第11話 三月三日 ひな祭り

 日用品の在庫置き場でトイレットペーパーの袋が破れていた。


「ネズミの仕業に違いない!」と、勝手にネズミを犯人に仕立て上げ、その痕跡こんせきを見つけるために床を舐めるように匍匐ほふく前進をしている店長である。

 カエルがトラックにかれた姿に似ている。


 ネズミがトイレットペーパーをかじった事を信じていない大野君――店長の視線の先を懐中電灯で照らしながら、冷ややかな目で店長を見下ろしている。


 しかし二人は知らなかった――。


 大野君が踏んだ画鋲がびょうがスニーカーの底から横に飛び出して、トイレットペーパーの袋を引掛けて破った事を。

 しばらく二人だけの「ネズミ騒動」が続くのだろう。


 ふと、思い出したように大野君の方に振り返った店長。


「そうだ! 大野君。今日、三月三日は綺麗にしてあげなくちゃならない日だから関連商品をレジ前に積み上げて売るように、日用品の担当に伝えておいてくれ」


「店長……何を積み上げるんですか? 女の子のいる家が対象なんですから、こんなジジババしか来ない店では必要ないでしょう。それに日用品担当は関係ないでしょう?」


 こいつ、何を言っているんだ? って目で、大野君を見上げる店長。

 最近大野君を見上げる事が多い事には気付かないようだ。


「女の子? 違うよ! おじいちゃんも、おばあちゃんも、老若男女――みんな掃除してやらないと駄目だろう……だから『綿棒』は絶対必要だ」


「綿棒? 店長大丈夫ですか? 今日は何の日か知っていますか?」


「当然だろ。俺は店長だぞ! 今日は三月三日……日本全国『耳の日』だろう」


 自慢げに声を荒げているくせに、目が涙で潤んでいる店長を大野君は見逃さなかった。


「娘さんと何かあったんですか? 『ひな祭りを忘れよう』としていませんか?」


「年に一回しかない……この家族みんなで祝う日を『友だちとひな祭りするから。じゃあね』って……玄関を出て言ったんだぞ。あの天使のような娘が……」


 抑えきれなくなったのか、涙がゾウのような小さな瞳から溢れ出てきた。

 多分――日本一可愛くない涙である。


「いいじゃないですか。両親と祝うより、女の子同士の方が楽しいからでしょ」


 追い打ちをかける大野君。


「娘はまだ……二十二才だぞ!」


 あふれ出る涙をよれよれのハンカチで拭う店長。


「今までが奇跡なんですよ……」


 大野君が、この家族のイベントには絶対に係わらないでおこうと心に決めた瞬間である。

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