第17話 学生時代(前編)



 そう、私(クリオ・ド・コーヌ)と、あの娘(エレオノール)と、不本意ながら婚約者のデニス・ド・グラモンは、トリステイン魔法学院の同級生だったんだ。最初に、エレオノールを見た時は、とても近付き難い娘だと思ったんだけど、意を決して話しかけてみると、何だか見かけに騙されたと思う位に気さくに話に応じてくれた。

 私が、エレオノールに話しかけようと決心した背景には、入学の式典の時に気になっていた男子が、異常に熱心にエレオノールを見詰めていた事が原因だったりするんだよね。(まあ、その男子というのがデニスな訳なんだけど)


「失礼、ミス・ヴァリエール、隣の席空いてるかしら?」


「あ、はい。確か、ミス・コーヌでしたね? 同級生とは言っても、1つ年長の方ですから、そんなに丁寧に話さなくても構いませんよ?」


「そう、ありがとう。貴女も、私が年上だからって、普通に喋ってくれていいよ」


「うん、ありがとう、ミス・コーヌ」


「それ止めない? ミスとかミスタとか堅苦しくて」


「ふふ。そうね、クリオ?」


「それで良いわ、エレオノール」


 教師達の前では、きちんとしていないといけないけど、普通はこうじゃなくっちゃね。でも、この娘って意外と話が分かるわね。さっきの授業も全然苦労していなかったみたいだし、見かけも綺麗だし(悔しいけど私の倍は綺麗だわ)、性格も良いって、何処のお嬢様ですか?(ラ・ヴァリエール公爵家のお嬢様なんだけどね)


「でも、良かった。同級生の皆さんは、私にあまり話しかけてくれないから、ちょっと心細かったの」


「まあ、そうでしょうね。誰も、貴女のお父様に目を付けられたくは無いでしょうから」


 ラ・ヴァリエール公爵の娘に対する溺愛ぶりは一部では結構有名だったんだよね。


「じゃあ、クリオは、何故私に話しかけてくれたの?」


「えっ!?」


「何か話し難い事情でもあるの? 私なんかじゃ頼りにならないかも知れないけど、良かったら話して欲しいな」


「えーっと、ごめん、貴女だけには絶対話せない事情なの」


 私がちょっと気になる男の子が、貴女の事を熱心に見ていた何て言ったら、どんな事になっちゃうか、不安だしね。私の言い方が悪かったのか、エレオノールはあごに人差し指を当てて、考え込んじゃったんだけど、その仕草がまた、女性の私から見ても何だか可愛らしかった。


 それから、私とエレオノールは友人になり、それを見た私の知り合い達もエレオノールと親しく話す様になった。公爵家の娘という事を抜きにしても、エレオノールと話すことは面白かったし、見ていて飽きないのも事実だったんだ。そんな、あの娘も人には言えない秘密を持っていたのに気付いたのは、多分、同級生の中では私が最初だったと思う。


 ”ミス・ヴァリエールが夜の中庭で、上級生と密会している”という噂が、噂好きな女の子の間で広がるのは、意外と早かったと思うんだけど、エレオノールの周りの友人達は最初それを信じなかった。

 エレオノールに婚約者が居るのは本人から聞いた事だったし、あの娘が婚約者以外の男性と密会すると言う事は中々信じられなかったと誰もが言っていた。あの時は、日頃の行いの大事さを思い知らされた気がしたわ。そういう友人たちも気になる男の子達とこっそり会っていたりするから、真正面から尋ねる様な無粋な事をする事も無かったと思っていた。


 そして何時からか、”ミスタ・グラモンがミスタ・マーニュに決闘を申し込んで返り討ちに遭い続けている”という、謎な噂が男子の方から流れて来る様になった。”返り討ちに遭い続けている”と言う所がおかしいのだけど、私が気になったのはその噂を聞いてしまった時のエレオノールの態度だった。

 ほんの少しだったけど、エレオノールが誰かを心配している様に見えちゃったんだ。それはどう考えてもデニスではなかったから、当然相手の”ミスタ・マーニュ”と言う事になる訳で、私としても気になって”ミスタ・マーニュ”に探りを入れてみた。


 マーニュ男爵家と言う所は、レーネンベルク公爵家の家臣が貴族に取り上げられた家系だと言う事は、簡単に分かった。そして件の”スティン・ド・マーニュ”という人物の事も意外と簡単に分かってしまった。何と言うか、身分の違いを除けば、エレオノールのぴったりの男性だと思えたけど、これらは、エレオノールが”浮気”をしている事を裏付ける(決定的ではないけど)証拠になる事実だったんだ。

 だけど、私としてもどう動くか決めかねている間に、”スティン・ド・マーニュ”はあっさりと卒業して行ってしまった。エレオノールがため息をつく事が多くなったのを私は気にしないようにしていたのよね。友人でも、相談を受けなければ、踏み込んではいけない領域があるんだと、何となく分かっていたからなのかも知れないね。


 そして、事態が急変したのは、そんなある晩の事だったんだ。もう、休もうと思って寝間着に着替えて、ベッドに入ろうとすると、部屋のドアが微かにノックされた事に気付いた。ドアを少しだけ開けるとそこには、泣きじゃくったエレオノールが不安げに立っていた。


「どうしたの、エレオノール!」


「あの、クリオ。ぐすっ、少し、あの少しだけで良いの、話を聞いてくれないかな・・・?」


「良いから、入りなさい。もう冷めちゃったけど、お茶を淹れるわね」


「ありがとう・・・」


 私は、エレオノールの格好を確認したけど、特に異変は見当たらなかった。良かった、馬鹿な男子に乱暴されたとかじゃないみたいだ。


「ゆっくりで良いから、何が起こったか話してくれるかしら?」


「うん、今晩、ミスタ・グラモンの呼び出されて少しだけ話をしてきたの。その時にね、ちょっと、うぅ・・・」


「エレオノール、大丈夫よ、落ち着いて、ね?」


 エレオノールの様子は、ちょっとでは済まない様だったけど、話を聞いて何となく納得してしまったんだ。デニスが、あの”ミスタ・グラモン”らしい、間抜けな行いをしてしまったと言う訳だった。彼の名誉(そんなの在るのかしら?)の為に言っておくと、彼がエレオノールに乱暴したと言う訳ではないのだけど、決して褒められる事をした訳では無かったの。


 デニスはどちらかと言えば、まあ、紳士な方なのだけど、かなりデリカシーに欠けた所がある。入学当初から、容姿や家柄なんかで、色々な女の子達から言い寄られていたのは知っていたんだ。デニスはデートとかには意外にあっさり応じるそうなんだけど、決して”彼女”を作ろうとしなかったんだ。

 正式に交際を申し込んだ女の子も何人か知っているけど、彼女達も振られた事自体は気に病んでいないらしかった。振った前も振った後も、デニスの態度は全く変わらなかったと言うのが理由らしいんだけど、あれは心が広いとかでは無くデリカシーの欠如だと思う。まあ、デニスはエレオノールだけを見ていたんだから仕方が無いのだけどね。


 まあ、そんなデニスなんだけど、今回は言ってはいけない事を言ってしまったみたいなんだよね。デニスが誤解しても仕方ない気もするんだけど、エレオノールも真面目だからな?。


「もう一度聞くけど、”スティン・ド・マーニュ”が本当に、”ラスティン・ド・レーネンベルク”なの?」


「はい、私の婚約者”スティン兄様”です」


「何でそんな面倒な事を?」


「話してはくださいませんでしたから、正確には分かりません。でも、何かお考えがあるんだと思います」


「まあ、それは良いわ。貴方が浮気をしているとは、どうしても信じられなかったからね」


「ありがとう、クリオ」


「でも、”ミスタ・マーニュ”はもう卒業したんでしょう? 彼の身元をばらしてしまえば良かったんじゃない?」


「兄様が、その積りだったのなら、卒業の時に御自分から告白されたと思います。兄様が言わなかった事を勝手に洩らす訳には行きません!」


「貴女も、随分と変わった考え方をするのね。まあ、”ラスティン・ド・レーネンベルク”にはお似合いなのかもしれないわ」


「そう言ってもらえると、嬉しいわ」


 そう言って、エレオノールは少しだけ微笑んでくれた。そうすると、デニスが何を考えて(いや、きっと何も考えていなかったんだろうけど)そんな事を言ったか分からないけど、最悪な事を言ってしまったんだ。デニスは単純に、”ミスタ・マーニュ”の後釜に座ろうとしたのだろうけど、最初から”ラスティン・ド・レーネンベルク”しか見ていなかったこの娘には、”尻軽女なんだから僕でも良いだろう”と言った感じで聞こえたんだと思う。


 エレオノールと一緒にベッドで横になって居たんだけど、どうしても気になっている事があって眠れなかった。そう、デニスが今どうしているかだったんだ。普通に考えれば、部屋に戻ってエレオノールを泣かせてしまった事を悔やんでいると考えちゃうんだろうけど、何故か私にはそう思えなかった。

 エレオノールが寝静まるのを待って、こっそりベッドから抜け出す事にした。私は、これでも品行方正で通っているから、夜に寝間着一枚で外を出歩くなんてすっごくドキドキしたけど、マントだけでも羽織ってくるべきだったかも知れないね。

 淡いライトの光を頼りに、中庭のある場所を目指したんだけど、やっぱり夜だと勝手が違うのか、目的の池のほとりに着くのに少し手間取ってしまった。辺りを慎重に探してみたけれど、目的の人物は居なかったみたいだ。


「やっぱり、もう部屋に戻っちゃたんだな。普通そうだよね?」


 念の為、もう一度だけ、周囲を探してみたけど、やっぱり人影は見当たらなかった。少し落胆しちゃったけど、これが普通なんだと自分に言い聞かせて、部屋に戻ろうと一歩踏み出すと、


「ひょわっ!」


何か柔らかいものを踏んでしまって、思わず乙女にあるまじき悲鳴を上げてしまった。少しだけ、心細かったから仕方が無いんだよ? その柔らかい物は人の体で、顔を照らしてみると、やっぱりデニスだった。でも同時に、デニスは何故か額から出血しているのが見えてちゃったの!


「デニス! どうしたの」


 慌てて、肩を揺すってみたけどデニスは何の反応も示してくれなかった。


「まさか、誰かに襲われたの? あの様子じゃ、あの娘がやったとも思えないけど」


 独り言を言っても、事態は進展しないよね? 慌てて、思いつかなかったけど、水系統魔法で治療すれば良いとやっと気付いたのは少し落ち着いてきてからだった。魔法を使いながら、周囲を見渡すと、状況的に不自然な感じがしたんだ。デニスは木に向かって仰向けに倒れていたし、デニスの人間としては兎も角、メイジの(正確には決闘の)腕も学年で飛び抜けている。そんなデニスを簡単に倒せるものなんだろうか?

 傷口が治ったのを確認して、ハンカチは無かったから、デニスの額を寝間着の袖で拭うと、何か小さな破片が付いているのが分かった。


「これは、木の皮かしら?」


 自分の言葉に何故か閃く物があった、でも本当にそんな事が? いいえ、デニスならいかにもやりそうな気がするよね? でも、確かに馬鹿な事だけど、デニスなりに反省して”自分で木に頭をぶつけた”んだと思うと、少しだけ優しい気持ちになれたのが自分でも不思議だった、でもこれが悪かったんだなと後悔する事にもなったんだよね。


「ミスタ・グラモン、起きなさい、風邪を引いてしまうわよ?」


 こう言いながら、結構乱暴にデニスの頬を叩くと、やっと、デニスが目を覚ました。


「あ、あれ? ミス・コーヌ? 君の様な女性が、夜に僕の部屋に来るなんて、気持ちはありがたいんだけど」


「貴方の部屋は、何時から木の下になったの?」


「へぇ?」


 デニスは寝惚けた様だったけど、何かを思い出したのか、黙り込んでしまった。だけど、私は、真剣に青春している2人が少しだけ羨ましくなってしまった。きっとその歯車は、噛み合わないんだけどね。


「話は、ミス・ヴァリエールから聞いたわよ?」


「ミス・コーヌ! 教えてくれ、何故、あの方、いや、ミス・ヴァリエールは、その、急に泣いたりしたんだ」


「さ?ね??」


「ふざけないでくれ、僕は真剣なんだ!」


 別に意地悪をしている積りは無いんだけど、乙女が膝枕で傷の治療をしたのに、そんな事も気付かずに他の娘の話を始める男には相応しい対応だと思うよね?(あ、膝枕は特に深い意味が無いのよ? 暗いし、魔法がかけ辛かっただけなんだから)


「僕は一体どうしたらいいんだろう・・・」


「取り敢えず、あの娘に謝罪の手紙でも書いてみたら? 読んでくれるかは分からないけれどね、少なくとも貴方の頭を何度、木に叩きつけても、あの娘には伝わらないと思うから」


「そうか、その手が!」


「あ! でも貴方に乙女心が分かるかしら?」


「勿論さ!」


 この嘘つきめ、でもこのままでは、デニスにとってもエレオノールにとっても良くない状態なのは確かよね?


「ミスタ・グラモン! その調子で、ミス・ヴァリエールを泣かせてしまったのを忘れたの?」


「はぅ!」


 妙な声をあげて、デニスが胸を抱える様にしゃがみ込んでしまったんだけど、まあ、自業自得よね?


「仕方が無いわね、私が内容を確認して渡してあげるわよ」


「本当かい!? 是非頼むよ!」


 速攻で乗ってきちゃったんだけど、自分の手紙が私(他人)に読まれると言う事は理解しているんだろうか?


「自分で言っておいてなんだけど、貴方の手紙を私が見ても良いの?」


「構わないさ、ミス・ヴァリエールに対する賛辞しか書く積りは無いし、それを君に読まれたって、特に気にしないよ」


「はぁ?」


 デニスは確かにある意味大物かも知れないわね。でもこれで、私とデニスの接点が出来た訳なんだけど、本当に大丈夫、私?

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