第3話 一月九日 とんちの日

 パソコンのフタを開け損ない、バスンと音をたて指をはさんでしまった。

 あまりの痛さに涙目になってうなっている店長。

 その姿を楽しげに眺めていた大野君だが、店長と目が合った瞬間、一応気遣きずかううポーズをとった。


「大丈夫ですか? 痛いでしょう」


 それでも嬉しげな素振りは隠せていない。

 指先にジンジンと熱い物を感じている店長には、それに気づく余裕はなかった。

涙をきながら大野君に訊ねた。


「大野君。今日は何の日か知っているか?」


「年末、年始を乗りきってホッとしている時にどうしたんですか」


「今日は、あの『一休さん』にちなんで、とんちの日らしいぞ」


「それがどうかしました?『とんちの特売』は無理でしょう」


「それは分かっている。特売じゃなくて、従業員と問答をしようかとな」


「みんな疲れが残っているこの時期にですか?」


 大野君の愚痴ぐちに満面の笑みを浮かべてうなずく店長である。

 状況判断が鈍っている。

 店長も一応は疲れているんだろうと諦める大野君である。


「従業員のタバコ喫煙所に『ここでタバコを吸うべからず』って、紙に書いて貼って来たんだ」


「また子供じみたことを……一休さんの『このハシわたるべからず』に掛けたんですか」


 更に、満面の笑顔でうなずく店長である。

 北海道を旅行した時に見た、熊の首振り玩具おもちゃ」に良く似ている。


「どんな『トンチ』で返ってくるか楽しみだな」


「トンチと思ってくれますかね? 普通なら嫌味いやみと取られますけどね」


 事務所の入り口を眺めてイソイソしている店長に、大野君の声は届いていない。


「おかしい……誰も来ない。どうしたんだろ? タバコ吸うのを我慢しているのかな」


「禁煙するような、我慢強い奴なんかうちの店には居ませんよ」


「そうだよな。大野君……ちょっと見てきてくれないか」


「自分で仕掛けたんだから、自分で行ってきてくださいよ」


「タバコの副流煙ふくりゅうえんを吸ったら身体に悪いだろう……」


「それは僕も一緒ですよ。仕方ないなぁ……今回だけですよ」


 ブツブツ言いながらも階段をドスドスと降りて行く大野君。

 手をみながらワクワクして待っている店長。

 考えたら彼はドップリ一休さん世代である。

 十分後――満面の笑顔で事務所に戻ってきた大野君。


「見てきましたよ」


「どうだった。みんな考え込んでいただろ」


「いいえ。それならば『皆でならタバコ吸っていいだろう』って、集団でタバコを吸っていましたよ」


「みんなで? 何故みんなで吸っているんだ」


「そりゃ……『ここ(個々)でタバコを吸うべからず』って、書くからでしょ」


「すぐに紙をがしてくる」


 いつの世も、上より下の方が知恵が回るものである。

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