第十話「雨の祀り」




 注意……稀な例だが、特異な思考過程を経て、望んでアノマリになる人間も存在する。






“元からいるもんだからねぇ、上手くやってくしか仕方ねえです”


――アノマリについて、あるりんご農家より






                ***






 山の神様が、僕を見ている。


 祭囃子の止まない夜に、赤い提灯の下に立っていた。

 練り歩く高いやぐらの上で、お姫が笑っている。


 あの子は僕を見ているんだ。うるさい太鼓の音も気にならなかった。


 お姫が着物の裾をつと垂らす。爪の先までお化粧をした、綺麗な白い人差し指で星の夜空に模様を描く。



 途端に、雨がざぁっとやって来た。


 

 屋台が濡れる。濡れて、叫んだ誰かが太鼓をより一層打ち鳴らす。


 頬に、冷たい滴が伝っていた。

 恵みの雨だ。

 だけど、それは少し元気がなかった。


 大人は皆、盛り上がっていたけれど、神様に魅入られた僕には分かる。



「そうね、次はあなたの番かも」



 土に吸い込まれていく雨と、止まない祭囃子の狭間で、お姫の囁く声が僕には聞こえた。


 出来るかな、でもなりたいと思った。

 雨が降れば、皆が助かる。父ちゃん、母ちゃん、じいちゃんだって。


 だから、僕が次の神様に……。






                ***






「そう何回もあるようなことじゃない、大迷惑ですよ」



 名前も読めないような異国の僻地で、これだけの共感が生まれるのも珍しい。


 外交担当だという職員に礼を言って施設を辞すると、早速道に出来ていた巨大な水たまりに足を突っ込んだ。


 1時間に100ミリを超える激烈な雨。

 それが三日三晩続いたというのだから、当たり前だ。


 元より碌に舗装もされてない道路は、穴ぼこだらけになっていた。

 ひと月以上経ったあとの景色とは思えない。酷い有様だ。


 野生的な暮らしをしているであろう、ラフな民族衣装を纏った少年が、頭に水瓶を乗せて通り過ぎた。

 チャポンチャポンと音を立てて、そういえば来た時にも見かけた記憶がある。排水作業にはまだまだ終わりが見えないようだ。



 局地的な水害――とりわけ、突発的且つ特異的な豪雨による被害を追って、こんな辺境の地まで取材にやってきた。


 パスポートとTOEIC満点の語学力だけでは、まず辿り着けない場所だ。

 無駄足にならなかったのは良かったが、謎はまた増えるばかりだった。



 私の調べでは、10年程前から世界各地で謎の豪雨が頻発している。


 前日どころか、当日の気候すら関係なく、突如発生する通り魔のような豪雨。


 一般的なゲリラ豪雨との違いは、その継続性と雨量、そして発生地域の法則性の無さにある。


 およそ5年前の夏、英国のバーミンガムで1週間程続いた前例のない大雨が、私がそれに気付いた最初のきっかけだった。


 私の住む国で、ちょうどその直前まで、同じような大雨が続いていたから、疑問に思ったのだ。まるで、入れ替わり巨大な雨雲が移動したかのようだ、と。


 その日から、私のリポートは始まった。

 早速乗った英国行きの飛行機の機内で、フランス・パリでの大雨を知り、急いでパリに着いた頃には、謎の雨雲は中国で神話のような洪水を引き起こしていた。


 被災地域を追って調べていくほど、私は確信を深めていった。


 これは偶然や妄想の類などでは決してない。明らかに、これまでの常識では説明のつかない異常気象が発生している。

 過去に遡り世界中の観測記録をあたってみると、証拠はいくらでも見つかった。


 私はこの異常気象の足取りを追い続け、様々な仮説を検証した。


 最初に直感した「特殊な雨雲」という予想は残念ながら外れてしまった。

 いずれの被災地域でも、当日の空にそんな物騒で不吉なものは観測されていなかったのだ。

 気象データを読み解く限り、雨が降る直前に大気が急激に不安定になっているとしか考えられないのである。


 自然の摂理に著しく反しているとなると、次に考えられるのは人工的な災害という説だった。

 何らかの目的を持った実験、あるいは、馬鹿馬鹿しいが気象兵器の存在を疑った。


 しかし、調べれば調べるほどその可能性もすぐに否定された。

 豪雨は世界各地で発生していた。

 地域がばらばらすぎて、とても特定の国家の利益に繋がるとは思えない。


 実験にしても、同じ理由で実行は到底不可能に思えた。

 ロシアで大雨を降らした1週間後に、南米のニカラグアで同じ規模の大雨を発生させる事のできるチームなど居はしまい。


 足取りを追うのは容易なくせに、雨は一向に止む気配を見せない。


 神の行い、神秘的な超自然現象と、最早そういう結論に屈したくがないために、意地になって現地取材を続けているのが私の現状だ。


 気付かなければ、人生を棒に振ることも、こうしてブーツの中を踵まで濡らすこともなかっただろうに。




 湿った空気がかじかんだ鼻先を重くする。

 さて、今日はこれからどうしたものか。


 謎の雨の行先はまだ分かっていない。

 どうせ長居はすまいと高を括り、宿も取らないまま来てしまったが、今夜はどこに泊まろうか…。



「すいません、忘れ物をしてしまって……」



 思案していると、ふと祖国の言葉が耳に聞こえた。

 今出たばかりの施設を振り返ると、透けた窓ガラスの向こう側に、レインコートを着た男の姿が見えた。

 さっきまで私がいた旅行者用の窓口に立ち、職員と何ごとか話している。



 珍しい。こんな辺鄙な地域に、私以外にも訪れる日本人がいたのか。

 奇遇に思い眺めていると、前触れもなく額に冷たい滴があたった。



「むっ……!?」



 まさか、と思いギョッとして空を見上げると、そのまさか、ついさっきまで晴れていた空に暗雲が立ち込めていた。


 何と、これはこれまでにないパターンだ。

 同じ地域に、時間を空けて連続で二度振るなんて。


 急ぎ、機材の用意をしなくては!


 何より、生で事にでくわすのは、5年前、祖国の夏以来だ。

 鞄から取り出すのに少し手間取ったが、滝のような大雨が降り出す直前に、私は録画を始めることに成功した。


 しかし、気温や湿度の変化を記録するデバイスの方には手が回らない。

 くそっ、折角のチャンスなのにこれでは貴重なデータを取り逃がしてしまう。



「お手伝いしましょうか?」



 施設の軒先で、何とかできないかと手持ちの機材と格闘していると、不意に後ろから声がかかった。


 振り返ると、先ほどのレインコートを着た日本人だった。

 正面の近くから見ると、意外なことにまだ若い青年だった。NGOか何かの関係者だろうか。



「あの、何かお困りの様子に見えますが…お邪魔でしたか?」

「いやいや、とんでもない! 手を貸してもらえるならありがたい、カメラを持って頂けますか? それで、そう、空を撮って」



 ツイている。青年に持っていたカメラを手渡し。私は意気込んで観測を始めた。



「あの、差し支えなければ教えて欲しいのですが、これは一体何を…?」

「ああ、災害のレポートなんですよ。あなたは知らないでしょうが、この雨は実はある種の異常気象で……私はずっとこの奇妙な天気を追っているんです」

「…! なら、あなたが…!」



 青年が何か呟いたが、轟くような雨音にかき消され、何と言ったのか私には分からなかった。しかし、興味を持った風で、青年は更に話しかけてきた。



「ジャーナリストさんなんですね。雨がお好きなんですか?」

「ええ、まぁ。と言っても、取材のためにあちこち飛び回ってるもんですから、業界では、もうすっかり変人扱いですがね」

「そうなんですか?」

「普通、一つのネタをこんなに追ったりはせんですから。しかも、はたから見れば眉唾な超常現象だ。大概の同僚からは、頭のおかしい奴だと思われてますよ。ま、気にしてたらこんなに続けちゃいませんが」

「なるほど、それはそうだ。それくらいでなければ、こんなところまでは追ってこれないでしょう」



 ピコン、と音がして持っていた機材の電源ランプがオレンジ色になり警告を知らせた。

 しまった、よりにもよってこんな時に…替えの電池も今は持ち合わせがない。



「バッテリー切れですか? 借りてきては如何です?」



 察しの早い青年が、くい、と背後の施設を親指で示した。



「ここいらでは一番大きな施設です、電池くらいあるでしょう。その機械は私が持っておきますから、さぁどうぞ」

「おお、それは助かる! では少しの間頼みます」



 無遠慮かとも思ったが、迷っている時間も惜しく、私は踵を返しドアの向こうに駆け込んだ。


 窓口で問答をしている間、チラッと振り返ってみると気持ちの良い青年は、降りしきる雨を背景に手を振っていた。


 本当にありがたい。

 遂に今日こそは、長年向かい合ってきたこの異常な大雨の真相に辿り着けるかもしれない。


 天井を叩く猛烈な雨足は止むことを知らず、万国共通の土砂降りの音色を奏でている。

 轟音にかき消されないよう、負けじと怒鳴るように職員と言葉を交わすさなか――ふと、私は奇妙な旋律を聞いた気がした。



 それは、決してあり得ない怪奇の気配。

 交差して聞こえる雨音の合間に、懐かしい祖国の祭囃子――。

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