第7話 一月三十一日 愛妻の日

 化粧品コーナーの脇で、大野君と二人で突っ立っている店長である。

 掃除をするわけでもなく、ただ突っ立っているだけの二人は、鬱陶うっとおしい以外何者でもない存在である。


「大野君。今日の『愛妻の日』は、何もしないほうがいいよな?」


 普段のデカい声を十分の一まで押さえて、大野君の耳元でささやいた。


「そうですね……嵐が過ぎ去るのをジッと待ちましょうか」


 店長の耳元に口をつけてささやく大野君だった。

 はたから見たらどう映るのか――とは思いもよらない二人である。


「迷惑な日を作ってくれたもんだよなぁ。嫁にばれてみな……何をせがまれるか、考えただけでも震えるよ」


 しいたげられている店長家が垣間見える瞬間である。


「だいたい俺は『あい妻家』てより『あい妻家』なんだぜ……顔見るとしいたげられてきた過去がよみがえってきて哀しくて、哀しくて。分かるこの気持ち?」


「知りませんよ……店長の家庭事情なんか。僕は類まれな『愛妻家』なんですから変なオーラに巻き込まないでくださいよ」


 店長は、訳の分からない事を言いきる大野君の頭からつま先までを舐めるように観察すると〈フン!〉と一息、鼻を鳴らして言い切った。


「大野君は……『偽善者ぎぜんしゃ』だな」


 ひがみが滲み出ている。


「さっきまで『愛妻の日』のいわれを自慢げに『LINE』していませんでしたか? 店長は友達が少ないから……奥さんもグループに入っているんでしょう? 絶対に気づいていますよ。間違いなくプレゼントを待っていますね」


 大野君の鋭い指摘に三歩後ろに引いた。

 化粧品のケースを思わず倒しそうになった事にも気づいていない。

 よほどショックだったのだろう。

 脇が臭くて甘い店長である。


「……しまった。それは困ったぞ……手ブラでは帰れなくなったじゃないか。どうしてくれるんだ!」


「僕にそんな事を言われても。自業自得でしょ」


 大野君は、最近突き放すすべを覚えたようだ。


「そうだ! この化粧品のサンプルセットの『見本』ってシールを剥いだら……本物と区別つかないだろ? これを、プレゼント用の包装紙に包んでわたしたら……通用するとおもわないか?」


 他の従業員に見えないようにカウンターの裏にしゃがみこんで、爪先でシールを一生懸命に剥ごうとしている。


「店長は……『偽造者』ですね」


 大野君の冷淡な笑い声などまったく耳に入らない程に一心不乱いっしんふらんな店長である。

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