あたたかな私の上に、つめたい雪が


 あちこちが焼け焦げ倒壊した巨大廃墟群の中を葉摘は歩いていた。


 もとは大きな企業の社宅団地だった場所だが、この辺りはあの災厄の時に出動した自衛隊の手によって砲撃が加えられたのだと聞いた。

 今では団地は殆どが人の住まぬ廃屋であり、隣接する農業地帯に生き残った少数の人々が暮らしている。

 リカコと葉摘は現在この団地の一室を拠点として診療活動を行っていた。

 国としての体制がほぼ崩壊している状況にあって教育制度などまともに機能している筈もなく、葉摘はリカコの『弟子』と言う形でその手伝いをしている。


「手に職があるってのは、今の世の中では本当にありがたい事だわ」


 外科医としてそれなりの力量をもつリカコはそう言って笑う。

 実際は入手出来る医薬品は少なく、設備の整ったかつての大病院勤務時代に比べれば救える筈の命も救えず、治せる筈のものも治せない悔しさに苦しむ事も多いのだけれど、それでも何も出来ないよりもマシだと言って民間療法や自生する薬草などを研究しながら治療に取り入れ始めていた。

 この技術があったから、リカコは不自由な身であっても葉摘の元へとたどり着けたようだった。

 とにかくこの世界に現在医者はとても少ないのだ。

 ゾンビに襲われ怪我をすればほぼ確実にゾンビ化するのだから、怪我人と近い場所での活動を行う医師の生存率が低いのもおかしな話ではない。


 足を一本失う事にはなったが、自分は運が良かったのだとリカコは言った。

 診療所の休憩時間、葉摘は外の空気を吸う為に団地の外れにある小さな児童公園まで歩いてきた。

 ベンチに腰を下ろし、急激に冷え始めた外気に貰いもののPコートの前を合わせる。

 伸びっぱなしの雑草がそのまま枯れた公園は殺風景ですさんだ印象を抱かせるが、消毒や血の匂いに満ちた診療室の中に籠って休むよりは息もつける。

 葉摘はベンチの座部に両足を引き上げ、リカコがどこかから調達してきてくれた看護学校の教科書を膝の上に広げ、文字に目を落とす。

 最終的に目指しているのはリカコと同じ『医者』ではあっても、とりあえずは毎日訪れる患者達を診療する手助けが出来なければ……と、考えての事だ。


「気管切開術による……嚥下?……ああ…エンカね。……嚥下へ及ぼす影響について……」


 教科書に覆いかぶさるようにしてブツブツと呟いていた葉摘の視界の端に、なにか白いものがふわりとよぎる。

 最初それを彼女は季節外れの白い蝶だと思った。

 だけどこの冬の寒い時期、蝶などが空を舞う筈がない。

 所々に青空の欠片をちりばめた灰色の空から降ってきたのは幾片もの雪。

 蝶のように、羽毛のように雪は幾百もの結晶を連ねてふわりふわりゆっくり舞い落ちてくる。


「びっくりした。雪か。……そうだよね、蝶の筈ないか。寒いと思ったら、もうそんな時期なんだ……」


 ベンチに腰掛けたまま顔を上げ、葉摘は白い雪が空から降ってくるのを眺める。

 大きな雪片が振り落ちてくる様は見ていると吸い込まれそうで、雪が降ってきているのか、それとも自分が空へ向かって上昇して行っているのかが分からなくなりそうだった。

 天地が逆転するような、それとも重力が失せて行く様な非現実的な感覚に浸りながら、葉摘はもしもこの雪片が全て蝶ならば、物凄い数の魂がこの場に下りて来ているのだな……と、ぼんやりと考えた。


 幾千幾万の白い蝶の群れの中には秋也や響也の魂も混ざっているだろうか?


 そう思いながら葉摘は頬笑みを浮かべる。


 ……響也お兄ちゃんはモンシロ蝶じゃなくてやっぱりモルフォ蝶の方がイメージに合っているけど、ここは日本だからモンシロ蝶で我慢してもらわなきゃね。


 フワフワとした綿毛のような雪片が葉摘の鼻の頭に落ち、じわりと解け消えた。

 自分の鼻の上を手の甲で軽く拭い、その手を振り落ちる雪のさなかに差し出すとまた一片の白い雪が葉摘の手の上で解けて消えた。

 その様を葉摘は切なさを内包した喜びをもって見まもる。


 ワタシは生きているから、温かいんだ。

 秋叔父さんや響也お兄ちゃんがこのあたたかさをくれたんだから、ワタシが生きている限り秋叔父さんも響也お兄ちゃんもちゃんとココで生きているんだよね……?


 胸の奥の切なさは涙を呼ぶレベルまで高まっていたが、葉摘はさっきよりも笑みを深くして勢いよくベンチから立ち上がる。


「雪じゃ外にはいられないね。しょうがない、戻るかな」


 髪に頬に額に雪は落ち、葉摘の身の内の発する熱に溶け……涙の代わりに頬を幾筋も流れ落ちた……。

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あたたかなキミの上、つめたい雪が jorotama @jorotama

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