第15話 王子様のゆ・う・う・つ(後編)



 宮殿に戻った私を待っていたのは、待つだけの退屈な日々だった。貴族たちが毎日の様にやって来て、私が王位に就いた後の役職などについて尋ねてくるのは、うんざりした気分だった。

 かなり、待たされる事になったが、私と兄の争いの結果が発表される日が、明らかになるとさすがの私も緊張感を覚えずにはいられなかった。たった数週間だったが、私には数ヶ月も待たされた気がした。周辺国から要人を集めるのも大変な事らしい。ただ、バルドー子爵が語った言葉と言うのが何故か私の耳から離れないのは自分でも意外な事だった。


 そして、運命の日を迎えたのだが、朝から妙に気分が落ち着かない自分が、小物染みていてあまり愉快な感じがしなかった。順々と、大広間に人が入っていくのを眺めながら、私が思ったのはこの5年間の行いが正しかったのかという、今更どうしようもない事だった。

 昨日集まった貴族達は、口々に気の早くも、私の勝利を祝ってくれたが、逆にそれが私を不安にしていたなどと考えないのだろうな。ほとんどの参加者が、会場入りしたようだったので、最後に入場する私と、兄が大きな扉の前で待つ事になった。

 私の左に立った兄からは、何故か不機嫌さを隠そうとしていなかった。あまり感情を表に出すことが少ない兄が、こんな風になるのはやはりこの争いの敗北を悟ったからなのだろうか?


 相次いで名前を呼ばれ、会場に一歩踏み込んだ。私にとっても、この様な機会は今までに、無かったので、私も緊張感を覚えた。だが、意外な事に私が感じたのは緊張感だけでは無かった、敵意とまではいかないが、少なくとも私に対する、批判的な視線が感じられたのだ、それも色々な所から。

 多分、兄に付いた下級貴族達なのだろうが、意外な多さに私は、改めて嫌な予感を覚えた。だが、今はそんな事を顔に出す訳にはいかない、無理をして表情に微笑を浮かべたが、上手く演技が出来ているだろうか? 今まで、見破られた事が無かった筈なのに、そんな考えが頭に浮かんだのを何とか振り払い、玉座へと足を進めた。

 この広間の左右には、何かの幕が掛けられたいたのが少しだけ気になる。あんなものは、無かったはずなのだが?


 父の前に片膝をつくと、父が我々兄弟に語りかけて来た。


「両名とも、長く王都を離れての任務ご苦労であった。そちらの働きに感謝しよう、多くの者が知っておると思うが、今回の任務はそなた達の王としての器量と能力を見せて貰う事が目的であった。試すような真似をした事をここで詫びておこう」


「そのお言葉だけで、この数年の苦労が報われる思いでございます!」


 私は、問題なく無難な返事が出来たが、横目で見た兄は、なんの反応も見せなかった。


「そうか、感謝するぞ。 では、皆も待っておるだろうから、早速、我が王子達の功績を披露する事としよう」


 父の身振りで、皆の視線が左右両脇の幕へと集まる。私も幕に視線をやるが、何の意図なのか分からないと思った瞬間、魔法で幕が取り去られて、見慣れない大きな額縁の様な者が現れた。何かの絵画かと思ったが、画布は張られておらず、小さな布が規則正しく何かを隠すように、並んでいるだけだった。

 訝しく思う間もなく、布の一部が取り去られた。そこには幾つかの数字が並んでいたのだが、私にはその数字の意味が分かった、私に協力してくれた貴族達にも分かっただろう。桁は違ったが、昨日私が彼らに読み上げた数字が並んでいるのだから。


 貴族の間から、いや、私を支持する貴族の間から歓声が上がったのは当然だろう。私側の数字、


181

315

135

50

98

779


と比べて、兄側の、


102

121

105

101

130

559


は、明らかに劣って見えたのだから、私の領地だった場所の税収が、それぞれ、1.81、3.15、1.35、0.50、0.98倍にそれぞれなったと言うのは、全くの事実で、父にはこの数字を手に入れることは容易だったのだろう。

 3年目、そう、あの港町での税収の増加が思ったより多かったので、勝利は確実だと思った訳だが、兄の側を見れば無駄な心配をした様だ。だが、布はまだ残っている、右側には何が書かれているのだ?


 広間のざわめきが静まるのを待って、残りの布が次々に取り去られた。それを見て私は・・・、そう、今までに無い絶望を感じた。5年間の合計だと! そんな話を聞いた事は無かったぞ。私が離れた後の領地がどうなろうと・・・、ダメだ王を目指す人間が、”そんな事は知らなかった”と言える筈が無い!

 バルドー子爵が語ったという言葉の真意はこれなのか、身体から力が抜けるのを止める事は出来なかったが、私は仮にも王位を争った男だ、こんな所で無様な振る舞いを見せる訳には行かない。妻(オデット)と娘(シャルロット)の目の前で、そんな醜態は見せられぬ!


 懸命に気力を振り絞って、何とか身体に力を込める。そんな私を嘲笑う様に、


「結果は見ての通りだ。私の後継者は、ジョゼフとする。異議あるものは居らぬな?」


という、父が宣言する声が聞こえたが、それが現実だとは思えなかった。


「ジョゼフを王太子に、シャルルにオルレアン領を与え大公とする。勝負は終わった、両名ともこの争いは忘れ、ガリアに尽くしてくれ!」


 続いた父の言葉が、これが現実だと言う事を思い知らせてくれた。そうか、私は負けたのか、こうなったら、ガリア王家の王子、いやオルレアン大公だったな、として振舞う事にしよう。(しかし、何故オルレアン領なのだ? トリステインに接する田舎の土地だったはずだが、またしてもトリステインか、忌々しい)

 いや、今はオルレアン大公としての面目を気にしなければ! 私は、何とか言う事をきかない顔の筋肉を酷使して、笑顔を浮かべると、兄に向けて握手を求めた。


「兄上、参りました。私は喜んで、貴方の臣下として」


 だが、私は最後まで喋る事が出来なかった。頬に衝撃を感じ、そのまま床に倒れこんでしまったのだ。いや、兄が私を殴り倒したのだが、信じられない事だった。


「シャルル! お前は、この下らない争いで、何故死者など出した!」


 何とか身体を起こした私に、兄の声が届いたのだが、”下らない争い”と言い切る兄の考えが分からなかった。だが、兄は本気でそう思っているのだろう、そうでなければ、この場で私を殴り倒すことなど出来はしないだろうから。


「お前自身と、本気で争ってみたかったぞ」


 続いての兄の言葉は、決して大きな物では無かったが、私のこの5年間の思いを打ち砕くには十分だった。兄は私を競争相手として、見込んでくれたのだ、それなのに私はこの5年間何をやっていた? 広間に広がる喧騒の中で、私は後悔だけを感じていた。


===


 気付くと私は、自分の私室に居て、頬の痛みも感じなかった。治療が行われたのだろうが、全く記憶に無かった。妻と娘が、心配そうに私を見ていたが、私にはどうしたら良いか分からなかった。


「オデット、負けてしまったよ。君を王妃にする事が出来なくて残念だ」


「いいえ、私はそんな事は気にしません。まあ、父は何か言ってくるでしょうが」


「そうだな、娘が王妃になるはずだったのが、大公妃だからな」


「私は気にしませんわ」


「オデット、ありがとう。おいで、シャル」


 何が起こったのか分かっていないだろう娘を、抱きしめながら、私は少し落ち着いて将来の事を考えたてみた。あの広間での騒ぎもあって、私を支援していた貴族達は、私の王位継承を主張する事だろう。それをあの父が受け入れるなどとは思わない。

 そう考えると、父上が私にオルレアンの領土を与えた事も、素直には受け取れないな。オルレアン領は、トリステインとラグドリアン湖を通して接していて、ゲルマニアにも近い。そして何より私を支援する貴族達の領土にも近い、これは父が何かを考えて私をオルレアン大公に就けたと考えた方が良いのだろうな。


「そうだ、オデット。オルレアンといえば、トリステインに近いな、君の避暑地の近くなって良かったな」


 何となく言ってみただけの言葉だったが、オデットは私の目を真っ直ぐ見詰めて、こんな事を言い出した。


「あなた、私はあなたに、1つだけ隠し事をしています。ですが、それは決して、疚しい事ではありませんし、自分の保身の為だけではありません。それが打ち明けられる様になるまで、私を信じて待っていていただけますか?」


 オデットがこんな事を言い始めるとは思わなかったから、少しだけ驚いたが、私にはそれ以外の事が重要だった。オデットは、”私を信じて待っていていただけますか?”と尋ねているが、その目は私の目を捉えて離さない。私は、妻(オデット)の瞳の中に理想の女性(アナベラ)を見て息が止まる思いだった。

 妻は、私を信じて今の話を打ち明けてくれたのだろうし、もし私がそれを聞いて怒りだしたとしても、許されるまで待つ覚悟が見える。いや、私がそんな事を言い出さない事を妻は理解しているのだ。多分、打ち明け話の方も、私に負い目を感じさせない為に、してくれたのだろう。そして、口に出して言うのは恥ずかしいが、私のも妻の事が今まで以上に、信じられて、何を考えているのか分かると実感出来た。


「分かったよ。お前がそう言うのなら、私は何時までも待つことにしよう」


 私がそう告げると、妻は私の胸に飛び込んできた。娘が、少しだけ苦しそうにしているが、我慢してもらおう。大切な女性を胸に抱しめながら、私は何故、今までこの事に気付かなかったのか、考えてみた。以前の妻は、こんな女性ではなかったはずだった。多分婚約者から妻になり、そして母になった事が、妻を大きく変えたのだろう。そして、私も、兄に完敗した事でようやくその事に気付いた訳だ。

 もし、私が間違って”王”になどなっていれば、ずっと渇望していた女性の事に気付けなかったのだろう。全く皮肉な結果だ。そして、更に皮肉な事に、この事でどうしても近付けなかった兄にやっと一歩だけ近付けたと実感出来た。

 随分遠回りしてしまったのだろうが、意外と世の中はこれが普通なのだと思えるから、不思議なものだ。兄だって、アナベラを失っているのだから、お互い様だろうし、絆の深さという面では、私の家族の方が、一日の長があるはずだ。

 私は、この時1つの野望を抱いた、野望と呼べるほど立派な物では無いかも知れないが、私にとっては重要な事だ。


”あの兄に、私の事を認めさせる!”


 人によっては下らないと言うかも知れないが、兄との戦いを放棄した私には、絶対に達成したい目標なのだ。時間はかかったが、兄とアナベラと同じ関係を手に入れる事が出来たのだから、決して無理だとは思わない。


 だが道のりは険しい、今の私の立場は、非常に危うい物なのだから。公式に王太子となった兄にとっては、私は目の上の瘤なのだし、そして、あの父が私を放っておくはずがない。なにより、オルレアンを私に渡した事も、私を試しているとしか思えないのだ。

 父は、こう言っているのだろう、”逃げるならトリステインにでもゲルマニアにでも、好きな方に行くがいい。お前を支持する貴族達と軍を起して反旗を挙げるのも好きにするが良い”と。そう、昨日までの私なら、どちらかの道を選んで、多分、簡単に破滅していたのだろう。


 ”慎重に選択を決めるのだ、シャルル!”、自分にそう言い聞かせながら、命綱無しの綱渡りをする気持ちで、自分の、いや、私達家族の将来を決断した。

 先ず、私は、私を支援してくれた貴族達と一切の接触を絶った。それには、妻の実家も含まれる。非情に思われるかも知れないが、これが彼ら自身にとっても最善の結果をもたらすと信じている。そして、オルレアン大公として恥ずかしくない領地の支配をしてみせる事にした。これは、兄に私の事を認めさせる第一歩になるはずだ。


===


 その時は、意外に早く訪れた。国は混乱を極め、正式に王位に就いた兄も自分の欠点を補う為に、私を選んだ訳だが、私としてはオルレアン大公として、領土の統治に努めた結果だと思いたい。


「シャルル、私に力を貸してもらえるか?」


 わざわざ、私を訪ねて来た兄から、こんな言葉を言われるとは、想像しかしていなかったが、不思議と心地よい物だったのは、意外な発見だった。


「兄上、いえ陛下、貴方があのカグラと言う少女に向ける笑顔を、少しでも周りの物に見せれば、私の力など必要無いでしょうに」


 兄は、本気で嫌そうな顔をした。有無を言わせぬ実績を立てた後なら兎も角、即位したばかりの兄では、周囲に気を使わなくてはならず、周囲との緩衝材の役割を私に求めて来たと言う事だろう。私は兄の要請を受け入れる事にした。止む終えず受け入れた妻の親族だったが、今のままの状態は好ましくないからな。


「陛下、私から1つだけお願いがございます。領地を失った妻の親族達に、小さくても構いませんので、領地を与えていただけないでしょうか?」


「ふむ、まあ良かろう」


 兄は探るような目付きだったが、あの親族が、娘の周りにいるのは良くないと確信しているので、本気で探りを入れられても全く心配はしていない。早く出て行ってもらった方が、お互いの為だし、生き残れただけでも幸せだと思って欲しい物だ。

 私を支援していた貴族達は、もうほとんどこの世にいないだろう。薄情に聞こえるかも知れないが、彼らが居なくなって清々したと言って良いだろう。状況も読めず、あの広間での出来事を根拠として勝手に私を、反乱の旗頭にしようと企んだ者達に同情する気は全く無い。


 詰まらない過去の事より、これからの事を考えよう。兄に、私の事を認めさせる機会が来たのだから、これを活かさない手は無いからな。それが、私の家族にとっての幸せに繋がる事と信じたい。

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