第8話
「………う……うーん」
カーテンの隙間から太陽の光がスポットライトのように降り注ぎ、深い眠りについていた毬藻を目覚めさせようと顔を照らし続けている。太陽の光の優しい呼びかけに、毬藻の目蓋がようやく応じて、ゆっくりとその重い扉が開かれた。
「……ん?……ここは?」
毬藻は、眩しい光に目を瞬きながら辺りを見回した。
知らない部屋だった。パステル・グリーンのカーテンに囲まれて、真っ白で清潔そうな布団と、スプリングの良く効いたベッドに自分が横たわっている。
毬藻はベッドから上半身を起こし、朦朧としている頭をトントンと叩きながら、薄れている記憶を呼び覚まそうとした。
「う、痛っ!」
無意識に自分の腹部を触ると、激痛が走った。痛みに驚いてシャツをたくし上げて見ると、鳩尾に紫色をした拳大の痣があった。それを見て、毬藻は思い出した。
(そうだ! わたし、ハンターの実技試験で学園生と試合をしていたんだ! 歩っていう子と闘って………それで………わたし、負けたんだ!)
毬藻は、自分が医務室に寝かされていることにやっと気がついた。
『ふうっ』と大きなため息をつくと、試合の時の記憶が鮮明に蘇ってきた。相手が学生ということもあって油断していたとはいえ、現役ハンターが、まだハンターにもなっていない訓練生に叩きのめされたのは、少なからずショックをだった。
毬藻は、業界でも一目置かれているハンターズの名前に泥を塗ってしまったことで、自責の念にかられて心が押し潰される感じがした。
「わたし、とんでもないことをしちゃった……」
自分の不甲斐なさに、熱い涙が自然と頬を伝わって流れ落ちていた。
「やっぱり、わたしって才能がないのかなぁ……」
悔しさが募れば募るほど、堰を切ったように涙が溢れ出してきた。毬藻は、布団に顔を突っ伏して、声を押し殺して泣いた。自分に対する怒りと悔しさが消えるまで……
――数分後、思いっきり泣いたおかげで気分が落ち着いてきた。すぐに気持ちを切り替えられるのが、毬藻の長所の一つである。
毬藻は、泣いて腫れぼったくなった目を擦っていると、『すーぴー、すーぴー』と間の抜けた寝息が聞こえているのに気がついた。
音の出所を確かめるべく、ベッドを仕切るカーテンを少し開いて覗いて見ると、隣のベッドには、さきほどの対戦相手である歩が、気持ち良さそうに布団を蹴飛ばして大の字になって寝ていた。寝ている歩は、試合の時のような緊張した面持ちはなく、あどけない可愛い寝顔をしている。毬藻がベッドに近づいて覗き込んでも、歩は全く起きる様子はない。完全に熟睡しているようだ。
「こんなにちっちゃくて、可愛いらしい子にわたしは負けたんだ……」
まじまじと歩の顔を見ると、本当に幼い少女のようだった。毬藻は心が和む反面、なんとなく悔しさもこみ上げてきて、反射的に歩の頬を『うり、うり、うり』と両手でつねっていた。つねられた歩は、『うーん、うーん、うーん……』と身をもだえさせた。たぶん今、悪夢を見ていることであろう。
毬藻は、大の字になって熟睡している歩に布団を掛け直して上げると、静かにベッドから離れた。ベッドを仕切っていたカーテンを大きく開けると、室内には、自分と歩以外は誰もいなかった。
医務室には、木製の重厚なベッドが十台ほど横一列に並べてあり、毬藻が寝かされていたのは室内の一番奥、窓際のベッドでその隣が歩の寝ているベッドだった。自分と歩が寝ていたベッド以外は、仕切り用のカーテンがすべて開け放たれており、室内全体を見渡すことができた。初め、毬藻はどこかの病院の一室かと思ったが、はめ込み式の窓を覗くと都心を一望できた。すぐに『帝都学園』の医務室であることがわかった。
しばし外の景色を堪能した毬藻は、身なりを整えようと壁に掛けてある鏡で自分の姿を見て、室内に誰もいないことに感謝した。
髪は寝癖のために爆発してバッサバサになっていたし、久しぶりに大泣きしたせいで目が充血して真っ赤になって、唯一自慢(?)できる二重目蓋が泣き腫らして一重になっていた。
(最悪! こんな顔をキリー先輩見られたら、絶対にからかわれるよ……)
毬藻は、室内に備え付けられていた洗面台で何度も顔を洗った。顔の火照りも取れてサッパリしたところで、備え付けの机から輪ゴムを拝借して髪を結び直した。
「お、起きてたか!」
突然の声に驚いて振り向くと、キリーとサスケが医務室に入って来た。後ろには、さきほど試合で善戦した静院菊乃と甲賀みゆきの姿も見えた。
「なんだ、意外と元気じゃねえか。学園生にやられて泣きべそをかいてるお前をからかいにきたのによぉ」
キリーが意地悪そうに言った。
『からかいに来た』なんてキリーらしいと思ったが、『泣きべそかいてる』なんて心の内を読まれたようでドキっとした。もう少し早く医務室に来られたらどうなっていたかを考えると、毬藻は思わず胸を撫で下ろした。それでも、キリーが口で悪く言っても、自分のことを心配してくれていたことを少し嬉しく思った。
「マーモ、ケガは大丈夫ですか? 痛いところはないですか?」
サスケも心配して優しく声をかけてくれたので、涙腺の弱くなっていた毬藻は、目頭が熱くなるのを必死に堪えた。
「大丈夫です。触るとちょっとだけお腹が痛いですけど……でも全然平気です」
お腹を擦りながら『元気、元気』と言って、毬藻はガッツポーズをして見せた。その姿を見て、みゆきが驚いた顔をした。
「それにしても翁さんは凄いですねぇ。歩の技を喰らってぴんぴんしてるだから。歩が最後に放ったあの技は『雷皇』と言って、うちらのお爺から仕込まれた殺人技の一つなんですよ。死なないまでも、三日は起き上がれないはずなのに……。それに、うちもそこそこ腕には自信あったんだけど、サスケさんにまったく歯が立たなかったもんなぁ……。キリーさんといい、サスケさんといい、ホントに現役のハンターちゅーのは、おっそろしいわぁ」
みゆきが毬藻に尊敬の眼差しを向けながら、あははっと笑って言った。
「皆さんの強さも相当なものですよ。実力がなければ、今回の実技試験には合格しませんからね」
サスケの誉め言葉を聞いた毬藻が尋ね返した。
「それじゃ、この子たちが今回の合格者なんですか?」
「ええ、そうですよ。甲賀みゆきさんと静院菊乃さん、そして、そこで寝ている伊賀野歩さんの三人が今回の合格者です。彼女たちは明日から一ヶ月間、ハンターズで研修生として受け入れることになりました。それでマーモには、彼女たちの教育係りをやっていただきます。拒否しても無駄ですからね。これは事前に社長から指示されていることですので、あしからず」
それを聞いて、毬藻はビックリして飛び上がった。
「ええぇ! わたしが教育係ですか! 無理、絶対に無理ですよ! 自分の事も満足にできていないのにぃ!」
毬藻は、手をぶんぶん振ってサスケの要求を拒んだが、
「ごちゃごちゃうるせえっつーの! 俺らが『やれ!』っていったら、お前は『はい!』ていってやればいいんだよ!」
教育係りに拒否反応を示す毬藻を、キリーが一喝した。
「………はい、わかりました」
キリーの迫力におされた毬藻は、しぶしぶと了承した。
「では、うちの翁が明日からあなた方の教育係りとしてつきますので、何か分からないことがあればなんでも彼女に聞いてください」
サスケがそう言うと、みゆきと菊乃が元気な声で毬藻に挨拶をした。
「翁教官、明日からよろしくおねがいしまーす!」
研修生の元気な声が、毬藻に強烈なプレッシャーを与えてくれた。
(半人前のわたしが研修生を教えるなんてできるのかなぁ……)
気持よさそうに寝ている歩を見ながら、独り不安に思う毬藻だった……
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