第2話 一月一日 元旦

 歳末大感謝祭を何とか乗り切って、ホッと息つく間もなく元旦の朝がやってきた。


 外はまだ薄暗い。スーパーマーケット「ぬらり屋」の二階。忙しくて掃除をする暇がない事を言い訳に、散らかり放題の事務所から光が漏れている。


 のぞいてみると、背中の部分が破れ、くたびれたソファーに熊が座っていた。

 いや、よく見ると、熊のようなオッサンが妙に短い両手両足をこれでもかとえらそうに広げて座っていた。

 そのオッサン、よほど首が太いか短くないと支えられないような〈デカ頭〉をソファーの背もたれに放り投げて天井をながめている。

 確かに、よく見たらほとんど首が無い。

 天井には世界地図のようなカビが広がっている。

 その地図をボーっと眺めている熊のオッサンの顔は――年末商戦の疲れと、大晦日の祝い酒で今にも破裂しそうなほどにパンパンにふくらんでいた。


 このオッサンはスーパーマーケット「ぬらり屋」の熊――いや、店長さんである。親愛なる従業員からは、あだ名で〈店長くん〉と呼ばれて――一応マスコット的存在である。

 この店には、あだ名すら、ひねらない真面目なスタッフが多かった。


 店長は、大きく息を吸い込み「ウシッ!」と鳴き声のような気合を吐くと、猫背の背筋を伸ばしながら立ち上がった。

 そして、トントンと二度、三度腰をたたくと、ノソノソと動き始めた。

 たいして気合が入っているとは思えない動きである。


 店長は、意味も無く事務所を一周すると、一番奥の店長席に近づき、無造作に放り出していた真新しい制服をつかむと、窮屈きゅうくつそうに袖を通し始めた。


「おはようございます。店長」


 ぬらり屋の副店長である〈大野君〉が元気よく事務所に飛び込んできた。

 声はさわやかなのだが、歳は店長より一歳年下の四十歳。

 充分なオッサンである。更には、身長、体重は日本人の平均なのだが、腹回りは大相撲幕下の平均という素敵な体型をしていた。


「大野君。おはよう――いや、あけましておめでとう」


「おめでとうございます。店長」


 やはり、目を閉じれば戦隊ヒーローのようなさわやかな美声である。性格の悪さをカバーして余りあるその声に大抵の人はだまされる。〈色白は七難を隠す〉というが〈美声は腹黒を隠す〉ということを、現代社会の造語ぞうごとして付け加えてもよい。


「元旦から働かせて悪いね。スーパーに働く者の宿命とあきらめてくれ」


「この仕事を選んだ時から諦めていますよ」


 爽やかに答えたが、顔は全然笑っていなかった。


「俺は、みんなに新年の挨拶をしてくるから、大野君は事務所で電話番を頼む」


「店長。その時、恒例のお年玉を一緒に配るんでしょう?」


 この店は、元旦の朝――出勤してきた全従業員に〈お年玉と称して金一封〉を渡している。アットホームな優しい会社のような気もするが、実は正月特別手当をケチって、三千円程度のお年玉で誤魔化ごまかそうとしているのだ。

 極めてセコイ策略である。

 当然、従業員はそんな事は最初から気づいているが、無いよりはマシだろうとあきめている。


「それが……年末の実績が予想以上に悪くて。本社が『今年お年玉は出さないからね。ヨロシク』って……」


「出ないんですか? それはマズイですよ」


「絶対にまずいよな……」


 見た目は熊だが、ハートは鶏である。


「お年玉が楽しみで元旦から出勤している守銭奴しゅせんどばかりですからね」


 元旦早々から腹グロ満載の大野君が首をすくめた。怖いオバさんパート数人の形相が浮かんだようだ。


「お年玉の代わりに、この袋を『おびと感謝』として渡そうと思うんだが……」


 店長が、冬だと言うのにブルーの涼しげな紙袋を机の下から取り出した。

 あまりふくらんではいないが、何か入っているようだ。


「福袋ですか?」


 いぶかしげに大野君が訊ねた。


「福袋と言えば、福袋なんだが……」


「さすが店長。太っ腹の店長でよかったと、みんな喜びますよ」


 やはり、嫌味のスパイスが効いている。


「問題はこの袋の中身なんだよ。どうだろう……大丈夫だと思うか?」


「中身が大丈夫……どういう意味ですか? 福袋ですよね?」


 答えにくいのか、その大きな身体を縮める店長である。ブルーの福袋も一緒に縮んでいった。中身がスカスカなのがバレテしまった。


「それが、ちょっとひねった中身なんだ。笑ってくれないかなと……」


「笑う? 福袋を貰って怒る奴なんかないでしょう」


 店長が差し出した福袋を受け取った大野君。無造作むぞうさに封を開くと中を覗き込んだ。


「……はぁ?」考え込む大野君。


「どうだろう?」チキンの店長が訊ねる。


「……なんですかこれは? 食パンが一枚しか入っていませんよ。他のも見せてください」


 店長が次々と差し出す福袋を――次々と覗いていった。


「こっちの袋には、コロッケが一個。これとこの袋には、どちらも菓子パンが一個。この袋なんか駅前で配っていたティシュじゃないですか?」


 見終った福袋を放り投げる大野君。あわてて拾う店長。

 その絶妙の間は、長年コンビを組んでいる漫才師のようである。


「こっちは紙コップに、店長のサイン色紙……何ですかこれは? とても福袋とは思えませんが」


 中身のセコさに呆れかえる大野君である。


「これは、福袋じゃなくて……『ふふく袋』なんだ」


「不福袋? 不服……袋ですか?」


「中身に不服がある袋……だから『不服袋』ってな。アカンか? 正月だから笑って許して……くれないかな」


「これはアカンやつですよ。みんなから物を投げられるか聞きたいのなら――自信持ってハイですけど」


「仕方ないだろう。実績が良くないんだから……」


「開き直らないでくださいよ」


「従業員からは『おとし玉はせがまれて』本社からは『おとしまえを迫られる』……俺はどうしたらいいんだよ」


 新年早々、悲惨な板挟いたばさみにあっている店長が不憫ふびんになった大野君。大きく深呼吸をして満面の作り笑顔で店長の肩に手を置いてなぐさめた。


「大丈夫ですよ。今の店長のセリフ『大喜利おおぎり』みたいでユニークじゃないですか」


「『おとし玉』と『おとしまえ』か?」


「そのセリフを添えて『不服袋』をみんなに配って回ったらどうですか? 正月の初笑いって事で喜んでくれるかもしれませんよ」


「そうか。それなら――みんな笑って許してくれるかな?」


「……」


 大丈夫の代わりに、親指を立てて合図を送った大野君である。

 言葉に出さなかったのには自信がないからだ――と気づく余裕を店長に期待するのにはこくな状況だった。


「早速行ってくるから……事務所で待機していてくれ」


 不服袋を小脇こわきに抱え、チョットだけ自信を取り戻し店長。二階の事務所のドアを開けると、階段を勢いよくかけ降りて行った。


「店長の『不服袋』と、みんなの『堪忍袋かんにんぶくろ』――どっちが先にプッツンと切れるか見ものだな。まぁ、どちらにしても店長が『袋叩き』になるのは間違いないかな」

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