第3話 無貌のテロリストの軌跡


 この世に生を受けてもう50年近い年月が過ぎたけが、私と言う存在は、”あの日”私の半身と共に既に消え去っていたのかも知れない。


 どれもこれも総てヤツのせいだ! そうだ、ヤツさえ居なければ僕が僕こそが伝統あるあの家を継いで、盛り立てて居た筈なんだ。自分の名前も顔さえも失ったのは総てがヤツの責任なのだ。ヤツだヤツさえ居なければ・・・!


「まあ、それも今日が最後だ。明日、明日こそは総てを決めてやる。生き残るのはヤツか、俺かだな、フフフッ、愉快だ、本当に愉快だな!」


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 これが他人の目に入ると言う事は僕が失敗したと言う事だろう。それが心ある”誇り高き貴族”である事を希望する。もしも、貴方がそうであるならば、僕の遺志を引き継いで欲しい。


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 何から話すか迷うが、やはり僕の生まれから話そう。僕が生まれたのは、トリステイン王国でも名家と名高いゴトー伯爵家だった。ゴトー家は元を辿ればトリステイン王家の分家に当たる。


 以前は公爵家だったのだが、代々の当主が家の財産を食いつぶして行き、爵位も返還しなければならない程だった。僕にとっては祖先になるが正直その存在さえ疎まれる人々だ。父が居なければ、伯爵位さえ危なかっただろうけど、父の手腕で何とか我が家の威厳は保たれていたよ。


 もっとも、当時の僕にとって一番疎ましかったのは双子の”弟”だったけどもね。あの役立たずな”弟”を何故、父が我が家に留めておくのか全く理解出来なかったけど、とりあえず八つ当たりする相手には丁度良かったな。


 何せ”無能”だったからな。魔法の練習相手には丁度良かったよ、何せ”弟”はやり返して来なかったからな。大怪我さえさせなければ父も兄も、母さえも僕を叱らなかったさ。


 何をされてもニコニコしている気味が悪い双子の”弟”だったし、同じ顔の人間が魔法を使えないと言うのは妙に気に障った事は今でも憶えている。


 ゴトー伯の身分は兄が継ぐ事は誰もが疑っていなかったけど、僕にはあの兄が領主にならないと確信があったね。何故なら僕が居たからだ。自慢する訳じゃないけど、僕は兄よりはるかに魔法が上手く使えたからね。それに兄の粗雑な性格じゃあ人の上に立てる筈も無い。


 僕は自分の力とゴトー家の名誉にかけて、きっと家督を継ぐと決心していたし、トリステイン魔法学院に入学して最初の試験の成績だってかなりの物だった筈だ。


 そして僕はヤツに出会ってしまった。”スティン・ド・マーニュ”などと聞いた事も無い男爵家の子弟で、学院に務める平民にさえ媚を売る卑しい、そう、貴族とも呼べないヤツだ!


 なのに何故、僕が学院を追い出された? 決闘を仕掛けたのは確かに僕だけど、家の名誉を傷付けられれば誰だって同じ事をした筈だ。分かるだろう?


===


 当然、父の口利きで、トリステイン魔法学院に戻れると思っていた僕に、父はゲルマニアにある無名の魔法学院への転校を命じたんだ。


 ゲルマニアなんて二流の国の学院に通うなんて屈辱以外の何者でも無かったけど、そこには父の深謀が隠されていたのだ。そうだ、父は僕をゲルマニアに送る為の口実が欲しくて、あの間抜けな”学院長”の所へ行かなかったんだ。別に挫折した訳じゃない!


 そうだ、ゲルマニアでは僕にとっても重要な出会いが待っていたのがそれを証明しているさ。


「お前、ゲルマニア人じゃないな?」


 そんな当たり前の事を聞いて来たのは、僕には1年先輩の生徒だった。僕ほどトリステイン人らしい人間は居ないだろうから、見れば分かるだろうに! そのぼさぼさの髪と同じで鬱陶しい奴だと思ったが、ほとんど孤立状態で少しだけ人と話したかったから、話に乗ってやった。


「ああ、僕はトリステインからの留学生だ。見て分からないですか、先輩?」


「ふん、俺にそんな口を利くとは、やはり気位だけは高いトリステインの人間らしいな」


 魔法の腕は滅法立つらしいが、口の利き方が悪いのはお互い様だ! あの学院にもゲルマニア人が居たがどいつもこいつも礼儀がなっていない。この学院は礼儀から教えた方が良いだろうよ?


「それで、何の御用でしょうか、先輩?」


「噂には聞いていたが、本当に浮いているらしいな」


「何を!」


「お前に聞きたい事があるんだが構わないな?」


 何故か、僕が、この”先輩”と話はじめてから周囲から人が居なくなったが、こんな所でトリステインの誇りを失うわけには行かなかった。


「それが、人に物を尋ねる態度とは思えません」


「俺にそんな口を利くとは、本当に怖いもの知らずだな。死にたいのか?」


「なっ!」


「まあ良い、お前、名前は?」


「自分から名乗ろうとは思わないのでしょうか?」


「・・・」


「・・・」


 短い睨み合いだったが、結局その場ではお互いの名前を名乗る事は無かったな。僕も、顔を見るのも嫌な”弟”の名前など出来るだけ使いたくは無かったから好都合だったけどな。


 だけど意外な事に、僕はその先輩に気に入られたらしいが、本名を明かさない人間を信用なんて出来なかった。僕も偽名を使っていたから分かるけど、自分の名前を名乗る時に偽名を”嫌っている”のがまるわかりだったよ。


 但し、その”先輩”と対等に話し合ったのは、当時の僕にとっては良い事もあった。”呪われた”という噂を持った先輩と対等に話したと言う事で、教室内で一目置かれる存在になった事だが、そんなのは些細な事だ。


 ”呪い”などと馬鹿げた事をいうメイジなんて聞いた事が無かった。魔法で何か仕掛けているに決まっているだろうと高をくくっていたが、僕自身その呪いを何度か目にして少しだけ信じる事にしてやった。


「先輩は何で呪われたんですか?」


「何だ、トリステイン人、お前も呪われたいのか?」


「そんな訳無いだろう、原因を探って呪いを解きたいと思わないのか?」


「何故だ、別に俺は不自由を感じていないぞ?」


 こんな事を、真顔で返してくる辺りが、どんな生まれか想像が出来るな。さぞ非常識な親に育てられたのだろう。


「全く、人が忠告しているというのに、良いご身分だな?」


「ああ、良いご身分さ。酷くなったのはごく最近だが、以前から俺に敵対する人間は不幸になっていたからな」


 後で聞いたのだが、呪いが酷くなったのは前の魔法学院で使い魔召喚に失敗して以来らしいが、本人は気にしていないから性質が悪い。呪いの噂のせいで、こんな2流校へ転校させられ時間を無駄にしているのに、それは気にならないらしい。(僕より1年先輩で、同い年なのだけど、訳が分からん奴だ)


「やっぱり、昔からそういう性格だったか?」


「ふっ、生まれつきとは言わんが、育った環境が悪かったのは否定せんよ」


「あの噂は、本当なんだな?」


「何だ、今更頭を下げる気になったか、トリステイン人?」


「何でゲルマニア人に頭を下げないといけないんだ、僕が頭を垂れるのはトリステイン国王陛下だけだ」


 噂と言うのは、この呪われた先輩が先代ゲルマニア皇帝の血を引く男だと言う話だ。態度だけみれば妙に納得だけどな。


「ふん、お前らしいな、トリステイン人」


「何故、もっとましな格好をしないんだ、俺がお前の親なら殴ってでも、身なりを改めさせるんだが?」


「これでも変装だ、あまり立派な格好をすると目障りに思う人間も多くてな・・・。まあ、TPOに合わせているんだ」


 何でも、先年崩御した皇帝が後継者を決めなかった為に、首府ヴィンドボナでは血縁同士が血みどろの後継者争いをしているそうだ。僕が首府にある魔法学院に入らなかったのはこの辺りを父が考慮した結果なのだろう。


 但し、逆にこの自称皇位継承権を持つ男に会わせる為に、僕がここに送り込まれたという可能性もある。父の考える事を僕には推察出来なかったが、何時かは出来る様になってやるさ。


「てぃーぴーおー?」


「気にするな、その場に相応しい格好や言動をするって程度の意味だ」


 こいつは、時々知らない言葉を喋ったりするし、格好はなんと言うか最低限だし、ほとんど目が見えない程伸ばした前髪も意味があるのは分かってたが、言動が一致していないだろうが!


 そう言えば、この先輩の言動が一致していない所がもう1つあったな。何故だか知らないが、この先輩はトリステインという国を蔑みながら、気にもしているらしいのだ。王家の事や、ラ・ヴァリエール公爵の事などは話題にすると露骨に食いついて来る。


 もしこの先輩が”皇帝”などになれば、無視出来ない存在だろうから王家や公爵家は分かるが、もう1つの公爵家には不思議な反応を見せた。


 あんな田舎の事などほとんど知らないけど、話題に出ると何故か不機嫌になる。その癖、無視が出来ないらしく、それとなく話題を振ってくる。あそこで作られている工業品に興味があるらしいが、それならば直接人を送るなりすれば良いと思うんだ。


「それが出来れば苦労は無い、あそこの公爵殿は切れ者らしいからな。それに・・・」


「それに?」


「いや、俺の父が手を打っているのからな」


「ああ、宰相だったな」


 僕と同じで、優秀な父親を持っている訳だが、この先輩と父親の仲と言うのは良く分からなかった。本人は反抗期なんだとか言っていたがそれ自体が意味不明だしな。


「ラスティン・ド・レーネンベルクと言う奴を知っているか?」


「珍しいな、先輩がトリステイン人の1人を気にするなんて」


「一応王位継承権を持っている奴だろ、おかしいか?」


 実に不愉快な話だが、父でさえ持っていない王位継承権をその田舎公爵の息子は持っている。単に王家との血が近いと言うだけでだ。


「そんな田舎者は知らないな」


「お前と同じ年頃だろう?」


「そんなのは関係無い!」


「本当に、役に立たない奴らばかりだ!」


「ふん、余計なお世話だ。ゲルマニア人の役に立ちたいとは思わないからな。それでその田舎者がどうした?」


「行方不明なんだそうだ」


 田舎者でもさすがに公爵家の人間が行方不明なら噂になりそうな物だが? 行方不明になったと言う頃には僕はまだトリステインに居たのにな?


 結局その話題はそれっきりになった。レーネンベルクなど先王陛下に僻地に追いやられた不出来な王子の系譜だし、気にするまでも無いのだが、皮肉な事にそれよりも遥かに僻地に居る自分の境遇を嘆かない訳には行かなかった。


 何時か僕が父の跡を継いだらアイツ実家を破滅に追いやって、道理の分からないあの学院長を追い出してやるさ! そう言えば、アイツのマーニュ家もレーネンベルクの息がかかっていたのを後で気付いたが、まあ、上手く行けばレーネンベルクも含めて破滅させてやる。


===


 そして僕が進級すると同時に、先輩は学院を卒業して行った。元々、僕より早く首府にある方の学院に入った訳だし、メイジとしての腕なら、こんな二流の魔法学院に通っているのがおかしい位だったから不思議ではなかった。


 結局きっちり3年間学んだ先輩見送ったのだが、”一緒に来るか?”と尋ねられたのには少し驚いた。野望を持っている僕がその申し出を断るのは当然だが、先輩に何故か孤独の陰が見えたのは気のせいだっただろうか?


 ナポレオン1世なんてふざけた名前の皇帝が即位したのはそれから暫く後だったけど、妙な事を知っていて妙な事を知らないあの”先輩”らしいと思わないでもなかった。僕には無関係な人間になったと思ったが、実際はそうでは無かった。


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 学院を卒業して、母国に戻った僕には父から意外な事を言われた。


「はぁ? もう一度ゲルマニアに行けと?」


「うむ、ゲルマニア宰相殿と秘密裏にそれも頻繁に接触する必要があってな、お前以上に適任はおるまい?」


「はい、それはそうですが・・・」


 僕の予想は間違っていなかったらしい。てっきり帰ってくれば、婚約者のの1人でも用意されていると思ったのだけど、この予想は外れたな。こんな事なら、ゲルマニア人恋人でも作っておけば良かったな。


 意外にゲルマニア女性は身持ちが堅くて苦労しそうだけど、うん、先輩がらしくも無い片思いをしているあの女性は綺麗だったけどね。


「父上、婚約者でも用意していただけると思っていましたよ。しかし、どうしてゲルマニア宰相などと組もうとなさるのですか?」


「婚約者な・・・。まあ良い、それより分からないか、いや、国を離れていたのだから仕方が無いな」


「何かあったのですか?」


「我が家が以前から、ラ・ヴァリエールと不仲なのは知っているな?」


「はい」


 何でも、遠縁に当たるエスターシュ大公と因縁があったらしいけど、僕にはそういった感情は無かった。どちらかと言えば、レーネンベルクの方が気に障るな。


「そのラ・ヴァリエールが、最近、レーネンベルクとの結び付きを強めているのだよ」


 以前からそちらの噂は聞いていたな。レーネンベルクの長男とラ・ヴァリエールの長女が婚約したとかしないとか?


「レーネンベルクですか?」


「あまり気にならないか? これを聞いても冷静でいられるかな?」


 この時点では、まだ田舎貴族という認識しかなかったレーネンベルクだった。しかし、何故か嫌な予感がしたけど、聞かない訳には行かない様だ。


「あの男、スティン・ド・マーニュというのは偽名でな、本名はラスティン・ド・レーネンベルクと言う事が分かったよ」


「なっ! 本当ですか?」


「うむ」


 汚い、汚すぎる、権力に物を言わせて、僕を学院から追い出したのだな! レーネンベルクとラ・ヴァリエールが組んでいれば、父の手にも余る筈だ。


「おのれ、スティン・ド・マーニュ!」


「落ち着くのだ、そこまで思い詰めていたとは思わなかったな・・・」


「父上!」


 これが落ち着いていられるものか! あの男が、レーネンベルクの人間だったんだぞ!


「先程、婚約者の話が出たな?」


「はぁ? はい、今は!」


「お前、結婚相手の年齢を気にするか?」


 意外と力がこもった父上の声に思わず反論が途切れてしまった。何が言いたいんだ、父上は?


「あの、そうですね。我が家に相応しい相手であれば、それ程気にしません」


「10歳以上離れていてもか?」


 それを聞いて、閃く物があった。しかし、ゴトー家と王家は仲が険悪な筈なんだけどな? だからこそゲルマニアと手を組むという発想が出て来るのだろう。面識は無いが、この際子供でも我慢だな、別に愛人でも作れば問題は無いだろう。将来を楽しみにすれば良いだけだしな。


「勿論です! 相手が高貴な女性であれば、そんな事は問題になりません!」


「そうか、よく言ったな。それならばお前には、もう少し国内でも動いてもらうとしよう。ゲルマニアとの関係も重要だが、今後の事を考えれば顔を売った方が良いだろう?」


「良いのですか?」


「うむ、基本的に仕込みは済んでいるのでな。とりあえず、国王陛下とレーネンベルク公爵には・・・」


「父上?」


 レーネンベルクは分かる、平民を集めて何やらやっているらしいが、貴族の誇りを失った貴族に存在価値など無い。だけど、何故国王陛下が?


===


 僕はそれから父と親交のある貴族達と父の代理として会う事が多くなった。彼らとは基本的に話は合うのだけど、彼らの共通した特徴の王家ではなくフィリップ4世への憎しみに似た感情にはどうも同意しかねた。


 僕自身はフィリップ4世にお会いして事も無いし、伯爵家の息子としてそれなりに王家への敬意を叩き込まれてきたからな。別にアルビオンの人間でも構わないと思うのは、僕がゲルマニアに留学していた影響なのだろうか?


 そうこうしている間に、トリステイン人には悪夢とも言うべき一連の事件が起こった。僕にとっては2重の意味で悪夢だったけどね。


「父上! あの話は本当なのですか!」


「ゲルマニアの方か? トリスタニアの方か?」


「どちらもです!」


 ゲルマニアの方と言うのは、ゲルマニアのブルーデス伯爵がレーネンベルクに兵を進めたという話だ。ブルーデス伯と面識は無かったが、随分と無能な人物だったらしい。十分に準備をして攻め込んだのに返り討ちに遭うとか有り得ないだろう。


 しかも、逆に攻め込まれて、捕虜になるなんて救い様が無いし、その時レーネンベルクの平民どもを指揮したのはアイツなのだ! (どうせ、平民の後ろに隠れていただけなんだろうが、それが英雄扱いだぞ、ふざけるなと叫びたい!)


 もう一方のトリスタニアの方は、国王陛下が暗殺されそうになったという話だった。幸い一命は取り留めたものの2度と立ち上がれないという話なのだ。公式には病気で倒れた事になっているが、毒を盛られたという話も聞いた。


 どちらも、とあるトリステイン貴族が首謀者とされているが、問題はそのモーランド侯爵と僕が最近良く会っていたという事だ。無論父の使いとしてだが、頻繁な手紙のやり取りや僕には意味不明な伝言などが多かったがそれでも凡そ見当が付く。裏で糸を引いているのは、ゲルマニア側ではあの先輩の父親、そしてトリステインでは僕の父上なのだ。


「ゲルマニアの方なら、まあ、少し読み違えたのは認めよう。あれには文句を言われそうだな」


「はい・・・」


 読み違えたのはゲルマニアのブルーデス伯の実力だと思うけどね。


「トリスタニアの方は残念だったな?」


「はぁ?」


 国王陛下暗殺未遂の話で、何故、僕が残念がらないと行けないんだ。


「そうだな、まだ遣り様はあるな。もう子供を作れない身体なのだ、アンリエッタを何処かに嫁がせる算段をすれば自ずと奴を苦しめる結果になるだろう?」


「えっ、はい」


 何とか返事を返せたが、とんでもない勘違いをしていた様だ。父は僕を王女の婿にするのではなく、王妃の婿にする積りだったのだろう。いや、女性を年齢で差別する積りはないけど、ちょっと年上過ぎませんか? どうも父の見ている未来と僕の見ている未来はずれている様だ。


 若い男の方が子作りには向いているというのは否定しないし、マリアンヌ王妃を敬愛しているが、それでもなぁ? 少しだけ、暗殺の失敗に感謝したくなった。


===


 だが、その微かな感謝もそんなに長く続く事は無かった。父の代理で陸軍元帥の”勇退”パーティーとやらに出席した時に、僕は再びヤツと会うことになったんだ。


 かなり印象が変わっていて、最初はそれがヤツだとは気付かなかったのは情けないが、それ以上にヤツは僕の事など眼中にないという態度が気に障った。(僕の方もかなり変わったからな、お互い様という事で・・・納得できるか!)


 いや、まあ、それだけならば何とか我慢出来たのだろうが、とても受け入れられない事態が僕の前で起こる事になった。


「ラスティン・ド・レーネンベルクが副王になったぞ」


「何の冗談ですか、父上?」


「冗談では無い、本当にな・・・」


 そう言った父の口調は、少し苦味を含んでいた。


「大体、副王って何ですか?」


「ふん、体の良い”的”だろうな」


「的?」


「ああ、あの枢機卿(余所者)の発案らしいのだが、公務も録に行えない国王陛下を補佐する人材と言う訳だな」


「”的”と仰いましたよね?」


「ああ、フィリップ4世を殺害すると下手をすればもっと若くて使える国王が生まれるかも知れんな」


「まさか?」


「逆に、副王殿下とやらを殺しても別の人間を立てれば良いだけだ、全く面倒な事を考える物だ。マリアンヌやアンリエッタを代理にして宰相でも置いてくれれば話は早かったのだが・・・」


 その宰相役に都合の良い人間を推すか、取り込むのだろうが・・・、父とは敵対関係にあるラ・ヴァリエールの縁者となれば、操るのは難しいだろう。本当、にこの世は不条理だ!


「・・・」


「不満そうだな、ラスティン・ド・レーネンベルクは、一応公式に継承権を持っている人間だ。私やお前と違ってな」


「継承権を放棄した曾爺様を恨みたくなりますね?」


「祖先を恨んでどうする、考えるならこれからの事だ」


「・・・、はい」


 さすがは父だな、この切り替えの速さは見習いたい物だ。


「当面は様子見だな、こちらの陣営を固め直す必要もあるな。お前にも色々動いてもらうぞ?」


「はい、ですが、それだけですか?」


「フィリップ4世に少し圧力をかけるとするさ」


「圧力ですか?」


「ああ、国王陛下の弱点は良く分かっているからな。それに上手く行けば、国王と副王の間を裂く事が出来るかも知れん」


「さすがです、父上!」


===


 だが、自信に満ちた父を見るのはそれが最後だった。ゴトー家の凋落は、もしかするとラスティン・レーネンベルク・ド・トリステインの誕生が切欠だったのかも知れない。


 王城では、国王陛下と事実上の宰相マザリーニ枢機卿、そして副王のヤツが組んで、国政を動かし始めたのだが、国王と副王の間を裂く計略は悉く失敗に終わった。


 更に父の同志とも言うべき、ドローヌ伯爵,フェリー子爵,グレトリー子爵がゲルマニアに内通したとして罰せられる事になった。それが嫌疑ではなく事実だと言う事は私自身が良く分かっているが、以前の”フィリップ4世”ならばこんな対応は出来なかった”というのが父の感想だった。(国王陛下にも思うところがあったのだろうか?)


 フェリー子爵とグレトリー子爵はゲルマニアに逃げ出し、ドローヌ伯爵は処刑されドローヌ伯爵家自体も断絶となった。


 そして、我がゴトー家に対する包囲網も徐々に狭められたが、父はそこで切り札を使う事にしたらしい。つまり、”ブリュノ・ド・ゴドー”にすべての罪を擦り付けるという策だった。


「お前には死んでもらう事にした」


「ち、父上!」


 急に呼び出された私に、父が告げた言葉は無情な物だった。どうして私が、死ななければならない?


「何を驚いている? ドローヌは生きて捕えられたのだから、お前の事は既に王城でも調べが付いているだろうな」


「まさか、私を切り捨てる積りなのですか!」


 あの頑固なドローヌ伯なら、きっと何も話さなかったと思うが、私とドローヌ伯が頻繁に人目を忍んで会っていたのはあの屋敷の者なら多くが知っているだろうな。私という人間が、ゲルマニアと無関係などとは誰も思わないだろう。


「お前を庇ってドローヌと同じ道を辿るか、お前を切り捨ててゴトーを守るか、お前が私の立場ならどちらを選ぶ?」


「父上・・・」


「どちらだ?」


「ゴトー家を守ります・・・」


「ゴトーの為に死んでくれるか?」


「はい!」


 詰らない人生だったが、最後に名誉あるゴトーの為に死ねるなら本望だ。強がりだと分かっているが、これ以外の答えを私の矜持が許さなかった。


「ブリュノ・ド・ゴドーの首を差し出せば、何とか暫く時間が稼げるだろう」


「父上、そんな弱気でどうするのです。私の命で時間稼ぎしか出来ないなんて! ゴトーにかつてのの栄光を取り戻すと言って下さらないのですか!」


「私も老いた、それはお前に任せる事にする」


「あの、父上、私は死ぬのですが?」


「そうだな、ブリュノ・ド・ゴドーという名を持った、お前と同じ顔を持った男が犠牲になるな?」


 さすがに、”同じ顔”と言われれば父の意図が理解出来た。この為に、あの”ごく潰し”を生かしておいたのか?

 本当はもっと有効な場面で使いたかったのだろうが、ゴトー伯という人間の恐ろしさを思い知らされたな。(最後までアレを可愛がっていた母が存命なら話は変わっていたかもしれないが、そんな仮定は意味があるまい)


「父上、試しましたね?」


「勿論、試したとも、お前には死ぬとの同等の覚悟が要るだろうからな?」


「覚悟ですか?」


 何故”覚悟”という言葉がこんなに不吉に聞こえるのだろう。不出来な弟という身代わりが居るのに・・・。


「まさか、その顔で出歩く積りではあるまいな?」


「っ!」


 生まれてからずっと、ほぼ幽閉状態の弟が私の身代わりになれば、私は事態が落ち着くまで外出さえ出来なくなるのは当然だろう。魔法で一時的に顔を変える事は出来るが、公的な場所でそんな事をすればどうなるか、言うまでも無い。


「お前は暫くゲルマニアに行っていろ、あちらで良い手があるそうだ」


「ゲルマニア宰相の所ですね。しかしどんな方法なのでしょう?」


「詳しくは聞いていないが、エルフの秘儀だそうだ」


 何だか知らんが、いやな予感が確信に変わった気がするぞ、こんな所でエルフとはな。


「そう嫌そうな顔をするな、あの副王でさえエルフの子供を友人にしているのは聞いているだろう?」


「はい」


「利用出来る物は利用する、そこに感情ははさまぬ事だ」


「そうですね、では久々に母校にでも行ってみるとします」


 そうは言ったが、実際は自分と同じ顔の人間の死体など見たくは無かったというのが本音だった。だが、この決断を後々まで後悔する事になるとは思っていなかった。


===


 父の言っていたエルフの秘儀と言うのは、エルフ達自身によれば”邪法”だそうだ。私のその表現に賛成だった。何せ、自分の顔に妙な生物を寄生させるのだからな。(エルフにはもっと簡単に自分の姿を変える方法があるらしいが、その方法も元になったのはこの邪法だったらしい)


 実際に施術の時は眠らされていたから、その寄生生物の詳細や、どんな形で寄生するのかも分からなかった。いや、それを知らせない為に眠らされた可能性もあるが、施術の自体に痛みが伴うという話も否定は出来ない。”狂うなよ”などと真顔で忠告されれば反論など出来なかった。


 安定するまで1カ月ほどかかった様だが、その頃には全てが終わっていた。文字通り”ブリュノ・ド・ゴドー”という人間は何処にも居なくなってしまった。


 最初は自分の顔が自由に変えられるのが面白くて、色々な人間に成り済ましたのだが、ふと元の顔に戻ろうと思った瞬間、自分が自分の本来の顔に戻れないのに気付いた。これは正確ではないな、自分が自分の顔を忘れてしまっている事を自覚したんだ。


 自分のイメージ通りの顔になれるのであれば、自分の顔に戻る事なんて簡単だと思っていたのに、毎朝自分の顔を鏡の中に見ていた筈なのに、何故こんな事になったのだろう? (本気で私の身代わりに死んで行った”弟”が、その”死”を受け入れる代わりに私の顔を奪っていったと考えた程だ)


 親しい人達は、私を私として受け入れてくれた(似合わない皇帝などをやっている先輩も含めてだな)が私が感じている喪失感を埋めることは出来なかった。


「すまなかったな、そこまで落ち込むとは思っていなかったのでな・・・」


「いいえ、父上の選択、いいえ、私の選択が間違っていたとは思いません。だた、少し運が無かっただけです」


「・・・、そうか。誰か適当な人間を消して、成り代るか?」


「いえ、それは、遠慮しておきます。背格好が似ていれば誰にでもなれる私に、妙なしがらみは不要です」


「・・・」


 強がってはみたが、実際の所、怖かったのだ。名も無くし、顔も無くし、そして別の人間に成り切ったとしたら、私と言う”存在”は本当に存在しなくなってしまうのでは無いかという根拠の無い不安が私の頭を時々過るのだ。


 他人の居場所を奪った自分が、実は自分という存在を他人に奪い返されると感じるのは、私と同じ立場になってみなければ理解出来ないだろうな。私の今の能力を最大限に生かす方法は、他人の存在を奪ってしまう事なのは分かっているのだが、同時に自分がその手を使えない事も分かってしまった。


 髪さえ何とかすれば、”スティン・ド・マーニュ”にさえ成り代れる筈なのにな・・・。


===


 私は、以前の様に父の手足として動く事になったが、ゴトー家を取り巻く状況は悪化の一途を辿っていった。違うな、客観的に現実を見れば、ゴトー家が取り残されている事が分かる。


 トリステインの他の貴族の領地の発展を見れば、”取り残されている”と評されても仕方が無いだろうが、私には伝統ある貴族が貴族以外の者に変わって行く過程を見せ付けられている様に感じられた。


 私がこんな風に感じる事が出来るのは、学生の頃の”先輩”の話の影響だろうな。皇帝になる様に育てられた筈なのに、平民が君主を選ぶという妙な話をしてくれたからな。


 父の打った手も結局ゴトー家を存続させる事には結びつかなかった。それどころか、ヤツを利する結果になったとも言える。父とすれば、フィリップ4世陛下を王位から追い出す事になって満足して死んでいったのだが結果的にヤツが台頭する事になり、ゴトー家の破滅を早める結果を招いたとも取れる。


 結局、私はゴトー家の破滅をただ見守るしかなかった。ゲルマニアからどれだけ金を工面してもそれが役に立たない事には気付いていたが、存在しない人間に出来る事などたかが知れていた。父が亡き後、あの兄が当然の様に家を継いだが、当たり前の様に無様を晒して、予想通りゴトーを潰してくれた。


 そして、私は帰る家も無くす事になった。一方、”スティン・ド・マーニュ”のヤツは国王になり、伝統あるトリステインという国さえも好き勝手に変えようとしている。


===


 名誉ある貴族の末裔として、私はヤツの暴虐に密かに対抗する事にした。この頃になると父が、あまり有能とは思えなかったフィリップ4世陛下をあれ程嫌ったのか理解出来たが、悲しいかな私には何も残されていなかったのだ。


 父の遺した伝はあるが、それを頼りにするのはある意味危険を伴う。密談の現場を押えられなければ捕まる事はありえないが、必要の無い危険を冒す必要も無いだろう。ゲルマニアとトリステインの関係は冷え切っているから、利用するのは難しくなかった。


 そうだ、全てが思い通りに動く筈だったのに、何も上手く行かなかった。国力で言えば、トリステインを圧倒するだろうゲルマニアなのだが、何をとち狂ったか先年ガリアなどに攻め込んだ皇帝が悪い。


 ”こうしなければ多くの人間が死ぬ事になる”などと”立派”な事を言ったらしいが、無意味な戦闘で多くの命が散った事を考えれば、全く意味は無いだろう。


 ガリア程の大国を敵に回せばどうなるか子供だって分かりそうな物を、如何にもあの先輩がやりそうな事で、やってしまったのが悲しい事実だ。


 その上、何故父と子、皇帝と宰相の間で揉め事を起こすのだゲルマニアを滅ぼしたいのかと他国の事ながら心配になる程だ。(色々借りがあるので、ゲルマニアの為に各国の間諜を探したりさせられたから、簡単に倒れられると困るのだ!)


 だが、その心配は時間が経つに連れて現実になって行った。私と同じ様にゲルマニアも外交上で孤立を深めていったのだ。私としても愛国心をなだめながら、出来る限りトリステインの情報を流したのだがゲルマニア軍による起死回生のトリステイン侵攻は最悪の結末を迎えることになった。


 ゲルマニア空軍のフネはトリステインに侵入した途端に撃破され、私の情報を元に組織された別働隊もトリスタニアを目の前にして鹵獲される結果に終わった。更に、翌日には皇帝の居城がトリステイン空軍によって占拠され宰相も討ち取られた。


 皇帝の方は色々な情報が錯綜したが、私にはあの”先輩”が偽者だったという事は有り得ないと分かっていた。無謀なガリア侵攻から生きて帰った後の”先輩”にも”呪い”は健在だったからな。どんな気の利いた偽者を用意してもあれは真似が出来ないだろう。


 その後、ゲルマニア国内も混乱を極めて、”先輩”の行方を知る事は出来なかった。だが、あの先輩の事だ絶対生きているだろうと信じる事しか出来なかったし、私にはそれから孤独な戦いが待っていたのだ。


===


 何時からだろうか、あの”スティン・ド・マーニュ”は何かに守られているのではないかという疑惑を抱いたのは?


 元々、副王だった頃から一所に留まる事が少ない人間だったが、不意に何処かに出かけたり、王城に篭ったり、刺客を送り込もうとすると、また頻繁に出かける訳の分からない行動をとる奴なのだ。非常に暗殺しやすそうでしにくい国王だが、何度か決定的なチャンスもあった。


 1度は、既(すんで)の所で護衛に庇われて一命を救われ、もう1度は、裏切り者のゴトー領民を炊き付けてデモ?とやらを起こした時だ。


 ”デモ”という考えはあの先輩から得た知識だが、あの平民に甘い国王なら引っかかるという確信もあったし、偶然だが使い勝手の良い駒も手に入った。ゲルマニア宰相がアルビオンの情報を得る為に使っていた男だが、一応(無論、別の顔でだが)面識があった。


 弁舌が立つという面では負ける気は無いが、私の考えが平民に受け入れられないのは身に染みているから、メイジではないアルビオン人というのはこのデモの首謀者には適任だったのだ。


 全ては、概ね予想通りに進んだのだが、肝心の国王との直接交渉の場面で完全に私の制御を離れてしまった。何処の国に平民の言い分を全面的に受け入れる国王が居るだろうか?誇りある貴族の叫びに耳を貸すことさえしなかったというのに!


 あまりといえばあまりの情けなさに、こちらの手の者が暴発して結局計画がご破算になってしまった。今になって考えれば、計画は上手く行き過ぎたとも思えるし、実際目の前ではこちらの人間が次々に捕縛されていったのを見れば、誘い込まれたとさえ考えられるのだ。


 そんな混乱の中、一丁の小型銃が私の前に滑って来た。本来ならば、国王に向かって多方向から一斉に撃つ筈だったのだが、出来の悪い銃、それも、たった一丁ではヤツに怪我をさせるのが精一杯だ。


 それでは意味が無い、確実にヤツを仕留めなければ、私(いや、全ての心ある貴族のだ)の復讐が成立しない!

 その銃に手が伸びそうになるのを懸命に堪えながら、私は国王と平民の有り得ない会話を聞いている事しか出来なかった。(だが、当たり所さえよければ、くそ!)


 何度か同様の試みをしようとしたのだが、何故か上手く行かなくなったのはそれからだ。最初は、あのアルビオン人が捕まって何か漏らしたのだと思ったが、そうではない事が分かった。


 私と同じ能力を持った人間が居る事を感じた私は暫く身を潜める事に決めるしかなかった。まさかエルフがヤツに協力するなどとは思っていなかったが、ヤツの愛人の1人がエルフだと言う事を考えれば私の能力の秘密がばれている可能性もあるから仕方が無い選択だった。


 ただ、ゴロツキなどを雇って刺客に仕立てても、ほとんど役に立たなかったし、下手をすればそのまま役人の所に駆け込む輩も居る。名誉を重んじない平民などその程度と分かっていたが潜伏先を悉く潰されるのは痛かった。


 そうだな、その頃になると資金の心配をしなくてはならなかった。私の考えに賛同してくれた貴族達は何故か概ね資金繰りに苦労していて、言う事は立派だが実行力も、資金も伴っていない。そのくせ、こちらが援助を申し出ると喜んで乗ってくる様な貴族と言えないのが多かった。


 そんな事が重なり、あの先輩がもしもの時にと用意していた資金も見る見る内に目減りして行ったのだ。そして終には明日の食事に困るまでになってしまった。


 この国でも指折りの名家の出の私がそんな心配をする日が来るとは思っても見なかった。このままでは貴族の誇りさえと思い詰めた私は”禁断の薬”に手を出す事にした。(その時には既に、私の手元にはその薬と役に立たない火石しか残っていない有様だったのだ)


===


 何度かその薬を服用すると段々と意識が飛ぶ様になった。元々エルフ用の薬で、人間が使う魔法に対する抵抗力が強くなるという触れ込みだった。何故、彼らにこの薬が必要だったかといえば、”子供向け”だそうだが、いや今は目の前に倒れているこの男の事だ。


 いつの間にか、隠れ家の近くの空き地に移動していた私の目の前に、黒焦げになった男の死体が転がっていた。周囲の状況からどうも魔法を使って戦ったらしいが、肝心の相手の人相さえ分からない状態だった。服装を見れば少なくとも貴族では無さそうだ。


「くっ、良く分からないが、手頃な人間を見つけて自分魔法への抵抗力を試したのだろう。そうだ、そうに違いない!」


 まるで自分に言い聞かせるように大声を出したが、何故か非常に重要な事を忘れている様な気がした。何故だか分からないが懐かしい声を聞いた気もする。


「まあ良いさ、私も、もう長くない。後悔も直ぐに終わる・・・」


 そうだ、薬の効果も確かめる事が出来たのだ、さすがにヤツに向かって悠長に呪文を唱える事は出来ないだろうが、火石を使えば済む事じゃないか?


「そうだ、あれなら一瞬で片が付く、何でこんな事を思い付かなかったんだ?」


 私はそんな事を呟きながら、隠れ家に戻り、持てるだけの火石を持ってトリスタニアを目指した。そうだな、もう直ぐヤツの息子とアルビオンの王女の結婚式とかがあったな。下らないパレードとかもあるだろう、それまで精々良い夢を見るのだな、”スティン・ド・マーニュ”!


===


 そして主の居なくなった屋敷に不埒な訪問者がやってくるのは、それから2週間ほど後の事だった。


「おい、何だよここは!」


「おかしいな、金持ちの別荘だって噂だったのよな?」


 この2人組みがこの場所を探し当てたのは、あまり公言出来ない類の伝と、近くで殺人事件があった事でこの場所が少し注目される事になった事が原因なのだが、2人にとっては幸運とは言い難い偶然だった。


「俺に聞くな!」


「金持ちどころか、今時、どんな貧乏貴族でもこんな湿気た暮らしをしていないぞ!」


 男の1人がそんな愚痴を言ったが、それは全くの事実だった。人があまり訪れない様な場所に、立派な屋敷が建っていれば道楽者の隠れ家と思っても不思議は無かった。だが、屋敷の外見に反して内部は荒んだ物だったし、家具を含めてさえ、金目の物が見当たらない状態なのだ。


「これって薬か?」


「おお、何処かに持ち込もうぜ。エルフの秘薬とか言ってさ!」


 粗末なテーブルの上で妙な”石”に埋もれた紙包みを見つけた男の1人が歓声を上げた。実際、薬を扱う商人の間では、”エルフの秘薬”という売り文句が当たり前の様に使われていた。暫く居間と思われる部屋を探っていた男が、一冊の書物を発見した様だ。


「他には、何だ、日記か?」


「何々? 何だ、最後まで書かれて無いじゃないか。装丁だけは立派なんだから、いっそ何も書かれて、おっ!」


 文字が読めないと言う訳ではないが、あまり得意ではない男からもう1人の男が日記を受け取り中身を少し確認した。だが、読み進める内に顔色を悪くして行った。


「どうした?」


「ゴトー家だってよ」


「ゴトー侯爵の関係者か?」


「いや、伯爵だって・・・」


「拙いんじゃないか?」


 ”ゴトーの亡霊”の話は、裏の業界ではかなり有名だったし、断絶した筈の家の関係者となれば、物騒な話も想像出来る。


「ああ、ちょっと前に近くで死人が出たよな?」


「もしかして、”あの事件”の関係者! 役人に知らせた方が良いんじゃないか?」


「馬鹿か、面倒に巻き込まれるのはご免だ!」


 2人は何とか、その日記を燃やそうとしたのだが、魔法がかかっているらしく焦げ目さえ付かなかった。処分に困った男の1人が、庭にある池にその日記を投げ入れそのままその屋敷から逃げ出して行った。


===


 トリステイン国王殺害という大事件の真相が記された日記は、2度と池の底から浮かび上がって来る事は無かったのだった・・・。

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革命@番外編 @Maris

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