第10話

 毬藻たち一行が新たに選んだ訓練場所は、犯罪多発地区・新宿だった。


 渋谷のような若者の活気に満ちた街とは違い、新宿は、社会のはみ出し者が集まった危険な街である。腐ったゴミの匂いに群がって来るハエのように、腐敗した街の危険な匂いに、犯罪者は自然と引きつけられて集まって来る。そのため治安が悪化し、新宿エリアはスラム街と化し、今では、多数のギャングたちがスラム街を仕切り、新宿界隈に住むほとんどの者がブラックリストに載っていてもおかしくない状況であった。


「うっひょー! 噂では聞いてたけど、ホントに汚いところだなぁ」


 みゆきが、路上に転がるゴミを蹴飛ばしながら呟いた。


「本当に東京のゴミ溜めとはよくいったものですね。それにしてもひどい匂い……」


 綺麗好きの菊乃は、散乱したゴミが放つ匂いに顔をしかめている。歩も鼻をつまんで『臭!臭! 臭!』と連呼している。


「いいみんな! 絶対にわたしの側から離れちゃだめよ。ここは昼間でも危険なんだから!」


 毬藻は辺りを警戒しながら、緊張感のない研修生に注意を促した。毬藻でさえ新宿には滅多に来ることはない。昼間でも凶悪犯罪が多発する上に、単独であれば警察官も襲われるほどの危険地帯なのだ。それにハンターは、賞金首から敵視されているので特に狙われやすい。当然、ここでの犠牲者の中には、ハンターが多く含まれている。新宿は、それほどまで恐ろしく危険な場所である。本来なら、若い娘というだけで狙われやすい場所なのに、ハンターならなおさら危険だった。


 毬藻は裏通りを避け、大通りを東に歩いて、お目当ての上位クラスの賞金首を探した。


「賞金首はウンザリするほどいますけど、さすがに昼間だと上位クラスの賞金首に会うのは難しいみたいですね」


 菊乃が携帯端末を片手に歩きながらブラックリストをチェックしている。そんな場違いな毬藻たち一行を、街の住人たちが奇異の目で見ていた。


(やっぱり引き返したほうがいいかもしれないなぁ……)


 住人の視線が気になり、引き返すかどうするか迷っていたが、結局、新宿二丁目にまで来てしまっていた。


 新宿二丁目は寂れたスラム街とは少し異なり、人通りも多く活気に満ちている。至る所に大声で呼び込みをするポン引きや、客を物色する娼婦が街角に立ち、周囲にはいかがわしい風俗店が軒を連ねている。こんな場所にある店に何も知らずに入ったら最後、ぼったくられて身包み剥がされ、尻の毛まで抜かれて路上に投げ捨てられる羽目になる。


 毬藻たちは、店前に所狭しと置かれている風俗店の脚立型の立て看板を避けながら、風俗街を足早に通り抜けようとした時――


「きゃっ!」


 先頭を歩いていた毬藻は、女性が裸で足をおっ広げている淫らな看板を見ないように伏せ目がちに歩いていたために、『ゲイの楽園 マカオの蝉』と派手なネオンで彩られた店から出てきた客とぶつかって尻餅をついてしまった。


「ご、ごめんなさい。――あっ! お前は!」


 毬藻はすぐさま立ち上がって謝ろうとしたが、ぶつかった相手を見て、指差しながら大声を上げた。


 黒人と白人のマッチョの男を従え、赤と黒のボンテージ・ファッションに身を包んだ男。服装こそ以前と違ったが、肥え太った体格にどキツイ化粧と特徴のあるピンクのカツラ……見まちがいようが無かった。


「あんたは、この前わたしに手榴弾を投げつけた“おかまデブ”!」


 あまりの突然の出来事に驚いて、毬藻の声がうわずった。


 最初“おかまデブ”は、自分を指差す女をいぶかしんでいたが、ぽんっと手を叩いて思い出して言った。


「あらぁ? 奇遇ねぇ、こんなところで出会うなんて。てっきりあの時にくたばったと思ってたのに、生き残ってるなんて結構しぶといのね……。何? 今日は、わざわざあたしに殺されにやって来たの?」


 “おかまデブ”はそう言うと、以前見せた、殺気を孕んだ不気味な笑みを浮かべた。毬藻は、飛び退りながら声を張り上げた。


「みんな気をつけて! こいつ、相当手強いわよ!」


 研修生三人組は、わけもわからぬまま“おかまデブ”と黒ずくめの男たちを取り囲むように散った。


「毬藻さん、どういうことなんすか!」


 みゆきが目を“おかまデブ”から離さずに早口で尋ねた。


「こいつは、先日、表参道でギャングとの麻薬取引に現れた密売人よ! ――前回はうまく逃げられたけど、今日は絶対に逃がさないから!」


 毬藻は簡単に説明すると、腰に差し込んでいた銃を取り出して“おかまデブ”に狙いを定めた。“おかまデブ”は銃を向けられても動じた様子もなく、横目でチラリと回り研修生たちを見ただけであった。


「今日は、可愛い子たちを連れているじゃないの。随分と若いけど、あんたたちもハンターなんでしょ? ――それじゃ今日は出血大サービスということで、全員皆殺しにしてあげるわ!」


 舌で口の周りをべろんと舐め回して、研修生たちに下卑た目を向けた。その視線を歩が睨み返した。


「お前なんかにやられてたまるか! お前みたいな醜いおかまは、地上からいなくなっちゃえ!」


 歩は、両手の人差し指で口の両端を引っ張り、『イー!』とやって“おかまデブ”を挑発した。


「ちょっと、あんた! おかまをバカにしたわね! おかまだってね、ちゃーんと世間に認められて人権が保護されてるんだから。バカにするんじゃないわよ!」


 “おかまデブ”は、歩の挑発にこめかみに青筋を浮かせて怒った。


「何いってんのよ、このおっさんは! あんたみたいなデブでブサイクなおかまに人権なんてある訳ないでしょ! 世間が認めても、うちは絶対に認めないよ!」


 みゆきが歩に同調して、火に油を注ぐようなことを言う。案の定、“おかまデブ”は侮辱されてもの凄い形相でみゆきを睨んだ。


「デブで、ブサイクだと………人が気にしていることをズケズケといいやがって………まず、テメエからぶっ殺す!」


 “おかまデブ”のおかま口調が、ドスの効いた声に変わった。


「来ます!」


 菊乃の鋭い声で、全員身構えた。


 “おかまデブ”は、まず右手にいたみゆきに狙いを定めて突っ込んできた。


「速い!」


 太った体型からは信じられないスピードで襲ってきたため、みゆきの反応が一瞬遅れた。“おかまデブ”のグローブのような拳が、みゆきのガードする腕をすり抜けて鳩尾にめり込んだ。


「ぐえぇっ!」


 みゆきの体は吹き飛び、数メートル先の路上に叩きつけられた。みゆきは、うずくまって腹を押さえてながら胃の内容物を路上にぶちまけた。それを見た歩と菊乃が、みゆきを助けようと“おかまデブ”の背後から攻撃した。しかし“おかまデブ”は、背中に目があるかのように、歩と菊乃の間をするりと抜けて攻撃をかわした。


 毬藻の方は、黒ずくめの男たちが懐から銃を抜くのを見て、反射的に男たちに向かって銃を撃っていた。


 『パン!パン!』という乾いた音と共に発射された銃弾は、男たちの肩を打ち抜き、男どもはもんどりうって路上に倒れた。すぐに毬藻は、“おかまデブ”に狙いを定めたが、あゆみと菊乃が邪魔で銃が撃てない。


「二人とも離れて!」


 すぐに二人が左右に分かれて退くと、毬藻は銃を立て続けに撃った。風俗街に連続して銃声が響き渡る。遠巻きに見物していた通行人も、危険を感じて逃げ出した。


「かわされた!」


 毬藻が撃った弾は“おかまデブ”の体を掠め、風俗店の立て看板に小さい穴を穿つ。


(チッ! デブのくせになんて素早い動き……)


 舌打ちした毬藻が、看板の裏に隠れる“おかまデブ”に再び狙いを定めようとした時、道路にうずくまっていたみゆきが“おかまデブ”の背後に忍び寄って襲いかかった。


「よくもやってくれたわねー!」


 みゆきは、背後から“おかまデブ”の太い首に自分の両足を絡めると、“おかまデブ”の両腕を取って、後ろへ回してから前に倒すように捻りながら首を絞め上げた。漫画に出てきたパロスペシャルに絞め技がプラスされた感じだった。


「甲賀六道術・地獄の法、『牛頭縛り』!」


 腕を極められ土下座するように前のめりに倒れた“おかまデブ”は、首を締められて顔が真っ赤になった。こめかみには、血管を幾筋も浮き上がらせている。


「これで終わりよ!」


 みゆきが腕に力を込めて相手の腕を折ろうとした。だが、“おかまデブ”は、みゆきを背中に乗せたまま立ち上がり、近くの街灯にみゆきを背中から叩きつけた!


 衝突の衝撃で、街灯が根元からぐにゃりと曲がった。街灯と“おかまデブ”の巨体に挟まれたみゆきは、地面に倒れこんだ。


「よくもやってくれたわね!」


 “おかまデブ”は、横たわるみゆきの右腕を取って捻り上げた。その瞬間、ミシッという太い枝が折れたような音が、離れた毬藻の耳に届いた。


「ああああっ!」


 みゆきが短い悲鳴を上げて、右腕を押さえながらその場にうずくまった。見ると、みゆきの右ひじが逆方向にひん曲がっている!


「みゆきちゃん!」


 歩は驚いてみゆきの所に駆け寄ろうとしたが、毬藻はそれを厳しく制した。


「歩ちゃん! 今は、あいつを倒すことが先よ!」


 毬藻の言葉で歩は踏みとどまり、“おかまデブ”に怒りの目を向けた。


「よくも、みゆきちゃんを……こいつぅぅぅ!」


 歩は雄叫びを上げると、お得意の分身の術を使って“おかまデブ”に突っ込んでいった。


「な、なんなのよ、これは!」


 さすがの“おかまデブ”も、自分に向かって来る三人の歩の姿を見て驚いたようだった。歩は驚いて動きの止まった“おかまデブ”を、素早い動きで翻弄した。


「菊乃ちゃん! 歩ちゃんに加勢するわよ!」


 毬藻は銃を腰に差し込んで、歩、菊乃の三人で“おかまデブ”を取り囲んだ。


 歩の連続して繰り出された突きが、“おかまデブ”のボディを激しく撃ち、続いて毬藻の蹴りが顔面を捉えた。菊乃は、鼻から血を流してよろける“おかまデブ”の腕を取り、足を払って巨体を投げ飛ばした。


「今よ! 押さえ込んで!」


 毬藻の鋭い声で、歩と菊乃は、四つん這いになっている“おかまデブ”を押さえ込もうと飛びかかった。


 “おかまデブ”は、毬藻に蹴られた自分の鼻を触ると、手の平にベットリと血がついているのを見て逆上した。


「あ、あ、あたしの顔を蹴りやがったなぁぁぁ!」


 “おかまデブ”は、自分の腕を掴みかかろうとしていた歩に、振り向きざに裏拳をぶち込んだ。裏拳がモロに鳩尾に入った歩は、菊乃を巻き添えにして吹っ飛んだ。


「あたしの顔に傷をつけるなんて、あんたたちホント死に急ぎたいみたいね」


 “おかまデブ”の低くこもった声と、睨みつける血走った目から殺気がほとばしっている。毬藻は殺気を感じて背筋に悪寒が走り、全身に鳥肌が立つのがわかった。


「あんたたち、うざったいのよ!」


 “おかまデブ”は、もの凄い形相で毬藻に向かってきた。


 毬藻は、腰に差していた銃を素早く抜き取り、今度は弾切れするまで引き金を引いた。


 火薬の焦げついた匂いと薬莢がアスファルトに落ちる金属音、銃を撃つたびに腕に伝わって来る衝撃、そして、緊張からか喉元に込み上げてきた胃液の苦さ、そのすべてが毬藻の五感を刺激した。体中に微弱な電気を流されたような、ピリピリとした感覚が生まれて来る。


 毬藻の目には、空気の層を突き破って進む無数の銃弾の軌道や、その弾道を読んでかわす“おかまデブ”の動きが、ビデオのコマ送りのようにゆっくりと見えた。人が死の危険に直面した時に見せる集中力によって、スローモーションに見えるというが、今の毬藻がまさにそうだった。


 “おかまデブ”が、一歩、二歩、三歩と、銃弾を避けながら毬藻に近づいて来る。そして手刀が、ゆっくりと毬藻の喉笛を貫こうとしていることまでハッキリと見えた。


(あっ! だめ! 避けないと――)


 相手の攻撃が見えても、それが死ぬほど危険だとわかっていても、体は恐怖のため動いてくれなかった。毬藻は、身動きできない自分を呪った。


「があぁぁぁっ!」


 毬藻は、喉を貫かれて呻く自分の姿を想像したが、実際に呻き声をあげたのは“おかまデブ”の方であった。


 後方で両手の指を絡めた手を突き出している菊乃の姿が見えた。印を結び、何かの術を“おかまデブ”にかけたようだ。


「ぐうぅ……か、体が動かない!」


 “おかまデブ”が、顔を真っ赤にして必死にもがいているが、毬藻の喉を貫こうと右手を突き出した姿勢で固まっていた。


「毬藻さん! ケガはないですか!」


 菊乃の手は、指を絡めて印を結んだままでいる。


「こ、これは、どういうこと?」


 毬藻は、目の前に固まっている“おかまデブ”の姿を見て、菊乃に聞き返した。


「わたしは修験者の一族で、これは修験者が行う秘術の一つ、金縛りの術です。それより毬藻さん、呪縛できる時間が短いので、早くこいつを捕らえてください」


 印を結ぶ菊乃の額からは、滝のような汗をしたたらせている。


「わかった!」




 毬藻は菊乃の指示に従い、“おかまデブ”に強化プラスチック製の手錠をはめようとした。


 その時――『パーン!』と鋭く耳を打つ銃声が街中に鳴り響いた。


 毬藻は、とっさに地面に伏せた。銃声がした方向を見ると、さきほど毬藻に肩を撃たれて倒れていたはずの黒ずくめの男が銃を構えて立っていた。男の銃口の先には、痛みに顔を歪め、胸を押さえている菊乃の姿があった。菊乃は、口から『ごぼっ』と血の塊を吐き出すと、そのまま前のめりに倒れていった。


「いやぁぁぁ! 菊乃ちゃーんんんっ!」


 毬藻は、絶叫しながら菊乃のところへ駆け寄ろうとしたが、さっきまで菊乃の金縛りの術で身動きできなかった“おかまデブ”に行く手を遮られた。


「ちょっと、あんた、どこに行くのよ!」


 頬に強烈な拳の一撃が打ち込まれた毬藻は、堅いアスファルトの上を滑るようにして倒れ込んだ。口からは、細長い血の筋の束が何本も滴り落ちている。


「人の心配より、自分のことを心配したほうがいいわよ。あんたが先に死ぬんだから……でも心配しなくていいわよ。みんな仲良くあの世に送ってあげるから。――こいつをやっておしまい!」


 “おかまデブ”に命令された黒ずくめの男が、撃たれた肩を押さえながら無言で銃口を毬藻に向けた。


 毬藻は唇をぎゅっと噛みしめ、“おかまデブ”を射殺すような鋭い視線で睨みつけた。


「毬藻さん……」


 みゆきが弱々しい声で叫んだ。くの字に折れ曲がった右腕をだらんと垂らしながら、毬藻を助けようと、ヨロヨロとした足取りで近づいて来る。


 “おかまデブ”は、みゆきを横目でチラリと見て言った。


「あなたは、そこで仲間が死ぬところでも見てなさいな。焦らなくてもすぐに殺してあげるから。――さあ、撃ち殺してしまいなさい!」


 黒ずくめの男の銃が毬藻に狙いを定め、引き金に指が触れた。今、まさに銃を撃とうとした時! ――けたたましいサイレンの音が聞こえてきた。甲高い汽笛のような独特の音、警視庁・警邏隊のサイレンの音だった。銃声を聞きつけてきたのであろう、サイレンの音がこちらに近づいて来る。


「チッ、運のいい子たちね! ――あんたたち、逃げるわよ!」


 “おかまデブ”は黒ずくめの男らをせき立てると、あっという間に風俗街の奥へと消えて行った。


 毬藻は“おかまデブ”たちの姿が見えなくなるのを呆然と見ていたが、けたたましいサイレンと、風俗店の立て看板をなぎ倒しながらやってきた警邏隊の音で、ハッと我に返った。


 毬藻は、あわてて菊乃のところに駆け寄り、その華奢な体を抱きかかえた。


「菊乃ちゃん、しっかりして! 死んじゃだめ! 死んじゃだめぇぇぇ!」


 菊乃の口から流れた血が道路に血溜まりを作り、胸に開いた小さな焼き焦げた穴からは、ひっきりなしに血が噴出し、白かった胴衣が鮮血で真っ赤に染まっていた。


 毬藻は、胸の傷から噴出す血を手でしっかりと押さえながら、何度も何度も菊乃の名前を呼んだ。しかし、菊乃の青白く虚ろな目からは、何の反応も見られなかった。


「誰か! 救急車を! ――救急車を早く呼んでー!」


 毬藻の悲痛な叫び声が、街中に虚しく響いていた。

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クリミナル・ハンター ニンジャギャルズ 橘 竜の介 @tatibana_ryunosuke

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