第八話「狩り初女」 前




 注意…有史以前、太古の時代からアノマリの存在は確認されている。






“歴史に名の残らない偉人達”


――アノマリについて、文化人類学者より






                ***




 寒い。

 何度目かそう思った時、目をつけていた前方の藪が揺れた。


 住処にしている洞窟から、二百歩と少しだけ離れた森の始まり。

 

 来た? 居た? 見間違い?



 フゴッ。



 寒風の狭間、獣の荒い鼻息が聞こえた。間違いない、間違いなく聞こえた!



(イター!!)



 心の中だけで、歓喜の叫び声。

 私は興奮を抑え、手にしていた穂先が尖った石になっている槍を肩の上に構えた。


 慎重に、慎重に、久々の獲物だ。焦っちゃ、だめ。


 ゆっくりと音を立てないように腕に力こぶを作り、痩せた緑の真ん中に狙いをつけてから、さぁ息を整えて、3、2,1――



「やっ!」



 びゅっ、と風を切り、私の投げた槍は獲物のいる藪めがけて見事一直線に――吸い込まれはせずに、右に少し逸れ知らん顔で棒立ちしていた木の幹に突き刺さった。


 あっ、と私が声を上げる前にはもう、藪から飛び出した小イノシシは…私たちの本日の夕食は、森の奥めがけて走り去っていた。


 取リ逃ガシタ。


 愕然として、反射的に呟いた。



「え~~なんでよぉ?」



 機械的に突き刺さった槍を木から引き抜くと、急に膝から力が抜け、私はぺたんと地面に座り込んでしまった。


 直後、空しくも襲ってくる徒労感と空腹感。

 あー、もういや。もう動けない。てか、動きたくない。



「ヒゲーー! マルー! ケダマー!」



 やけになった私はその場で槍を振り回し、大声で野郎どもの名前を呼んだ。

 

 本日も狩りは失敗。手ぶらで帰投なり。

 



                ***




 現代。寒帯に属する某国の大自然。

 

 家族旅行を脱け出してきた男が、待っていたもう一人の男と合流した。



「両方とも、良い骨が見つかったって?」



 やって来たジョン教授の方が、ウド博士に尋ねた。



「そう聞いてます」



 ウド博士が答えると、会話はそこでプツンと途切れた。二人は早足だった。

 

 教授と博士はどちらも、学術的な意見を交わすより、現物を見た方が話が早いのをよく知っていた。

 ただし、喚起されたマニアの会話は止まらない。



「ヴュルム前期とはね。本当なら、休暇は今日で切り上げだが」

「まだ分かりませんよ、ジョン先生。炭素分析はこれからです。ぬか喜びかも」

「そらよくある話だが、その場合帰りの便は君持ちだからな」



「お二人さん!」



 橙色のランプが吊るされた洞窟の入り口で、服に土埃をあしらった研究員が二人を呼んだ。



「こっちです」



 ジョンとウドは、急に黙りこむと誘導に従った。

 三人組はぞろぞろと洞窟に入り、ほどなくして問題の発掘現場と向かいあった。



「これです」



 研究員が手で示す前に、ジョンとウドはもうそれを食い入るように見つめていた。



「なんだ、これは」



 人口の灯りに照らされた洞窟の床に、二つの骨格が折り重なっている。


 その二つの化石は、傍目どちらも状態が良かった。

 半分埋まった全身の骨には、さしたる腐食も損傷も見られない。


 ただ、その太古から時間を越えてきたカップルの亡骸は、奇妙にも一方の腕の先が明らかに――


 明らかに、もう一方の相手の股間にあるアレを、両の手の平で握り潰していた。




                ***




 暗い穴の中を、煌々と照らす焚き火の明かり。その周りを三人と私が囲んでいる。


 失敗に終わった狩りの後、私を待っていたのは、やっぱり代わり映えしないそんな光景だった。



「また見間違えたんじゃないのか」



 私が怪我をした膝に、蓄えてあった薬草を塗りこんでいると、髭の生えたヒゲがまた嫌な口をきいた。



「間違ってなんかない。いたし。外しただけだし」



 うんざりして言い返す私も私で、帰ってから同じやり取りをずっと繰り返していた。



「本当か? イノシシなんて、最近はそう滅多に見ない気がするぞ」

「だから、ごちそうになるはずだったんだって。逃げるトコ見たんだから間違いないわ。あれは絶対3日分はあった」

「どうかな。釣り落とした魚は大きい」

「何ですって?」



 私がキッと睨むとヒゲは向こうを向いた。


 こいつは、言うだけ言って、何てむかつく男なんだろう。

 自然と手が伸びかける。でも、私の仕返しは、途中で毛むくじゃらのケダマに止められた。



「ね、ユキ。槍、どうだった?」

「なに?」

「槍だよ、槍。どうだった?」

「どうって、今日はちゃんと持って帰ってきたわよ」

「そうじゃなくてさ、ほら、手ごたえとか。先っぽを変えたから。よく刺さった?」



 言われて脇に立て掛けておいたのを見ると、確かに槍の穂先は前と違っていた。

 狩りの時も、同じ事を思った気がする。道具を作るのが上手いケダマが、また何かやっていたらしい。



「ね、どう? どうだった?」

「あー。よく刺さったかも。木にね。抜くのが大変だった」



 興奮しているケダマには悪いけれど、前と違いはよくわからなかった。だから私は、適当にそう答えた。


 本当は木から引き抜くのに手間どった、なんて覚えはない。

 …でも、あれ? どうだったかな?



「腹、減った」



 いきなり、丸々とした図体のマルが喋った。



「私もよ、マル。もう三日もお肉食べてないもんね」

「肉、食べたい」



 うん、食べたい。

 マルは見るからに元気をなくしていた。食糧が獲れなかったこの三日間で、頬っぺたが少し瘦せた気がする。


 かわいそうに。

 毒気を抜かれて、私はまた洞窟の壁にもたれかかった。



「我慢しろよ、マル。ほら、草ならまだあるぞ。食べるか?」



 ヒゲが、奥から蓄えていた草をまた持ってきた。



「いい…」



 力なく答え、マルはまたガリガリと石で壁に絵を描き始めた。

 

 断られたヒゲは火の前に座りこむと、取ってきた一掴み分の草を焼き始めた。



 それからしばらく、私たちは互いにじっとしていた。

 草が焼けるパチパチという音と、マルが壁に絵を描くガリガリという音だけが、洞窟の中にこだましていた。


 ヒゲも、マルも元気がなかった。ケダマだけが、元気に槍を弄って遊んでいた。



「行ってくる」



 おもむろにそう宣言して、私は立ち上がった。

 すると、案の定すぐにヒゲが口を出してきた。



「待てよユキ。外は今、吹雪だぞ」

「分かってる」

「分かってるなら座れよ。危ないぞ」

「狩りに行くの」

「狩りだって?」



 ヒゲは顔を上げると、私に焼いていた草を差し出した。



「やめろよ。食べ物ならここにある」

「それ、もう飽きた」

「俺だって飽きてるさ、でもこれは栄養が…」

「洞窟にこもって草を食べるだけの生活に飽きたって言ってるの!」



 叩き付けるように大声で言ってやった。それでも、ヒゲは水を差すのをやめなかった。



「だからって、狩りはないだろ。こんな天気の時に狩りをしたって、凍え死ぬだけさ。イノシシを獲り逃がして、ムキになってるんだろ? まぁ落ち着けよユキ、座れって」



 カチンときた。

 

 私はヒゲに向き直った。この際、言いたいことを言ってやる。



「あのね、ヒゲ。ずっと、こんなほら穴の中に引きこもってたって、しょうがないでしょ?」

「仕方ないだろう。外は吹雪だ」

「仕方なくない。取っておいた草、もう少しでなくなるんでしょ? だったら狩りをしなくちゃ。このままじゃ、皆飢え死によ」

「明日、吹雪が止んでからまた草を採ればいい」

「私はっ、今っ、お腹が減ってるのーっ!」



 やれやれというヒゲの表情が、余計に私の神経を煽った。



「座れよ、ユキ。今はあったまろう」

「あんた、何もしない癖によくそこまで偉そうにふんぞり返っていられるわね」

「俺は今、草を焼いてる」

「あー、草ね。うん、うん。でもね、私が言ってるのは狩りのこと」



 ヒゲが嫌そうな顔をした。でも、構うものか。私は言ってやった。



「私たちがいつもいつも、ひもじい思いしてるのは何でか分かる? 狩りをしてるのが私だけだからよ!」



「あの、僕もやってるよ」



 ケダマが口を挟んできた。



「あんたの罠は一回でも獲物が引っかかった試しがあった?」

「それは、えっと…」

「そうでしょ。肉を獲ってくるのはいつも私だけ。男のあんたらに、女の私が獲った肉を分けてあげてるの」



 口がトマラナイ。



「あのね、普通は逆なのよ? あんた達口ばっかり動かしてないで、こういう時くらいちょっとは働きなさいよ。男でしょ!」



 ヒゲとケダマはバツが悪そうな顔で、狼狽えていた。



「でも、狩りが一番上手いのはユキじゃないか。だから皆、ユキを頼りにして…」

「こんな時でも、私一人に? それが不甲斐ないって言ってるんじゃない。兎の一匹も捕まえられない奴に、狩りのことで文句を言われたくないわ」

「兎か。そういえば、初めてユキを見つけた時も、兎を持ってたな」

「そういえば、そうだね。僕とヒゲと二人で…最初に見つけたユキは、かわいかったなぁ」

「ほんと、最初だけだったな」

「男ォッ! 話を、逸らすな!」



 私がぴしゃりと言うと、二人は途端に沈黙した。



「ケダマは道具を作ってるから、まだいいとして…」



 露骨にほっと息を吐くケダマ。

 それを横目に、私はヒゲだけに矛先を絞った。



「ヒゲ、あんたはみんなのために、何かしてる?」

「俺は…いつも知恵を出してる」

「そう。あんたはいつも口だけ」

「草も焼いてるぞ」

「それは皆、出来るしやってる」

「俺が焼いた時が一番美味いぞ」



 知らないっての。

 草はいつもまずいじゃないの。



「とにかく、自分で肉も獲れないような男に文句を言われたくない。私、行くから」

「待てよ。マルはどうなんだ。あいつだって何も――」

「マルはいいの! ヒゲやケダマと違って口うるさくないから!」

「みんな、ケンカ、よくない」



 名前が出てきて気になったのか、マルが絵を描く手を止めて、心配そうな顔つきで私達を見回した。



「ほらぁ、マルはいい子~」

「ユキ、マルにだけは甘いよね…」

「俺達の中で一番口うるさいのはユキだろ」

「は? 何か言った?」

「「何でもないです」」



 ヒゲとケダマが異口同音に口を揃えた。

 どこかから微かに壊れるような音が壁に響き、焚き火の灯が少し揺れた。

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