第七話「アルプス」
きをつけろ。
よんだらよんだ。
夜もねむれないこわいおはなし。
よんだらねるな。
よんだらねるな。
***
深夜、目が覚めた。
カラカラに乾いた喉が、胃もたれしてむかつく腹が、今すぐに新鮮な水分を欲している。
記憶が曖昧だ…ここは、どこだ?
ベッドの中でもぞもぞと寝返りを打つと、回した肘に空になった缶ビールがぶち当たった。
くぐもった闇の中、カランカランと転がる音だけが遠ざかっていく。
…思い出した。
そうだった。なんでもない、自分の部屋じゃないか。
昨日の夜から、一晩中飲んでいたんだった。
月末の慎ましやかな恒例行事。宅飲みで、安い酒を浴びるように。
自ら酒に呑まれる内、いつの間にか泥のように眠りに落ちていたらしい。
起き上がると、案の定、情けない風体をしていた。服も髪も無秩序にとっ散らかっている。それに、ひどく酒臭い。
しかし、まぁ、ちゃんとベッドに寝っ転がっていた辺り、こんなザマでも昨夜の酔い潰れはまだマシな方だったのだろう。
「お目覚めか」
部屋の真ん中から、アルプスが声をかけてきた。
よく通る声だ。俺はガンガン痛む頭を無理に持ち上げて答えた。
「あぁ…」
返事にもなってない、うめき声だった。
「悪酔いか」
「そんなに、悪かない。でも、あぁ、とりあえず吐きそ…うっ」
ふらつく足でアルプスの横を抜けると、俺は2週間前の雑誌やら脱ぎ散らかしたコートやらを踏んづけて、寝室からよろけ出た。
灯りの点いていない部屋から、灯りの点いていない部屋へ。
酔った千鳥足でリビング兼キッチンのキッチンまで辿り着くと、俺はやって来た勢いそのまま、流しに突っ伏した。
冷えた水道水を求め、手だけで蛇口の栓を探る。
窓から差す月明りが、鈍く汚れの付いたくの字の銀色を仄かに照らしていた。
まだ寝ぼけまなこだが、段々と思い出してきた。そうそう、そういえば、冷蔵庫にミネラルウォーターがあったはずだ。
俺はよたよたと横にあった冷蔵庫にしがみつき、もたれるようにしながら、そのドアを開けた。
覗き込むと、すっからかんの奥の方に新品のペットボトルがある。
もちろん、すぐに手に取り、苦労してキャップを回した。
冷たい新鮮な潤いが、口から体全体に染み渡る。
これぞ、二日酔いの醍醐味だ。ようやく、少しずつ目が覚めてきた。
まず、酔いを醒まそう。意識はハッキリしてきたが、相変わらず吐き気がひどい。
もう一度、流しに向かって前のめりになり……ふと、思った。
ここは、俺の家だ。アパートの一室で、優雅な一人暮らし。勿論、同居人なんていない。
昨夜は一人で飲んだ。誰も……家には入れてない。
「…………」
急に、キッチンが冷えこんだ気がした。
今さっき、俺は誰と喋った??
確かに寝室で会話をした。
決して記憶違いなんかじゃない…なに、アルプス?
あいつは、あれは一体誰だ?
俺以外、誰もいるわけないのに……!!
酔いも眠気も、さめていた。代わりに、心臓が早鐘のように波打ち始める。
新鮮な硬水で潤ったばかりの喉は、もう乾き切っていた。
暗い部屋の向こう側に、半開きのドアがある。
隙間から覗く扉の奥は、真っ暗な闇に包まれていた。
俺とそれとの間にある床とソファーだけが、月の光に照らされ蒼白い輝きを放っている。
悪夢でも、見ているのか……?
気が付けば、体が小刻みに震えていた。
「おい」
俺は呼びかけた。
部屋の向こう、何も見えない真っ黒い空間に向かってそう言った。
「お前…誰だよ?」
アルプスってなんだよ。そんな名前、心当たりがない。
…いや、理由は分かっていた。顔が思い出せないのは、景色と同じにそいつの横を素通りしてしまったからだ。
当たり前にそこにあるものとして受け入れて、よく注意して見なかったから……。
ゾッとした。
いつの間にか頭に刷り込まれていた「アルプス」という存在と、その異常に気付きもしなかった自分自身の両方に。
アレは一体何なんだ?
いつ、どうやって家に入ってきた?
ずっと、俺が酔い潰れて眠りこけている間も、すぐ傍で俺を見てたのか?
さもそれが当然であるかのように、夜通し枕元に突っ立って――?
いつまで経っても、寝室にいる『アルプス』からの返事はない。
代わりに、冷たい風が漂ってきた。
奴は今、すぐそこのドアの奥から俺を見ている。
疑いの余地はない。息を伏し、じっとこちらの様子を窺っているのだ。
カタカタカタ、と歯が鳴っていた。
違う、最早歯だけじゃない。全身の恐怖が床に震動を伝えている、その音だった。
「おい…何だよ、誰だよお前っっ?!」
「何とか言えよっっ!? いつからそこに居やがった?!」
沈黙を拒絶し、俺は無理矢理叫びまくった。
「誰だって聞いてんだよ!? 聞こえてんだろ!? く、くそっ、けけ、警察呼ぶぞっおいっっ!!」
恐ろしくて、まともに言葉が喋れない。
それでも、喘ぐようにしてでも叫び続けなければ、正気を失ってしまいそうだった。
予感でなく、確信があった。
何か、とにかく何かしなければ――!
アレは、きっと、普通じゃない。
と、おもむろに、ギィ…という音を立てて寝室のドアが開いた。
そし
いいへやだな
はやくねろ
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