を言って笑い飛ばすのは中年の悪い癖である。


「とりあえず――今から行ってきます」


「店長からの提案だって、みんなに伝えてくれよ」


 久しぶりのご馳走を食べられるのが嬉しいのか、リズム感の無いスキップをしながら階段を降りて行った大野君である。

 不遇ふぐうな家庭環境が垣間見えてしまった瞬間である。

 ものの五分もしないで大野君が帰って来た。


「早かったな――みんな喜んでいただろう?」


「……ダメです。仕事で朝が早いのに『閉店後の花見なんて無理に決まっているだろう』と、怒鳴られましたよ」


「そんなバカな。暇な奴もいるだろう……本当に全然居ないのか」


 遅く帰っても奥さんに嫌味いやみを言われない。

 そんな夢のようなイベントを逃したくない店長である。


「居ない事も無いのですが……」


「居るのなら、そいつらでもいいから出席させろよ」命令口調である。


「その……ひまな奴ですが。店長と僕の二人だけらしくて……」


 予想外の答えに愕然がくぜんとする店長だが、大方の予想をしていた大野君は、さして落胆の雰囲気はただよっていなかった。


「『桜の木の下には死体が埋まっている』って知っているかい。梶井 基次郎の短編小説の一説だと思うのだが……そんな記憶がよみがえってきたよ」


「なんだか、不気味な小説ですね」


「あのあでやかにして、美しい満開の桜を見ていると……裏に隠された陰謀を感じ取ってしまい、不安と憂鬱ゆううつに駆られるのだよ……繊細せんさいな俺はさ……」


 桜の花を散らしてしまおうとでも思っているのか、長く沈んだ溜息ためいきを桜の花にぶつける店長だった。


「そんなに、花見がしたかったのですか?」


「女性従業員にお酌して貰いながら、ドンチャン騒ぎがしたかった……だけさ」


 店長は、ポンプのように落とす肩で肺を圧迫して、更に長い溜息をついた。


「酒の席だから……少々の事は許されるかな……って」諦め切れない店長。


「『桜の木の下に痴態ちたい(恥)を埋めたかった』のですね……完全にセクハラですけど……」

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