第30話

モミジはこの仕事に就いてまだ3年。アカデミー卒業時の成績こそ下から数えた方が早かったが、ヘクトの部下として配属され、鍛え上げられ、メキメキと頭角を現した。その自分を鍛えてくれたヘクトが事あるごとに口にしていた言葉。



 影と対等に渡り合えるようになれ。いつか影を仕留めれるくらい強くなれ。



 報告書に度々出てくる殺人集団。ほんのわずかに尻尾を出しても、下水道のネズミのようにすぐ痕跡が消える。モミジにとって影とは紙の上だけの存在であり、今一実感を持てなかった。



 だが今なら分かる。こうして対峙した今なら。恐らく目の前にいる彼女は組織の1人に過ぎないだろう。だがそれでも捜査官で言えば間違いなくSランク以上の実力の持ち主。ヘクトが言っていたのはこういうことだったのか。



 クラスターにおいて最優先の駆逐目標。それがわざわざあちらからやって来てくれた。こんなチャンスはもうないかもしれない。モミジは自分にかけられているリミッターを外した。



 イズミの心に疑念が生まれた。彼女の雰囲気が先ほどと少し違う。そう感じた時、モミジのオーラの量が爆発的に増えた。



 「目の色が青くなってる」



 さっきまでは真紅の色だった。何か仕掛けてくる。そうイズミが感じたそのとき。モミジが両手で印を高速で唱え始めた。



 「輝く星が眠るとき」



 イズミから1メートルほどの位置に光の屈折が生まれ、一点に吸い込まれていく。と同時にイズミと光の屈折の中心点を覆うように隔離結界が生まれた。



「まずい!!」



 イズミがアテンで全身を可能な限り厚く覆う。だがアテンの防御が完成する直前、中心点から光が溢れた。






 「手本を見せよう」



 サンは手で印を形作ると同時に、何かを言葉で唱え始めた。




 「まさか......」



 2人から離れて退避していたノインが、唾を飲み込む。



 「この世の何もかもが朽ち果てる時」



 「詠唱だと!?そんなことをさせねえよ!!」



 ヘクトがコンマ4秒とかからずサンへと接近し、予備動作なしのパンチ、手刀を放つ。だがサンは攻撃をかわしながら詠唱を続ける。



 「正なる理りは鳴りを潜め」



 「「これはやばい!!絶対に止めねえと!」」



 ヘクトが行なった決死の攻撃もサンへは届かなかった。



 「混沌のみが全てを支配する」



 サンが詠唱を終えた途端、ヘクトはこれまでとは反対に全力で距離をとった。



 詠唱は文字通り技の発動条件である構文の唱えを省略せず、口に出して唱えることである。だが戦闘においてそんな暇を与える者など存在しない。だからこそ詠唱が完了した時、技の精度と威力は跳ね上がる。



 「地獄すら焼く炎」



 サンは両手の掌に青い炎を出し、重力が崩壊するのではないかというほどにそれを圧縮し、ドッチボールをするような構えでヘクトに打つ。放たれた砲撃は床に激突すると、直径20センチ程度のガラス化した結晶のクレーターを作り出す。そんな威力の砲撃が1秒間に4発放たれる。



 サンはここへ潜入した目的を忘れてはいない。だが、強者と出会った時の体が内部から沸騰するような感覚をどうしても抑え切れなかった。だからこそこの男がどこまでやれるのか、それが知りたくて敢えて砲撃を避けれるだけの隙を作っていた。



  防戦一方だった。ヘクトは放たれた砲撃を避けることだけに全神経を集中させる。攻撃など一瞬でも考えれば己の命が塵と化す。避けた砲撃が次々とクレーターを作り、フロアの東エリア一帯の床は削り取られ、所々凹凸ができていた。






 「結界を張ったところで、紙を破るよりも容易く突破されるだろうな。今は耐えるしかねえ。アイツがいつ隙を晒すか分からねえが、こっちがやられちまえば元も子もねえ......」



 2人の戦いは持久戦となっていった。







 「ぐは......ゲホォ......」



 イズミの受けたダメージは深刻だった。右腕は激しく裂傷し、所々骨が見えていた。肺の3分の1が焼けただれ、吐血が止まらない。その一方でモミジは爆発範囲があまりにも広いこの技への対策として、あえてイズミに隔離結界を張った。そのため内部でエネルギーが集中し、結界の外は無傷とモミジも予期していなかった一石二鳥の効果を得ていた。



 イズミは立ち上がることすら難しかった。そんな隙をモミジが見逃すはずなく、イズミの首を折りに突進した。



 「「まだ。まだ何かできることがあるはず。最後の最後まで抗え。最後の1秒まで」」



 頭をフル回転させ何か出来ることはないか考えるも、死神が忍び寄るのをフィルムのコマ送りのように見ているだけで、何も思いつかない。体も言うことを聞かない。



 「ここで終わりなの?わたし......」






 その時、轟音が響いた。イズミの目の前の床にギロチンで切断でもしたかのような鋭利な傷があった。彼女が事態を把握できない中、モミジが数メートルほど衝撃で飛ばされ、痛みのあまり絶叫し、床に倒れこんでいた。



 「間一髪だったな」



 イズミの目の前に、男が立っている。彼の右手には切断されたモミジの右腕が握られていた。



 「あな......たは......」



 「おま......え......」



 イズミは思わず声を上げたが、男はそれには構わず、モミジと対峙していた。



 「今ならまだ元に戻せるでしょう。お前たちが殺戮の限りを尽くして得た技術によって」



 そう言い男は痛みに耐えられずに痙攣しているモミジの元へと歩いていき、目の前に右腕をゆっくりと置いた。



 「そろそろです。もうじきお嬢さんの仲間から連絡が来るでしょう」



 イズミは男が何のことを言っているのか分からなかった。その疑問を解いてくれたのは戦闘をせず離れて何も手出しをするなと命じていたザックだった。



 「イズミ、その男の言う通りだ。アスカから総員撤退の伝達が来た」



 「なら、もうここに用はないな、帰るぞ。道は作ってある。あと嬢さん、これを飲め」



 男はそう言うと、イズミに緑色の液体が入った小瓶を渡した。イズミが怪訝に思いながらもそれを飲むと、内部から少しずつ傷が修復されていくのを感じた。男は2人を両脇に抱え、地面を蹴る。



 「待て......」



 モミジが声にならない声を出す。もういまのモミジには戦うだけの気力、体力がなかった。彼女はただ右腕を切断されただけでなく、生命維持以上のエネルギー生成をすることが出来なくなっていた。あの男が何かした。モミジはそう悟ったが、痛みが限界を超え、意識が闇に落ちた。








 「はぁ......はぁ......どうなってやがる」




 サンによるヘクトの攻撃はまだ続いていた。ヘクトはサンのエネルギー切れを狙ってただひたすらに回避をしていたが、一向にその気配がない。それどころかヘクトの方が先にスタミナ切れの心配を必要とするようになっていた。



 「「どれだけの時間が経った?数十秒か、それとも数分か?なぜアイツはエネルギー切れにならねえんだ......詠唱のお陰なのか?これ以上は......やばい」」



 「サン、総員撤退だ」



 ヘクトが答えの出ないであろう思考のループに陥っていたその時、突如として砲撃が止んだ。



 「ここまでのようだな。目的は達した」




 「はぁ......はぁ......このまま逃すと......思うのか?」



 「今のお前がそれを言ったところで対処できるとは思えんな」



 ノインはサンへ撤退を伝える頃にはドアの生成を終えていた。



「出来ればもう会わないことを願う。そうはいかないだろうがな」



 ヘクトが次に瞬きをした時にはすでにサンとノインの姿はなかった。姿を消したことに気づいた途端、耐え切れずヘクトも膝を付いた。







 静かで、不気味な夜だ。聞こえるのは虫の鳴く声だけだった。フランはあれから椅子に座りぼんやりとロウソクを


見ている。ユズハはそんなフランの右隣に座り、優しく手を握っていた。



 コトン。石ころが転がる音がした。



 コトン......コトン



 音が規則的になる。やがてそれは人の足音なのだと2人は認識した。



 ユズハが顔を上げる。対してフランは足音が聞こえてもまだロウソクをぼんやりと見ていた。視界に人影が写り、初めてフランは気がついた。仲間が帰って来たことに。



 「坊主、待たせたな」



 最初に入って来たのはサルガルドだった。続いてヨル、ザックが現れる。



 「フランくんごめん、遅くなって」



 アスカとノインも部屋へ入ってくる。だがフランは顔を上げない。みんなの顔を見るのが怖かった。



 最後にサンが部屋へ入って来た。フランはそれでも顔を上げない。沈黙が場を支配していた。



 その時、足音がもう1つ。そのおかしさに気がつき始めて視線を音のした方へ上げた。



 「フラン、元気だったかね?」



 「ネロ......」



 フランは信じられないという表情で目の前にいる人を見た。そこにいたのは襲撃され逃亡していた時、安全のためあえてフランの元から離れ、楽園のアジトへ行けと命じた男だった。



 フラン以外の全員の目がネロに向いた。それを合図にネロが口を開く。



 「一番大事なことは、俺から伝えよう」



 ネロは膝を折り、フランと同じ目線になり、正面から見据えた。







 「結論から言う。駄目だった」



 「............」



 「3人とも、助けられなかった」



 ユズハがはっとして振り向く。フランの体から、心から、大事な何かが消えていくように見えた。



 「私の元に楽園の方達がクラスターを襲撃するという情報が入ってね。加勢したよ。最も、ほとんど終わっていたけれど。それでもイズミサンは何とか助けることができた。」



 「ネロさん、私のことはいいから......」



 そう言うアスカはの右腕は組織が再生し、肺も回復したのか普通通り話すことができていた。




 「死体すら残っていなかった。あったのは人体実験の末残っていた......」



 ネロが言い澱む。



 「なぜこのような目にあわなければならなかったのか。そしてなぜクラスターはそのようなをしたのか。それをここで話すにはあまりにも酷すぎる......だからフラン」



 そしてズボンの右ポケットから1枚、赤色のディスクを取り出し、フランに見せる。



 「その訳がここに入っている。中を見るかどうかは君に任せる」



 雫が落ちた。



 「それにこれも」



 ネロは次に2枚、青色のディスクを2枚見せる。



 「これはお父さん、お母さん、お兄さんが君に託したものだよ。これには術式、データ、歴史、論文など、治療師として必要な知識が詰まっている。お父さんとお母さんにもし自分達に何かあった時は渡して欲しいと言われていたんだ。先ほどのものと一緒にサンに渡しておくよ」



 雫が交互に落ちた。



「君に立派な治療師になって欲しいと言うのがサイザルさん達の願いだった」



 フランの体が小刻みに震えだす。



 「すまない、アスカを助けてくれたのに、力になれなくて」



 「申し訳なかった」



 「フラン君、ごめんね......」



 震える肩にユズハが手を置いた。その手は涙で濡れていた。



 「力は尽くしたんだけどねぇ......こんなことになっちゃうなんて」



 イズミは涙で前が見えなかった。眼鏡を上げ目をゴシゴシと擦る。



 「坊主......」



 「くそっ......」



 サルガルドは手を握りしめ、ヨルは悔しさのあまり唇を噛んでいた。



 「......」



 サンは静かに黙祷していた。どうか安らかに旅立てるようにと。



 フランが膝を抱え込んだ。止めどなく涙が溢れた。壊れたダムのように。その震える肩を、ユズハは思い切り抱きしめる。



 満点の星空だった。どうかこの星達の仲間に入れますように。ユズハはフランを抱き寄せ、溢れそうになる涙をこらえながら、そう願った。

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獣の狩人 朝陽乃柚子 @photoyuuta

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