第9話 ノリス君がんばる:後編



 マリナ先生の言ったとおり、僕は2年足らずで、コモンマジックの勉強を終えることが出来ました。勉強の終了を祝って、家族と屋敷の人達が、簡単なパーティーを開いてくれたのは今でも良い思い出です。

 コモンマジックの勉強が終われば次は系統魔法の勉強になります。両親は当然の様に、兄上と同じ家庭教師を付けてくれる予定だった様ですが、僕はここで覚えている限り始めての我侭を言いました。風系統を続けてマリナ先生に教えてもらいたいと、両親にお願いしたのです。マリナ先生の得意系統は風でラインメイジでしたが、知らない教師に教わるよりも、マリナ先生に是非教わりたいと思ったからです。

 この話を両親にした所、あっさりと受け入れてもらえました。それどころか、


「我が家の息子達はいい子過ぎて、親に子供が我侭を言うのを叱る喜びを与えてくれないからな」


「そうね、これ位の我侭なら可愛いものね」


と言われる始末です。まあ、希望通りになったので、どうでも良い話なんですけど。


 ちなみに、引き続き風系統の家庭教師をお願いしますと、マリナ先生に話したら、驚いた顔をして、


「お話したと思いますが、私の風はライン程度の実力しかありません。ノリス様ならもっと実力のある家庭教師に教わる事が出来るのでは?」


「先生、実力のあるメイジが良い家庭教師になれるとは限りませんよ。それに僕の両親は土と水です。多分、風の才能はあまり無いと思います。僕の方があまり良い生徒では無いと思います。それで良かったら是非、引き続き僕に魔法を教えて下さい」


「はい喜んで、引き受けさせて頂きます」


「こちらこそ、迷惑をかけてしまうかもしれませんが、よろしくお願いします」


 こうして、僕の風系統の教師は、マリナ先生に決まりました。ここまでは良かったのですが、僕の我侭には思わぬ落とし穴が待っていました。それは兄上との何気ない会話をしている時に発覚しました。


「父上に聞いたけど、ノリスの風系統の先生はファブリス先生じゃないんだね?」


「はい、兄上。コモンマジックに続いて、マリナ先生に教わる事になりました」


「そうか、マリナ先生も大変だね。多分、ノリスも不得意な風系統で、教師としての実力を問われる事になるんだから」


「!」


「もしかして、気付いていなかったのかい?大丈夫だよ、例えノリスの風系統の魔法が上手くならなくても、父上や母上がマリナ先生を責めたりしないから」


 兄上はそう言っていましたが、僕はそれをほとんど聞いていませんでした。一通りの系統魔法の授業を受けて、土と水はトライアングルは行けそう、風と火はラインが精々という、評価を受けてしまうともう猶予はありませんでした。僕に出来るのは、風系統で最初にラインになり、マリナ先生の教師としての実力を証明するしかありませんでした。

 そうは言っても、他系統について手を抜く訳には行きませんでした。僕は他系統の3倍は風系統魔法の練習をしましたが、そんな無理は直ぐに、魔力の枯渇という形で終わってしまいました。父上に余り無理をすると廃人になるぞと威され、マリナ先生にまであまり無茶はしないで下さいと悲しそうな顔で諭されるとさすがに無理は出来ませんでした。

 少しでも魔力が回復すると魔法の練習を始めてしまう僕を助けてくれたのは、兄上でした。その日も魔力の使いすぎで枯渇寸前まできてしまい、早々にベッドに入った僕を、兄上が部屋を訪れてくれました。


「ノリス、無茶をしているそうだね。やっぱり、マリナ先生の為なのかい?」


「・・・」


 心配そうに尋ねてくれた兄上に対して、僕は何も言う言葉が見つかりませんでした。


「ノリス、起きろ!」


 らしくもない兄上の怒声に慌てて、ベッドから飛び起きましたが、兄上は笑顔でした。そして僕に、カップに入った飲み物をくれました。僕はそれを恐る恐る飲み干しました。


「兄上、このお茶みたいな飲み物は?」


「魔法のお茶さ。ノリス、約束してくれ。魔力が枯渇するまで魔法を使うのは構わない、けれど、どんなに焦ってもそれ以上魔法を使おうとしない事を。そして魔力が枯渇したら、僕の部屋においで、今の魔法のお茶を飲ませてあげるから。約束できるね?」


「はい、兄上」


「今日はもうおやすみ、明日には魔法が使える様になっているから」


 その優しい兄上の声に導かれる様に、僕は夢の世界に入っていきました。


 翌日目を覚ますと早速、風魔法の練習を始めましたが、驚いた事に兄上の言うとおり、普通に魔法が使える様になっていました。昨日までの残り僅かな魔力を振り絞って魔法を使うのとは、全く感じが違います。気を良くした僕は、その日、魔力が枯渇するまで、魔法の練習を繰り返しました。もちろん魔力が枯渇したと感じたら兄上との約束通り、そこで呪文を唱えるのは止めました。

 そして眠る前に、兄上の部屋に行って、”魔法のお茶”を貰うことにしました。兄上は、昨日の今日で、”魔法のお茶”を貰いに来た僕に苦笑していましたが、なにも言わず、僕に魔法のお茶をくれました。そしてゆっくり眠ると、また魔力が回復していました。”魔法のお茶”とはどんな物なのか気になりますが、当時の僕にとっては、それが魔力を回復してくれるという効果だけが問題だったので、遠慮なく毎晩の様に兄上の部屋に行って、”魔法のお茶”を貰うことになりました。

 そんな日々が、1年程続きましたが、目論み通り、最初に風系統でラインスペルを唱えることが出来るようになりました。マリナ先生はその事を自分の事の様に喜んでくれ、知っている限りの風のラインスペルを教えてくれることを約束してくれました。僕も喜んで、風のスペルを覚えて行きました。ですが僕はこの時、努力すればするほど、マリナ先生との別れが早まることを気付いていませんでした。


 そして、それから1年後その日がやってきました。


「ノリス様、今日まで私の授業をとても真面目に受けていただいて、感謝いたします。今からお教えする呪文が私の教えられる最後の呪文になります」


「えっ!」


 いつも通り、マリナ先生の授業を楽しみのしていた僕は、マリナ先生の言うことが一瞬理解出来ませんでした。ですがしばらくすると、マリナ先生の言っている事が紛れもない事実だということが理解出来てしまいました。その日の授業の内容は、あまり覚えていません。ですが、マリナ先生の、


「来週が私の最後の授業になります。今日お教えした呪文と、今までお教えしてきた呪文の復習をしますので、おさらいをしておいて下さいね」


という言葉だけは、しっかりと耳に残っていました。そうです、今までしっかりとマリナ先生の授業を受けてきたのですから、最後の授業もしっかりこなして、最後の別れも笑顔で見送るのが、マリナ先生対する礼儀ですよね?僕はそれから1週間かけて、今まで 習ってきた風系統の魔法を全て完璧に唱えられる様に練習をしました。多少、他系統の授業が疎かになってしまいましたが、仕方が無いと思いたいです。そして、問題の翌週、マリナ先生の最後の授業の日になりました。その日の授業は、言われていた通り、これまでの授業の総復習といえる物でした。僕は、マリナ先生指示された呪文をひたすらに唱えていきました。


「はい、結構です。ノリス様、素晴らしい出来です。私がお教え出来るのはここまでですし、畏れながらノリス様が扱える風系統の呪文もこの辺りが限界だと思われます。私がお教えした事で、ノリス様が限界まで、風系統を使える様になった事を、誇りに思います」


「はい、先生の教えは、僕にとって掛け替えのない物でした。今日までご指導していただき、ありがとうございました」


「公爵様にお聞きしましたが、ノリス様は風系統に偏った練習をされてきたそうですね?」


「・・・、はい」


「今日からは、ノリス様が本来得意とされている、土そして水系統の魔法を中心に練習なさるように願いいたします。それが、メイジとしてのノリス様の本来の姿だと思いますから」


「はい。分かりました、先生」


「それでは、私の授業はこれで終わります。さっきはああ言いましたが、偶には風系統の呪文も練習するようにしてください」


「はい。今まで、ありがとうございました。先生、これを受け取って下さい!」


 僕は、昨日、兄上に作ってもらった魔法宝石(マジックジュエル)のブレスレットをマリナ先生に渡しました。マリナ先生は思わぬプレゼントに驚いた様子でしたが、黙ってそれを受け取ってくれました。


「それでは、これで失礼します。ノリス様、メイジとしての修行はこれからも続きます。くれぐれもそれをお忘れになりませんように」


 そう言って、マリナ先生は、部屋を出て行きました。僕は堪えきれず、マリナ先生を屋敷の玄関まで追いかけましたが、マリナ先生は1度も振り向く事はありませんでした。僕は、マリナ先生の言葉を胸に、自分の部屋に戻ろうとしました。ですが、


「ボソボソ・・・タイプが・・・」


「・・・年上・・・ヒソヒソ」


「ゴニョゴヨニョ・・・初恋・・・」


 玄関の柱に隠れるようにして、父上と母上と兄上が、僕の様子を見て、なにやら話しこんでいました。父上が僕に気付いて、


「ノリス、マリナ先生とのお別れは済んだのか?」


と話しかけてきました。


「はい、父上もご一緒すればよかったでしょうに」


「いや、師弟水入らずの所だからな、遠慮しておいたよ、ははは」


「父上、マリナ先生の話を聞いて僕は目が覚めました。これからは、風系統以外の魔法も真剣に勉強しようと思います」


「そ、そうか?そう思ってくれたなら、マリナ先生にお前の教師を任せた甲斐があったというものだな」


「はい、マリナ先生に恥ずかしくない、一流のメイジを目指します」


 僕は、これだけ言って、自分の部屋に戻りました。後ろで、また、父母兄で何か話しているのが聞こえましたが、新しい決意を胸に抱いた僕には気になりませんでした。


「ボソボソ・・・気付いて・・・」


「・・・鈍感だ・・・ヒソヒソ」


「ゴニョゴヨニョ・・・あなたも同・・・」


 さて、僕の家族たちは何を言いたかったのでしょうね?


===


 あ!そうだ、僕が兄上に勝てるものがもう1つありました、それは社交性です。兄上が社交的でないという訳ではありませんが、何故か兄上は貴族との交流に積極的ではありません。例外はラ・ヴァリエール家だけです。


 一方、僕は小さい頃から、母上に連れられて色々な貴族と会ってきたので、社交界ではそこそこ名が売れているんだと思います。もちろん僕も、レーネンベルクの人間なので、平民の方たちとも普通に交流しています。兄上が平民の人々寄りなのに対して、僕は貴族とも平民とも普通に付き合うことが出来ます。この事が僕の将来にどう関わって来るか分かりませんが、少なくとも負の方向には行かないと思っています。


 気の早い貴族の方は、既に、僕宛の縁談を申し込んできていたりします。僕もいつか兄上のように、この女性の為なら決闘も辞さないという女性に巡り会えたらいいなと、何となく考えています。


===


 そして、最近の事になりますが、兄上が外遊の旅から帰ってくると、僕に突然こう告げました。


「ノリス、君は、僕達に妹が出来るといったら驚くかい?」


「はい?母上が妊娠されたなどという話は聞いていませんが?」


「いや、そうではないんだ。実は、僕がガリアでお世話になった人がいてね。その人に子供が生まれるんだけど、事情があって育てる事が出来ないという事で、ウチで預かる事になるかもしれないんだ」


「何処の誰かも知れない人の娘を、我が家に迎えるのですか?それに何故生まれる前から女の子ってわかるんですか?」


「その子の家柄は保証するよ、父上も母上も了解していることだし。性別に関しては、分析(アナライズ)でね」


「そうですか、父上と母上が納得されているならば、口出しは無用なのでしょうね。ですが、その子が我が家に相応しいかどうかは、見極めさせてもらいますよ?」


「ノリス、それは違うな。その子は我が家のみんなの手で、この家に相応しい女性に育てるんだよ」


 僕には兄上の言いたい事が良く分かりませんでしたが、一応は納得しました。


 それから何日かは、何故かもやもやした気持ちで過ごす事になりました。実際に問題の赤ちゃんが、我が家にやって来て、母上がその子を我が子の様に抱いて、幸せそうにしているのを見て、始めて自分の気持ちに気付いてしまいました。でもこんな気持ちを他の誰にも言う事は出来ませんでした。

 その子の名前はジョゼットと言いました。ジョゼットとその乳母の娘の元気な鳴き声が、レーネンベルク家に響き渡る様になると、反対に僕は部屋に篭るようになってしまいました。赤ちゃんの泣き声を聞くたびに、自分の中にある醜い感情を思い出してしまうのが、苦痛だったからです。


 そんな状態が1週間ほど続いたでしょうか、ある夜、母上が突然、僕の部屋を訪れました。


「ノリス、もう寝る所かしら?」


「いいえ、母上こそ、ジョゼットの世話でお疲れではないんですか?」


「優秀な乳母が2人もいるんだから大丈夫よ。そのジョゼットの事で話しておきたい事があるのだけれど、聞く気はあるかしら?」


 あまり聞く気はしませんでしたが、聞かないという選択肢は僕にはありませんでした。


「聞きたいです、是非聞かせてください」


 そして、母上から聞かされた話は、僕にとって衝撃的でした。要約すると、ジョゼットはガリアのある伯爵の愛妾の娘で、嫉妬に狂った本妻にその存在を知られれば、命を狙われるかも知れないという話でした。特に、降りしきる雨の中、身重な身体を抱えながら、本妻からの刺客から辛うじて逃げ延び、兄上に偶然助けられたというオデットという女性には、頭が下がる思いです。


「ジョゼットには、これからも不幸が降りかかるかもしれません。だけど、ジョゼットはもうレーネンベルクの娘です。貴方もそう思って、ジョゼットに接してあげて欲しいの、分かったかしら?」


「はい、明日からはジョゼットの兄として、立派に振舞います」


「そう、良かったわ」


 そう言って、母上は僕の頬に軽く接吻してくれました。今晩は、思い悩む事も無く、ゆっくり眠れそうです。


 翌朝目を覚ますと、僕は朝食もとらずに、ジョゼットの部屋に向かいました。早朝とも言える時間に突然やってきた僕に、乳母のメアリは驚いた様子でしたが、僕がジョゼットの様子を見に来たと告げると、優しく微笑んでジョゼットの所への道を開けてくれました。

 ジョゼットは眠っている様でしたが、僕がベッドの横に立つと、気配を感じたのか目をパッチリと開けました。そして、僕の顔を見つけると、何がおかしいのか、不意に笑顔になりました。その笑顔につられる様に、手を伸ばすと、ジョゼットの小さな手が僕の手を握り締めました。

 そのジョゼットの様子を見て、僕はジョゼットが自分の妹になったという事を受け入れる事が出来ました。僕は朝食をとることも忘れ、ジョゼットの様子を眺め続けるのでした。


===


 父上と兄上の不毛な争いを見ながら、僕もジョゼットに何かプレゼントをしたいと思うようになりました。さすがにまだ小さいジョゼットに似合うかどうか分からない服をプレゼントする気はないですが、兄上の様に、自分の手で作った物をジョゼットに送るという事は、魅力的です。

 僕は、兄上に頼み込んで、魔法宝石(マジックジュエル)のアクセサリーの作り方を教えて貰う事になりました。色々条件を付けられましたが、将来大きくなったジョゼットに、自分で作ったアクセサリを送る事が出来る様になると考えたら、些細な問題に過ぎません。

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