第4話 私のスティン兄様(2)
翌朝になると、ミレーユは決死の覚悟でレーネンベルクに向かっていきました。これが最後の望みです、祈る様な気持ちで私はミレーユを送り出しました。レーネンベルクのお屋敷までは我が家から半日程、うまく話が進めば、夕方には結果が聞ける事になるでしょう、それが良い結果であるにしろ、悪い結果であるにしろ、ミレーユが無理をしない事だけでも祈っておきましょう。
そしてミレーユは予想通り、夕方遅くになって帰って来ました。すぐに私の部屋に来てくれるかと思ったのですが、何故かお父様とお母様の所へ直接向かった様です。そして、夕食も摂らずに待っていると、夜になってやっとミレーユが1通の手紙を持って、私を訪ねて来てくれました。
私が早速首尾を尋ねると、ミレーユは嬉しそうにその手紙を私に差し出しました。その手紙はスティン兄様から私宛の物でした。私は恐る恐る手紙の封筒を開け、手紙の内容に目を通します。そこには、時候の挨拶に始まり、誕生パーティの途中で帰ってしまったことのお詫び、そして今回の一方的な婚約解消に対して非常に残念に思っている事、そして婚約解消にショックを受けて塞いでいる私への励ましの言葉が書かれていました。そこまではいいのですが、その続きが不思議な内容でした。レーネンベルク家の執事の”リッチモンド”という人物の経歴と人となりが綴られていたのです。私は先程までの不安な気持ちを忘れ、首を捻ってしまいました。これはどういう主旨の手紙なのでしょう?私は傍で控えているミレーユに尋ねてみることにしました。
「ミレーユ、貴方はこの手紙の内容を知っているのかしら?」
「はい、存じておりますお嬢様、そして手紙以外にお嬢様に直接お話するようにと伝言も申し付かっております。お嬢様は手紙をお読みになって、”リッチモンド”という執事の方にどんな印象を持たれましたか?」
「変な事を聞くのね。そうね、この”リッチモンド”という執事は、レーネンベルク家にとってかなり重要な人物といえるのではないかしら」
ミレーユからの奇妙な質問に疑問を覚えながら、思った通りに答えてみます。
「では、この”リッチモンド”という執事の父親が居なかったら、レーネンベルク家が存在しなかったとしたら、どう思われますか?」
「え!」私は思わず息をのみました。
「これからお話する内容は、ラスティン様がお嬢様だけに直接話をして欲しいと言われた伝言でございます」
そう切り出して、ミレーユが話し始めた内容は、私が始めて聞く話で、思ったより深く考えさせられる内容でした。若い公爵を命がけで助ける傭兵、命を助けられた恩に報いる為に、傭兵の妻子に陰ながら援助を行う公爵、不幸にも母親を失った恩人の息子をわが子の様に育てる公爵、大切に育てられた事に恩義を感じて執事として公爵家に仕えることを決心する少年、そしてその少年が”リッチモンド”であり、今現在でも変わらずレーネンベルク公爵家に仕え続けているということでした。
ミレーユの話し方が別段上手だった訳では無いのですが、今の話は心に響く物がありました。ミレーユは話を終えると、再びこう私に聞いてきました。
「”リッチモンド”という執事の方にどんな印象を持たれましたか?」
私は先程の様に気軽に答えを出せませんでした。それでも言葉を選びながらこれに答えます。
「”リッチモンド”という執事は、レーネンベルク家にとって掛け替えのない大切な家族なんじゃないかしら?」
「ラスティン様は、”リッチモンド”さんのことを怖いお爺さんの様だといっておられましたよ。そしてレーネンベルクのお屋敷には、お爺さん以外にも、叔父さんや叔母さん、歳の離れたお兄さんやお姉さんが沢山いるそうです。レーネンベルクは大家族なんですね」
ミレーユは可笑しそうに、こう言いました。
「家族なのね」
私は呟きました。そして自分がしてしまったことを振り返ってみて愕然としました。私は姉とも思って慕っているミレーユを沢山の客人の前で、叱り付け、あまつさえ叩いたりもしたのです。ミレーユはそんな仕打ちをした私の為に単身公爵家へ乗り込みこうして、手紙まで貰ってきてくれました。知らず知らすの内に私は涙を流していました、でもこれは昨日までの涙と違って感謝の気持ちから流れてくるものです。
「ミレーユ、ありがとう、そしてごめんなさい」
急に泣き出した私に慌てるミレーユに対して、私は始めて心から感謝して同時に心から謝罪しました。そんな私の気持ちが分かったのか、ミレーユは私の頭を優しく撫でてくれます。この数日の心労が癒されて行くようです。
「私の幸せはお嬢様の笑顔を見ることですから、お気になさらないで下さい」
私は暫く、ミレーユにされるがままでした。
===
「所でお嬢様、ラスティン様の手紙についてですが、当然返事をお書きになるのですよね?」
「もちろんお返事は出すつもりよ、でもどんな事を書いたら良いのかしら?」
「それでしたら、こうしたらいかがですか、手紙自体にはお嬢様の体調を心配して頂いたお礼と、我が家の執事達の経歴や人となりを書くのです、そして本当にお嬢様がラスティン様にお伝えしたい事はこのミレーユが直接ラスティン様にお伝えします、これで如何でしょうか?」
「それはちょっと恥ずかしいわね、どうして手紙に直接私の気持ちを書いてはいけないの?」
「それは、奥様がお嬢様のお手紙を検閲、こほん、確認なさる可能性があるからでございます。例えば奥様がお嬢様の手紙をご覧になられて、お嬢様がラスティン様に勧められて執事達に興味をもって個人的な事まで色々調べている等ということをお知りになったら、どういう事態になると思われますか?」
「うっ!そうね、ミレーユの言う通りにしましょう。執事達について調べる必要があるわね」
私は少し考えこみました、彼らと主従として接する事には慣れていますけど、個人的なことを聞くほど親しい訳ではないので、やっぱり少し気後れしてしまいます。でもきっとスティン兄様は私が、執事達に興味を持ったと知ったら喜んでくれるでしょう。えーい、案ずるより産むが易しといいます、とりあえず実際に彼らと話してみましょう。
「ミレーユ、手が空いてそうな執事を1人呼んできてくれるかしら?」
「早速彼らから話を聞く気になったのですね、直ぐ呼んで参ります」
ミレーユは早足で部屋を出ていきました。そして直ぐに1人の執事を連れて戻ってきました。ですが、私は段々緊張してきてしまいました。まずは名前を聞いて、次は出身地かしら、そして家族構成なんかも聞かなくてはなりませんね、ああ何だか頭の中が混乱してきたわ。その時呼ばれて来た執事が声をかけてきました。
「エレオノール様、何か御用と伺いましたが?」
そう言われた時には、私の頭の中はパニックで真っ白になっていました。そしてつい言葉に出来たのは、
「お茶を一杯いただけるかしら?」
だけでした。その執事は怪訝そうでしたが、
「承知しました、暫くお待ち下さい」
とだけ言って下がって行ってしまいました。その様子を見ていたミレーユは呆気にとられているようです。だって仕方が無いじゃない、頭が真っ白になってしまったんですもの。暫くして気を取り直して、再び別の執事を呼びに行ってもらいました。ですが、執事を前にするとどうしてもうまく質問が出来ません。何度か挑戦してみましたが、どうしても普通に話を聞く事が出来ませんでした。 明日こそは何とか少しでも構わないので話を聞こうと思います。
そして翌日になりました、でもやっぱりダメでした。どうしても、どうしても話の切欠が掴めないんです。今まで貴族として振舞う事で保っていたプライドが、逆に私の邪魔をしています。午後になると、ミレーユもさすがに痺れを切らしたのか、
「お嬢様、執事に話を聞くのではなかったのですか?」
と尋ねてきました。それに対して私は、
「だって恥ずかしいんですもの」
と答えることしか出来ませんでした。(きっと今、私の顔は真っ赤だと思います)
そんな私に呆れ顔?のミレーユでしたが、こんな提案をしてくれました。
「お嬢様、それでしたら、まず執事の方々の名前と顔を覚える所から始めてはいかがですか?」
「それくらいなら、大丈夫でしょう、そこから始めてみるわ」
早速ミレーユに執事を順番に呼びに行かせて、各々に名前を聞いていきました。
「貴方名前は何て言ったかしら?」「そう、これからもラ・ヴァリエール家に仕えてくださいね」
を計8回ほど繰り返す事になりました。でもおかげで、執事達の顔と名前は一致させる事が出来ました。次は執事達に出身地を尋ねることになりました。かなり個人的な質問だったので、聞きだすのに苦労するかと思いましたが、軽く出身地という話題を振るだけで、執事達は聞いてもいないことまで、教えてくれたのでとても助かりました。(私に出身地を知られると良い事でもあるのかしら?)
そして執事達の語る彼らの故郷の話は、思っていたよりも面白いものでした。その日は執事達に出身地の話を聞くだけで終わってしまいました。明日は、家族構成でも聞いてみようかしら?
1度関門を潜り抜けてしまえば、後は簡単でした。翌日からは家族構成から趣味に至るまでかなり個人的な事柄まで聞き出す事が出来る様になりました。なかなか捉まらない執事には、こちらから出向いて質問を投げかけることも出来る様になりました。そこで気付いたのが、今まで私は執事達のことを、ラ・ヴァリエール家の構成する部品の1つと考えて来たのですが、彼らもやはりひとりひとりの人間で考え方も好みも異なっているんだなということでした。これはスティン兄様に是非お伝えしなくてはなりませんね。
私は、やっとスティン兄様に手紙を書き始めました。内容は私の体調を心配して下さった事への御礼と、我が家の執事達の紹介でした。そして、私が執事達から話を聞いて感じた事は、こっそりミレーユに伝言してもらう事にしました。ミレーユは翌朝を待って、レーネンベルクへ意気揚々と手紙を携えて出かけていきました。スティン兄様からの返信が待ち遠しいです。
それからわたしとスティン兄様の秘密の文通が始まりました。最初は執事で始まって、次は庭師、その次はコック、そしてメイドと屋敷内のほとんどの人達の話がスティン兄様から紹介されて、それに対して私が、ラ・ヴァリエール家の同じ職についている人達から話を聞いてそれをスティン兄様に報告するの繰り返しでした、ミレーユを通して、スティン兄様の色々なエピソードが伝えられると、私も感じた事をミレーユを通してスティン兄様にお伝えします。
そして屋敷中の人々の話が一段落すると、スティン兄様からはレーネンベルクのお屋敷の近くの町マリロットの人々に及ぶと、私も思い切ってお忍びで屋敷を抜け出して近くの町をこっそり訪ねて町の人々と交流を図ったりしました。これは、意外にも私を人間的に成長させてくれたと思います。屋敷の中だけでは気付かない事が沢山ありましたから。
そして、もう直ぐ私の12歳の誕生日です。私はお父様とお母様に必死でお願いして、スティン兄様のラ・ヴァリエール家への出入禁止を解除してもらいました。やはり落ち込んでいた私をスティン兄様が手紙で慰めてくれて、私が元気を取り戻したという事実が大きかったのでしょう。そしてスティン兄様個人宛に誕生パーティへの招待状をお送りする事にしました。招待状はミレーユに持っていってもらおうと思います。
私とミレーユは誕生パーティの晩餐である企みをする事にしました。これが成功すれば、スティン兄様に私が、貴族としてそしてそれ以上に人間として成長した事をお見せする事が出来るはずです。生贄の子羊にはオラースになってもらいましょう。彼は最近ラ・ヴァリエール家に仕え始めたばかりですし、思った通りの働きをしてくれるはずです。
そして、今日は誕生パーティ当日です。朝から久々にお会いできるスティン兄様の事が気になって、パーティの準備に手が付きません。それでも時間は過ぎて行き、誕生パーティが始まりました。久々に見るスティン兄様はかなり背が伸びて、凛々しくおなりでした。晩餐が始まると、事態は思った通りに推移しました。オラースは思った以上の働きをしてくれました。(悪い意味ですが)
「ラスティン様、去年に続き我が家の者がとんだ失礼をして申し訳ありません。使用人の不始末は我が家の不始末です、心よりお詫び申し上げます」
私は自分が正しいと思った通りにスティン兄様に謝罪の言葉を言う事ができました。スティン兄様も、
「主役のエレオノール様から謝罪して頂いては、責める訳には行きませんね。実害も無かったですし、謝罪の言葉確かに受け取らせていただきます」
と私の謝罪をちゃんと受け入れて下さいました。
晩餐も終わり、招待客達は順番に帰って行く中、私はスティン兄様に連れられて、屋敷の中庭に来ていました。どうやら私達の企みはスティン兄様にはお見通しだった様です。それでも、
「あの時の君の対応は見事だったよ、実に貴族らしかったし、オラース君への気配りも出来ていた。満点を上げたい位だよ」
と私の振る舞いを褒めてくださいました。それはとても嬉しいことでしたし、同時に誇らしいことでもありました。
そう思っていると、なにやらスティン兄様の挙動がおかしくなっている事に気が付きました。
「エレオノール、あのね、えーっと」
何か言いにくそうにしているスティン兄様を落ち着かせようと、私はスティン兄様の横まで移動すると草の上に腰を下ろしました。そうするとスティン兄様も合わせて、腰を下ろします、そして思い切った様に、
「エレオノール、僕が以前君にあげた指輪はまだ持っているかい?」
とお聞きになりました。私はすかさず、
「はい、もちろん、スティン兄様に頂いた物ですから、もう指には通りませんが、肌身離さずこのようにして」
と言って、ネックレスを外してスティン兄様にお見せします。するとスティン兄様は、
「その指輪、僕に返してくれないかな?」
とおっしゃいました。「え!」私は少し驚いて声を出してしまいました。この思い出の詰まった指輪を返して欲しいとはどういう意味でしょう?まさかと一瞬いやな想像が頭を過りました。でも、この一年間のスティン兄様との文通は私達の間に確かな絆を作り上げているはずです、もし指輪を渡しても不幸な事にはならないと言う確信があります。私は思い切って指輪をスティン兄様にお返ししました。
指輪を受け取ってからのスティン兄様の錬金は見事と言うほかありませんでした。まさに”魔法”と言った感じです。その手際に見入っていると、いつの間にか、スティン兄様の手の中には生まれ変わった新しい指輪がありました。
「エレオノール、左手を出してくれるかい?」
スティン兄様のおっしゃるままに私は、左手を差し出します。するとスティン兄様は、新しい指輪をゆっくりと私の薬指に嵌めていきました。そして、それを嵌め終わると同時に、
「僕と結婚してくれないか?エレオノール」
と、私に告げたのでした。それを聞いた瞬間、私が感じたのは、歓びと驚きそして奇妙な納得でした。感情の洪水で頭がうまく働きません。その後も、スティン兄様が何かおっしゃっていますが、耳を素通りしていくだけでした。
それからどれ位時間が経ったでしょう、スティン兄様に肩を強く揺すられて、我に返りました。その瞬間抑えていた感情が一気に溢れてきて、涙となって流れ出しました。スティン兄様は涙に驚いたのか、
「ごめん、エレオノール、痛かったかい?」
と私の体を気遣ってくれます。私は首を振ることでそれを否定して、何とか声を振り絞って、
「痛かったんじゃないの、嬉しかったの」
とだけ言う事が出来ました。するとスティン兄様は突然私の身体を強く抱きしめてくれました。すごく嬉しかったのですが、同時にすごく恥ずかしかったので思わす、
「今度は痛いよ、兄様」
と言ってしまいました。いやだ、さっきから言葉使いが子供みたい。スティン兄様は直ぐに手を緩めてくれましたが、私は何だか夢の中にいる様でした。知らず知らずの内にまた涙が流れ落ちます、スティン兄様はその涙を優しく拭いとってくれました。そしてスティン兄様は私の瞳を熱心に見詰めてくれます、私もスティン兄様の瞳から目が離せません、その瞳に吸い込まれる様に、私の顔がスティン兄様の顔に近づいてきます。多分スティン兄様も同じなのでしょう、そして私達は最初の口付けを交わしたのでした。
私はこの幸せな瞬間を一生忘れないと思います。
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